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今日の夕方、高円寺で開かれていた小西修さんの写真展へ行ってきました。
小西さんにもお会いすることができましたので、了解を得て写真を載せます。(カッコイイですね~!)

小西さんの横に写っているのは、来年のカレンダーです。そのうち小西さんのHPでお求めになれると思いますが、1部1600円の売上の100%が、多摩川でやっと生き永らえている犬猫の救済基金になるそうです。(ぜひ、ご協力を!)

以下、帰宅後小西さんへ送った感想の一部ですが、こう感じました。
「小西さんの写真は猫を写しているようでいて、実は人間の醜さ、身勝手さを写しているので、半分たくましく生きる猫への敬意を感じ、半分醜い人間への怒りを感じます。
同じ人間として猫に申し訳ない思いでいっぱいになりますので、写真を一瞬直視できなくなりますが、(えい!現実を見なければ!)(もういないかもしれない、あるいはいないことがわかっている彼ら彼女らがたしかに生きていた証として、私の目に焼き付けたい。)という思いで1枚1枚見つめました。」

多摩川で必死に生きている尊い命を持つ猫たち(犬もいます)を、まず捨てる人間がいるということ。次にそういう不遇な猫たちを虐待して怪我させたり殺したりする人間がいるということ。多摩川の猫たちは、人間の持つ醜さ、愚かさを教えています。

そういう人間とは反対に、小西さんご夫妻のように、毎日寝る間も惜しんで猫たちの世話をされている神様のような人間もいる、というのが素晴らしいことです。けれど30年近くもこのような活動をされているのに、同じように継続して活動できる方はいないようです(私もとてもじゃありませんが、できません)。その理由は、虐待する人たちとの軋轢で多くの善意のボランテイアの方たちは、神経をすり減らしてしまうからだそうです。ですから、こういう活動を続けるには、なるべく傷つかないよう、自分を鈍感にする術が必要なのだそうです(それでもやはり、当然ながら傷つくそうです)。

また、虐待している人にやんわりと注意することが大事で、こちらも逆切れしてしまうと、そういう虐待する人の矛先は、やはり弱い猫たちに向けられるそうなんです。(本当にどこまで腐った人たちなんだろう!あるいは、精神が非常に病んでいる人でもある。)そういう人たちの心を入れ替えてもらえるには?虐待しないようにしてもらうためには?簡単には解決しない問題ですが、解決しないといつまでも可哀想な犬猫たちは救われません。

それに、このような活動にはお金がかかりますし(餌代、治療代ほか)、体力だって必要です。小西さんご夫妻だって、100歳まではできませんし、誰かが継続していかなくてはなりません。そういう人が、30年出てこないというのは、やはり小西ご夫妻は、本当に稀有な存在なのです。

買ってきたカレンダーを早速見ているコウジさんに、「どうしたらいいのだろうねえ。」と聞きました。コウジさんは高次脳機能障害ですが、最近時々すごく冴えた答えをします。高次脳機能障害が改善してきて、以前のコウジさんの頼りになる部分が復活してきたのかもしれません。

コウジさんは、「運に任せるしかないよ。」と答えました。「また小西さん夫妻のような人が出てくるのは、運だよ。」と。「そうかあ・・・神様は、小西さん夫妻に白羽の矢を立てたように、いつかはほかの人に狙いを定め、その人が出てくるのね。それは運なのね。」と、私は心細い話だ、と思いながらも、その話には真理があるように思いました。

あるいは、小西ご夫妻の2人分の働きを、100人くらいで分担すれば、継続できるかもしれない、という私の考えもあります。そのためには、活動を組織化しないとなりませんが。
どうしたものか、これからも考えて行きたいと思います。

尚、写真展は明日まで、高円寺から徒歩4分の、「ギャラリー・来舎」(杉並区高円寺北2-37-5)でやっています。時間は14時~18時です。

ところで今日の私は、写真展と午前の囲碁教室へ行った以外は、冴えない日だったんです。(いつも冴えていませんが、今日は特に。)

まず、家でコンタクトレンズを洗っていたら、いきなり「ピンポーン」と誰かが来ました。コンタクトレンズを持ったまま、「はあい?」と窓越しに顔を出しますと、1人のおじさんがいて、「研ぎ屋ですが、御用ありますか?」と聞きます。色々な人が来ますが、包丁を研ぐ人が御用聞きに来るのは、珍しい。でも急いでいたので、「ないです。」と断り、また洗面所へ戻ってコンタクトレンズを再び洗い始めたら、中断されて集中力が疎かになっていたせいと急いでいたせいで、レンズを流してしまいました。あ~・・・
ショックでしたが、もう作って1年は経っているので、新しく替え時かもしれません。月曜日に眼科へ行くことにし、とりあえず古いレンズがあったのを装着して出かけました。あんまり良いことではないのですが。

小西さんの写真展は、「高円寺」なんです。けれどなぜか私は「高井戸」だと思い込んでいました。高井戸は井の頭線ですが、東横線渋谷駅から井の頭線は、東横線が工事で地下5階に潜って以来、すごく歩くようになったんです。それで延々と歩き、やっと井の頭線に乗って座ってホッとした途端、急に自分は高円寺と高井戸を混同しているのではないか?という嫌~な気持ちが湧いてきたのです。バッグから案内状を取り出して確認すると、やはり「高円寺」とあります。しかし電車の中の路線図を見上げて見ても、「高円寺」という駅名はありません。午前の囲碁教室で頭を既に沢山使ってしまったので、全然頭が回らなくなってキョロキョロと挙動不審になっていた私を、隣で本を読んでいたおじさんはちら、ちら、と見ていました。そのおじさんに、思い切って話しかけました。「すみません。この電車は、高円寺は行きませんか?」と。

おじさんは本から顔を上げると、「え?高円寺?行きませんよ。」と驚いたように答えてくれます。私が焦った顔をしていたのでしょう、「高円寺ならこのまま吉祥寺へ行って乗り換えもできますが、ほら、今ここで(下北沢駅でした)降りて、小田急に乗り換えて新宿まで行って中央線に乗るといいですよ。」と、瞬時に的確なアドバイスをくれました。その凄さに感動しながらも私は飛びあがるとお礼を言い、すぐ電車を降りました。

下北沢駅で小田急線に乗り換えるのもかなり歩きましたし、新宿から中央線快速に乗ったのに、休日は高円寺を飛ばすというアナウンスがあって仕方なく中野で各停に乗り換えましたし、その各駅電車もホームが離れていてわかりづらくて探すのに苦労しましたし、最初に高円寺と高井戸を間違えた自分を呪いながら歩きました。
私はもっと年を取ったら、電車に間違えることなく乗れる自信がなくなりました。電車に乗るという行動も、センスや適性が必要なのではないでしょうか?年取ったら車の運転も危なくなるし、電車も自信ないとなると、歩き回れる近所くらいしか、行動できなくなりそう。とすると、もっと年を取ったら、それこそなるべく便利なところにいた方がいいだろうなあ・・・。

でも、初めて降りた高円寺の町は、とても活気があって住み易く楽しそうな町でしたよ。おまけに私の家の近くではまだ売っていないパンジーが売っていたので、葉っぱが沢山ついた美味しそうな?鉢を3つ買いました。ツマグロヒョウモンの幼虫たちが喜ぶぞ~。明日から、もっとレスキューできるよう、ウメの散歩の時には目を皿のようにして歩こう、と思いました。

最後に、コンタクトレンズの話が出てきたので余談になりますが、最近特に目が見えづらくて困っています。元々ド近眼でしたが、コンタクトレンズや老眼近眼両用メガネでも、近くのもの、手元のものが焦点が合いません。裸眼で目をくっつけて見るのが、一番見えます。
宅急便を送ろうとすると、郵便番号を記入する欄がよく見えません。7つの枠がありますが、薄い印字なのと枠がくっついているので、その枠に1つ1つ数字を入れるなんて芸当が、できなくなりました。なので、適当に書くものですから、きっと枠をまたいで書いていると思います。

今日のお昼くらいにも、駅でワッチの通学定期の継続をしてきたんですが(クレジット決済なので、私が購入)、申請用紙に書いてある小さな字が見えないんです。多分こんなことが書いてあるのだろう、と推測して適当に記入しましたが、これはなんとかしないと、実に不便です。これも老眼なのでしょうか。老眼の人は、皆さんこんなに不便なのでしょうか。老眼用のコンタクトレンズってあるのかしら、とにかく月曜日は眼科受診に決まりました。

ではまた。