まず最初に、講演のお知らせです。
http://www.pref.ishikawa.lg.jp/koujinou/kouenkai.html

*平成29年度 高次脳機能障害に関する普及啓発講演会
「日々コウジ中の夫とともに~高次脳機能障害の夫を支える妻の体験記~」

日時 : 平成29年9月10日(日) 13時30分~15時30分
場所 : 石川県リハビリテーションセンター4階 大研修室(金沢市赤土町二13-1)
対象 : 一般県民、高次脳機能障害のある方、家族の方、支援者などどなたでも
お問い合わせ・お申込み先 :石川県高次脳機能障害相談・支援センター  (TEL 076-266-2188 FAX 076-266-2864) ※8月31日(木)申込締切

金沢へ行くのは、高校2年の時の修学旅行以来です。今は北陸新幹線ができて便利になりましたが、当時は東海道新幹線で米原経由で行った記憶があります。是非お近くの方は、いらして下さいね。

さて、囲碁まつりの話の続きですが、3日目は囲碁神社へ行きました。お天気はあいにく3日とも雨で、大船渡の青空や青い海は結局一度も拝むことはできませんでした。残念!しかも真冬のような寒さで、気温12,3度くらいだったんです(でも、寒いの大好きな私なので、全然問題ありません)。

囲碁神社とは、熊野神社のことです。大船渡には熊野神社が元々2つあるそうですが、「大船渡の三面椿」で有名な中森熊野神社という方を通称囲碁神社とし、2014年に始まった囲碁まつりの聖地とした経緯があるそうです。・・・このあたりの話はちょっと長くなりそうなので、割愛しますね。

囲碁神社で絵馬に願いを書いたり、「居合剣舞奉納」を拝見したり(すごい迫力でした)、触りたい人は、剣舞に使われた真剣を触ったり、奉納されている石の碁盤を見たり、楽しかった~。

そのあと碁石海岸へ。碁石に使えるような黒い石が沢山ある海岸なのだそうですが、おおかた持ち帰られてしまったそうで、あまりそれらしき黒石はありませんでした(これ以上なくなると困るので、今は持ち帰らないよう言われました)。

大正時代に3つあった石の碁盤が、今は碁石岬灯台にある1つだけとなっているというので、その碁盤を見に、雨の中せっせと海沿いの遊歩道を歩きました。晴れていたらきっとリアス式の断崖は絶景だったと思いますが、そんなこと言ってられないくらいの雨の中、足元ばかり見て必死でした(笑)。でもふと海の方に目を向けると、雨にけぶった岩肌にウミネコが沢山とまっているのが見えました。ウミネコはずっと前浄土ヶ浜で遊覧船に乗った時、餌をあげると飛んできて可愛かったなあ。

目の不自由な学生さん達も歩きました。岡田6段は、去年も歩いたそうですが、今年も「せっかくだから。」と歩きました。石鍋さんも着物姿なのに歩きました(石鍋さんは、いつも着物です。ささっと着られてカッコイイです)。

・・・やっと辿りついた灯台の足元に、風化したのか波に洗われたのか、丸みを帯びた大きな古ぼけた石がありました。その表面には、たしかに碁盤の目が刻まれていました。東日本大震災ではこの高台までは津波は来なかったので、この石は残ったのですね。

貸切バスが大船渡の海のそばを走る時などは、大船渡出身の石鍋さんが車内の前に立たれて被災前と後の様子について説明されていました。すっかり殺風景になっているそのあたりも、震災前はきっと賑やかで笑い声溢れる場所だったのでしょうね。

同じく津波に襲われ、荒涼とした景色となった石巻を約2年前に訪れた時にも感じましたが、震災のこと、震災で失われた多くの命のことを、決して私たちは忘れてはいけないですね。私の人生がもし80年あるとしても、この震災は人生で一番大きなできごとであるに違いありません(戦争が起きないかも気になりますが)。もっと考えなくては・・・ もっともっとこれからも考え、学び、伝えていくことがあります。(最近私は、改めて震災関係の本を読んでいます。やはり、大船渡へ行ったことが影響しています)。

乗る予定の電車出発までの時間がないので、皆で地元の大きなスーパーに入ってお昼ご飯を買い(大船渡土産も売っているスーパーでしたが、「おおふなトン」という豚?のゆるキャラがあるのですね。近所に配ろうと思い、おおふなトンの卵せんべいを買いました。)、盛駅までのバスの中や、盛から釜石囲までの囲碁列車の中で食べました。

盛から釜石経由で新花巻まで2時間40分。新花巻から東京まで東北新幹線で2時間46分。
釜石から新花巻までの電車では、視覚障害の柿島さんと塩田さん 対 私と関口さん(囲碁がすごく強い女性!リアスホールでは教えて頂きました)でペア囲碁をすることとなり、緊張しました。でも、楽しかった~。

さらに新幹線の中では、元アマ本因坊の村上深さんとお話することができました。 つづく