日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2012年05月

 父親が働き盛りで高次脳機能障害になった場合、まだ幼い子供と父親の関係はどんな風になっていくのでしょうか。

 また母親との関係は?

 あるいは子どもが高次脳機能障害になった場合、それ以降の親子関係は?

 また兄弟姉妹とは?

 ほかにも妻が、母が、この障害になった場合、取り巻く家族との関係は?

 

 それぞれの年代、それまでの関係、地域、障害の重さ・・・  それらの状況により一概には言えないにしても、典型的な像というものはあるのではないでしょうか?

 

 どなたかそれをテーマに調査、考察され、論文にまとめて下さらないかなあ?

 それとも、もう既に出ているでしょうか? (私はまだ存じませんが。) (私も今後研究してみたいと思っていますが。)

 

 私が講演先や家族会、そしてこのブログ内で必ず質問されたり相談されたりするのが、この家族の問題です。

 特に我が家と同じく、思春期の子どもと父親との関係が多い。

 

 けれど我が家自体が、試行錯誤の現在進行形のため、お答できていないのですよ。

 私が聞きたいくらいですので。

 

 ワッチが7歳の時コウジさんが倒れ、私がコウジさんにかかりきりになっているうちに、ワッチは15歳になってしまいました。

 

 最近、反抗期なのか、ワッチは爆発することがたびたびあり、私も困って母や友人に相談することもあります。

 

 その結果、やはり今まで通りでいながら、今までよりもう少しワッチのことを考えなくては、と意識的に心がけるようにはしています。

 

 私より10年先を歩まれている先輩のご家庭は、あるお子さんの父親に対する態度は、いまだに冷たいといいます (お母さんを大変な目に遭わせたからと。)

 けれど、ほかのお子さんは、鍼灸師の道を歩まれたとのこと。

 

 また、私と同年代のあるご家庭では、中学生のお子さんは 「将来OT (作業療法士) になる!」、と既に目標を定められているそうです。

 障害者の父親の存在が、子どもの人生に影響しているわけですが、そのお子さんはきっと立派なOTさんになるに違いありません。

 

 ところで、滋賀講演での第2部のディスカッションの時、コーディネーターの中川さんが、面白いクイズを皆に出されました。

 四角を書いて、その中に自分の家族を丸で書いてみて下さい、と言うのです。

 

 例えば我が家の場合、私は四角の真ん中に大きめの丸を書き、それは私。 そのそばにちょっと小さめの丸を書いて、それはコウジさん。 その反対側に、ちょっと離れてさらにもう少し小さめの丸を書いたら、それがワッチ。 そのほかにおはぎちゃんとウメの丸も。 両親と義母の丸も四角の中に。

 

 まあ、私の場合はそんな感じですが、これが私の、今の自分の中の家族のイメージなんだそうです。

 

 コウジさんは私が庇護する存在としてそばに。 ワッチには、私やコウジさんの影響を受けずに (今さらそれは無理?) のびのびと生きてほしいので、ちょっと私とコウジさんから離したわけ。

 

 人によっては、義父母の丸を四角の中どころか、外に書いたり、子どもの丸を自分の丸の中に書いたりすることもあるそうです。

 

 その絵を書いてみることは、改めて家族のあり方を考え直す機会になり、場合によっては、今後の自分の姿勢や意識を変える必要を感じることになるかもしれません。

 

 コウジさんとワッチにも、今からやってもらって、結果は明日お知らせしますね。

 

 ではまた続きは、明日に。

 27日の講演会の日は、汗ばむくらいの陽気でした。

 県内外から沢山の方が来て下さいましたが、ブログにコメント下さる 「しろいぬ」 さんや 「ジンベイ」 さん、「ポケママ」 さん、「福井の母がこうじ中」 さんとも、実際にお会いできたことが嬉しかったです。 皆様遠いのに、有り難うございました。

 

 県外と申しますと、10月13日の奈良からと、20日の和歌山 (予定)からも、講演会の担当者の方々がはるばるいらして下さったので、恐縮しました。

 

 今回は質疑応答込みのディスカッションが1時間ありましたので、会場の皆様とゆっくりお話できたように思います。

 

 会場から出されたご質問やご意見は、例えば 「コウジさんは、昔は経営コンサルタントや社長だったのに、今している(障害者枠の) 仕事を、どうとらえているか?」 ですとか、 お子さんが交通事故で高次脳機能障害になられて25年の方からは、「(支える) 親をこそ支援してほしい。」、という切実な訴えもありました。

 

 コウジさんは、くも膜下出血になるまでは、野心が旺盛で、そばで見ている私まで疲れるほどでした。

 

 けれど、血管が破裂した今は、その野心という呪縛から解かれたのでしょう、与えられた状況を肯定し、粛々と義務を全うすることに満足、喜びを感じているように見えます。

 

 本人も、仕事内容に関わらず、「会社の役にたっていること、社会と繋がっているという認識が嬉しい。」、と申しております。 さらには、「経営コンサルタントは面白いけれど大変だったので、もうやりたいとは思わない。」、「一度なりたかった社長にもなれたから、もう満足。 社長は大変だ。」 とも申しております。

 

 コウジさんの心の中は、かくして平穏で、だからいつもご機嫌なようです。

 

 ところで今ワッチは中間テストなんですが、コウジさんは、「頭のリハビリになるから」 と、英語や数学をワッチに教えてくれています。

 コウジさんとワッチは、基本的には仲が良いんですよ。

 

 ディスカッションでは、高次脳機能障害者のいる家庭の、家族関係について、少し話が進められましたが、それについては、また明日に。

 滋賀県立むれやま荘の見学のあと、そこの一室で、家族会の脳外傷友の会 「しが」 の会員の何人かの方々との、座談会の場を設けて頂きました。

  私のわがままな要望に応えて企画下さった、高次脳機能障害者支援センターの皆様、またせっかくの休日を使い、はるばる遠方からお集まり頂いた会員の皆様、本当に有り難うございました。 改めて御礼申し上げます。

 

 脳外傷友の会 「しが」 は、2001年設立という古さだそうです。

 名前にこそ 「脳外傷」 がついていますが、ほかの家族会同様、会員には脳血管障害の方も含まれています。 現に、その場にいらした方々は、原因が交通事故と脳出血が半々でした。 後遺症の症状は共通ですから、社会にこの障害者に対する理解と支援を求める同じ目的を持つ団体として、その障害となった原因によって垣根を作る必要はありません。

 

 そこでは主に就労についての話になり、コウジさんのように障害者枠で就労できているのは恵まれている、そんな人は一握りしかいない、という意見も出ました。

 

 たしかにまだまだ、高次脳機能障害者の就労は厳しい状況で、滋賀だけの話ではなく、世田谷区の家族会でも、就労できているコウジさんは 「希望の星」 と言われています。

 

 講演でも申しましたが、コウジさんが就労できて、尚且つ今も就労し続けていられる理由は色々考えられます。

 

 採用を決めて下さった人事担当者に 「お人柄で決めました。」 と言われた、人柄の良さ (とても温厚で素直です ← そこが良くて結婚しました)。 人事担当者の考え方。 東京障害者職業センター担当者の、並々ならぬ熱意。 タイミング。 パソコンや事務能力など、病気になる前にある程度備わっていた力 (障害でそれらは阻害されたとはいえ)・・・。

 

 けれど何よりも一番大事で偉いな、と私が思っている要素は、コウジさんが嫌がらずに謙虚に真面目に、仕事に向き合っている姿勢ではないか、ということです。

 

 もちろんそれだけでは仕事は続けられず、周囲の方々による支えがあってこそなのですが、この点が、就労を左右する、といっても過言ではないかも知れません。

 

 「こんな仕事嫌だ」 「やってられるか」 「やめてやる」、そう言って、せっかく得た仕事をやめてしまわれる方も多いと聞きます。

 

 そうしますと、「高次脳機能障害者は雇いづらい、続かない」、というイメージが雇用者側に強まってしまい、余計雇用に躊躇されてしまうことにも繋がりますので、良いことではありません。

 

 コウジさんは幸い、真面目に休まず勤務しているので、今有休は40日以上残っています。 6月に何日か消えてしまうので、消化しないと勿体ないので、1日くらい、どこかで休むかもしれませんけど (笑)。

 

 話が横道にそれました。

 とにかく、就労できているコウジさんが、「高次脳機能障害を持っていても、きちんと仕事をこなして会社の役に立つことができる」 ことを、この先も身をもって証明していくことは、就労者に与えられた使命と思って、頑張ってほしいと思っています。

 

 高次脳機能障害者の雇用が、これから益々進んでいくことを願ってやみません。

 

 とりあえず今日はこのへんで。

 さて、昨日の続きですが、見学してみて、県立 「むれやま荘」の広さと、そのバラエティーに富んだ機能に、驚き、感動しました。

 

 (この 「むれやま荘」 内に、滋賀県の 「高次脳機能障害支援センター」 が入っています。)

 

 

 まず 「医学的リハビリテーション」 として、OT室、PT室、ST室のほか、単身生活訓練室 (ADL室) があったのですが、それらは皆、ゆったりした、窓の大きな明るい部屋で、気持ち良い空間です。

 

 ボランティアさんの控え室内には、模擬運転訓練をすることによって、運転適性が検査できる機械がありました。 これを受けて、「ああ、やっぱり運転は難しいな。」 と本人が気づいて納得できることもあるそうです。

 

 

 「就労移行支援」 としてパソコン室 (指導員1名。 滋賀県障害者技能協議大会の、ワードプロセッサ部門の賞状が、沢山飾られていました。) のほか、縫製室、軽作業室 (工賃ももらえるそうです。)、木工室、クラフト室もあり、卒業したOBが教えに来てくれるそう。 学習室もありましたし、お料理をする場もありました。

 

 

 「社会的リハビリテーション」 として、グループワーク発表会、組み紐・絵手紙・日舞・音楽 (カラオケ) ・マジックなどの趣味活動や、体育祭や芋掘り (小さいけれど、畑があるそうです。)、バーベキュー大会があったり、近くの滋賀医大から学生の管弦楽団が来て演奏してくれ、そのあとデザートを皆で楽しんだりするそうです。

 

 

 隣接する障害者福祉センターにあるプールで、泳ぐこともできるそうです (一般の人も)。

 

 

 生活棟は入り口まで行きましたが、通所ではなく入所 (通うのが不便なため) されている方々の部屋、医務室、娯楽室、洗濯室、食堂があるそうです。

 

 

 以上は、私がメモしたものですが、それ以外の支援や活動など、関心を持たれた方は、どうぞ「むれやま荘」 のホームページをご覧下さい。

 

 

 それにしましても、医学的リハビリ・社会的リハビリ・就労支援・入所・診療所など、こんなに何でも揃っている施設って、ほかにないのではないでしょうか。 少なくとも今まで私が訪れたところには、ありませんでした (ですから、私はとても興奮しています)。

 

 

 「むれやま荘」 の生活訓練のプログラムとして、一昨年から月に一度、家族相談会も開かれているそうです (臨床心理士さんに入ってもらっているとのこと)。

 

 やはり、さすが県立、ということなのでしょうね。 大変勉強になりました。

 

 ということで、今日は 「むれやま荘」 のご紹介でした。

 

 

 東京は天気が不安定な1日で、またしても家から一番遠いところを散歩していた時に、ゲリラ豪雨のような大雨に降られました。

 

 傘もなく、走るのが遅いウメを引きずりながら、ずぶ濡れで帰ってきました。

 

 明日も同じような天気だそうなので、明日こそはタイミングを見計らって、濡れずに散歩を完遂しよう、と気合いを入れています。

滋賀から、夜9時前に戻りました。

滋賀は、湖や山など自然が豊富で、良いところでしたよ。

 

ワッチを本当は、自然に囲まれたところで、のびのびと育てたかったのですが、ずっとゴミゴミ密集した住宅街暮らしなので、残念ですし、ワッチもそうだったら良かったのに、と文句を言ってます。

 

私自身は、当時はまだ開発されていない、横浜市の南区で育ちましたから、ゲンゴロウやクワガタが身近な生活でした。

ワッチよ、あなたは成人してから、自然体験をしてね。

 

車で琵琶湖のそばを少し通りかかったのですが、巨大でした。

滋賀県の南西に位置する草津市からは、それでも琵琶湖のしっぽの部分しか見えず、本体 ? はもっと広いので、いつかは全部見てみたいです。

 

琵琶湖が真ん中にあるため、滋賀は7つの地域に別れているそうです。

 

私は琵琶湖は初めて見たのですが、来る前は、湖の周りに立ち並ぶビルや住宅を想像していました。

それが、何にもない。

 

本当に何にもなくて、江戸時代やもっと昔からずっと変わらずに、葦が湖の周りを覆い、漁師の船がちらほら浮かぶ風景なのかな〜、と日本の原風景を見たようで、ちょっと感動してしまった私なのでした。(あとで調べましたら、「葦」は「悪し」を連想させるので、ヨシと呼ばれるのが一般的だそう。 また、琵琶湖のヨシは、それでも激減したため、現在は保護しているのだそうです。)

 

滋賀県の高次脳機能障害支援拠点である 「むれやま荘」 は、山奥 ? にありました。 その建物は、まるで避暑地の軽井沢さながらに、緑深い中にある別荘のようでした。

でも、「むれやま荘」 についての話は、明日書きます。

 

家の中がやはり散らかっていましたので、今から片付けなくちゃ。

コウジさんは、「ママちゃんいなかったから、大変だった〜。」 と帰ってきた私に喜んでいます。

ウメ・おはぎ・ワッチの世話、お疲れ様でした。有り難う。

↑このページのトップヘ