日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々


 年も押し迫り、人間は忙しいのに、犬はそんなの関係ないから、「散歩行こうよぉ!」 と催促の嵐。


  仕方ないので、掃除も用事も諦めて、今日もウメの太い首に首輪をつけて、出かけました。


 私ももう年なのに、テニスボールを蹴飛ばしては、それを追いかけるウメと、何度も全速力で一緒に走る (リードを離せないから、ウメとは一心同体ゆえ。) ので、クタクタです。


 ああ、しんどい。 気のせいか喉も痛いです。


 


  そういえば、昨夜は寝たのが、午前4時。


 用事していて午前2時になった頃、何やら刺激臭のような、ガス臭のような臭いが。


 見に行くと、ワッチが最近全然世話しなくなった、熱帯魚の水槽からでした。


 乾燥した空気に、水槽内の水がどんどん蒸発し、ヒーターが空気中に露出、そこが過熱して焦げていたのです!


 


  バカ〜!火事になるじゃん!


 私は慌ててヒーターを消してから、水槽に何度も水を中和しては運び入れ、午前4時になったのでした。


 朝、ワッチを叱ったのは、言うまでもありません。


 


 案の定ワッチの言い訳は、「今日、加水するつもりだった。」


 最近餌やりも加水も、みんな私なので、ムッとしています。


 


  「高次脳機能障害 第24回」。


 


 当時、池袋サンシャインビル内にあった、東京障害者職業センターへ、コウジさんを連れて行き、オリエンテーションを受けました。


 担当者はNさん。 このNさんが、非常に熱心で真面目な方で、のちのコウジさんの就職活動では、大変活躍して下さった方です。


 人に恵まれたと思っています。


 


  その後数回、朝のラッシュにもまれながら、コウジさんと通いましたが、「高次脳機能障害者は、長期戦です。」 との言葉に落胆。


 そしてそこは、知的障害者の利用が多いので、高次脳機能障害者のコウジさんは、幕張の障害者職業総合センターの方が良いのでは、という話になりました。


 (つづく)


 


  私はこの頃、9才のワッチに、少しでも親らしいことをしてやらなければ、と、忙しいけれど気張って、車であちこちのフィールドアスレチック、プール、目黒の自然教育園などへ連れて行ってました。


 


 一方、維持費がかかる外車を売却したり (新車なのに故障ばかりでしたし、ある時イライラしていた私が塀にぶつけたのを機に、売り払いました。)、家のローンもこの先払い続けられないと考え、家を査定に出したりしていました。


 


  また、2年前に手術した、婦人科系疾患の定期検診があったり、なんだか考えることが沢山すぎて日々気忙しく、心身ともに不安定で、疲労感が抜けない頃でした。


 


 -第24回おわりー



 「高次脳機能障害 第23回」。


 


  コウジさんを連れて、区の福祉作業所を訪れました。


 そこでは障害者の方達がクッキー、牛乳パックを使ってハガキ、木工品などを作っていて、人数も結構いましたので、いつも1人のコウジさんを心配していた私は、喜びました。


 


 ここならおしゃべりできる友達ができるし、物作りはコウジさんの好きな分野なので、まさにうってつけだと思ったのです。 (といっても、コウジさんは不器用なので、自分は作らずに、専らテレビで 「匠の技」 的番組を好んで見るレベル。) 


 


 私が、そこを管轄する区の担当者と話していても、コウジさんは隣でぼんやりしていました。


 


 ここで、この頃のコウジさんの意欲、その他の症状について述べますね。


 


  まず、食事に対しては、 「あれが食べたい」 という主張がはっきりしていたものの、勤労に対しては、乏しかったです。


 


 例えば、自分が作った会社に行かせても、大体ぼんやり椅子に座っているだけで、同僚が目を離したすきに、帰ってきてしまいました。


 道が分からないと自分では考えられず、すぐタクシーに乗るため、出費が嵩みました。


 


 疲れやすく、昼寝は毎日必ず2時間とっていました。


 


  やたらに買い物したがるので、仕方なく近くのスーパーに、メモ持参で行かせましたが、メモを忘れると、何でもかんでも沢山買ってきてしまいました。


 


  リハビリの日もわからないコウジさんに、毎日私がその日の予定を教え、一つの事が終わる度に次の行動を指示しないと、動きませんでした。


 放っておくとテレビ。 


 リハビリ病院から出された宿題もせず、1日10回位声かけしても無駄なので、しまいには私も諦めました。


 


  幼稚で、口を尖らせて 「ママちゃーん」 と甘えるのが気持ち悪い。(今もです。)


 


  公衆の面前でも、怒鳴ったり泣いたり。


 


 セクハラ発言も相変わらず。


 


 1〜2ヵ月に1度、脳外科に様子を見せに行っていましたが、血液中のナトリウム値や尿酸値が異常に高く、暫くは血液内科にもお世話になり、薬を飲んでいました。


 (でも高いのは、脳血管障害ゆえに仕方ないようです。)


 


  ところで話を戻して、こんな頼りない状態のコウジさんを抱え、作業所に新たな道を見い出した気になった私ですが、せっかく申請した精神障害者保健福祉手帳では利用できないと言われ、ショックを受けました。


 


 身体障害者でないとダメで、そこにいらした方々は、身体障害を併せ持った高次脳機能障害者だったのです。


 


  ところが、肩を落としていた私に、障害者就業・生活支援センターから、「東京障害者職業センターでの、面接予約がとれました。」 という連絡が入りました。 (つづく)


 


  ー第23回おわりー


 


 コウジさんは、年賀状がなかなか書き進みません。


すぐ飽きてしまい、見ていても本当につらそうです。 今日はやっと10枚。


 


 私とワッチはささっと書いて、もう投函しました。



 「高次脳機能障害 第22回」。


 


  本には書いていませんが、この頃、姑とバトルがありました。


バトルといっても、姑が非常に怒っていて、私は黙っていたのですが。 (この話は近いうちに、又別途。)


 


 夫がこの障害になると、妻と姑の間で何らかの軋轢はできがちなようですね。


 簡単に言うなら、現場の凄惨さを見せつけられながら実際に手を汚している妻と、知らずに田舎で息子可愛さに現実が見えなくなっている姑 (治っていると錯覚するなど、良く信じ込みたがる) との間では、必然的に深い溝ができるのです。


 


  理解のある姑なら、この問題は生じないのでしょうが、残念ながら私の家のケースでは、溝はその後どんどん深まり、1年後にはとうとう私も我慢を返上、姑に絶縁を申し渡すことになります。


 (その後、姑とのバトルは終息に向かいつつある、というか、どうでもよくなっている現在。 今の私の心の根底には、同じエネルギーを使うなら、年老いた姑の考えを変えることよりも、姑が今まで生きてきた中で私の知らない苦労もあったろうし、そこは貴びつつ、姑を受け入れることに使おう、という思いがあります。)


 


 さてともかく、当時はまだささくれだった心を抱えながらも、私がやるっきゃないじゃない、姑に構ってる暇なんかないのよ、とコウジさんを連れて障害者就業・生活支援センターを訪れた私は、そこの担当者の女性が、大変親身になって相談に乗ってくれましたので、久しぶりに心落ち着くひとときを持てたのでした。


 


 対応してくれる人の態度如何で、こちらはへこんだり舞い上がったりするほど、介護者というものは、神経が細く敏感になってしまうようです。


 


 とにかくそこに登録し、今の回復期病院でのリハビリ後の、コウジさんの日中の居場所として、作業所と東京障害者職場センターを教わりました。 (家にいるより、活動場所があった方が当然良いですからね。)


 


  そしてまず、作業所へ見学に行ったのでした。 (つづく)


 


  ー第22回おわりー


 


 年賀状イラストを描き終わり、今印刷しながらブログ書いています。


 年末も年末、この間12月になったばかりの気がするのに、もう今年もあと4日!


 けれど、ウメと散歩していると、なぜかまだ真っ赤なもみじがあちこちに。


かと思うと白梅が咲いてた! 私も今半袖だし (家で半袖は私だけ。)


 


 今のところ暖かい冬みたいですが、そろそろ本格的に寒くなってきそうです。


 


 スーパーにおせち惣菜が売っていたので、私が好きな豆きんとんと田作りを買ってきて、早々と食べている柴本家です。


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