私の近況・・・

今月の講演会(6月17日)資料が、先月末にやっと仕上がって送り、今は原稿(『ノーマライゼーション』7月号向け)の校正中。なかなか制限字数内に収まらず、苦労しています。

講演資料作成にあたり、コウジ村の方々にメールし、近況を伺いました。お返事がない方も沢山ですが、大体の感じがつかめました。
それによりますと、コウジ村村民80名のうち、就労している人が28名、休職中の人が7名、就活中の人が2名、就労移行型支援の人が1名、就労継続支援B型の人が9名、デイサービス通所中の人が7名、リハビリ中の人が4名、ほぼ自宅の人が4名、定年退職された人が3名、施設等入所中の人が7名、入院中の人がは2名、不明が名、亡くなられた方が4名、死別や離婚でコウジ村を辞められたかたが3名・・・ (重複がありますので、合計は合いません。)

私の夫コウジさんが障害者枠で就労しているので、とかく就労中の高次脳機能障害者のことに頭が行きますが、こうして見ますと、就労されていない人の方がずっと多いです。また、就労されたと思った方が、色々事情があってやめられ、休職中となったり再び就活中となるケースも目立ちます。

講演会が終わりましたら、このあたりのことを書きたいと思います。今は、囲碁祭りの話を書かないと、どんどん古い話になってしまいますので・・・。

4日は大森で、「囲碁・高次脳機能障害の会(プロジェクトと書くとなんだかとても立派なので、単に”会”とします。)」がありました。今回は受付係りのため9時までに会場へ着かなくてはいけなかったので、早起きして早め早めに準備していました。
するとコウジさんがせかせかと焦り出し、「もう先に駅へ行ってるよ!」と家を飛び出してしまいました。駅まで1人で行けるのはいいけれど、ちゃんと確認しないと別の駅へ行ってしまうことがあるので、そこは私がしっかり「○○駅だよ。」、と伝えてあります。

でもそのせっかちなコウジさんのせいで、予定より早めの電車に乗ることになり、そのあとのバスの乗り継ぎも良く、あれよあれよという間に、なんと8時ちょっと過ぎには会場(障害者総合サポートセンター)に着いてしまいました。8時半にならないと扉が開かないので、仕方なく扉の外で「囲碁クエスト」をやっていました。

そして、8時半になって扉が開き、会場の5階に着くや否や、コウジさんは今度は「眠い。」と言い出し、控室の小部屋で寝てしまいました。その後も、「おなかすいた」と持参のパンを10時くらいに食べたり、また「眠い」と言ったりで、その日は集中力に著しく欠け、午後は参加しないで帰ってきてしまいました。私は参加するつもりだったのですが、ほかの人と話している私のところへ、コウジさんは私のバッグを持ってきて「帰ろう。」と言うんです。

たしかにその日は教えて下さるボランティアの先生が少なくて、初心者ばかりでした。コウジさんは教えて下さる人がいないと眠くなり(笑)、帰って寝たくなるようです。私がもう少し上達してコウジさんに教えられるようになればいいのですが、とてもとても・・・ まだその日になっても、着手禁止点があやふやになっていましたし。

その帰り道に、盲導犬のPちゃんを連れたKさんと一緒になり、途中まで色々話しながら帰ってきました。
私とコウジさんは先に電車を降りましたが、PちゃんはKさんの足元の扉側に座って、Kさんをしっかり守っていました。電車のドアが閉まってPちゃんの姿も見えなくなると、隣に立っているコウジさんが泣いているのに気づきました。忠実に仕事をするPちゃんのけなげな姿に、感動したようです。

実は私も胸が熱くなっていましたが、それはPちゃんのその姿と、目の見えないKさんが1人(+1匹)で行動されている勇敢な姿に、です。目が見えないと、怖くて外出も控えがちになりそうなのに、勿論安全には細心の注意をされながらも、外へ出て行かれる姿は、やはり尊敬します。

KさんとPちゃんは、大船渡の囲碁祭りにもいらしていたんですよ。
私は2月から始まった大森の会で、たまたま別室のパソコン教室に来られていたKさん(パソコンを教えられているそうです)とPちゃんを初めて見て以来、なにかと話しかけてきていました。目が見えない方のお手伝いをしたい、と前々から思っていたのと、犬が好きなのとで。

ですから、大船渡でKさんとPちゃんを見つけた時嬉しくて、またなんやかやと話しかけていました。Kさんは、あまりに私がPちゃんを気にするものだから、リードをはずして下さり(それは、仕事から解放する、という意味だそうなのでPちゃんは途端にはしゃぎだしました。)、私はPちゃんを抱きしめました。かわいかった~。Kさん、有難うございました。

同じく盲目のアマ4段柿島さんは、元アマ本因坊村上深さんと、「ブラインド碁」対決をされました。(前回のブログはここまで書いたのでしたね。)

村上さんは目隠しをしましたが、柿島さんも同じように目隠しされているのにはびっくり。たしかに柿島さんは盲目でいらっしゃるのに、時々本当は目が見えているのではないか?と思われるくらい、目がご不自由なのを感じさせない不思議な方です。信田成仁六段の軽妙な解説の中、緊迫したブラインド碁対決は、どっちが勝ったのかちょっと忘れてしまいましたが(私は写真を撮るのに夢中でした)、周りには日本や台湾の人だかりができ、大いに盛り上がりました。

その時やその日の様子については、「週刊碁 6月5日号」に載ったり、NHKおはよう日本の岩手放送と全国放送の両方で紹介されたり、最近ではNHKラジオ第一で放送されました。(6月5日から2週間は、ネットで聴けるようです。)http://www.nhk.or.jp/r1/journal/player/170605-4.html

その日最後は、木谷さん率いる「心の唄バンド」が名演奏を披露し、台湾の視覚障害学生さんやつきそいの方たちが、大喜びされているのを見ました。それに気づいた私は、囲碁にも音楽にも国境はなく、特に音楽は視覚障害者にとっては、大きな楽しみ、喜びになっているのでは?と思いました。 つづく