昨日の私のブログにコメント下さった、sheepさん。 そして、最近コメント下さったyuuki さん。 そして、そのほかの、このブログを読んで下さっている高次脳機能障害者家族の皆さんへ。

このブログやコメント欄は、皆さんが繋がったり共感できる、ほっとできる居場所かもしれません。それは私にとっても同じで、このブログの意義はそこにあると思うので、続けています。

でも、ここを離れて皆さんそれぞれが、それぞれの場所で生きてらっしゃる(私も同じ)。
そしてそこは、こことは違って、高次脳機能障害のことを知らない人ばかりの、語弊を恐れずあえて言わせてもらえれば、いわば「敵の陣地」なのです。私たちは1人1人、毎日、そこで孤軍奮闘しなくてはならないわけです。そして実際、そうされているのです。

いや~、私たちは、よくやっていますよ。自分で自分をほめてやりましょう。家族がこんなへんてこな障害を負わなければ、もっとずっと楽だったのに。制約されることなくもっと自分のことに時間を使えて、行きたいところに行って、会いたい人に会って、食べたいものを食べて、笑っていられたのに・・・。

そういう気持ちは、私にもありますよ(笑)。あのまま夫コウジさんが、ほかの大多数の人のように健康で、普通に働いてくれて、平凡だけど普通の人生を歩めたら、どんなに「楽(らく)」だったか、と。
ただ、「らく」だけど「たのしい」かどうかは、別です。
「たのしい」と思うかもしれないけれど、それが「真のたのしさ」なのかは別なのです。
はっきり言えば、それは「まやかしのたのしさ」「まやかしのしあわせ」だと、私は思っています。そう思えるところにまで達することができています。
そして、今大変な皆さんも、いつかはそこに辿り着きますから、ご安心下さい。

考えてもみて下さい。そこに貧しく、今日食べるものにも事欠く人がいるのに、自分は食べるものも住むところも何不自由暮らしている人は、本当に幸せ者なのでしょうか?本当は、大馬鹿者なのではないでしょうか?周りからはバカにされているのに、そこに気づいていない、実は裸の王様なのでは?

真の幸せは、全ての人、生き物が幸せで、初めて成り立つものだと考えます。1人でも不幸な人がいたら、おかしいじゃないですか。助けないと。皆で幸せにならないと。

では、コウジさんが障害を負わなければ、私は愚か者で人生を終えたのでしょうか。あの世へ行ったときに、良い人生を送られてきた人たちから、「あなたは無知で小さな世界にいたね。」と言われ恥ずかしく身を縮めたのでしょうか。その可能性はあります。
私は生き物が大好きで、その命を大切に考えてはいますが、人生は限られた短い時間なので、その短い時間の間に本当の幸せに気づけたかは、わかりません。ここまで毎日ほかの障害や病気や貧困や差別に苦しむ人たちに、思いを馳せる人生だったかは、それはわかりません。

なので、コウジさんに感謝しているわけです。
あなたのおかげで、ちょっと苦労もあったけれど、それ以上に大きなものを見つけられた。もっと大切なことがわかった。それは、助け合う人と人、生き物と生き物の繋がりです。

だから、毎日コウジさんが爆発したり(するんです)、怒鳴ったり(うるさいですよ。犬猫もびっくりしますが、慣れて冷やかに見守ってくれています)、まるで子供のようになったり(相変わらず娘のワッチの食べ物を欲しがって食べてしまいます)、人や生き物に迷惑なことをしたり(それもします。昨夜も猫のハルやを抱きしめすぎて、嫌がったハルやチーが逃げる時にコウジさんを蹴ると、カッとしてハルやチーを追いかけてぶとうとしましたし、ハルは逃げる時にテーブルの角に、頭をしたたかぶつけてしまいました。また、歩いているウメのお尻を、面白がって蹴飛ばすのです。私とワッチにこっぴどく叱られてもニヤニヤしているだけです)、同じことを何度も聞いたり(30分に4、5回同じ質問をします)して、ほとほと嫌になりますが、これからも家族仲よく一緒に暮らしていくつもりです。嫌なこともいいことも一緒に。それが家族でしょうから。色々なことをひっくるめて、ようやく豊かな人生になると思いますから。

コウジさんがコウジさんになって、もう13年目です。きっと私はコウジさんに慣れてしまっているのでしょう、以前は怒ったり「これは大問題だ」と思えたことに鈍感になり、そんなに、天地がひっくり返るほどの大ごととは思わなくなりました。前は思っていたんです。慣れることは怖いことでもあり、いいことでもあります。コウジさんの障害を見過ごすことなく、トラブル予防や対応の目はしっかり持ち続けることも必要ですね。普段は意識していませんから、そんなに大変ではありませんが、いざという時にその目が役立つよう、どこかで覚醒しておく必要があるでしょう。大先輩の方々は、もうそんな境地にはとっくに達されていると思いますよ。

話を最初に戻して、今、1人1人ご自分の生活の場で、無理解な周りと必死に戦って、時には孤独になったりパワーダウンしたり鬱っぽくなったりしている方は、沢山いらっしゃると思います。でも、日本中、世界中にも同じような仲間は、実は沢山いるということを忘れないでもらいたいです。1人では苦しくつらいけれど、仲間と繋がればほっと気が楽になります。また、支えてくれる人と出会えれば、道は開けて行きます。この「同じ経験をしている人」「支えてくれる人」を見つけると、それらが私たち当事者・家族には大きな力となって、羽ばたいていけます。

毎日ウメの散歩をしながら、ツマグロヒョウモンの幼虫の、黒とオレンジの体を探している私は、このツマグロヒョウモンの幼虫が私たちのように思えます。この幼虫を知らない人は、「まあ、なに、この虫は?」とせっかくありついたスミレ科植物からつまみあげ、ポイッと捨てたり、ひどい人は殺してしまうこともあります。私は何度もそうなった哀れな幼虫を見てきて、その都度心が死にました。命あるものを殺す人はもってのほかですが、捨ててしまうのは、その幼虫がなにかを知らないから、ということも理由の1つです。知ってくれたら、守ってくれるかもしれません。だから私たち当事者・家族は、この障害を世に知らしめるよう努力しなくてはいけません。それが自分のためになるのです。今は毎日余裕がなくてできないかもしれませんが、知らない人に知ってもらうことは、非常に必要なことなんです。知らない人も安穏とされず、色々なことにアンテナを張り巡らしてほしいと思います。それがやがて自分のためになることなのです。

ツマグロヒョウモンの幼虫は、そのうちきれいに輝く金色のボタンのついた黒いさなぎになり(それも素晴らしく美しいです)、やがてオレンジ色の可憐な蝶になって大空に向かって羽ばたいていきます。

「そうなんだ、これは蝶の幼虫なんだ、それならせっかくの命、少しくらいスミレの葉っぱをあげてもいいかしら。」と助けてくれたら(サポートしてくれたら)、幼虫はせっせと頑張って蝶になって旅立っていけます。幼虫も1人ぽっちです。1人(1匹)でいつも命の危険にさらされながら、懸命に生きています。秋の到来とともに鳴き声が聞こえなくなりつつあるセミも、1匹で羽化の時間(その時間に敵から攻撃されたらアウトです)を命がけで過ごし、やがて立派な羽で独り立ちしていきます。生き物はみな同じ、1人、1匹です。自分の力だけでは足りず、支えや見守りや運があって、初めて自分の生をまっとうできるのではないでしょうか。

「支えてくれる人」「見守ってくれる人」を見つけて下さい。
そして、「支える人」「見守る人」にもなって下さい。
それが、大事です。