佐久総合病院と本2冊


(ピンボケなので迷いましたが、せっかく撮った写真なので貼り付けます。佐久総合病院の前で、私が読んだ本2冊と。向かって左の赤い本が、『信州に上医ありー若月俊一と佐久病院ー』(南木佳士著)、右の緑の本が、『村で病気とたたかう』(若月俊一著)です。ともに岩波新書です。)

あれ? 人が少ない・・・。
臼田駅から佐久総合病院へ続く道、歩いている人が少ない・・・。

第4土曜日は午前中のみの診察だということもあるのでしょうが、午後3時は食事をするお店も「準備中」という掲示を出しているし、元々シャッターが閉まったお店も多い。
歩きながら、なんとなく5年前に歩いた伊那駅周辺と共通する雰囲気を感じましたが、同じ長野県だからかな。
とにかく長野県は面積が広いので、普段人ごみの中に暮らし、いつも人や自転車、車を神経質によけながら歩く私にとっては、広い空間が心地良く感じられる一方、寂しさも感じました。

3年前に、北中込という駅のそばに「佐久医療センター」という、専門医療と救急・急性期医療の施設ができたため、佐久総合病院からも多くの職員がそちらに移ったそうです。高次脳機能障害でも、急性期は医療センター、回復期は総合病院になるらしいです。

ほどなく佐久総合病院に辿り着いて中に入ると、真っ先に私が探したのが、若月俊一医師の書による「患者さんの権利と責任」の掲示でした。 そしてそれは、玄関を入ってすぐ左の頭上にすぐ見つかりました。

「一・適切な治療を受ける権利 二・人格を尊重される権利 三・プライバシーを保証される権利 四・医療上の情報の説明を受ける権利 五・関係法規や病院の諸規則を知る権利 ーこれらは人間としての倫理原則をお互いに大切にしなければならない。しかし、患者さんも、病院から指示された療養については、専心これを守ることを心がけなくてはならない。医師と協力して療養の効果をあげることこそが大切なのである。一九八三年 佐久総合病院  六・安全な医療を受ける権利 七・自己決定の権利 八・苦情を申し立てる権利 九・セカンドオピニオンを求める権利 -以上を新たに追記します。 二00四年一二月」

そして病院のHPでは、この掲示に対する若月医師の言葉が紹介されています。

「私が病院内に「患者さんの権利と責任」を掲示したのは、1983年の1月です。それ以来、今日まで病院玄関の患者さんからよく見える場所に掲示を続けています。 患者さんの命を救うという大切な仕事は、そのまま患者さんの人権を守ることに通ずるのは当然ではないかと思うのですが、残念ながら医療の歴史の中では軽ん じられてきたことは否めません。そこでこの掲示となったわけですが、このような掲示を出したのは、当時の日本の病院では初めてではなかったでしょうか。

しかしながら、療養で一番大切なのは、何よりも「患者さんと医者の人間関係」なのではないでしょうか。この人間関係の温かさは、必ずしも権利と義務という ような法律関係や、需要と供給というような経済関係からは出てきません。何よりも大切なのは医者の患者さんに対する「人間的」思いやりであって、権利義務 の主張だけではないということも付け加えたいのです。」

以前私のブログでも書いたように、「患者の権利章典」というものは1973年のアメリカ病院協会というところが発表されたものが最初のようです。 その後リスボン宣言というものを経て、日本にも輸入され、佐久総合病院では1983年に取り入れられたようです。

たしかに、「何より大切なのは、患者さんと医者の人間関係なのでは」、という言葉には共感します。

佐久総合病院の中では、もう午後3時を回っていたが、救急の患者さんらが椅子に座って順番を待っていました。病院内をざっと一回りしたあと、私は受付へ戻って、こらえきれずに質問しました。

・・・すみません、今日は1日実家へ行って体力を使う用事をしていましたので、もうここで限界となり寝ることにします。続きはまた明日に書きます。おやすみなさい。 (つづく)