たかが「とげ」、されど「とげ」。
ようやく、取れました。 ご心配おかけしました。今、気分は晴れやかです(笑)。
今日の午前中、また近くの病院へ行きました。
今日の外科の担当医は、昨日の医師とは異なるので、ちょっと心配でした。
昨日の処置の続きを、違う医師が引き継ぐことに。でも、たかか「とげ」ですからね。大したことないのかな。
頑丈に巻かれていた包帯を看護師さんがやっとのことではがしますと、医師は「ああ、これかあ・・・ 取っちゃおうか。」と言ったので「えっ!」とひるむ私。「昨日、何度も何度も取ろうとしてくれたんですが、痛くて・・・」
「痛いよね。じゃあそこに横になって下さい。」
(先生、私の話聞いてくれてる?)と思いながら横になり右手を医師に預けました。
「う~ん・・・古い木の枝だからすぐ崩れるし、細菌感染が怖いよね。」と言いながら、医師は看護師さんに指示して色々道具を変えたり、「爪、切っていいですか?」ときっと深く切ってくれたり(見ていないので)、一所懸命取ろうとしてくれました。
私も「とげでこんな思いをしたのは、初めてですよ。」と時々チクッ ズキッ とくるのをこらえながら泣き言をいっていたところ、「取れた!」という医師の大声。
「え!本当ですか!」と叫ぶ私。
「良かったですねえ!」とほっとする看護師さん。
出血しているそうで、すぐまたぐるぐる包帯を巻かれたので傷は見ていないのですが、脱脂綿の上に置かれた、取れたとげを医師は見せてくれました。こんなちいさなとげに、ここ数日苦しみ、不便を被っていたのかあ。
「僕ね、実はこういうの、得意なの。」といたずらっぽく笑う医師に、「ああ、じゃあ私はついていました。もう、神様!という感じですよ。」と本心で言うと、医師はハハハッと笑いました。
そして、「抗生剤で膿んでいた炎症が治まったから、抜くのに昨日ほどは痛くなかったのだと思う。」とも。
ああ、とげを抜くのは即日でない方がいい場合もあるのだなあ。
もう、ホントにやれやれです。でも、とても嬉しいです。
ただ、またあさってぐらいに傷を見せに行くまで、この包帯のままです。
料理するのも、食器洗いするのも、掃除するのも、洗濯干すのも、パソコン打つのも、顔を洗うのも、お風呂で体や髪を洗うのも、はさみを使うのも、ウメのリードを持つのも、うまくできなかったり、時間がかかったり。
今朝など、左手で顔を洗い、目をつむったまま右手でタオルをつかもうと手を伸ばすと、それは子猫のチーでした。タオルの上にすばやく乗って、不思議そうに様子の違う私を見ていたのです。どうもタオルのわりにはもふもふして立体だと思ったら・・・。
こんな調子で、このパソコンもなかなか打てないので、また今日もこれだけですみません。
明日こそ、囲碁の話を書きますね!
あ、写真は私の包帯にクンクンする、大猫ハルと、その向こうにわれ関せず然とするウメです。ウメは、骨ガムを両手に抱えています(どうでもいっか)。
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ハルちゃんとウメちゃんの写真も見れて嬉しいです♡ でもお大事に用心してお過ごしくださいね。
さて、とげが抜けたばかりの礼さんに申し訳ないのですが、今日は私の愚痴を聞いてください。最初のコメントにも書いたと思うのですが、自分の身近な人達から、夫の高次脳機能障害のことを知っていって欲しい、まずは自分の身近な人から伝えていきたいと思って、アマゾンで「日々コウジ中」と続とを3冊ずつ購入しました。
一組は休職中の夫の職場に送らせてもらいました。どんなふうに読んでくださっているかは分かりません。あと一組は私の職場、一組は私の身近な友人から順番にまわして読んでもらおうとしていたのですが、自分の職場でまわして時にあまりにも一人の人から戻ってくるのが遅かったので、これでは時間がかかり過ぎると思って友人に回すのを後回しにして今二組を職場の先生にまわしています。それが今3人の先生は読んでくれたのですが、次に渡した4番目、5番目の先生が二人とも1か月を過ぎても戻してくれず、正直少しがっかりしています。
皆さんお忙しいのは充分承知しているつもりですが、私からしたら、こんなに読みやすい本をどうして1か月過ぎても読み終わらないのかな、読む気がないのかな、押しつけがましかったのかな、色々思って悶々とした気持ちです。そして思ったのです。私は当事者の家族だから必死に読んで泣きながら読んで何回も読んだけれど、自分がこの障害と関係のない人にしたら、なかなか読む気にならず、ついつい後回しにされるようなことだったんだなぁと。今の職場の先生達は日々障害のある子ども達の療育を仕事としているので障害ということに関しては興味や理解をしてくれやすいと、私は勝手に思っていたのかも・・・(続く)
・・・色々愚痴りましたが、考えてみれば私にもあてはまることで(自分に直接関係のないことは他人事ということ)、20代の時、実親が親権を放棄した子どもを特別養子縁組をする仕事に携わっていた時期があるのですが、その時は、血の繋がりだけが家族ではない、愛し育ててこそ親だと強く思っていましたし、今でもその想いに代わりはありませんが、仕事から離れて長い期間がたつと、実際自分の身近な場所に養子縁組をされているような親子を知る機会もなく、自然とそういうことを考える機会も減っています。
やはりどんな事柄においても、自分が直接関係のない事柄にまで全てに必死になって取り組んだり、考えたりって無理ですよね・・・
自分の知らないような病気やその他色んなことで、悩んでる人や困っている人は世の中に沢山いらっしゃますよね。だからこそ、やはりそれぞれの立場の当事者や身近な人、またはたまたま興味を持って関わった人がそれぞれの問題を周りに伝えていかないといけないのでしょうね。
そしてそれぞれ立場や抱える問題は違っても、自分に関係のないことだと知らん顔をするのではなく、私は人間に一番大切なことは「想像力」だと信じていますので、相手のしんどさを想像する力をみんなが持ち合えば少しづつでも、社会は変わっていくのかな・・・?
こんばんは~。ちあきさんのコメントは、世の中で一番大切なことを書かれている!と思いました。
他人の痛みに寄り添うためには「想像力が必要で、その想像力を持っていない人が大勢いる世の中ですよね。皆自分のことだけ。自分のことだけで精いっぱいの方ならともかく、余力があってもその余力すら自分のためだけに使う。これじゃ~、いつまでたっても格差社会、差別、差はなくなりません。宮沢賢治が言うように、自分だけ幸せだって、それは真の幸せではないのですが、それに気づかず死んでいく人も多いのでしょう。残念ね。
当事者は、ちあきさんの言われるように、声を大にして訴えていかないと、関心ない大勢の人たちの耳には入らず、目にはとまりません。障害、貧困、病気、被災者、犬猫殺処分・・・、皆根っこは一緒で、「関心ない人を、どうやってこっちに連れてこられるか」が問題です。一方、自分は当事者ではないのに、当事者を苦痛から救おうと純粋に願い行動される尊い魂の持ち主も、いらっしゃいますよね。そういう方たちを知ることができると、この世は捨てたもんじゃない、と思います。拙著を3冊ずつ買って下さって有難うございました。皆さん忙しくて読む時間がないのでしょうね。あと、関心がないのでしょう。でも諦めず、そういう人たちを「こっち側」に連れてきたいですね。
私も 礼さんの本を娘の小学校に寄贈しました。最初クラス図書に置いてもらって、クラスメイト、担任の先生も二冊ともあっと言う間に読んでくれました。そして、今学校の図書室に移り、PTAに覗きに行くと、貸し出し中になっていました。
ここまでは、順調なのですが・・・。クラス懇談会で、夫のことを時間があれば話そうと思って居ました。役員選出も順調に進み 10分程度の時間がありました。仲良しママが多く、大好きなクラスです。15人の小さな学級です。数人には話しています。なのに、やっぱりそこで話す勇気がもてませんでした。
ただ1人苦手はママがいて、その人に知られたくない気持ちに負けてしまいました。運動会には夫も連れて行きたい。どっち道、わかることだから、あれこれ詮索される前に言おうって思っていたのに。1人1人に伝えることより、大勢に発信することの難しさも知りました。簡潔にわかり易く、的確に伝える。原稿もなしに話そうって決心だけでは話せないものですね。話がまとまらない。礼さんの偉大さも実感しました。礼さんやみなさんから、アドバイスいただきたいです。絶対に話すべき要点とか。話すと楽になれます。今までは、人選して話していたのでそうでした。大勢に話す事は、良い事ばかりじゃないですよね?でも、一歩踏み出したいです。
とげ抜けて良かったですね。しかも指先なんて、想像でも痛いです。
一回目のお医者さんだったら、もしかしたら抜けなくて
手術とかになってたかもですよね? とげじゃありませんが、以前長女がコンタクトが
目の中で行方不明になったと言って受診しました。
若い先生が、眼球の上のほうに見えた!ってで散々目を弄られ、取れなくて
上の先生に代わったら 見えませんね~ もしあったとしても、動いて脳に行ったり
しませんから、明日でも違和感あったらまた来てって
翌日は修学旅行だから、緊急で行ったのに。。。
お医者さんも誰に当たるかで 全然違いますね
世の中出会いって大事だなとつくづく思います
苦手な人がいる時は、無理に話さないでいいと思いますよ。話したことが、かえってストレスになるかもしれませんから。焦らないで、自分のペースで理解と支援の輪を少しずつ周りに広げていかれたらいいと思います。
やはり自分が伝えたいこと、悩み、なんでも書き出してみることが、頭の整理になると思います。
それらを、同じ傾向のものごとにまとめ、それぞれ小見出しをつける。小見出しことにちょっと細かい話、具体的な話をする。でも、自分が一番訴えたいことはぶれずに、ドーンと言う。最初でも最後でも、真ん中でも。
私の場合は、「当事者の居場所 介護者への支え が必要です。」と2点強調していますが、ほかにもいっぱい言いたいことはあります。 むうまさんがお話される場が、いつか(今すぐでも)設けられますように!
それから、娘さんのコンタクトレンズは、結局どうなったのですか?気になります。修学旅行前に見つかったのでしょうか。それとも旅行中、ずっと白目のどこかだったのでしょうか??
みんなに向けて話すのは、今の私にはまだハードル高いみたいです。
1人ずつ理解者を増やしたいです。
コンタクト事件は、娘がコンタクト初心者の頃の話で、結論から言うと、どこかのタイミングで、はずれて、目の外に落ちたのだと思います。
ハードコンタクトなのですが、私が娘の目を見た時には、はずそうとしてなくて、焦って散々目を弄ってしまって、真っ赤に充血して、素人じゃ触れませんって状態でした。
で、1時間かけて 大きな救急病院に行き、2時間半まってみてもらったのは、深夜1時。それも14歳ってことで、小児科の先生の順番待ちにされ、あちらの先生にって、空いてる先生をお願いしても 聞き入れてもらえず。
で、最初に見た先生が あっ見えたって目をぐりぐり でもあれ? なくなったとか
散々やって、上司を呼んで来ますだったんです。で上司の方が見たら、ないですね~。また明日眼科に受診してくださいって。そ、そんな~ 明日広島に修学旅行なんです~。広島にも眼科はありますから・・・
その後、大学病院にも電話しましたが、受診歴のない患者は見ないと言われ、電話しても眼科の先生は見つからず、泣く泣く家に帰り冷やせるだけ冷やして。2時間睡眠で、学校に送りました。 あくまでも、写真にメガネ姿は残したくないとごねる娘と、目と写真どっちが大事なの?と怒る私とバトルした思い出です。
コンタクト初心者は、外れても 片方だと以外とわからないものらしいです。広島にも眼科はありますって・・・なんなのって思ったけど
結局 広島からは何もなかったように、楽しい思い出と、何百枚の画像と共に帰って来ました。救急外来で、眼科ってそんな扱いなんですかね~