何度かブログを書き始めては用事で中断し、その次に書くときには新しい内容に変え・・・、の繰り返しで10日以上経ってしまいました。
書きたかったことも、その当時の気持ちから今は色あせたり、話題が古くなったり・・・ 結局自分の中にとどめてしまったことが多いです。でも、それなりの話だったのでしょうから、それでいいです。
とにかく、それもこれも、この暑さのせいです。

もうかれこれ2週間以上も30度以上の暑い日が続き、頭も体も冴えないところへきて、犬のウメの散歩があります。
午前の散歩を終え、2回目の散歩を日中の暑さを避けてするとなると、夕方5時頃スタートになります。
帰宅が6時半、そのあと夕食準備、食事、片付け、入浴、コウジさんやワッチとおしゃべり・・・ で、11時や零時になり 「明日も早い(いつも午前5時とか6時とか)から寝よう!」になります。私は昼間は大体用事で動き回っていてブログは夜に書きますので、結局書けないのです。

ウメの散歩といえば、ここ数日ウメは夜も行きたがるので困ります。きっとこの暑さのせいで、体調悪くて下痢気味になっているウメ。昨日(今朝)は、深夜2時半にウメがハアハア言う気配で目が覚め、次にコウジさんのそばまで来て「ワン!」と吠える声で飛び起きました。
1人で行くのも物騒なので、コウジさんと私の2人で深夜2時半にウメと歩きましたが、こんな深夜にも歩いている人や車で走っている人がいるんですねえ。こっちもビックリしますが、向こうもギクッとするようです。
とにかくウメの下痢が治るまでは、寝不足です。
というわけで、さっき(10時半)も、コウジさんとウメの散歩に行ってきましたが、この時間でも蒸し暑くてげっそりします。梅雨もまだ明けないのに。今日はスコールのような雷雨がありましたが、ほとんど雨の降らない東京の梅雨です。

そんな中、今日ここへ来たのは、日野原重明さんが亡くなられたからです。
日野原さんは105歳の現在に至るまで、現役の医師であり執筆活動もされていた、驚異的に元気な高齢者の象徴でした。私はなにかあると、(ああ、日野原さんは105歳であんなに頑張ってらっしゃる。私も頑張らなくちゃ。)と思ってきました。

ちょうど昨日もワッチと、認知症になった高齢者の映像をテレビで見ながら、「認知症になるお年寄りとならないお年寄りがいるよね。日野原さんなんて、105歳でまだ朝日新聞のコラムにしっかりした鋭い文章を書いているんだよ。」と私が言うと、ワッチも、「どこが違うんだろうね。」と驚いたばかりでした。

なので今朝大学へ行く準備をしているワッチのところへ行って、日野原さんが先ほど亡くなったことを言うと、ワッチは準備していた手を止めて、「え!なんで!?」とびっくりしました。
呼吸不全とのことですが、105歳まで元気でいられたことの方が驚きであり、亡くなられることは当然なのでしょう。でもそれを皆が驚きをもって受け止めることに、日野原さんの超人性を見ます。
寂しい限りですが、今まで私たちに大きな力を与えて下さり、有難うございました。心からご冥福をお祈りします。

私は最近、死んでも生きていてもあまり大差ないような気がしてきました。
それは先日のテレビで、ティック・ナット・ハンさんというベトナムの宗教家の番組をふと見たからなのですが、ティック・ナット・ハンさんは、ダライ・ラマ4世と並ぶ現代の2大宗教家なのだそうです。そのティック・ナット・ハンさんは、「条件がそろうと私たちは人間の形で存在しているが、条件がそろわなくなるとそこから離れ、別の形で存在している。」というようなことを言いました。なるほど、とてもしっくりくる考えだと思いました。

私の家では、小さな黒いクモを家の中で見たり、歩いている時に蝶がついてきたりすると、(ああ、父だ。)とか、(ああ、義父だ。)とか思います。義父は20年前に亡くなる前、「自分は死んだあと、虫や鳥になって現れるからね。」と言い残しました。なので、いいタイミングでクモや蝶が現れると、「またお義父さんだね。」「父だ!」とコウジさんと喜びます。

先週は、その父に関する書類が必要で、暑い中父の戸籍のある渋谷区役所へ行ったり、世田谷区役所へ行ったり、はたまた神戸市役所に電話したりしていました。神戸市役所から書類を郵送してもらうために、近所の郵便局へ小額小為替を買いに行ったり。 私は東京や横浜で生活していますが、先祖を辿ると、大阪や名古屋や和歌山に親戚がいるようです。昨日は母のいる横浜の実家に行っていましたが、母がまだ歩けるうちに、渋谷の父の実家(のあったところ)や、名古屋や大阪に行こう!と母と盛り上がりました(和歌山は、母と父で行ってきたので、母はそっちはいいそうです。私は行きたいけれど。また、父の世田谷大原の家は、東京大空襲で燃えてしまいました)。
来週は母の病院付添いもあり、実家のことで結構あれこれ忙しくしています。

囲碁も、なるべく毎日少しはやるようにしています。昨日は実家でコウジさんと母が囲碁をやりましたが、母の圧勝でした。81歳の母もまだまだいけますぞ。母は囲碁になると、途端に生き生きします。

盲目の棋士アマ4段の柿島光晴さんが、「第31回人間力大賞」というもののファイナリスト20名の中に残っていらして、23日に横浜で発表があります。 目が見えない中、視覚障害者への囲碁普及、被災地大船渡支援など、人の為に人一倍の努力をされてこられた柿島さんを応援すべく、当日会場へ行ってこようと思います。

日野原さんは数々の名言を残されましたが、「いのちの授業」で子供たちに話しかけている言葉が印象的でした。「自分が生きているということは、使える時間があるということ。大人になったら、その時間を、困っている人のために使う時が来る。」という言葉。

時間は自分のためではなく、困っている他人のために使うもの・・・
自分のことでいっぱいいっぱいの人も多い中、病や障害や貧困、その他の問題を抱えながら、なおも人の為に尽くす人がいらっしゃるのも事実です。

柿島さんは、まさにそういう人の1人です。

それでは、また。