日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

昨日は特に疲れて起きていられず、夜9時半くらいに寝てしまいました。

なにがそんなに疲れたかというと、毎日大掃除していてウメの散歩2回だけでもぐったりなのに、昨日はさらに区の子宮頸がん検診へ行ったからです。
3月末までに行かないと、区からの受診券が使えなくなるため、昨日は決心してウメの散歩2回を早めに済ませて自転車で出掛けました。

自転車をこぎながら、(検診は自分のためというよりも、この年になると家族のために受けるものだネ!)と思いました。私が死んだら母、コウジさん、ワッチ、犬猫(ウメ・ハル・チー)が困りますからね。

・・・もし私が今死んだら、コウジさんのことはきっとワッチがみてくれるかな?(結構今のようにクールに必要最低限のことしかしてくれなさそうだけど、それでも助かる。) 母2人のことは、コウジさんとワッチが見てくれるかな? 犬猫のことは、コウジさんとワッチがみてくれるかな?

あれ、ワッチが一番大変じゃん!ワッチもテレビに出ているヤングケアラーの方たちほどではないけれど、プチヤングケアラーなんだろうな。
ワッチはあれでいてわりとしっかりしているのだけど、私の母はそのことを、「やっぱり苦労しているのよ。お父さんが病気になって。」と言います。ワッチに「おばあちゃんがそう言ってたよ。」と言うと、「それはあるかもな。」とクールに肯定。ふむ。 

私がコウジさんが倒れて最初の頃(そして今も)頼りにしていた、区の家族会代表のIさんが、「親が障害(や病気)を負うと、子どもは早く大人になる。でもそれは、悪いことではない。」と仰っていたのを今でも覚えています。要するにしっかりするから、ということで、しっかりするのは遅いより早い方がいいものね。ワッチはおくてだと思っていたけれど、いつのまにかすごくしっかりした24歳になっていました(でもまだ学生。現在就活中)。

はい、また話が横道にずれたので戻します。
今日は婦人科検診の話なのですが、このブログの読者は大半が女性だろうと勝手に思っていますので、女性の方は我がこととして、男性の方は参考程度にお読み下さいね。

子宮頸がん検診と乳がん検診は、世田谷区の場合、私の年齢だと2年ごとに券が送られてきます。それぞれ無料ではなく、千円くらいはかかるのだけど、ここに引っ越してきて以来ずっと受診してきました。

それで41歳の時に高度異型成(Ⅲb)という異常が見つかり、念の為に簡単な手術を受けました。4日入院しただけですが、その時同室だった人たちと意気投合し、いまだに年賀状やりとりしているんですよ。たった4日の入院なのに、会社帰りにコウジさんがお見舞いに来てくれて、その優しさにぐっときました。その時の彼の笑顔は今も覚えています。 というか、今も毎日同じ笑顔のコウジさんです(笑)。
そして、その4か月後に、彼はくも膜下出血を起こしてコウジさんになったのでした。うう・・・

昨日の検診では、子宮体がんの検診もついでに受けたり、卵巣や子宮の様子も調べてもらったのですが(毎回そうしています)、もう痛くて痛くて、その後座ることもままならず、自転車も死ぬ思いで乗って帰宅したものの、昨日1日分のエネルギーを検査でほとんど消耗して、簡単な夕食を作って食べるとシャワーを浴びてすぐ寝てしまったのでした。

医師も気の毒そうに私を見て、「痛み止め出す?」とか「次回からは、子宮体がんは超音波で見ることにしましょうね。」と言ってくれました。 
41歳で入院した時に、60~70歳代の女性も同室で、その方が子宮体がんでリンパ廓清手術を受けて大変そうだったので、子宮頸がんだけでなく体がんも検査しておかなくちゃ、と思っています。

医師は「区は2年ごと言うけれど、本当は毎年受けた方がいいのよ。だから毎年受けなさい。」なんてことを言うんです。ええ~、こんなの毎年受けていたら身がもたないヨ、どうしようかなあ。

・・・私のブログは長い、とHさんに言われたので、そろそろ切り上げます(笑)。
でもたしかに、長い文章を時々書くよりも、短い文章を頻繁に書く方がいいかもしれませんね。すでにもう長いので、何をかいわんや、ですが。だからあと3つは箇条書きで。

・栃木の山火事、大変なことになっています。麓に暮らす人たちも、山に暮らす生きものたちも、心配です。早く消えますように。それにしても、最初に失火した人は、悪気がなかったとはいえ、不注意過ぎで言葉もない。

・ウメの散歩中、犬友達の元大学教授と話しこむことが多いのですが、「7万円の食事って、お品書き見てみたいよね。」と呆れています。そうやって政治家はおごられることが多くて、金銭感覚も麻痺しているのだと思うと、我々庶民(庶民でない方もお読みかもしれませんが)とは、別の生きものですね。 そんな贅沢な牛肉や海鮮料理を食べながら、今日食べるものにも苦労している人や子どもたちのことは、頭に浮かばないのでしょうか。

・大掃除は、物がどんどん床に広がって、まるで地震のあとの部屋のようです。高次脳機能障害活動11年、父が亡くなって5年、その関係書類が膨大な量なので、整理にはきっとあと半年くらいかかると思うのですが、ふと今日気づいたのは、大掃除は疲れるので、免疫力下がってコロナにうつったら大変、ということ。なので、明日からはほどほどのところで切り上げるようにしないと。

ではまた!



昨日は1日中、今日は昼間だけ、東京は春のような暖かさでした。
ウメと散歩していると、もう沈丁花も咲いているし、桜も咲いていましたよ。桜は色々な種類があって1年中咲いているそうですが。

今日は、お知らせがあります。
色々悩んだのですが、このブログを書き始めて約10年半、そろそろこのへんで終わりにさせて頂こうと思います。今までお読み下さった皆様、本当に、本当に、有難うございました。厚く御礼申し上げます。

コウジ村の皆さんへは、先週お伝えしましたし、コウジ村名誉村長の東川悦子さん(元日本脳外傷友の会理事長)には、真っ先にお伝えしました。

理由は、第一は私の体調不良です。

詳しい話はご心配かけますし、あまり自分としても嬉しい話ではありませんので控えますが、まずは自分の健康、そして命を守るために、今後の高次脳機能障害に関する活動をやめることにした次第です。1年前にこの障害関係の雑用を根を詰めてしていた頃、睡眠不足(1日3時間睡眠)を3か月続けてひと段落した直後、意識が朦朧として救急搬送されました。それ以来、高次脳機能障害に関する用事をなにかしていると、どうも頭がしびれたりフワフワしたり、このまま失神してしまいそうな、死んでしまいそうな不安感、不快感を覚えるようになったのです。

10年以上この世界にいて、色々な方の相談を受けてきて(無報酬デス)、段々と色々な疲れや自分自身の将来的な不安などが溜まってきたんだと思いますし、来月58歳となる身は若くもないのでそろそろ無理するのも限界なんでしょう。ええ、多分無理をしてきたんでしょう。あまり自覚はなかったけれど、1人でエラそうに多くの方の相談に乗ってきたのは、無理があった、と今改めて思います。

とはいっても、このブログで受けるご相談はそんなに(というか、ほとんど)負担ではないのですが、振り返れば個人的に特にこの1年に頂いた、怒りや不満に溢れた大量のメールや電話が、結構負担だったなあ、と思います。時には脅しもあったり、侮辱もあったり。答えても答えても、全く解決せず、こちらも疲労困憊、気持ちが悪く滅入ってしまいました。

やはり私のような個人が相談に乗るよりも、行政や福祉、医療機関などでそういう方がたの対応をもっとして頂けると良いんです。そういうご職業の方がたはそれが仕事であり、それでお金を頂いているのですから。私のような手弁当の経験者や家族会は、そういう支援機関の後ろで助言する、というのがいい形であり理想なんです。

皆さん、国リハ(国立障害者リハビリテーションセンター)のHPの中の、高次脳機能障害支援センターのところをご覧下さいね。そこに各都道府県の支援拠点機関の表があります。ここにご相談下さい。http://www.rehab.go.jp/brain_fukyu/soudan/

そうですね、理由の第二は、経済的問題です。
私もコウジさんも、60歳近くになり、老後のことを考えるようになりました(コウジさんは考えていないようですけど。も~)。 
そうすると、まだ住宅ローンもすごく残っていますし、ワッチはまだ学生ですし、悠長に無報酬のことで疲弊して自分の首を絞めている場合ではなく、生活のために少しでもお金を稼がないといけないという現実に目が覚めます。それも自分の体調が良くてまだ若い、と思っていた時には見なかった現実でした。不調になって年もとってきて初めて、考えるようになりました。皆さんも、一所懸命仕事されてらっしゃいますよね。私も頑張らなくちゃ。当たり前のことですが。

それに、動物保護団体や各種障害者団体、恵まれない子供たちなどにこれからもご寄付を続けたいです。(はっきり申し上げますと、私は自分の年収より1年間に寄付する額の方が多かったです。これもちょっと身の程知らずで反省する点です。)

今朝掃除しながらワイドショーを横目で見ていたら、今なぜか株価がすごく上がっていて、お金持ちはどんどんお金持ちになっているんですってよ。昨日4千万円の時計を買っていった人もいたとか。コロナで海外旅行ができなくなった分、貴金属や高額な不動産を買う人が増えているそう。

そういう人たちが、動物保護団体とか恵まれない人たち、お金がなくて困っている人やところににどんどん寄付してくれたらいいのにね。

・・・話を戻しまして、私の頭の不調は多分メンタルが原因だそうですが、去年撮ったMRIに少々問題が写っていて、不調が続くため来月またMRIを撮ります。先週の受診時、医師からは、「もう(高次脳機能障害活動は)やめましょうよ。」「10年お疲れ様でした、と僕が言ってあげます。」「60が見えてきた今、好きなことをした方がいい。」と言われ、思わず診察室で涙がこぼれました。その時、(ああ、私はしんどかったんだな。)(本当は、こういう言葉を聞きたかったんだな。)とわかりました。勝手な言いぐさなんですけれど。

こうしてドクターストップをかけて頂き、きっと命拾いしたこれからは、元々やっていた好きなイラストレーターの仕事に戻ったり、大好きな動物たちを守り支援する活動をしていきたいと思います。それが私が純粋に好きなこと、やりたいことだからです。やっぱり、自分の好きなことをした方がいいですよね。それができるのでしたら。

最近の講演会で使った資料の表紙を、初めて愛犬ウメや愛猫ハルとチー、そしてプラナリア、自分の過去のイラストで埋め尽くされたものにしました。 そして講演タイトルはいつものように、「当事者には居場所を 介護者には支えを」とするところ、順序をあえて変えて、「介護者には支えを 当事者には居場所を」と、介護者ファーストにしました。

やはり介護者(家族)の立場に立つ私としては、介護者にこそ支えが必要で、介護者が元気であればこそ当事者の元気も実現する、と考えるからです。もちろん、当事者の方は大変ですし当事者の方1人で元気に頑張ってらっしゃる方もいらっしゃって、それは本当にすごいこと、偉いこと(そしてしんどいだろうこと)と思います。 

介護者(家族)として私が一番望むことは、何度もここで取り上げさせて頂いたり、講演資料に必ず入れたり、講演でお話してきた「介護者の権利章典」(児玉真美さん訳)の中にあります。

特に好きで頷く文章は、次の3つです。

★ 介護とはまた別の自分自身の生活、その人が健康であったら送っていたはずの私自身の生活を守ること。 私は介護している人のため無理のない範囲で自分にできることは全てやります。 同時に私には自分自身のために何かをする権利もあります。

★自分が成し遂げていることに誇りを持つこと。そして家族のニーズに応えるために時として奮い起こしている勇気に自ら拍手を送ること。

★一人の人間としての自分を守り、自分自身のための人生を作っていく権利を守ること。それをして初めて、家族が私のフルタイムの介護を必要としなくなった時にも私は私のままでいられるのだから。

これは児玉さんが2008年に発表された訳で、2011年には改訂版が出ましたが、私はこの2008年の方が好きなので、こちらをご紹介しました。

私が「その人が健康であったら送っていたはずの私自身の生活」や、「自分自身のために何かをする」ということを考える時、それは好きな絵を描くことと、好きな動物たちを守る活動をすることです。それで最近の講演会の表紙を、ウメとハルとチーとプラナリアと自分のイラストにしたのですが、このあたりから心境の変化があったわけです。

ただ、3つ目の「家族が私のフルタイムの介護を必要としなくなった時」というのは、どうなんでしょうね、私の方がコウジさんより先に逝くような気がするんですけどね、なんとなく。コウジさんはよくカッとしますが、それは障害ゆえのもので、病前は穏やかで平和な心を持った人でした。だから今も大体が、平和で優しいコウジさんです。
それにひきかえ私はいつもイライラ怒っていて、不平・不満・不安という煩悩に苦しんでいますからね(笑)。心が健康でないと体も健康でないでしょう。

コウジさんを見習い、私もなるべく心が純粋で平和な人間になりたいものです。(これもよくブログに書いているかもしれませんが、樹木希林さんが、内田裕也さんを「きれいな鏡」と称えたように。)

さて今日から1か月後の3月23日が、私の58歳の誕生日ですので、その日をこのブログの最後の日に致します。

それまでは今までのように、日々のことを綴っていきますが、たまっているお知らせ事項も記していきますね。

皆さんも、どうぞ体に気をつけて、なるべく好きなこと、やりたいことをしましょう。それが結局は自分のため、家族のため、社会のためになるんじゃないかと思います。
くれぐれも、無理は禁物ですよ。

夕方、木谷さんがコウジさんにzoomで囲碁を教えて下さいました。
毎月大森で行われていた「高次脳機能障害と囲碁」の会が、コロナでなくなって久しく、実家へも行かないようにしているので私の母と対局することもなく、コウジさんが囲碁をする機会は激減していました。
コウジさんは、休日は大体ヘッドホンで好きな音楽を聴いています。
ウメを逃がしてしまってからは、ウメの散歩の役も解かれ、ひたすら音楽を聴いているか昼寝しているか、でした。

そんな時に木谷さんがお声かけ下さって実現した囲碁の時間。
久しぶりにコウジさんは生き生きし、大きな声で楽しそうに木谷さんと会話しながら囲碁を教えて頂きました。
ああ、こういう時間はいいなあ、と私も隣でワクワクしました。木谷さん、有難うございました。

囲碁。
私はイラストと動物のほかに、囲碁も好きです。まだ5級ですけど、面白いです。
忙しかったり疲れていても、囲碁クエスト(ネット碁)は必ずやっています。囲碁クエストがいいのかわかりませんが、短時間で知らない人と対局、負けることが多いですけれど、気持ちと頭のリフレッシュになるんです。1日たった3分だけのことも、しばしばですけれどね。

木谷さんとの囲碁が終わり、コウジさんは元気づいて、私とウメの散歩にもついてきました(笑)。
北風が強く、「これ、気温10度ないよね。」と身を縮めながら一緒に散歩するのも、楽しかったです。

あまりに体が冷え込んだので、これから早いお風呂に入ります。
それから、夜ごはんはカレーうどんで温まりましょう。

これから少しゆっくりした生活に戻ろうと思うと、なんとなくほっとした気持ちです。
この10年、いつもやることの7割くらいが、できていない焦燥感を抱えていました。

それではまた!
 
最後に、それでもこのブログが少しでも、1人の方にでも、喜んでもらえていたなら、お役に立てていたなら、やっぱり嬉しいです。

有難うございました。




この10年、正確に言うなら『日々コウジ中』が世に出てからというもの、家の中にたまった様々なものを整理しているところです。いわゆる「断捨離」というものでしょうか。

片づけを始めた理由は、特に大きな持病がなくても、今回のコロナで50歳代でも死ぬことがあるんだなあ、と思ったのがきっかけで、私が突然そうなった場合、残されたワッチが処理に困ると思い、捨てられるものはどんどん捨てているわけです。

自分の講演資料、講演先で頂いた各地の情報満載の資料(しかし古くなっている)、領収書、請求書のコピーなどは捨てる方に。直接、あるいは出版社を通して頂いたお手紙は捨てず、とっておくほうに。 

また、写真の整理もしていて、特に娘のワッチ(今はワシ→要するに、自分のことを呼ぶ時娘はこう言う。それが『日々』に出てくる娘のキャラクター名になったのです)が生まれて24年の間にたまった写真の膨大なこと。その中からチョイスしたものを、アイパッドで二重撮りしてアイパッドの中に取り込んでいます。スキャンする時間がないし、アイパッドでの二重撮りでも、結構よく撮れるので。

そんなことをしている理由は、もし首都直下地震が来て(いつ来てもおかしくない)、近隣から火災が発生、我が家も全焼した時に何がなくなると惜しいかというと、命以外は写真だと思うので、データとしてアイパッドに保管しておくのです。今までの私達家族の記録ですから。まあ、ワッチにあげようと思っているのですが。

東日本大震災では、亡くなられた2万人もの方たちが写っていた写真も津波で流されたのかと思うと、残された遺族の悲しみは、どんなに深いことでしょう。

写真整理は、時間がかかります。1枚1枚に思い出があり、くすりとしたり、ほんわかしたり。
コウジさんが病気になる前と後、というのも1つの区切りになっています。
これは病前の、ごく平凡だけど幸せだった頃のもの。ここからは、くたくたになって途方に暮れ涙にも暮れた頃のもの。 そして今またそれなりに、平穏な日に戻ってきています。
もちろん、コウジさんが病気になっていなかったら・・・と思うことはありますが、そんな時はこういう母の言葉が聞こえてきます。

「コウジさんが病気になったから、あなたは色々なことができたのよ。コウジさんが病気にならなかったら、なんにもない、つまらない一生だったわよ。私は平凡だったけど、何もないつまらない人生だったと思うわ。なにかあった方がいいのよ。」と。

私を元気づけるためにそう言ってくれている面もあると思うのですが、そう言われると、「そうお?でも疲れたよ!」と憎まれ口をつい叩いてしまう私です(苦笑)。

はい、コウジさんが奇跡の生還をしてくれたおかげで、この10年、色々な素晴らしい方と知り合えました。コウジさんのおかげです。有難う。

先週はコウジさんの定期的な受診がありました。
病院が、すいていました。
みんなコロナにうつるのが怖くて、病院へ来るのを控えているのでしょうか。

ためしにコウジさんに先に歩いてもらうと、やっぱり彼は迷い、なんと2階へ行こうとしてエレベーターを待っていました。 なんで2階? 今までこの病院に15年通っているけれど、地下(リハビリ)や1階(脳神経内科)へ行くことはあっても、2階は病棟だよ。入院している人たちしかいないよ。まったく、コウジさんの脳って、どうなっているのかわからないなあ。

診察の時に私がぶうぶうそれを言うと、主治医のW先生もコウジさんに向かい、「なんで2階へ行こうとしたんですか?」と聞きました。コウジさんは腕組みして目をつむり首をひねりながら、「なんでかなあ。なにかあると思ったのかなあ。」と言うだけで、一向にはっきりした答えが出てこないので、W先生は諦めて次の質問に移りました(笑)。

私はW先生にあれこれ質問しました。たとえばワクチン。「脳血管障害になった人はコロナにうつったら重症化しやすいと言いますけど、コウジさんはワクチンを打った方がいいのでしょうか?私自身は打たないつもりなんですけどね。」「脳血管障害になった人は、またコロナで再発するでしょうか?」「コウジさんがコロナにうつっても私が世話できますが、私がコロナにかかったら、コウジさんはどうなるんでしょうか?朝1人で起きて、会社へ行くことができないかも。もうなるようにしかならないでしょうか?」などなど。

W先生はそれぞれの質問に簡単に答えて下さいましたが、まあコウジさんはワクチンを打ってもいいんじゃないかということとか、再発するとかそのへんはまだわからないんだよね、とか、私がコロナにうつったらコウジさんは濃厚接触者になるから会社へ行けませんね、とか。もっとじっくり考えてみれば、そうでした。 私が入院でもしたら、家に残されるコウジさん(と犬猫)の世話は、若いワッチにお願いするしかない。ああ、ワッチがいてくれて良かった。多分若いから重症化しないよね(とも限らないけれど)。 これ、家族がいない人は、障害や病気を持っていなくても大変です。自宅療養していて急に症状悪化してしまった場合、誰が助けてくれるのでしょう。命が関わる問題なので、友人知人、地域の人など、日頃から最低限の繋がりを持っていることが必要です。コロナで、繋がりの重要性が改めてわかりましたね。今からでも頼れる知り合いを作りましょう!頼り、頼られ、支え、支えられるのが人間なんですから、当たり前のことです。

さて、コウジさんが病院内で迷ったり、トイレから戻って来られなかったり、人がそばにいるのにむせたりで、コウジさんの一挙一動にカリカリしていた私は、W先生の診察時にもカリカリしていて、コウジさんのパルスオキシメーターの値が低い(92とか80台とか)理由について聞くのを忘れてしまいました。次回の受診は8週間後になりますが、その時聞きます。それまでコウジさん、具合悪くならないでね。多分、ずっとコウジさんはこの値できたのだと思うから、大丈夫と思います。

今日、目黒区の東京医療センターで、ファイザー製のワクチン接種を始めたという映像が、朝のワイドショーやお昼のNHKニュースで報道されました。 東京医療センターは、私が好きな病院です。かつて婦人科系の病気になった時、この病院で手術入院したことがありますが、とても良い医師でしたし、明るくきれいな病院で居心地も良く、4人部屋の病室で仲間もでき(いまだに年賀状交換続いています)、良い印象しかありません。 そこの院長先生が日本で最初の接種者になられたということ。言葉は悪いけれど実験台のように思えて、胸がつぶれる思いでした。そして、(絶対副反応が出ませんように、何十年も出ませんように。)と願いました。でも院長先生はそういう(実験台という)意識はなく、医療職として必要で当然のことという毅然とした態度でいらっしゃった。頭が下がります。

そして、次々打たれていく医師や看護師さん、リハビリ職、事務職の方たち。私は言葉を失って、テレビを見ていました。大きな病院内での接種なので、もしアナフィラキシーショックなどの突然の副反応が出てもすぐ対処できるのだと思いましたが、こういう接種場面が報道されるのは異様な気がしました。私のような、「(現時点では)打ちたくない。」と思っている人たちには、大事で感謝すべき存在の医療職の人たちが率先して打たれていく姿は、やはり衝撃的です。こんな立派な先生が打たれるのだから、自分も打たなくてはいけないんだろうか、という気に、正直させられます。そのための報道でもあると思うのですが、どうしたものか・・・。

ワクチンに関するご著書がある知り合いの方に、今回のワクチンのことでメールしています。今のところ私と同じく、打たないご意向でした。また、近所の犬友達のご主人が、新聞やテレビに出演される高名なクリニックの院長先生なので、ウメの散歩で会う時に、その犬友達にワクチンについてどうしようと考えているか尋ねました。「主人は、打つの嫌だなあ、と言ってる。たとえ副反応が何万人かに1人と言っても、その1人になるかもしれないし。私も嫌だなあ。」 
もう1人の犬友達の元大学教授にも、ウメの散歩でお会いした時に、同じ質問をしますと、「打たないね。」と答えました。 ・・・犬を飼っていると、出会うことのなかった人たちと知り合え、仲良くなれますよ。ほかにもいっぱい犬友達はいます(50人くらい)。

その元大学教授の奥様は、こちらも高名な女性社長で、女性活躍に関するご著書もあります。森元首相に読んでもらいたいわね。
ご主人が打たないと、奥様も打たないのかな。でも会社社長が打たないと、社員も打たないだろうから、立場上打たれるのかな。いや、そんなことで命に関わることを決めてはいけないから、どうされるのかな。もしご夫婦で意見が分かれると、喧嘩にならないのかな。なんて余計なことも心配してしまいます。

ほかの、持病のある高齢の知人にも尋ねますと、「最初はどうしようか悩んだんだけど、主治医が打った方がいいと言うので、私は打ちます。」と答えられました。みんな、まちまちです。

昨日は私の頭の診察があったので、毎日のようにコロナ話題で医師や院長先生がテレビ出演されている大きな病院へ行きました。こちらは普通に混んでいて、「PCR検査ですか?」と誰かに尋ねる看護師さんの声にびっくりしました。 (え、感染している可能性のある人がそばにいるの?)とヒヤヒヤしながらそっちを見ますと、そこは「入院受付」で、入院前にPCR検査を受けることが必須のようでした。 「自覚症状は?」と聞く看護師さんに、「ありません。」と答える元気そうな男性。必要事項を書面に書くように指示され、記入していました。ふう~、驚いた。

私は1年前に頭が朦朧として、ワッチの機転でここに救急搬送されました。その後数か月ごとに検査したり問診受けたりしてきましたが、相変わらず頭の不調を訴える私に、医師は来月に再度脳ドッグ(MRI)の予約をしてくれました。・・・このあたりの話は少々長くなりますので、また(数日後)にさせて下さい。

なんだか色々滅入ることの多い今、聴いているCDは、さだまさしさんの『存在理由』です。 この最後に入っている「一粒の麦」は、アフガニスタンで凶弾に倒れた医師の中村哲さんを歌った曲です。とてもいい曲ですよ。聞いていると悲しくなりますが。

中村哲さんのご著書や、中村哲さんのことを描いた絵本も買いましたが、すごく忙しくてまだ読めていないという恥ずかしさ。中村哲さんのことは勿論存じていましたが、いつかはこんなことになることを覚悟されて、それでもアフガニスタンの人たちのために働かれていたのでしょうか。まさかそこまではならない、とアフガニスタンの人たちを信じていたのでしょうか。どちらにしても、このような素晴らしい人を撃つなんて、その愚かさに腹が立ち、悲しくてやりきれません。
でも、さだまさしさんの「一粒の麦」を聞くと、中村さんの魂はずっと私達皆の中に受け継がれていくのだろうという気がし、安らぎます。そして、歌詞にあるように、そうだ、自分もできるだけのことをすればいいんだ、と思います。無理はせずに。

中村哲さん


ではまた。

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