日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2013年04月

世の中はGWですが、我が家は別にいつもと変わりなく掃除や犬・猫・魚・植木の世話、買い物や両方の実家の様子伺いで毎日過ぎています。

 

特に、ウメの狂犬病予防注射は大変でした。  ウメは一度焼き鳥の串を飲み込んで開腹手術を受けてからというもの、かかりつけの動物病院から100メートル以内には、絶対近づこうとはしません。

 

だからいざという時噛まれてもいいように軍手をして、コウジさんと2人がかりで散歩と装い、ウメを連れ出しました。

 

案の定ウメは、最初は嬉々として足取り軽く歩いていましたが、動物病院100メートル手前に来ると急に方向転換して逃げ出そうとしました。

 

私はすかさず16キロの重さのウメを抱き上げ、そのまま100メートル歩きましたが、もう腕が抜けるかと思いました。

 

コウジさんが動物病院のドアを開けてくれ、中にウメと入るとすぐドアを閉めてウメを床に下ろしました。

 

パニックになってドアを開けようとするウメ。  獣医さんに狂犬病注射に来たことを告げると、ウメの様子を見た獣医さんは注射を片手に診察室から出てきてくれ、私にまたウメを抱っこさせるとウメのお尻に注射してくれました。

 

ウメは 「キャ〜ン」 と情けない声をあげ、すぐコウジさんと帰って行きました。

 

お会計を待つ間、ほかのチワワやトイプードルを見ていると、体はウメよりずっと小さいのに、みんなお利口におとなしく順番を待っては、診察室に入って注射されていました。

 

なんでうちのウメはいつもこうなの? と恥ずかしいですが、和犬は大体ウメみたいな反応だ、との獣医さんの話でした。

 

それにしても獣医さんがドアのところまで来て注射してくれて、本当に助かりました。 しかも、前に並んでいたチワワ4匹より先に打ってくれたんですよ。

会計を済ませて外の道路を歩く私の心の中を、爽やかな風が吹き抜けていきました。 ずっと憂鬱だった一件が無事済み、ほっとしましたよ。

 

余談ですが、翌日は水嫌いのウメをお風呂に入れ、それも大変な騒ぎで1日ぐったりでした。

 

ところで標記のもう1つの件ですが、今何気なく確認のためTKK (東京高次脳機能障害協議会) のHPを見ていましたら、早い申し込み締め切りが5月1日でしたので、慌ててここでもお知らせします。

 

3回シリーズで1回の参加費が3500円、3回まとめて申し込むと9500円だそうです。 場所は東京慈恵会医科大学西新橋校大学1号館3階講堂、定員250人です。

 

第1回は5月12日 (日) で、

➀ 栗原まな先生 「小児の高次脳機能障害への対応」 ➁ 山口加代子先生 「高次脳機能障害のある方の心理」 ➂ 廣實真弓先生 「高次脳機能障害のある方とのコミュニケーション」 ➃ 繁野玖美先生 「地域で行う高次脳機能障害のある方へのリハビリテーション」

 

第2回が8月11日 (日) で、

➀ 渡邉修先生 「医療機関が行う高次脳機能障害者への支援 」 ➁ 太田令子先生 「高次脳機能障害のある方への支援で大切にしていること 〜ご家族と支援者へのメッセージ~ 」 ➂ 田谷勝夫先生 「高次脳機能障害者の働き方と今後の支援のあり方 〜調査結果を踏まえて〜 」 ➃ 安仁屋衣子先生 「高次脳機能障害のある方への社会資源の利用法」

 

第3回が12月8日 (日) で、

➀ 橋本圭司先生 「高次脳機能障害者に対する基本的視点」 ➁ 先崎章先生 「高次脳機能障害者の精神症状への対応」 ➂ 和田敏子先生 「対応が難しい方への考え方 〜日々の生活の中から〜 」 ➃ 長谷川幹先生 「高次脳機能障害のある方に対する地域医療のあり方」

 

いずれも、0時45分〜17時15分です。

詳細はTKKのHPをご覧下さい。  第1回と3回通してのお申し込み締め切りが、あさって5月1日とのこと。

 

私も全部参加したいところですが、日曜日に3回も、ほぼ1日一緒に留守番させなくてはならないコウジさんとワッチの精神的な負担を考えますと、それはなかなかできないことなのです。 トホホ。

 

参加できる方は、是非参加されて下さいね。

咳も段々収まってきたので、自転車に乗って2ヶ月近く前に受けた、子宮頸・体ガン検診結果を聞きに行ってきました。

 

世田谷は病院は多いけど、子宮頸ガン検診やマンモグラフィーをしてくれる病院となると限られ、結構不便。 とはいっても、20分も自転車に乗れば着くんですけど、それが今日までできませんでした。

 

結果を聞くまではやはりドキドキでしたが、どちらも異常なしとのこと、ほっとしました。 よ〜し、また1年頑張るぞっと。

 

一方、去年4月に 「要精密検査」 と言われた尿検査も、行くタイミングを逸し続けてもう1年。 今更もう精密検査ではなく、また全身の検診を受けようと思います。

 

ところで私を疲れさせると同時に、健康維持にも貢献してくれているだろうウメとの散歩。

いつも前半はそれなりに元気に歩いている私も、後半はぐったりしてノロノロ歩きになります。

 

けれど最近、ただ住宅街を歩いているのももったいないと思い出し、色々なお宅の玄関を見るようにしました。

 

すると、中にはきれいに掃除されて花々が植えられているお宅もあるんですね。 我が家は私にゆとりがなく、枯れた沈丁花はそのままですし、雑草も生えたまま、土や枯れ葉、ゴミもあまり掃いてないアプローチ。

 

そこで今朝は思い切ってタワシでタイルをこすり洗いしたり、枯れ葉も掃いたり、植木鉢を移動したりして、なんとなく玄関周りがサッパリしました。  学校から帰ってきたワッチが、「玄関がきれい!」 と喜んでいました。

 

その玄関掃除と病院往復で、ちょうど私の持てるエネルギーは消費されるようです (勿論日常的な家事込みで)。

 

「もうダメだ。」 と、寝ているおはぎちゃんの横に倒れ込み、1時間昼寝したら体力回復しましたが、なんだか昔より確実に体力落ちてる気が。 あるいはまだ不調なのか。

 

今夜9時からもまたNHKEテレは、障害者の就労をやりますね。 見なくては。 見ましょう。

 

リアルコウジ村の名前ですが、正式には 「高次脳機能障害 コウジ村」 にしようと思います。

 

このブログに集まって下さる私達には、「コウジ村」 と呼んでいたこの世界をリアルにして、実際に集まれるようにした、という経緯から 「リアルコウジ村」 の意味はわかりますが、一般の方々にはわかりませんからね。 いちいち説明するのも面倒ですし。

 

「高次脳機能障害」 という名前もいつかなくなり、 「脳損傷」 になる日がくるのかもしれませんが、しばらくは 「高次脳機能障害」 でしょうし、その名前で検索した時に出てくるようにするためには、「高次脳機能障害」 ははずせません。

それだけでもう長いので、ただ 「コウジ村」 をつけました。

 

「家族会」 とつけなかったのは、行政・医療・福祉・教育その他関係機関や一般の方々にも参加して頂けたらいいな、と思うからです。 もうすでにそのような家族会や団体もあるようですね。

 

それでは 「高次脳機能障害コウジ村」、俗称リアルコウジ村を宜しくお願いします。

昨日から風邪で、咳がつらいです。

ちょっと気を遣うことが続いたせいか、寒い日が多いせいか。 ワッチからうつったのか (ワッチは学校でうつったそうですが)。

早く治して、動かなくちゃね。

 

ということで、今日もブログは書けずに寝ようかと思いましたが、最近の新聞やテレビで気になるものがいくつかあったので、そのお知らせだけしておこうと思います (この文を書きながらも、何回咳き込んでいることか。う~、つらい)。

 

思いつく順に書きますと、一昨日19日のNHKEテレ。

「バリバラ 〜障害者情報バラエティー〜 「就労〜企業の悩み」」。 途中から見たので、23日0時半からの再放送を見なくちゃ、と思ってます。

 

4月16日の、東京新聞一面のトップ記事。

「苦悩の親 「症状理解を」」、という見出しで高次脳機能障害を取り上げています。

 

前日の15日に日本脳外傷友の会の 全国支部代表と一緒に、お子さんが当事者である穴沢芳子さんが文部科学省を訪れ、教育現場での支援を求めた件ですが、こんなに大きく載って嬉しいですね。  東京新聞さん、有り難うございました。

 

同じく東京新聞の17日の記事で (他新聞にも取り上げられていますが)、02年に勤務中の事故により脳脊髄液減少症になった患者さんが、障害等級格上げと障害補償年金の支給を求めていた訴訟で、訴えが和歌山地裁で認められたそうです。 良かったですね。

 

朝日新聞では17日から20日までのシリーズで、性同一性障害が取り上げられていますが、その方 (石川宗君) は脳脊髄液減少症のため、光が眩しくていつもサングラスをかけている、と毎回注意書きで紹介されています。

 

性同一性障害も脳脊髄液減少症も、どちらも大変なんですが、一緒に写真に写っている優しそうなお母様の笑顔がいいなあ、と思って読んでました。

 

と、咳がひどくなってきましたのでこの辺で。 おやすみなさい。

この月曜日に、ある方に会いに行ってました。

 

その方は70歳を越えた関西のご婦人で、40代の息子さんが7年前に、脳卒中から高次脳機能障害になりました。

 

独身だった息子さんは東京で1人暮らしをしていて倒れたため、入院もリハビリも都内の病院でした。

そのため婦人は関西からご主人と共に息子さんの家に泊まりながら、関西の家と行き来もして息子さんの病院へ通いました。  息子さんの身体障害は重く、現在も車椅子です。

 

その後行き場所を求めてたどり着いたのが、郊外にある老人向け療養施設だったそうです。

なぜそこを選んだかというと、リハビリを週に3〜4回も施してくれるからだと。  そこにはからずも2年半もの長きにわたって入所していた時、出入りしていたケースワーカーさんが、「こんなところにいてはダメ!」 と、紹介してくれたのが世田谷の 「ふらっと」 だったそうです。

 

ご夫妻は今度は世田谷にマンションを借りられ、「ふらっと」 ともう1カ所別のクリニックに、それぞれ週2回ずつ通われていました。また同じく週2回、息子さんとプールに通われました。 その生活を3年間続けられました。

 

けれど来月、いよいよ関西の実家に家族3人で戻ることに決めたと聞き、その前に是非ゆっくりお話を伺っておきたい、と思って時間を作って頂いたのでした。

 

彼女はいつも大変忙しく、一緒にいられたのはたった2時間ほどでしたが、そこで私が知らなかった彼女の話を聞くことができたのです。

 

やはり一番つらいと感じるのは、例えば夜、ちょっとふらふら街に出て食事でも娯楽でもしたいな、ということが絶対できないことだとか。

 

昼間はヘルパーさんに頼んで少しの時間出かけられても、夜はそうもいかないのだそうです。 やはり排泄の問題があるから、1人にはできないのだと。

 

月に1週間はショートステイに息子さんを預けられていますが、そうでもなければ疲れてとても無理とのこと。 当然です。

 

彼女は才能溢れるいわゆる文化人で、関西にいた頃は有機農業・地産地消を推進する主婦グループで活動されたり、ラジオで英語の番組を担当されていたり、いつも考え、行動する生活を送られていました。

 

息子さんの介護で東京に来てからも、好きな物書きをされるのですが、いちいち息子さんが 「何書いているか」 「それは何のためか」 とうるさく聞いてばかりなので、落ち着いて書けないのだ、と苦笑いされていました。

 

私との予定の2時間が過ぎると、これから月2回自分の体力維持のために通っていた体操教室に、別れのご挨拶に行ってくるのだ、と忙しそうに電車に乗りました。

 

素敵なのは、関西に戻ったら考えていることがあるそうで、それは自宅の光がさんさんと差し込む居心地のいい居間をサロンとして開放し、色々な方との交流の場にしたいのだと。

 

そしてそこには息子さんがいつもいて、高次脳機能障害の方々も沢山呼びたいのだと。

 

さらに、関西のとある地域の高次脳機能障害者家族会の理事をされているご主人と共に、その会を障害者やその家族皆のためになるよう、しっかり育てていきたいのだと。

 

70を越して (75歳です) も尚、アイデアが枯れるどころかまだまだあれもやりたい、これもやりたい、と語られるそのエネルギッシュで輝くような笑顔を、私もこんな70代になりたい、と憧れの眼差しで見つめていました。

 

毎日の息子さんの世話に追われながらも、常に建設的な思考をされる、ご高齢のこんなすごい方もいる、ということを皆さんにも教えたくて。

 

今日は近所の介護用品店をハシゴして、お風呂の滑り止めマットを2枚 (洗い場用と浴槽用) を買い、カタログ2種類もらってまとめて宅急便で実家に送りました。

 

実家の近くにはそういう店が何もないけれど、私の住む町は高齢者が多く病院ばかりで、改めて住みやすいところだと思いました。

これを書いている私は、まだ電車の中です。

 

夕食を並べて、さあ食べよう、とした時に母から電話。

「パパ (私の父) がお風呂で倒れた。 息してないかも! 今救急車呼んだからまたね。」

で切れた電話。

 

何が起きた? 脳卒中? 心臓発作? パーキンソン病はゆっくり進むと思ってたし、わかった、腰が痛くてお風呂で転んで頭打ったに違いない。

 

麻婆なすやタケノコ煮物など一口食べたたけで食欲が失せ、心配しているコウジさんとワッチを残して家を飛び出しました。

途中母から電話が入り、父が運ばれた病院を教わって、最初の電話から1時間後には救急の診察室にいました。

 

父は朦朧としていて、ヘッドに横たわっていました。 CTや血液検査をし、診察まで1時間。

朦朧としながらも、父は私が家に残してきたコウジさんとワッチのことを心配していました。 優しい父です。

 

多分湯あたりかということで、寝たまま父は介護タクシーで母と帰ることになり (とても歩ける状態ではない。 でも入院しなくてもよい、とのことで。)、私も自分の家に戻っているところです。

 

でも母が、(お風呂が長すぎる。 おかしい。) と思って父を見に行くのがあと5分遅かったら・・・ 危なかったと言ってました。 父は顎まで湯につかっていたそうです。 かろうじて聞き取れた父のかすかな声で、浴槽の中で滑って、ブザーを押そうとしたけれどできなかった、と。 (母はブザーがあることも知らなかったとのこと。)

 

そもそもなぜ湯あたりしたのか、まだこれからじわじわ出てくる、CTに写らなかった脳出血や脳梗塞の可能性も考えながら、様子を見ていきます。

 

ああ、最寄り駅に着きました。

今日書く予定だったことは明日にします。

 

まずは一安心しましたが、父79歳、母77歳、義母78歳、いつまでも元気でいてほしいけど、先々のことをもっと真剣に考えなくては、と思わせる出来事でした。

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