日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

 ワッチが小2の9月に、コウジさんはくも膜下出血で倒れました。

 父親が、普通とは違う人になったことに、気づかないまま成長したワッチも、小5か小6の頃には、変だと認識できていた、と思います。

 けれど、私という母親がいたので、特に父親が障害者ということで、不自由を感じることはその頃はなかったでしょう。

 ただ、いつも泣いたり怒ったりして情緒不安定な母親に、不安を覚えていただろうことは否めません。

 祖父母などが同居する大家族ならともかく、我が家はコウジさん、私、ワッチしかいませんから、ワッチはもろに家庭の急変という波を、1人でかぶっていました。 その点は可哀想だ、と今でも思います。

 そんな事情もあり、私はワッチを小4から塾に入れました。

 涙と怒号が飛び交う、暗くて悲惨な家庭内にいるよりも、外部世界にいる時間を増やしてやりたかったのも、数ある理由のうちの、大きな1つでした。

 勿論お金はかかりますが、私が絵の仕事で貯めたお金をあてれば、どうにかなりました。

 ところが、小4で入ったNという塾のテストでは、ワッチは解答欄1マスずつを、 「エイエイオー」 「アイウエオ」 「ジイサン」 「ムズカシスギル、モットカンタンニ!」 というような言葉で埋めてきました。

 ま、子供だからしょうがないか、と思っていたら、塾Nから電話で、「お母様、ご覧になりましたか? あの解答用紙を!」 と言われました。

 私が、「ええ、見ました。 子供ですからね、皆さんもあんな感じですか?」 と笑うと、

 「とんでもない! あんな解答は、1人もいません。 いまだかつて、1人もいません。 あんな文章を書く暇があるなら、答えを考えるように言って下さい。」 と注意されました。

 私も私でしたが、塾とワッチの間に、途方もない隔たりを感じ、その時初めて、幼すぎるワッチに、塾は向いていないのでは、と思いました。

 けれど、頭がヘンになってしまい、将来絶望的なコウジさんに対し、ワッチにはこれから明るい未来があるんだ、という切羽詰まった気持ちで、小5になってからは、Sという塾に変えて、新しい気持ちでスタートさせました。

 しかし、そこでもワッチは適応せず、長時間狭いイスに座っていることが苦痛で、通わなくなりました。

 辞めさせようか、とも思いましたが、ワッチも受験はしたいと言うので、出席しないでプリントだけ私がもらいに行き、ワッチは家で寝ころんでそれをやる、という変則的な通塾?生活。

 ワッチも踏ん張りを見せ、希望していた学校に、なんとか入れた時には、小学校生活はあと1ヶ月しか残っていませんでした。

 コウジさんにも、その間に社会復帰を遂げさせましたので、これで我が家の2人の子供? は当面の居場所を確保できたわけです。

 さあ、これからは私がようやく働けるわよ~!、貯金もいい加減底が見えてきたし、働かなくちゃ、と思いました。

 今、ワッチは楽しく通学しています。

 ワッチの小学校時代は、父親も母親もバタバタで、かなり大変だったので、中高の6年間は、少しは落ち着いて過ごしてもらいたい、と思っています。

 今日は我が娘、ワッチについて書いてみたくなりましたので、書きます。

 ワッチは良く言えばとても元気、悪く言えばとても落ち着きのない、ちょっと変わった子でした。 (最近は、少しマシになったものの、まだまだです。)

 赤ちゃんの頃、ベビーカーに乗せると、すぐに身をよじって抜け出てくるので、危なくてベビーカーに乗せた記憶は、ほとんどありません。

 1度、ワッチ連れでファミレスへ行ってみた時は、ささっとテーブルの上に登って、塩をテーブル上にまき散らしたり、コップに入っている水を、他のコップに入れたり戻したりして、落着いて食べていられなかったので、それ以来ワッチは、ファミレス厳禁になりました。

 家族でファミレス行けるようになったのは、小学校にあがってからです。

 歩行器で、廊下をシャーシャー猛スピードで行ったりきたり、はいはいも、テテテテテっと素早く、10ヶ月で歩き始めてからは、何するかわからないため、目は絶対離せませんでした。

 幼稚園にあがる前、母子体操サークルに入ったのですが、ほかの母子達が皆楽しそうに踊っている周りを、勝手に逃げ回るワッチと追いかける私が、何周も何周も追いかけっこしていました。 そして最後は、そのまま部屋の外へ私達母子だけ退場。

 毎回こうなので、いい加減恥ずかしいし、嫌になって、サークルは辞めました。

 幼稚園でも、卒園式の時に、先生から 「ワッチちゃんが、一番大変でした~。」 と泣きつかれ、平身低頭。

 身の程知らずに、小学受験のため塾に通ったのですが、ある時そこで 「お弁当の絵を描きましょう。」 という課題が出ました。

 子供達が描いたのを、チェックしていた先生から、「柴本さん・・。」 と呼ばれた私。

 何かと思って行くと、「お母様! このようなお弁当の絵を描いていては、絶対、どこにも受かりませんよ。」 と険しい顔で見せられたワッチの絵。

 そこには卵焼きとご飯の他に、チリチリ・・・と火花を出している爆弾と、大きな包丁が入っているじゃありませんか。

 なんで爆弾? なんで包丁? 唖然とする私。

 帰り道、ニコニコしているワッチに理由を聞くと、「爆弾は、フタを開けてびっくりするお弁当箱、という意味。 包丁は、おかずを切りながら食べるんだよ。」 とあっけらかん。

 気を取り直して受けた本番では、1人だけ椅子の上に立って着替えたり (勿論ほかの子達 は、静かに行儀良く着替えていた。)、食べ方をテストするために出されたケーキは、セロハンを勢い良くはがしたので、ケーキは吹っ飛び、おまけにワッチはセロハンについた生クリームを、れろれろと舐めとってくれました。

 晴れて入った地元の、公立小の最初の個人面談では、険しい顔 (また!) の担任から、ふざけ過ぎるワッチに、忠告の雨を頂きました。

 いたたまれない思いで恐縮しながら、母は悲しかったな?。

 私も、ワッチはADHDではないだろうか、と尋ねたのですが、「それとは違う。」 と言われました。

 でも、普通の規格から、明らかに外れているワッチを心配はするものの、なすすべもなく、いつかは落ち着くだろう、と見ているうちに今日になりました。

 相変わらず落ち着いてないワッチ。

 今日もスーパーで、コウジさんと大ふざけしていて、ほかのお客さんに 「何やってるの。」 と、注意を受けてしまいました。 すみません!

 私も、店内でふざけ合っている2人が気になってはいたものの、慣れから、少し鈍感になっていたのを反省しました。

 要するに、中学生2人なら、そこの棚の物を買おうとしているお客さんの前で、服を引っ張り合ったり大声で笑い合ったりして、邪魔をしたとしても、そんなに変じゃないかも知れません。 (迷惑ですけどね。)

 でも、中学生と大の大人がそれをしていると、普通の人なら (このオヤジは何だ?) と腹立たしくなるでしょうね。

 ワッチがもっと大人になって、父親をからかわなくなるまでは、3人で買い物は無理かもしれません。 そしてそういう風に、2人に言いました。 2人は、互いに責任をなすりつけ合っていました。

 元々は、「オレはこれを、食いたいんだよ! 」と大声で叫んで、高いパンを買いたがった父親を止めようと、ワッチが服を引っ張ったことから始まった騒ぎです。

 それが、公衆の面前なのに、エスカレート。

 まったくもって、私の監督不行き届きで、猛省しています。

 きっとあの注意されたおば様は、コウジさんが高次脳機能障害者とは知る由もなく、ただの非常識な父娘と思って、不快だったことでしょうね。

 私の油断と鈍感のせいです。

 嫌な思いをさせてしまって、お買い物の邪魔をしてしまって、ゴメンナサイ!

 最近、気になっていることがあります。

 それは、コウジさんのぼやき。

 私はいつも気軽に 「今日は会社、どうだった?」 「今日は何の仕事やったの?」 「お昼は何を食べたの?」 と、帰宅したコウジさんに問いかけますが、いつも全然といっていいほど、ほとんど覚えていません。

 それは仕方ないので、もういいのですが (私も挨拶がわりですし。)、ぼやきだけは、妙に口にするのです。

 「いじめだ。」 「何かわからないけど、怒られてばかりだ。」 云々。

 今日も私の問いに、それまでヘラヘラしていたコウジさんは、様子が急変、恨みがましく文句と愚痴ばかり言うのです。

 聞いてる私も、心が重苦しくなりました。

 「それは、上司の愛のムチだよ。」 「あなたも、言われたことを、きちんとしなくちゃ。」 となだめすかすのですが、全然効かず、しまいには私も困ってしまい、黙るしかありませんでした。

 お風呂に入りながら、さてどうしたものか、考えました。

 コウジさんの上司が今、コウジさんのステップアップを図って、自分で考える習慣をつけさせようと、ハードルを高くして下さっているのは知っています。

 それがうまく、コウジさんに伝わっていないようでした。

 上司も大変ですが、コウジさんも大変です。

 家庭では、私の言うことを聞いてくれるコウジさんも、会社では、指示内容のレベルが家事よりも難しいから、四苦八苦しているのでしょう。

 子どものようになってしまったコウジさんですが、我が家では大切な夫であり、父親です。 その彼が苦しんでいるようなので、私もつらく、悲しいなぁ。 今まで、こんなぼやき、言わなかったのになぁ。 ちょっと良くなってきている証拠かなぁ。 (すぐ良い方へ考える私。)

 結論から先に言えば、やはり慰めたり、おだてたりしてでも、勤務を続けてもらうことが大切だと思います。

 だって、お給料も勿論有り難いですが、それと同じくらいか、それ以上に、「社会と繋がっている」、ということが、どれだけコウジさん本人や、私達家族の支えになっていることか・・・!

 コウジさんも、障害を負った頭で、必死に頑張っているんだもんなぁ、と考えると、可哀想になってきて、明日あたり上司にメールしてみようと思います。

 職場が辛い場所になってしまっては、元も子もないので、ハードルをもう少し下げてもらおう、と相談します。

 昨日のブログで書いた、近所の心配な女性のことも、小学校の広報委員を一緒にやって以来の付き合いになるMさんに相談、とりあえず民生委員の方に入ってもらうことになりそうです。 (Mさんは、PTA会長をやるなど、小学校の全ての委員の長を経験した、精力的な方で、今は地域のボランティア活動で大活躍されています。)

 Mさんからは今日、「ここの地域の、便利帳ができた!」、とできたてほやほやの雑誌をもらいました。 私もイラストを描いていますので、少しでも地域貢献できて、嬉しいかぎり。

 ワッチも、陸上クラブを2日体験して音をあげ、また体操クラブに戻るようです。 (喘息が出てしょうがないとのこと。)

 みんな悩んでますね?。

 でも、そもそも、悩みのない人って、いるのでしょうか?

 もしいるとしたら、その人はよっぽど、想像力に欠けた人に違いありません。

 他人の悩みや痛みを、自分のこととして感じ、考えられること。 そのための想像力というものが、今ほど日本中に、世界中に求められている時は、ないかもしれません。

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