日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々


 「高次脳機能障害 第23回」。


 


  コウジさんを連れて、区の福祉作業所を訪れました。


 そこでは障害者の方達がクッキー、牛乳パックを使ってハガキ、木工品などを作っていて、人数も結構いましたので、いつも1人のコウジさんを心配していた私は、喜びました。


 


 ここならおしゃべりできる友達ができるし、物作りはコウジさんの好きな分野なので、まさにうってつけだと思ったのです。 (といっても、コウジさんは不器用なので、自分は作らずに、専らテレビで 「匠の技」 的番組を好んで見るレベル。) 


 


 私が、そこを管轄する区の担当者と話していても、コウジさんは隣でぼんやりしていました。


 


 ここで、この頃のコウジさんの意欲、その他の症状について述べますね。


 


  まず、食事に対しては、 「あれが食べたい」 という主張がはっきりしていたものの、勤労に対しては、乏しかったです。


 


 例えば、自分が作った会社に行かせても、大体ぼんやり椅子に座っているだけで、同僚が目を離したすきに、帰ってきてしまいました。


 道が分からないと自分では考えられず、すぐタクシーに乗るため、出費が嵩みました。


 


 疲れやすく、昼寝は毎日必ず2時間とっていました。


 


  やたらに買い物したがるので、仕方なく近くのスーパーに、メモ持参で行かせましたが、メモを忘れると、何でもかんでも沢山買ってきてしまいました。


 


  リハビリの日もわからないコウジさんに、毎日私がその日の予定を教え、一つの事が終わる度に次の行動を指示しないと、動きませんでした。


 放っておくとテレビ。 


 リハビリ病院から出された宿題もせず、1日10回位声かけしても無駄なので、しまいには私も諦めました。


 


  幼稚で、口を尖らせて 「ママちゃーん」 と甘えるのが気持ち悪い。(今もです。)


 


  公衆の面前でも、怒鳴ったり泣いたり。


 


 セクハラ発言も相変わらず。


 


 1〜2ヵ月に1度、脳外科に様子を見せに行っていましたが、血液中のナトリウム値や尿酸値が異常に高く、暫くは血液内科にもお世話になり、薬を飲んでいました。


 (でも高いのは、脳血管障害ゆえに仕方ないようです。)


 


  ところで話を戻して、こんな頼りない状態のコウジさんを抱え、作業所に新たな道を見い出した気になった私ですが、せっかく申請した精神障害者保健福祉手帳では利用できないと言われ、ショックを受けました。


 


 身体障害者でないとダメで、そこにいらした方々は、身体障害を併せ持った高次脳機能障害者だったのです。


 


  ところが、肩を落としていた私に、障害者就業・生活支援センターから、「東京障害者職業センターでの、面接予約がとれました。」 という連絡が入りました。 (つづく)


 


  ー第23回おわりー


 


 コウジさんは、年賀状がなかなか書き進みません。


すぐ飽きてしまい、見ていても本当につらそうです。 今日はやっと10枚。


 


 私とワッチはささっと書いて、もう投函しました。



 「高次脳機能障害 第22回」。


 


  本には書いていませんが、この頃、姑とバトルがありました。


バトルといっても、姑が非常に怒っていて、私は黙っていたのですが。 (この話は近いうちに、又別途。)


 


 夫がこの障害になると、妻と姑の間で何らかの軋轢はできがちなようですね。


 簡単に言うなら、現場の凄惨さを見せつけられながら実際に手を汚している妻と、知らずに田舎で息子可愛さに現実が見えなくなっている姑 (治っていると錯覚するなど、良く信じ込みたがる) との間では、必然的に深い溝ができるのです。


 


  理解のある姑なら、この問題は生じないのでしょうが、残念ながら私の家のケースでは、溝はその後どんどん深まり、1年後にはとうとう私も我慢を返上、姑に絶縁を申し渡すことになります。


 (その後、姑とのバトルは終息に向かいつつある、というか、どうでもよくなっている現在。 今の私の心の根底には、同じエネルギーを使うなら、年老いた姑の考えを変えることよりも、姑が今まで生きてきた中で私の知らない苦労もあったろうし、そこは貴びつつ、姑を受け入れることに使おう、という思いがあります。)


 


 さてともかく、当時はまだささくれだった心を抱えながらも、私がやるっきゃないじゃない、姑に構ってる暇なんかないのよ、とコウジさんを連れて障害者就業・生活支援センターを訪れた私は、そこの担当者の女性が、大変親身になって相談に乗ってくれましたので、久しぶりに心落ち着くひとときを持てたのでした。


 


 対応してくれる人の態度如何で、こちらはへこんだり舞い上がったりするほど、介護者というものは、神経が細く敏感になってしまうようです。


 


 とにかくそこに登録し、今の回復期病院でのリハビリ後の、コウジさんの日中の居場所として、作業所と東京障害者職場センターを教わりました。 (家にいるより、活動場所があった方が当然良いですからね。)


 


  そしてまず、作業所へ見学に行ったのでした。 (つづく)


 


  ー第22回おわりー


 


 年賀状イラストを描き終わり、今印刷しながらブログ書いています。


 年末も年末、この間12月になったばかりの気がするのに、もう今年もあと4日!


 けれど、ウメと散歩していると、なぜかまだ真っ赤なもみじがあちこちに。


かと思うと白梅が咲いてた! 私も今半袖だし (家で半袖は私だけ。)


 


 今のところ暖かい冬みたいですが、そろそろ本格的に寒くなってきそうです。


 


 スーパーにおせち惣菜が売っていたので、私が好きな豆きんとんと田作りを買ってきて、早々と食べている柴本家です。



 「高次脳機能障害 第21回」。


 


  発症後1年8ヶ月 (本では 「1年半」 にしていますが) 過ぎた頃、リハビリ医師に、「そろそろ、この次のステップを考えた方がよい。」 と言われました。


 「1年前と変化なく、仕事は難しい。」 とも。


 


 実は、そう言われる5日前に既に私は、区の精神障害者就労支援センターを覗いていました。


 そこから教わった、高次脳機能障害者に対応した別の障害者就業・生活支援センターに、面接の予約もしていました。


 


  そういう行動を起こしていた理由は、お世話になっていた作業療法士Tさんから、当時頻繁に交わしていた手紙の中で、「コウジさんの症状は安定していて、大きな改善は難しい。」、 「普通の生活も、非常に難しい。」、 「現在週2回の通院だけれど、コウジさんにはもう少し頻度が多い、活動性が高いプログラムが良い。精神科のデイケアというリハビリがあるので、少し考えてみて下さい。」 などと、色々言われていたからです。


 勿論、リハビリ医と相談されてのアドバイスでしょうが、こうして毎回下さるメモは、暗い海面をあてもなく漂う、ぼろきれのような私達家族にとり、生活の指針となる、有り難く心強い支えでした。 (元々は私が手紙魔だったのに応えて下さったものと思いますが、熱心に応えて下さること自体、素晴らしく優しい方でした。)


 


 また、そのTさんは、「御本人の状態も大切ですが、奥様自身のことも大切にして下さい。おそらくこの病気は、家族に一番負担のかかる病気です。体に気をつけて下さい。」 と、私に対して優しいお気遣を下さいましたので、いつもコウジさんのうしろで疲弊していた私は、自分を気遣われたことが、新鮮な喜びでした。


 


 今思い返しても、大変な日々において、「彼女という存在があって、良かった!」、と感謝の気持ちでいっぱいです。


 


 私はあちこちで言ってますが、このTさんのように、介護で弱った家族をケアしてくれる専門機関が、別に必要だと思っています。  作業療法士さんは、患者のリハビリを担当してくれる方であり、家族の心のケアは、本来は業務外なのですから、負担を増やしてお仕事に支障が出ては大変です。


 Tさんは、作業所も勧めて下さり、障害手帳を申請するよう、具体的なアドバイスも沢山くれました。


  それほどお世話になったTさんですが、去年退職され、私が本を出したことも、ご存知ありません。 医療相談室の方にどうにかして、この本をTさんにお渡ししたい、とお願いしてありますが、どうなったかな・・・。


 


  とにかく私はコウジさんを連れて、今後の相談をしに、冒頭のセンターの扉を叩いたのでした。


 


  この頃私は、ささやかなイラストの仕事も毎月していましたが、ストレスが蓄積してきて体調が悪くなり、まずは脂漏性皮膚炎で皮膚科へ行ってます。 (つづく)


 


  ー第21回おわりー


 


  ウメの散歩やらコウジさんが風邪ひくやら、年賀状イラストがまだ描けていません。


 こんなに忙しいのに、何故イラスト描きなんて考えたのか。 (しかも縮小コピーかけるつもりで、4倍の大きさの紙に描いているから、全然描き終わらない〜!今夜描き終え、明日印刷、そして年賀状書いて投函・・・が終わるのは、どんなに早くても28日かな。)


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