日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2013年03月

東京の桜の見頃も、今週末が最後ですね。 というより、日曜日は雨らしいので、明日土曜日が見納めかな。

 

今日のウメの散歩は2回とも、桜吹雪舞う中できれいでしたよ (でもウメがすごく歩くので疲れました。 春は犬も楽しい気分なのかしら) 。

 

それにしても、どこもかしこも人・人・人・・・ 桜が咲く頃はやはり、どこも人で溢れていますね。

桜に誘われ、普段あまり出歩かない人も出てきますし、桜にかこつけて人が会ったり集まったり。 桜には、すごい力がありますね。

 

ところで昨日は、パーキンソン病の父の病院同行 (父はふらふらしますし、うまく歩けないので危ない。)、明日は叔父が我が家に来ます。

 

叔父は我が家の近くの桜を見に来がてら、大好きなウメに会いに来るのです。

 

そこで、毎年同じメニューですが、タケノコご飯と筑前煮にお吸い物を用意します。  そして今、筑前煮だけ先に作ったところ。 美味しそ〜。 早く明日になって食べたいわ (笑)。

 

ワッチが春休みの間はずっと家にいて、3食の世話もあるので、何かと忙しくて私の用事が捗りませぬ。

 

乳ガン検診は異常なしでしたが、まだ子宮 (頸・体) ガン検診の結果を聞きに行けていません。

 

桜は毎年花を見事に咲かせては、潔くすぐ散るので、咲いている時から切なさを感じてしまいます。

 

明日は、多分1万歩どころじゃきかない長距離を歩くので、気合いを入れておかなくては。

 

去年までは父も一緒に歩いていたんですが。  また歩けるようになればいいな・・・

 

春はなんとなく落ち着かず、私の文もあちこちにいって落ち着かないですね。 ごめんなさい。  こんな感じで、最近は毎日落ち着かず過ごしています。 落ち着かねば。

昨日24日は、西荻窪で 「高次脳機能障害者と家族の会」 主催の座談会があったので行ってきました。

 

(会場で、会員でなくても参加できたということを聞いてがっかり。 ブログで大々的にお知らせしたかったです。 でも定員60名の小さな部屋でしたので、結構いっぱいでした。)

 

会としても初めての試みだという座談会のテーマはずばり、「子どもの立場、きょうだいの立場」。

要するに親やきょうだいが高次脳機能障害者になった場合の子どものケアについて、経験者の方々から公開座談会の形でお話を伺ったのです。

 

発表された経験者の方々は全部で5名。 うち2名は弟さん、お兄さんが障害者になった 「きょうだい組」。 ほかの3名はお父さんが障害者になった 「子ども組」 でした。

 

「きょうだい組」 のaさんは、弟さんがくも膜下出血により障害を負ったのが20年前の大学生の時。 今弟さんは結婚も就職 (障害者枠) もされ、1人で海外旅行もできるほどまでに回復されました。 「1人で旅行させるのはリスクがあるけれど、それだけの見返りがある」、とaさんは考えています。

 

同じくbさんは、7年前にお兄さんがスキー場での事故により障害者に。 看病のため自分の仕事を辞め、マッサージや自己流の気功など、良さそうなことはなんでもやってきたそう。

 

今は、「今後何かあった時に本人がどういう決断をするかをサポートしたい」、と考えているそうです。 「兄と距離を持ちつつ、自分の生活を構築したい」、と。  「でも誰かに半年に1度でいいから、話を聞いてもらうことが大切だ」、と考えるそうです。

 

「子ども組」 のcさんは、2年前にお父さんが脳出血で倒れ障害者に。 「父がモデルになると考えて看護士の道を選んだ」、という前向きな方。

 

大変さをわかってくれる友人もいたけれど、あまり周りに話すのは恥ずかしくてネットで検索、この家族会を知ったそうです。 「溜まっていたので家族会の人達の前で号泣した」、とのこと。 この時「やはり話を聞いてくれる人がいることが大切だ」、と思ったそう。「同じ経験をしないとわからないことがある」、と。 「このまま父の面倒をずっとみてもいい」、と思っているそうです。

 

同じくdさんは、18年前にお父さんが脳出血から障害者に。 自分は当時11歳だったけれど、元々父とはそんなに仲良くなかったし (笑)、母からの話で 「ダメな父がもっとダメになったな」 と思ったそう。 祖母が父のことを 「可哀想」 と言うのを聞いて、「可哀想な父の娘である自分は、きっともっと可哀想なんだ」 という被害者意識を抱き、余計父から遠ざかったと。 (話しながら涙。)

 

「ほかのきょうだいは遊びやバイトに忙しく、今も現実から目を背けていると感じるし、自分は父を渋々受け入れながらも、許せていないし乗り越えられていない」、と。

 

「心を閉ざしてしまい、親しい友人がいない」、「今は母が父より先に逝くのでは? と心配」、「先の見通しがたたないので近い将来だけを見て生きている」 ・・・ そうです。

 

そう言いながらもdさんは、「父の老化をいかに食い止めるかが課題」 と言い、両親と同居してくれる相手を見つけて結婚されたとのこと。 複雑な娘心に深く考えさせられました。

 

同じくeさんのお父さんは、16年前にくも膜下出血で障害を負われました。 eさんはまだ4歳だったのでほとんど覚えていないそうで、「お母さんが働きに出だしたので家にひとりでいて寂しかった」とのこと。

 

お父さんは今は家事も日常のこともできるけど、「62歳で加齢のためか感情失禁が進んでいるように見える」そう。 「あまり期待しないけど、自発的なことは周りの支援や本人の努力次第でできる」、と思うそう。

 

「今大学生の自分がすべきことは、就職して家にお金を持ってくることだと思っている」 (聞いていたお母様は涙)、と。 「母がしっかりしていて母に頼ってきた、自分はあまり向き合ってこなかった」、と。 「こういう機会で他の人、同世代と話せて良かった」とのこと。

 

ワッチはちょうどdさんとeさんの間の、7歳の時に父が倒れました。 ワッチはまだこういう場に出てきて話せる感じではありませんが、子どもの気持ちに親としてどうフォローしたらいいか、お恥ずかしながら私はまだわかっていません。

わからないまま、夢中でここまで来てしまっています。

 

今回の座談会のように、子どもの気持ち・きょうだいの気持ちというものを早急に考えて何か然るべき対策をとる必要を感じますが、皆さんの家はどんな感じですか?

 

また、aさんからeさんまで皆さん口をそろえて仰っていたのが、「ネットなどで相談できる信用できる窓口が欲しい」ということでした。  自分達は忙しいし、仕事があるのに足を早々運べないが、ネットで時間をかけて調べても、それが自分の家にあてはまるのか、信ぴょう性はどうなのか、などよくわからない。 聞くところによって答えが違うこともある。 生の声も聞きたい。云々。

 

私はこのブログのことを言おうか、来月そういう研究をしている大学を覗きに行くこと (またその話は行って来たらここに書きますね。) を言おうか躊躇しましたが、時間がなくてあっという間に会が終わってしまい、言えずじまいでした。 言うべきだったかなあ。 いえ、家族会の方達だから知っているはずなんだけどなあ、知らないのかなあ。

 

とりあえず会のあと、代表と長谷川医師にそのことを伝えましたけど。

 

会はこれからも、今回のような座談会を続けることを検討中だそうです。 有り難い、有り難い。

 

追記 :  同席された長谷川幹医師は、老化による障害症状の悪化、ということはあまり考えていらっしゃいませんでした。

「70歳で発症しても80歳で発症しても、回復します」、と。

 

ただ、発症してから例えば20年経つと、その間に精神的疲労が積み重なってきて、そこが問題なのではないか、と今考えられているそうです。

 

また、「当事者が家でゆっくりのんびりできないと困りますよ」、とおっしゃられていました。 外で刺激受けるのは良いことだけど、ほっとできる家庭があることが大事なんだそうです。 それは障害者に限った話ではもちろんなく、誰にとってもそうだそう。

 

そうですよね、 ということで、私たちは安らげる家庭を作らないといけませんね! 自分のためにも、家族のためにも。 (当たり前のことなんですけどね。)

言わずと知れた孔子の 『論語』。

子曰わく、吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。 七十にして心の欲する所に従って矩 (のり) をこえず。

 

孔子さまが言った、「わたしは十五歳で学問に志し、三十歳でこれが自分の学問だというものができた。 四十歳で判断に迷いが生じなくなった。 五十歳で天がわたしに与えた使命がわかった。 六十歳で人の言葉が耳に逆らわず素直に聞けるようになった。 七十歳で自分の思うとおりに行動しても行きすぎることがなくなった」 ( 『中野孝次の論語』 より)

 

中野さんは、「これを人生の各年齢における心の修養の達成すべき段階を示すものとする意見にだけは、わたしは断じて賛成できない。 これは孔子が、多難なりしわが生涯を七十過ぎた晩年に顧みての感慨ととるのが、自然だと思う。」 と前述の著書の中で述べられています。

 

私は今日、五十歳になりました。

といっても格段昨日までの自分と、どこか変わったようには思いませんが。  ただ、人生後半戦、これから自分が死ぬまでの生き方を、より真剣に考えるようにはなってきました。

 

天命をこの世における自分の使命、と考えるなら、私の今のこうした高次脳機能障害への理解と支援を求める活動が天命でしょうか。

 

いえ、実は私は高次脳機能障害に限った話ではなく、障害や病気、貧しさその他の弱さを抱えた人たちが、安心して暮らせる温かい思いやりの溢れた、助け合いの世の中になるために自分ができることはなにか。 そこを最近といいますか、五十歳になった今考えています。

 

というのは、今の日本がそういう社会ではないと思うからです。  この点については、今までのブログでも、これからのブログでも書いていきます。

 

今日は急に私の実家に行くことになり、第3京浜を飛ばしました。 花見客で道路は混んでいて、いつもの倍かかりました。

 

3ヶ月ぶりに会ったパーキンソン病の父は、随分姿勢が悪くなり背中を丸めており、部屋の中を移動するのにも摺り足ですごく時間がかかっていました。  買った杖をついてもらうと、少しは楽そうでしたが、あまりの急な変化に唖然。

誰かに押されたら、すぐ倒れてしまいそうな危うさです。

 

腰の痛みがひどいらしく、先日検査した結果が来週出るそうなので、私も一緒に病院へ行って医師の話を聞いてこなくちゃ。

 

父は、私がしゃべると自分と医師の話す時間がなくなるから来ないでくれ、と何回も言うので、「私は何も話さないで後ろで聞いてるだけにするから。」と言いましたが、嫌そうな顔をしていました。

 

私はそんなにおしゃべりなのかしら。 これからはTPOを考えて話すように気をつけよう、と父に言われて自戒しました (今頃?)。

 

コウジさんが食器洗いやマッサージなど、一所懸命私のために動いてくれています。 嬉しいな。 有り難い。 (ワッチはゴロゴロしています。4日前に親知らずを抜いてから余り食べられずイマイチ元気なし。 今日も消毒に行きました。)

 

あ〜あ、でも五十歳か。 信じられない。 まだ十八歳くらいの感じです。 (若すぎる?) 誕生日に桜が満開だったなんて、記憶にありませんが、コウジさんは「満開の桜は、ママちゃんの誕生日プレゼントだったんだね!」 と優しいことを言ってくれるので、私も気をよくしています。

 

※かねてからの懸案だった 「リアルコウジ村」 設立についてのお知らせ

 

 ~ このブログや本 『日々コウジ中』 『続・日々コウジ中』 を通して繋がりができた方がたとの家族会  「リアルコウジ村 (仮称) 」 の設立日を、一応今日3月23日とします。  とはいいましても、まだ何も具体的には決まっておらず、活動内容はこれから順次決めていきますし、「リアル」 ということで実際に集まることになると思います。 けれど遠方や用事、状況により集まれない人も勿論いらっしゃることは想定し、そういう方へのフォローも考えていきます。 集まる人数によっては、相応の場所の確保の問題もあります。 とりあえずは、お金をかけない市川さんの 「こちら未来の会!」 のような形を想定しています。  とりあえずの活動は、これまでにも何度か打ち合わせ、雑談で集まってきた数人の東京近郊の妻たちで始めさせて下さい。 ということで最初は 「妻の会」  という形になります。 「私も是非」、という方や、「JTBIAメールつうしんNO14」 からここにアクセスされてきて参加を希望される方は、コメント欄にその旨を連絡下さい。 (私しか読みません。)  すみません、先に設立だけ急ぎ、内容はこれからになりますが、ゆっくり大きく育てていきたく思っていますので、宜しく御願いします。 近いうちにこのブログでまた触れます。 ~

最近ここのコメント欄は、てんかん・てんかんや高次脳機能障害を持つ人の運転・社労士さんその他の話題でもちきりです。

 

コメントには、全国の色々な方からの貴重な体験談やお考えが寄せられ、それらを拝読しているだけで、物知りになりますね。 ネットを発明した人は偉い! また、皆様もコメントをお寄せ頂き、本当に有り難うございます。

 

けれど、この私のブログ文章だけ読まれてコメント欄を読まれていない方もいらっしゃるので (お忙しかったりで)、今日はここにコメント欄からひとつ、とても気になる件を引っ張ってきました。 見過ごすことができない件です。

 

それは、ふうこさんからの体験談です。

 

ふうこさんのご主人は、昨年5月にくも膜下出血で倒れ (2度破裂) クリッピング手術、水頭症のシャント手術を受けました。

けれどシャント感染から腹膜炎になり、黄色ぶどう球菌に感染。 最初の手術から1ヶ月後に未破裂動脈瘤が見つかり、2度目のクリッピング手術も受け、現在高次脳機能障害が残り就労不能と言われています。

 

それだけでも大変な目に遭ったわけですが、問題は発症から6か月後、ご主人の会社の顧問社労士が妙に障害年金申請手続きを急ぎ、「奥さんじゃできないから私がします。」 と再三言うので、(まだ早いのでは)と思いながらも押し切られてお願いすることになったことから始まりました。

 

すると 「代行料として2万1千円、成功報酬金10万5千円。」と言われ、ふうこさんは唖然。

後でネットで調べたら自分でも申請できることを知り、悔しかったとのこと。

 

結局やはりまだ早すぎる、ということで却下されましたが、診断書代3万円が無駄に。

 

社労士に不支給決定のことを伝えると、「〇〇さんの場合通ると思ったけど、ダメだったのね〜。 又頑張りましょ〜。」 で終わりだったとか。

それどころか、今後の社会保険の相談をしたら、さらに相談料1万円を請求されたそう。

 

ふうこさんは、「自分がもっと調べれば良かった。」、と後悔されていますが、いえいえ、ふうこさんはそのひどい社労士に丸め込まれた被害者だ、と思いますよ。

 

まだご主人が倒れたばかりで右往左往、判断力が鈍っていて気持ちに余裕がない時に、お金儲けしようと近づいてきたその社労士の人間性を疑います。

 

心が弱っている人につけ込むなんて、私は腹が立って仕方ありません。 もしかしたらその社労士は、自分がひどいことをしているという自覚すらなさそうにも思えます。 あまりにも普通の感覚では理解できない話なので。

 

もしかしたら気の毒なのは、ふう子さんより実はその社労士の方かもしれませんね。 人の気持ちがわからない鈍感さを、周りから蔑まれて生きているのかも知れません。 そしてその社労士はそのことに、気づいてさえいないのでしょう。

 

会社の顧問社労士とのことですから、会社に苦情を申し立てていいと思いますが、ふう子さんは 「こんな悔しい思いは私だけでいいです。」 と、他の方が同じ目に遭わないように、「恥ずかしい」 けど投稿して下さいました。  有り難うございました。

 

本当に 「何もわからないから。」 とうかうかしていられませんよね。 いい人ばかりじゃない世の中が残念。 悪い人は虎視眈々とチャンスを狙っているんですね。 ああやだやだ。

 

そういえば先日の西城秀樹さんのお話の中で、「優しい言葉をかけてくる人がいい人とは限らない。」 と言われていました。  詳しいお話はなかったので、その時私はピンときませんでしたが、まさにふう子さんの体験はその言葉通りですね。 あの秀樹さんでさえも、なにかとても嫌な思いをされたのでしょうね。

 

やっぱり大変でも、できるだけ自分で情報を集めること、信頼できる人や場 (ここも!) に相談してから決めることが大事ですね。

 

ふう子さん、色々教えて頂き有り難うございました。 きっとここをお読みの沢山の方が助けられると思います。 そのことだけでも、「無駄な体験ではなかった」、と思われ、少しは溜飲を下げてくださいね。 こんなことを言うと申し訳ないのですが、とても貴重で有り難い体験談をお話頂き、感謝しています。  ほかにもこのような嫌な思いをされた方は、どうぞここにご投稿下さいね。 きっと読まれる方のお役にたちますから!

16日の講演会 (横浜市立脳血管医療センター・横浜市・横浜市消防局主催) の話をもう少し。

 

会場で配られた認知症チェックシート。  コウジさんにその場でやってもらいました。

「今日は何月何日ですか?」 という質問には 「3月15日。」 → 惜しい! 16日でした。 ま、1日くらいの違いは大したことないかな。

 

「今いる場所は?」 という質問には、「馬車道。」 と即答できましたが、施設名までは回答できず。

「関内ホールでしょ。」 と言うと、「ああ、そうか。」 と余りピンとこない様子。 そして、「だってママちゃんに付いてきただけだもん。」 とニコニコ。

 

私がいると私に頼ってしまうんだなあ。 私もついつい、やってしまうからなあ。 この点は気をつけなければいけないのだけど、もう慣れっこになっていて、つい幼子に対する母親のようになってしまう。

 

山本センター長の面白く為になるお話と、秀樹さんの体験談の間に、横浜市消防局の方のお話がありましたが、これが知らないことばかりでしたので、ここで皆さんにもお教えしたいと思います。

 

横浜市には18消防署と78消防署出張所があり、職員約3400人、消防車約600台、救急車約63台。

 → 横浜市ほどのマンモス市でも、救急車はそのくらいなんですね (もっと多いと思っていました)。

 

救急車の出動回数は170288回、市民の22人に1人の割合。 1日平均465件。 出動頻度は3分6秒に1回。 搬送人員148713人。 うち初診時に脳血管疾患だったのは、7025人・・・ 配布資料はなく、せっせと書き写すのが大変でしたが、ネットで調べればきっと載ってますよね。 でも、こういう実際のデータというものは、説得力ありますね。

 

60〜80才台の方が76パーセント。  月でいうと12〜2月が特に多く、時間でいうと9〜11時と17〜18時が多いと。 活動開始と終了の頃だとの見方でした。

 

ちなみにコウジさんがくも膜下出血になったのは、暑い9月の月曜日の13時頃。 お昼ご飯のあとなので、活動開始の頃といえるのかな

 

119番をすると、保土ヶ谷区の指令室につながり、「火事ですか?救急ですか?」 と聞かれるそうです。 場所、容態に合わせて出動する救急車の種類や数が異なるそう。

 

例えば 「呼吸が止まりそう」 「出血が止まらない」 などの最緊急時には、消防車ミニ消防車で5人、救急車で3人出動。 熱や風邪の時は救急車で2人出動。

 

救急車は到着まで6分かかる (横浜市の場合)。 消防車にもAEDが用意されている・・・

 

「救急車を呼ぶことをためらわないで下さい」、との言葉を心強く、有り難く感じました。

とかく 「このくらいで呼んでは・・・」 と躊躇するかと思いますが、命に関わるかもしれないのです。もちろんタクシー代わりに気軽に呼ぶなんていけませんが、とりあえず119番にかけて、相談されることですね。

(救急車の出動を結局は拒否されて、亡くなった若い男性の方のニュースを覚えています。 本当に可哀想でした。 そういうことがあってはなりません。)

 

私の両親は横浜市在住ですので、万一の時はためらわずに救急車を呼ぶように言っておきます。  皆さんも (これはまずい!) という時はすぐ119ですよ。 特に脳卒中の治療は、一刻を争うそうですから。

 

ところで横浜市脳卒中市民啓発キャンペーンでは、「FASTを覚えましょう」、と呼びかけています。

 

F=Face (顔がゆがむ)、A=Arm (腕と足に力が入らない)、S=Speech (言葉がもつれる )の時は、T=Time (時間が大事!)。 迷わず119番を!

 

今日最後は、嬉しいお知らせを。

 

15日のブログに書いた、脳原発性悪性リンパ腫を再々発された男性 (奥様は、hanaさんといいます。)ですが、また抗がん剤が効き始めたのか、歩けなくなっていたのが歩け、話せなくなっていたのが話せるようになり、表情も戻ってきたそうです!

 

ご家族の愛の力と、コウジ村村民の方々の祈りが届いたのかもしれません。 皆様有難うございます。 もっともっと届いて、いつかは腫瘍がなくなり、再び仕事ができますように!

↑このページのトップヘ