日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2011年03月

 びっくりしました。

 ここへきて急にアメリカ、フランスを始め、世界各国から支援の手がこんなに差し伸べられてきたとは。

 日本はちゃんと大きな声で、 「助けて! 」 と世界に叫んでいないから、助けてもらえないのだ、という思いもありました。

 今までも、海外からの支援の申し出を、何回か断った、といいますし。

 一昨日のブログで、「世界が助けてくれないかな。」 と言ったばかりですが、皆さん準備してくれていたのですね。

 サルコジ仏大統領の話を聞いていて、(そうか。)、と思ったのは、電力の8割を原子力で賄うフランスにしろ、2割のアメリカにしろ、原子力を推進する国々は、福島原発により 「原発は危険だ」 という認識が、自国や世界に広まってしまうことを、危惧する気持ちがあるから余計、事態収束の為の援助をするのだろう、ということ。

 けれど、この際理由はどうあれ、とにかく助けてもらわないと。

 また、福島原発、ひいては今回の大地震が、世界を1つにまとめ、争うのではなく、助け合うことの大切さを再認識するきっかけとなれたら、素晴らしいです。

 ワッチがせっかくウメをお風呂に入れてくれたのに、散歩に出ると雨。(帰ってくるとまた晴れ。) ウメは泥だらけ。

 2週間前には、外から戻る度に、髪や服を神経質に濡れタオルで拭いていた私も、段々放射能対策に飽きてきて、今はもう何もしていません。

 だって、もし私だけ助かっても、周りが皆いなくなっていたら、生きていても面白くないですからね。

 周りとの関わりがない人生なんて、意味も価値もないです。

 東京が放射能汚染に侵されるなら、それも運命と思って、受け入れるしかない、という悟りに落ち着きました。

 ただ、ワッチはまだ14歳なので、せめて50歳までは生きて欲しいですね。

 50歳になれば、人生が大体わかるでしょうから。

 孔子も、「五十にして天命を知る」、つまり 「五十歳で天がわたしに与えた使命がわかった。」、と言っていますね。

 ではまた明日。

 この投稿で、200回目でした。 (一応、ご報告。)

 ワッチが春休みで、ずっと家にいて私にくっついているため、なんだか調子が狂います。

 朝昼夜の食事世話に、おしゃべりの相手をし (ワッチは、すごいおしゃべりなんです。)、ウメの散歩をしたら、もう1日が終わっちゃいます。

 しかも、ウメが1時間半も私を引っ張り回すので、困ってます。

 最近の私は、散歩へ行く前から既に 「共感疲労」で疲れているので、力がなくて、強いウメを引っ張れないんです。

 それでも、今日できたことは、2ヶ月前に頂いていたお手紙に、やっとお返事が書けたこと。 ああ、良かった。(あと6人の方に書かないと・・・。)

 そのほかにも、東京障害者職業センターの担当者の方と電話したり、脳外傷団体の代表の方とメールし合ったり。

 ところでどうせ福島原発が廃炉になるなら、セメントで早く固めた方がいいのでは、と思うのですが、NHKの水野解説員は 「時間がかかるし、ひび割れる。」 、と言ってました(最近、この落ち着いて見解を述べる、水野さんのファンです)。

 特殊な布をかける案が出ているようですが、一向に収束が見えず、本当に毎日心休まらない思いです。

 私が疲れていると、コウジさんが肩をトントン叩いたり、揉んだりしてくれました。

 「ああ、今日で1番幸せな時間だわ?。」 と思わず言うと、更に一所懸命揉んでくれ、おかげですさんだ気持ちが、穏やかになりました。 ?有り難う、コウジさん。

 ?疲れているのは、いつも午前1時2時まで起きているのがいけないのでしょう。

 明日からもう少し早く寝ようと思います。

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 まだまだ東北は寒いので、送るのは当然、冬物衣料にしました。

 「被災された方が欲しいもの」 というカメトメさんのご忠告は尤もで、且つとても大切なご指摘だと考え、被災者の気持ちになって、送るものを慎重に選びました。

 被災地で疲弊されている方が、余計がっかりしたり、嫌な気持ちにならないよう、まだタグがついている新品や、タグはとったものの着ていない、未使用品を集めましたが、結構な数ありましたよ。

 ワッチに買ってあげた、女の子っぽい服2着も、1度も着てくれないので、「送っていい?」 と聞くと、「いいよ?。」 と、同じ服を着たきりすずめの、ワッチの返事。

 被災地で、どこかの女の子が着て、笑ってくれたらいいな。

 でもネットで知ったのは、ユニクロやH&Mという会社が、各10万枚、衣服を送ったということ。

 そうか?、そんなに送ってくれたなら、私が送るこの服達は、いらないかな。(それにしても、偉い会社だな。)

 けれども埼玉のその会社 (日本リ・ファッション協会) は、送らない場合はチャリティー販売して、義援金にしてくれるそうなので、なんらかの役にはたつでしょう。

 また、現地と連絡取りながら、その時々に変わる必要品を選んで供給する、というところがいいです。

 テレビでは、支援物資が配られずに、山積みになっている映像が写りますが、「4月いっぱいは、余ることはない。」、という同社の推測です。

 春夏物も、順次送りたいな。

 さて、今朝の朝日新聞で、「日常ってすごく幸せ」 と言う、幼い娘2人を両腕に抱く女性の言葉に、目が釘付けになりました。

 この母娘は、津波に頭まで水没しながらも、奇跡的に助かりました。

 命があることに感謝しているその姿に、コウジさんが瀕死状態から、生還した時のことを思い出しました。

 元通りになったわけではないけれど、命が残ったことへの感謝は、日々しています。

 障害が日常となった今もやはり、「日常はすごく幸せ」 なんだ、と私も思います。

 そのことは、その日常を失いそうになったからこそ、よりわかるのですが、慣れてくると、また知らず知らずのうちに驕りが出てきます。

 「命があること」 だけで恵まれている、そのスタンスを忘れなければ、どんなにつらいことも乗り越えていけるのでは、と改めて思いました。

 今日はテレビを見る暇がなく、夜ニュースをつけて初めて、福島原発の状況が、益々深刻化していることを知りました。

 毎日新しく入ってくるのは、悪い情報ばかりですので、きっと現場は、相当大変なことになっているだろうことは、想像できます。

 けれど私たち一般市民は、なすすべもなく、ただ事の推移を見守るだけで、実際、難問に立ち向かわれるのは、特別な専門知識と技術を持つ方々。

 申し訳なさと同時に、もどかしさも感じます。

 私が思うに、もし日本が総力傾けても、解決できる見込みがないのだとしたら、諸外国がもっと積極的に介入してきてくれないかしらん。

 たしか最近の新聞で、福島から8千キロ離れたカリフォルニアでも、放射性物質が検出された、とありました。

 「対岸の火事」ではなく、自分にも大いに関係することとして、もっともっと世界中の国が、積極的に救援してくれないかな、と思います。 (ある程度してはくれているのでしょうけど・・・。)

 脅すわけではないのですが、事故を起こした当事国が、解決に懸命になるのは当然ですが、他国に迷惑をかけて申し訳ないと思いつつも、同じ地球に住む人間として、他人事ではないのですから。 (・・・他人事でない、というのは、高次脳機能障害と同じですね。)

 ところで、私は23時頃、非常に疲れを感じてうとうとしてしまい、とうとうブログ投稿が今日 (昨日) 中に間に合いませんでした。 ごめんなさい。

 思えば午前中は、提出する直前にもう一度、雑誌原稿を校正して頭が疲労。 メールでそれを送るとすぐ、段ボールを集めにスーパーへ走りました。

 昼食後は、今日に限ってやけに私の言うことを聞かないウメにに、グイグイ引っ張り回されて散歩。? ふらふらになって帰宅したあとは、犬猫里親探し団体や、家族会代表とメールし合って、早めに夜ご飯を作ると、用事のためワッチの学校へ出かけました。

 夜ご飯を食べたあとは、ワッチとずっとおしゃべり (コウジさんはこたつで寝てる。)、食器を洗って入浴したら、もうへとへとでしたので、仕方ないです。

 さて、集めてきた段ボールは、大きなものが3つ。

 とりあえずこれに、明日衣服を詰めて、被災地へ送ろうと思います。

 コメント下さったカメトメ様が仰るように、阪神大震災の時は、全国から寄せられた服が余ったそうですから、一旦、とある会社へ送り、被災地向けとリサイクル向けに、仕分けしてもらおうと思います。

 でも、阪神大震災の時より規模が格段に大きく、また、津波というものに家財を根こそぎ持っていかれた今回の災害においては、同じように衣服が余るとは、一概に言えないかも知れません。

 とりあえず、新品やきれいな古着を選んで、送りますよ。

 何もしないよりは、何かしたい、と思うのです。

 今、被災地の方々と、被災地以外の私達は、分かち合いを実践すべき時です。

 被災地の様子を見ていて、「何が必要か」 を考えると、まずは 「食料」。 次は 「住居」。 そしてその次に来るのは、衣食住の残りの一つ、「衣」、つまり衣服だと考えました。

 「食」 は、運搬がうまくいっていないものの、政府や企業からもどんどん供給されていますし、「住」 は、仮設住宅建設が始まったり、震災孤児 (と呼ぶらしいです。) については、児童施設が受け入れることを、検討しているとか。

 里親も良いけれど、たしかに同じ境遇の子供を集めた方が、友達ができて良いかも知れません。 難しい問題ではありますが。

?で、「衣」 ですが、テレビを見ていても、「着の身着のままで逃げてきたから、服がない。」 と困っている人たちが沢山います。

 服なら、安い服しかありませんが、うちにはいっぱいあります!

 毎日洗っては着ているので、私のうちは皆、たった2着を着回している状態です。

 私はおしゃれではなく、実用性重視なので、いつも忍者のようないでたち。

 絵を描いて汚れても目立たないように、大体が黒系の上下で、それは1年を通して同じ。 半袖か長袖か、半ズボンか長ズボンかの差だけです。

 けれど、たんすや衣装ケースの中には、いつか着るかと思いながら、肥やしになっている白、柄、カラフルな服が押し込まれています。 こういう服はいらないので、被災地に送りたい!

 私がそうなので、コウジさんもワッチも、2着を日替わりで着ているから、同じく着ない服は被災地へ送れます。

 あと、うちにはやたら食器があるのですが、そのほとんどは使っていません。

 使う食器って、決まってしまうものですよね。? だから、食器も沢山あげられます。

 タオルやシーツなどの布類や、使わない文房具・家具もいっぱいあります。 (最近の断捨離ブームは、我が家の頭上を、掠めていきました。)

 できれば、物だらけで歩くスペースのない我が家の物を、半分にしたいので、新品でなくても送れるものなのか、調べよう。

 助け合いというより、物の分かち合い。

 戦後1番の危機、と菅さんが言ってるくらいですから、失われた物を新しく作って、補充するヒマもないでしょう。

 みんなが、余っている物を被災地へ送るといいですね。

 物が生き返って喜ぶし、被災地の方々も喜びますよね。

 今日も余震があるし、スリーマイルやチェルノブイリと異なり、なかなか収束しない福島原発。 見通しも暗いようです。

 現場の方々は大変で、頭が下がる思いですが、東京に住む私も、まるで綱渡りしているかのようにヒヤヒヤした思いで、毎日神経質に過ごしています。

 コウジさんは、こういう現実を、テレビを見ると思い出す程度で、見なければ小田和正さんか鈴木康博さんのDVDをつけて、ご機嫌で歌ってます。

 「康さんて、東工大だよ!」 って、私が30年前から知ってることを、毎日のように言います。

 最近は私も、「何回も言わないでよ。」 を通り越して、いきなり 「うるさい!」 と怒鳴っています。

 今日は原稿校正の仕事を、半日かけて仕上げました。

 あと、イラスト仕事に手紙書き、その他、やらなきゃいけない事が沢山。

 検診結果を聞きに行ったり、免許証更新にも行かないと。

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