日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

今日は秀樹さんの告別式が、11時からでしたね。

実は私は昨晩も今朝も、「やっぱり行きたいな。行こうかな。」と悩んでいました。
朝はネットで昨日のお通夜の様子を読み、コウジさんにも読んで聞かせ、泣いていました。

でも、今日は囲碁教室がありましたので、涙を拭いてやはりそちらへ行くことにしました。

なぜなら、先週から対局が始まったので、私の対局者を、今日もきっと先生方で選んで下さっていると思ったからです。秀樹もリハビリを頑張ったように、私も今日は囲碁を頑張ってこようと思いました。

囲碁教室では時計が気になり、11時になった時、(今頃秀樹の告別式が始まったな。)と思いました。
窓ガラスの外に目をやり、(雨も降らず、良かったな。)と思いました。

対局は、勝ちました。昇級したので、(来て良かった!)と思いました。

建物の外に出て空を見上げると、薄曇りでした。(秀樹さんの曲、「ブルースカイブルー」の歌詞のように、告別式は青空じゃなかったんだな。)と思いました。

秀樹さんを追悼する番組では、「ヤングマン」ばかり出てきますが、私は「ヤングマン」や「ギャランドゥ」などよりも、「ラストシーン」「ブルースカイブルー」「遥かなる恋人へ」などのバラード調の曲の方が好きです。
いえ、秀樹さんが歌う歌ならなんでも好きですけれど、特に「ラストシーン」と「ブルースカイブルー」は大好きな2曲です。

帰宅してテレビで告別式の様子が映りましたが、大勢のファン(1万人とのこと)が行かれて下さったようで有難く、安心しました。私も本当だったらあの中にいたかったので、いたことにしました。

私が1日中秀樹さんの話をコウジさんにし、「ああしたら亡くならなかったのでは。」「こうしたら良かったのでは。」など、諦めきれずにくどくど言うからでしょうか、コウジさんが「僕が病気になった時、こんなに心配しなかったんじゃないの?」と怒ったように言ったので驚きました。

「あなたが倒れた時だって、一所懸命調べたり考えたりしたわよ。」と言うと、「そう?」とほっとした顔をしていましたけど、あの頃の嵐のような日々は、もう思い出すのさえも勘弁、というくらい大変なものでしたよ。

それにしても、秀樹さんは、2回目の脳梗塞後すぐの頃よりも、最近の方が調子が悪そうに、亡くなられた後色々な画像を拝見していて思いました。

私が秀樹さんをまぢか(4、5メートル)で拝見した2012年9月30日の秀樹さんの講演会では、秀樹さんは2回目の脳梗塞後でしたが、今よりお元気そうに見えました。なにかほかにご病気をお持ちだったのでしょうか・・・。

まだまだ秀樹さんが亡くなられたショックから立ち直れそうにありませんが、とりあえずは来月届く秀樹さんのCDとDVDセットを楽しみに待っているところです。

思い立つとすぐ行動に移すいつもの私なら、今日の夕方6時から青山葬儀所で営まれる、西城秀樹さんのお通夜へ行くところです。実際、今朝も地図や時間を調べながら、悩んでいました。
私は、よく著名人の告別式の会場となる青山葬儀所へは行ったことがありませんし、今後も行くことはないと思います。もし一生に一回でも、そこへ行くことがあるとしたら、西城秀樹さんのお通夜か告別式しかありません。
明日の告別式の日には用事が入っているので、行くなら今日のお通夜でした。

・・・でもやはり、家でお祈りすることにしました。
ウメの散歩もありますし、6時半にはコウジさんが会社から帰ってきますし、そのほかの用事をやりくりすることが無理だと判断しました。行きたかったけれど・・・(涙)。
それほど、私は秀樹さんが好きでした。

昨夜のこと、いつもテレビを見ているコウジさんが、「あ!このあと秀樹の番組だって!」と叫んだのが夜9時前でした。コウジさんも、秀樹ファンです。あれこれ用事をしていた私は驚いてテレビの前へ行くと、すぐ録画予約をし、後で手が空いたときにコウジさんと見ようと思いました。
けれど、録画もしながら、結局全部見ました。奥様やお子さんが出られた、貴重な番組だったからです。

こんなに素晴らしいご家庭を持たれていたなんて、知りませんでした。秀樹さんは幸せだったなあ、と嬉しくなりました。と同時に、死ぬなんてきっとこれっぽっちも考えずに、毎日ひたすら前を向いてリハビリに励んでいらした画面の秀樹さんを見ると、自分もいつ死んでもおかしくない、と思いました。

そこで、お通夜に行けない代わりに、今日は急虚エンデイングノートをを書くことにしました。もちろん今日1日で終わるわけはありませんが、秀樹さんのお通夜の日に書き始めることに意味があるのです。

もし私が明日にでも突然死したなら、コウジさんはもちろんのこと、娘のワッチもわからないことだらけで困ることになります。コウジさんは記憶障害もあれば判断力も低下していますから、若く健康なワッチに向けてのエンデイングノートになります。
まずは銀行の通帳や保険証券などを集めてきましたら、雑然とあちこちに仕舞われていますし、ほこりもかぶっていますし、なんと書きかけのエンデイングノートも出てきました。日付が去年の4月ですから、1年以上中断したまま放置されていたのです。 

また中断、放置しないよう今回は最後まで仕上げるつもりです。

滅多に週刊誌を買わない私ですが、買うとしたら秀樹さんに関する記事が掲載された時です。
ということで、昨日『週刊新潮』(5月31日号)を買ってきました。
読んでいると、秀樹さんにはもしかしたら心臓に持病があった可能性があり、「・・・リハビリで負担が蓄積し、急性心不全が起きた可能性も考えられます。」と、くどうちあき脳神経外科クリニック院長が言われていました。
私もそんな気がしていました。

でも、家族のため、ファンのため、そして自分のために一所懸命真面目にリハビリに取り組んでいらした秀樹さんですから、それを止めるのも難しかったかもしれません。ただ、もし、秀樹さんのリハビリ映像(今まで何度かテレビで拝見したことがあります)に、「これは危険かも。」と思われた医師がいて、もう少し無理のない程度のリハビリにしましょう等の的確なアドバイスがあったなら、そして秀樹さんがそれに同意されていたなら、もしかしたら秀樹さんは急逝されることはなかったのではないか、とこれはファンとして、どうしても、すごく、思ってしまうことです・・・。秀樹さんは、東京オリンピックで歌うことを夢見て、頑張っていらしたそうです。あと2年だったのに・・・。

エンデイングノートを作りながら、リビングに飾ってある2年前に亡くなった父の写真を見たり、秀樹さんの懸命なリハビリ姿を思い出すと、思わず涙が出てきました。

人間は生まれてきても、たかだか80年ほどで(秀樹さんは63年で)この世を去るのに、なぜ皆せっせと働き、あえて苦しいことにも立ち向かっていくのだろう、気楽にきままにのんびり過ごした方が楽なのに・・・ と思いました。時々そう思います。ウメと散歩していて最近よく見かける、アリの巣の周りを慌ただしく行ったり来たりしているアリの光景が頭に浮かびました。人間は、アリのようだよ、と。

でも、脳梗塞になったからといって引退をせず、あんなに歯を食いしばって必死に歩いたり筋肉トレーニングをしていた秀樹さん。ステージに足をひきずって現れ、動く手だけで振りをつけながら歌う秀樹さんの姿に、その答えがあると思い、胸が熱くなります。

命ある限り、前を向いて、他者のために歩いて行く努力をする、それが自分が生きるということであるのだな、と。

秀樹さんは、本当に素晴らしい人でした。
歌がすごくうまくて、すごくカッコイイだけでなく、人間として、すごい人だったと。

父も秀樹さんもいなくなり、私も早くあっちの世界へ行きたくなりますが、もう少し自分がやるべきことをしてから行けたら、と思います。・・・今日のところは、まずエンデイングノート作りですが。

あと15分で、秀樹さんのお通夜が始まります。
きっと、大勢の方が参列されることでしょう。
私の思いも、ここから届きますように・・・。

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五井美沙さん個展



宮城県石巻市に、「アニマルクラブ石巻」さんというNPOがあります。 http://a-c.sub.jp/
飼い主のいない犬猫を保護して里親を探したり、避妊・予防センターを併設して良心的な獣医師の協力のもと、避妊去勢手術を始め、治療全般も引き受けています。

私が「アニマルクラブ石巻」さんを知ったのは、宍戸大裕監督の映画『犬と猫と人間と 2 動物たちの大震災』を見たからです。その映画の中では、「アニマルクラブ石巻」さんのほか、福島の「SORA アニマルシェルター」も取材されていました。 2013年8月4日、私は娘ワッチを連れて、「SORA」さんへ1日ボランティアへ行きました(その様子は、同年8月7日からのブログに書きました)。
「SORA」さんのHPは、http://sora.ne.jp/ です。

「アニマルクラブ石巻」さんへは、2015年9月17日の仙台講演の翌日、石巻まで足を延ばして見学に行きました。(この様子も、2015年11月20日、27日、28日などに書いています。)
あの大震災の日、石巻も津波に襲われました。被害者数3千人を越え、1つの自治体としては最大の被害と言われています。「アニマルクラブ石巻」さんでは、スタッフの女性1人と、犬2匹猫1匹が犠牲になりました。

その女性とは、五井美沙さんといい、本来の自分の仕事が引けてから週3回、2~3時間ずつ「アニマルクラブ石巻」さんでボランテイアとして働かれていました。美沙さんは実は絵が大変上手で、いつかは東京へ出て絵画やデザインの勉強をしたい、という夢をお持ちだった29歳でした。

地震が起きた時、美沙さんは会社を飛び出し「アニマルクラブ石巻」へ犬猫を助けに向かったそうです。けれどこれは推測だそうですが、あまりにも表の様子がひどかったので、寝たきりの祖母と足が不自由な母親が心配になり、沿岸地域にある自宅へ向かったのだろうとのこと。 3人は家ごと流され、美沙さんは49日目に、自宅から離れた浜辺に打ち寄せられて見つかったそうです。

奇しくもその日、「アニマルクラブ石巻」の阿部代表は、美沙さんの沢山ある絵を多賀城市に運んでいました。数日後にそこで美沙さんの個展を開こうと思っていたのです。そのおかげで、美沙さんの絵は津波に流されることなく残りました。

阿部さんは、フジコ・ヘミングさんの助けを借りて、美沙さんの画集を作りました。
それが今日の写真の1枚目の左側です。右側は、阿部さんのご著書『動物たちの3・11』です。

そしてこのたび、美沙さんの個展が世田谷でも催されることになりましたので、そのお知らせです(写真2枚目)。 個展開催は、コルゲンコーワのケロちゃんの作者である、久世アキコさんのご尽力によるそうです。久世さんも、「アニマルクラブ石巻」にいた猫の、里親さんなのだそうです。

【五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち】
日時 : 2018年8月3日(金)~19日(日)12~19時。 ただし、月・木は休み。最終日は17時まで。
場所 : ギャラリー来舎(きや)「梅猫庵」 世田谷区梅丘1-44-10
      小田急線「梅ヶ丘駅」から徒歩2分、世田谷線「山下駅」から徒歩7分。

画集を何度も見ているうちに、美沙さんがまだ生きていらして、しかも私の友人のような気がしてきます。そんな、動物たちへ向ける温かなまなざしとお人柄が感じられる絵なのです。

美沙さんは、きっとこれからも、残された数々の絵を通して、私達に語りかけてくれるのでしょう。
ぜひ足を運んで下さるよう、お願いします。

また近くなりましたら、ここで改めてお知らせします。




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