日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

5日前のむうまさんのコメントを読んで、ふと考えました。むうまさんは、「思うことは沢山あったけど本当にそれを文字にする事って大変だと感じました。 自分の一言で、誰かを不快にさせちゃうんじゃないかとかも考えると いいや~って、手が止まってしまいました。」と仰っています。
すごくわかりますよ、その気持ち!なぜなら、私も同じように感じていますから。

私はこのブログを書くとき、たしかに神経をとても使っています。事実と相違ないか、誰かを傷つけないか、公正な内容か、などをふまえ(それでも失敗することも多々あり)、伝えたいことを、なるべく重くたくない文章で、負の感情は極力抑えて書いているつもりです。

でも、実際の私は毎日怒っていますし、愚痴っていますし、落ち込んでくよくよしていることも、かなり多いのです。

で、今日はそういう私の本音で書いてみようと思いました。どうなるかな?

今日は母の病院付添と、ウメの散歩2回で1日終わってしまいました。どれも必要なことですが、やっぱりそう面白いことではなかったなあ(さっそく本音!)。

この面白くない気分は、まず、昨夜寝ようと思った時からずっと尾を引いているんです。
昨日零時頃、寝ようと思って最後に読みかけの本(読みかけの本は沢山あります。でも大体が障害に関する本や囲碁に関する本、そのほか自己啓発になる本などで、つまり勉強の本なのです。本当は「ワハハ!」、と笑える娯楽本も読みたいんだけれど、その時間がないんです。あ~あ。)2冊を、それぞれ5分ずつ読みました。1冊は石倉昇先生の『ヒカルの囲碁入門』、もう1冊は山口研一郎先生医師の『高次脳機能障害~医療現場から社会をみる』。
2冊ともなかなか読み進められないのだけれど(石倉先生の本は2度目)、読まないのも気持ち悪いので、とりあえず5分ずつ読んだら、少しは気持ちも落ち着いて安眠できるかな、と思ったんです。

で、5分ずつ読んで立ち上がったら、ハルとチーの猫2匹が餌場の前で私のことをじっと見ていたんです。(あれ、もう今日は結構ご飯あげたはずなんだけど、おなか空いているのかな?空いていたら眠れなくて可哀想だから、もうちょっとあげようかな。)、と思って、モンプチのレトルトパウチを1袋ずつと、チーにはさらに好物のにぼしとおかかをあげたんです。
このレトルトパウチって、なんでこう中身を取り出しづらいんでしょう。イライラします。まず手でパウチを破くときに必ず中の液体が手にかかって手が魚臭くなるのが嫌。中身が全部出てこないので、スプーンで掻きだすのに時間がかかるのも嫌。もっと使いやすいよう改良してくれないものかね、といつも思っています。

猫2匹がガツガツ食べたので、(ああ、おなかすいていたんだ。あげて良かった。)と思った瞬間、まずハルが「ケッコン、ケッコン」、と食べたものを全部吐き出しちゃいました!うわあ、勿体ない。まだ餌の原型をとどめているから、このまままたお皿に戻しちゃおうかしら、と思ったけれど、多分一度胃に入ったものは食べないだろうと思って、泣く泣く片付けて捨てました。犬のウメがいたら食べてくれるかもしれないけれど、ウメはもうコウジさんと寝室で熟睡していて、起きてくる気配もないし。と、その時、今度はチーが、「ゲコッ、ゲコッ」、とにぼしとレトルト餌が芸術のように固められたものを大量に吐きました。・・・げっそりする私。やっぱりあなたたち、食べ過ぎだったんじゃない。あげて損した。計算しても300円分くらいを1分でゴミにしてしまったんだよ、と泣く泣くそれも捨てました。

寝る前にすっかり気分も悪くなり疲れてしまった私は、私の布団に乗っているウメの重みで足を伸ばせないまま寝苦しい夜を過ごしました。今朝も早くから掃除洗濯食事の準備をし、食事をしたあとコウジさんを送り出し、食器を洗ってウメの散歩もして、猫たちのご飯は少な目にして急いで家を出ました。今日は、母の病院付添いなのです。

ところがせかせか歩いて駅へ着くと、電車が遅れているとのこと。ガーン。西武池袋線が濃霧で遅れ、その影響で東横線も遅れているんですって。せっかくいくつかの電車乗り換えが効率的になるこの電車を選んだのに、早速1つ目の乗り換え駅で、乗るはずだった急行に乗り損ねました。そのおかげで、次の乗り換え予定時刻も狂い、どんどん遅くなってイライラも最高潮に。
そもそも電車が色々な線とくっついて便利になるのはいいけれど、遠くの電車が事故で遅れると、こっちの電車まで影響で遅れることが増えて、それはとても不便に感じます。
結局母と待ち合わせの病院へ着いたのは、20分遅れになってしまい、母は私が来ないので心配していて、可哀想なことをしました(こっちは電車の中、母は病院の中なので、電話は控えました)。

でも母の診察も無事に済み、主治医の話を私もよく理解、納得し、そのあと院外薬局で薬ももらい、近くのジョナサンで母とゆっくりお昼ごはんも食べ、やれやれとそれなりに晴れやかな気持ちで母と別れて帰途へついた私でした。が、横浜駅周辺や構内が工事している箇所が多く、市営地下鉄と東横線の乗り換え時にそういうところを避けて歩いているうちに迷い、一旦地下に降りたのにまた地上に出たり、出たところが見知らぬ場所で驚いたりで、無駄な時間と体力を使いました。横浜駅構内は、いつも人が多くて疲れます。

東横線に乗っていたら、ある駅で杖をついたおじいさんが乗ってきました。私は石倉先生の本を読みながら窓際に立っていたので、誰かおじいさんに席を替わってあげて欲しいな、と思い見渡しますと、座っている人はみんなスマホを見ています。おじいさんは若い女性3人の前によろよろと立ちましたが、女性達は皆スマホを見ていたり、寝ていたり。そのうちの1人がふと目を上げておじいさんを見ましたが、またスマホに目を戻しました。ほかにもおじいさんに席を替わってくれる人はいず、思わず女性達に「席を替わってあげては?」と声を掛けたくなりましたが、もしかしたら女性達も体調が悪いかも知れませんし内部障害を持っているかも知れないので、黙っておじいさんを見守りました。

私が乗り換える予定の駅に着くと、電車がガタン!と大きく揺れ、その拍子におじいさんも大きくよろけました。私は慌てておじいさんを支え、周りの人たちもさすがにハッとおじいさんを見ました。おじいさんは私に「有難うございます。」と礼を言われ、降りようとするので、私はおじいさんの体を支えたまま一緒にホームに降りました。おじいさんは「有難うございます」とまた礼を言われるので、私は「大丈夫ですか?どちらへ行かれますか?みんな席を譲ってくれないんですものね。」と言いました。おじいさんは、「もうこのまままっすぐで行けますから。本当に、有難うございました。」とまたお礼を言われるので、恐縮してしまいました。でももう大丈夫そうなので、私も自分の電車を待つことにしました。

スマホって良くないですね。自分のことしか見えなくなっているみたいです。混んだ駅でも、スマホを見ながら周りの状況にお構いなしにゆっくり歩いている女性が多い気がしました。事故の元ですよ。

ようやく帰宅すると、ウメが喜んで私のところへ来て、「ワン!」と鳴きます。
くたくたなんですが、5分休んで暗くなる前に散歩に出ました。この時期は、すぐ暗くなるから嫌です。夏なら夜7時くらいまで明るいから、ウメの散歩もそんなに急いで行かなくてもよくて、こんなに慌ただしくないのですけど。

・・・ウメは、今日もまたレン君ちへ行くんですよ。レン君を恋しがる気持ちはわかるのですが、待っていても亡くなったレン君が出てきてくれるわけがないので、門扉の前で動かなくなるウメのリードを右から引っ張ったり左から引っ張ったり。やっとのことでウメを門扉からひきはがすと、人通り、車の通行の多いところで急にウメはウンチをしました。
もっと人の少ない広い道路でしてくれたらいいのだけれど、犬はいつするかわかりません。そばを通る人たちに「すみません。」「すみません。」と歩行の邪魔をしていることを詫びながら、ウンチを片付ける私のそばを、、小さい女の子を連れたおじいさんが、「ああ!ああ!」とすごく不快そうな苛立った声を私に浴びせながら通りました。私は傷つき、(しかたないじゃない、出るものは。)とおじいさんの後姿を悲しい気持ちで見送りました。犬だって生き物。できれば温かな目で許してほしいデス。

すっかり招かざる客、邪魔者となった1人と1匹は、トボトボと家の近くまで戻ってきました。けれどなぜかウメは家に入りたがらず、ぐいぐい引っ張るので、(なんで?)と思いながらもさらに30分歩きました。するとコンビニから出てきた、スカート丈のすごく短い長い髪の女子高生が、買ってきたばかりのコロッケか何かを食べながら歩き出すのを見ました。え~、みっともないよ。食べ歩きなんて。げんなりしながら彼女を見送った私は、(でも今食べなくてはいけない理由があるのかしらん。あるとしたら何かな。コワイ家族がいて、家で食べると怒られるとか?このまま家に帰らず家庭教師のバイトとか?)と考えました。でも考えるのも面倒になったのでやめ、いつまでも歩いているウメに、「もう帰ります!」と強い口調で命令しました。そうでなければさらに30分は平気で歩いていそうでしたから。ウメは言うことを素直にきいて、一緒に帰ってきました。ウメは放っておけば、1日散歩しているかもしれません。でもあまり長く歩くのは、太ったウメには心臓の負担が大きく良くないのです。

帰宅して、大学の試験が終わってゲームをしているワッチに、「1時間半も散歩しちゃった!」と愚痴を言いましたが、反応がないので、そばに行って「ウメが引っ張って行くから、1時間半も散歩しちゃった!」ともう一度言いました。するとワッチは、「わかったわかった、うるさいよ、今いいところなんだから!」と邪険な返事。
面白くなくなった私は、ベランダの洗濯ものをしまい、冷えて湿っぽくなっていた洗濯物を、部屋に干し直しました。こうすると乾燥した室内に適度な湿度も補給され、洗濯ものもパリパリに乾くので、一石二鳥!とホクホクしました。

ホクホクしながらも、今日は面白くないことが多かったので、夕方からお風呂に入ることにしました。さっぱりして少し気分良くなったので、このブログを書き始めたのでした。

・・・本音で書きましたけど、いつもとあんまり変わらないブログになった気がします。
ということは、このブログは私の優等生の部分だと思っていた節が私にはあったのですが、そうではなくて、このブログは私そのもの(本音)なのか、私がブログに矯正されてきたのか・・・?

ともかく、結局いつも本音で書いていた、ということですね。
ある意味、安心しました。むうまさん、有難う。
これからも宜しくお願いします。

(追伸 ワッチに、「あなたは電車に杖をついている人が乗ってきたら、席を替わってる?」と聞きますと、「わしは座るとすぐ寝ちゃうから気づかない。」と答えます。「もし起きていたら替わりなさいよ。」と言うと「うん。」と答えました。さらに、「あなたはコンビニで買ったものを食べ歩きしている?」と聞きました。すると「そんなことは絶対しない。みっともないから。」と答えたので、安心しました。こういうのって、家庭での教育も大きく関係していますよね。)

今日もウメは、レン君の家へ私を引っ張っていきました。
(このまま行くと、レン君ちだなあ。)と思いながら空を見上げながら歩いていると、きれいな青い空。
関東地方の冬は、乾燥したすがすがしい晴天が多いです。

以前南魚沼に2年住んでいたことがありますが、来る日も来る日も雪で、1日2回、車の屋根の雪下ろしをしたのを思い出します。テレビの天気予報で東京地方の晴れマークを見ながら、(なんで東京はいつも晴れなのだろう?)と単純に不思議に思ったくらい、新潟は毎日雪でした。けれど、雪下ろしは大変ですが、雪に覆われた世界や、皆が静かに室内で過ごす日々は好きでした。

ともかく今日もすっきり晴れた青空を見ながらウメと歩いていると、レン君がいない事実が余計悲しく思えてきました。青空って、もしかして、見ていると悲しくなるものなのかも。

ふと、短歌を作ってみたくなりました。作ったことはありませんが、歩きながら考えました。それがこれです。
「冬の日の いつもと変わらぬ青い空 ただ君だけが 居ぬことのぞけば」

下手ですが、そんな気分で悲しいのです。父が亡くなったのも、2年前の冬のこと。
レン君と父の、両方を思いながら作りました。

レン君ちに着くと、門扉に張り付いて、レン君がいつものように出てくるのを待つウメ。
困ったな、と思いながら、「レン君はいないよ。帰ろうよ。」と何度も声かけるのですが、ウメは動きません。

それでもいつまでもここにいても仕方ないので、無理やりリードを強く引っ張り、門扉からウメを引きはがしました。
そして、やれやれ、と歩き出して数歩、またウメが抵抗して動かないのです。

もう困るなあ、とぐいぐい引っ張っていたところへ、レン君のご家族の1人がちょうどどこからか帰ってきたところでした。
驚きながらも、「ウメが動かないんですよ。」と苦笑いして事情を説明しますと、ご家族は笑ってウメを撫でてくれました。するとウメは尻尾を振って大喜び。レン君のことを忘れたようで私はほっとし、しばしご家族と立ち話をしました。

レン君を亡くされたご家族と話すのは、やはりつらいものですが、ふと、「そうだ、私、短歌を作ってみたんですよ。」と、さきほどできたばかりの短歌を詠みました。「レン君のことを詠んだんです。」と胸を張る私に、何と反応してよいか少し困惑されながら微笑むご家族。すぐ私も、胸を張るほど今の自分は元気がないのを思い出し、また猫背になってしんみりして別れました。「しばらくは、ここへ通うと思いますが・・・」と言い残し。

このところ新聞をゆっくり読めず、3日分まとめて読みました。
悲しい事件や事故がなんでこんなに多いのだろう、と驚くほどですが、軽井沢のスキーバス事故の記事が、やはり目につきます。犠牲者の方々の年齢が、娘ワッチと同じくらいですから。
ワッチもこの週末、センター試験休みに合わせて友人らと深夜バスでスキーへ行ってきました。事故に遭われた大学生たちと、同じ状況です。もしワッチの乗ったバスが同じように事故に遭ったなら、ワッチだって被害者になるのです。一度大きな事故が起きると、しばらくはバス会社も慎重になるとは思いますが、それでも私は心配でした。

ワッチは無事帰ってきましたが、軽井沢の事故記事では、生存者が高次脳機能障害を負われたというものでした(東京新聞1月13日夕刊1面)。頭などを強く打たれたことが原因だそうです。

事故当時、その男性は大学を卒業し、就職先も決まっていたのは幸いでした。会社は入社を1年待ってくれ、男性は現在営業の1線ではない部署で、障害を抱えながら働かれているとのこと(事故さえなければ、海外営業部門で得意な英語を駆使して働いていたそうです)。大変だと思いますが、職場の理解に支えられながら、頑張ってほしいです。

夕方、ピアノでスガシカオの「プログレス」を練習し始めました。コウジさんの歌は、結構出来上がってきているので、私の伴奏が問題です。(今月28日に世田谷区民会館2階集会室で行われる、世田谷高次脳機能障害連絡協議会主催「春の音コンサート」は、13時~15時半、会場12時半、資料代900円です。)

私がピアノのある1階でピアノを弾いていると、2階で寝ていたウメがやってきて、そばで寝て聞いていました。かわいいなあ。
そういえば、今は亡き猫のおはぎちゃんも、私がピアノを弾くとすぐどこからともなくやってきて、ピアノの上で寝て聞いていましたっけ。
犬や猫は、ピアノが好きなのですね。このブログを読んで下さっている方の中でも、同じ経験をお持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか。

私は小学1年生から高校2年生までピアノを習っていましたが、あまりうまくなりませんでした。けれどピアノを弾くのは大好きで、弾ける曲もいっぱいあるので、つい「プログレス」は数回練習しただけで、クラシックや映画音楽を弾いていました。

久しぶりに弾きましたが、やっぱり楽しいです。これから毎日弾いて、もう少しレパートリー増やそうかな。
音楽って、いいですよね。うん。





このブログでも時々書いていた、近所の仲良し犬のレン君が一昨日亡くなりました。
昨年11月にガンが見つかった、11歳の白柴君です。

ウメも私もレン君が好きなので、病気が見つかってからはなるべく頻繁に様子を見に行っていました。
段々痩せて行くレン君が心配で、写真や動画を撮っては、仕事が忙しい飼い主さんに送って報告していました。
ガンになった犬に関する本を集めては読み、それを飼い主さんに読んでもらったり、ネットで得た情報を送ったり、ほかの動物病院の情報を教えたり、庭の階段の上り下りがつらそうになったレン君を見て、「こういう犬用スロープを買うといいのでは」と情報を差し上げたり、ヨロヨロ歩くレン君を見て、「こういう吊り下げ型ハーネスがいいのでは」とクリスマスプレゼントとしてあげたりしていました(ご迷惑かもしれないのに、それを顧みない自分は、我ながらすごくお節介だと思います)。

飼い主さんはスロープを早速買ったものの、レン君がそのスロープを嫌がってスロープのないところを歩こうとしたため、返品したそうです。かえって無駄な情報を差し上げてしまったことに狼狽しましたが、犬によってはそういうスロープの好みがあるのだということを知りました。

どんどん痩せるものの、まだこれからおむつをしたり、寝たきりになったり、キャリーで散歩したりする時期を経ていくのだろうし、桜も一緒に楽しめたらいいな、と思いながら、一昨日もウメとレン君の様子を見に行ったのでした。

そこでレン君が数時間前に亡くなったことを思いかけず知り、ショックと悲しみで涙が溢れている私とウメを、飼い主さんのご家族は庭へ招いて下さいました。そこで可愛かったレン君の亡骸を見、撫でさせてもらった私は、号泣しました。

レン君はその前の日も少しだけ自分の足で近所を散歩できたそうですし、庭や玄関の移動もしていたそうです。その日の午前、庭で倒れているレン君を発見したご家族が、必死に心臓マッサージのように体を撫でると、レン君は起き上がり、自分の好きな寝床へ歩いていって寝たそうです。ご家族はほっとし、往診医を呼んだあとお昼頃見ると、レン君はそのままそこで亡くなっていたそうです。苦しいとも痛いとも鳴かず、穏やかに亡くなっていたそうです。

静かでお利口で気高い、レン君らしい死に方でした。(こうして書いていても涙が出てきます。)
飼い主さんのご家族は大変仕事がお忙しい方々なのですが、レン君が亡くなったのが皆さんがお休みの土曜日のお昼でした。医師に死後にレン君を診てもらい、ゆっくりレン君と過ごした翌日の日曜日の夕方遅く、火葬を済ませたそうです。そして月曜日の今日、皆さんはまたそれぞれの責任あるお仕事に戻られました。

レン君は愛する家族に一番迷惑をかけないタイミングを選んで、生を閉じました。
それがまた涙を誘うのです。

私は自分の家で飼っている犬猫が死んだらもちろん悲しくて何も手につきませんが(おはぎちゃんが死んだ時も3年はペットロス状態でした。今も悲しいです)、よそ様のお宅の犬が死んでも同様にペットロスになることを知りました。一昨日のレン君ちからの帰り道も泣きながら歩いていましたし、昨日も今日もレン君のことを考えては何度も涙に暮れています。

ウメに、「レン君、バイバイだよ。」と言うと、ウメは私をじっと見つめていた真剣な目をすっとそらして、遠くを見つめて何か考えている様子をします。わかっているのか、わかっていないのかわかりません。でも今朝も一番に自分からレン君ちへぐいぐいリードを引っ張って行き、レン君ちへ着くと必死にレン君を探すのです。やはりウメなりに何かを察知しているのでしょう。いつもウメのそばに来てくれたレン君は、昨日も今日もいません。ウメを引っ張って門扉から離そうとすると、ウメは抵抗して門扉にしがみつきます。そして中を覗いてレン君が出てくるのを待っています。
動物というのは、かくも情が深い生き物だなのだ、と改めて思い知りました。自分の子供の世話を放棄し、餓死させたり凍死させたり虐待死させたりする人間は、なんて恥ずかしい生き物でしょう。

昨日は実家の母の様子を見に行く前に、近所の花屋さんにお供え用の花を注文しておき、夕方帰ってくるとそのお花や、レン君に供えるおやつを包装してレン君ちへ持っていきました。でもちょうどその時間帯に霊園で火葬と葬儀をしていたそうでお留守だったので、玄関先に置いて帰ってきました。

ウメも来月11歳になりますが、仲良かった犬が段々こうして死んでいきます。
レン君の前はトイプードルのリリーちゃん。その前は甲斐犬のナナ丸君。その前はラブラドルのタンクちゃん。
引っ越しで会えなくなった柴犬のマロちゃんやグーちゃん、レアちゃん。飼い主さんが離婚して親戚に引き取られたノア君(でも新しい家は、海のそばなので、ノア君は毎日砂浜を思いっきり走って楽しく暮らしているそうです。気まずい空気の家庭にいるよりは、犬にとって温かな家庭の方が幸せです。前の飼い主さんもノア君をとても可愛がっていましたから、苦渋の、且つ賢明な選択だったと思います。)、飼い主さんが高齢で散歩できなくなり、毎月養育費を支払うと世話をしてくれる施設に預けられた柴犬のチャコちゃん(でも二度と飼い主さんはチャコちゃんと会ってはいけない決まりなのだそうで、飼い主のおばあさんは悲しがっています)。

いつかは来る別れ。犬や猫の方が寿命が短いので、残された人間はその都度悲しみにうちひしがれ、ダメージを受けます。それでも一緒に過ごした楽しかった時間を思い出し、それを抱きしめながら生きて行きます。幸せだったことを思い出してまた飼う人も少なくありません。私のところも、猫のおはぎちゃんを亡くして3年は飼えませんでしたが、猫の可愛さを忘れられず、今またハルとチーという2匹の猫の里親となって幸せな時間をもらっています。やはり犬や猫というのは、人間にとってかけがえのないパートナー、大切な家族だと思います。

最近気づいたのは、犬を飼っていると、近所で犬を通して知り合う人がすごく多いことです。猫を飼っていても、あまりそういう世界はありませんが、犬の場合外を散歩するため、同じく犬を散歩させている人と挨拶から始まり、仲よくなる人も多いのです。今ざっと数えてみたら、ゆうに50人くらいの人は知っています(私が話好きなせいもあります)。これはすごいことです。犬を散歩させていなければ、この近所の50人の人とは知り合っていませんでした。この50人は、いわば「ご近所犬ネットワーク」とでも申しましょうか。
会えば犬の話題だけでなく、抱えているご高齢のご家族の話になったり、病気や子どもの話になったり、美味しいお店や通っているヨガ教室の話になったり、話題は広がる一方です。これは、本当に面白い世界です。学ぶことも多いです。

そんな「ご近所犬ネットワーク」の中で、特に仲のいい犬は2~3匹で、その中の1匹がレン君でした。

レン君今までウメと仲良くしてくれて、有難う。
これからもずっと、ウメの心の友達でいてください。

合掌。



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