日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2014年03月

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土日のウメの散歩をコウジさんにしてもらったので、近所の桜が満開になっていたのを今日知りました。

 

5日前の26日にはまだ全然咲いてなくて、枯れ木のようだったのに。

 

まだ気分的に冬ごもり中だった私は、満開の桜によって急に表に引っ張り出されたようで、少々たじろいでいます。

 

昨日は胃が痛くてお粥を食べ、一昨日は頭が痛くてバファリンを飲み、なんとなく体調が冴えない最近。

 

 一昨日はコウジさんとワッチを連れて、実家の父を見てきましたが、またちょっと弱った感じがするなあ。

 

 世話をしている母も、「老々介護は本当に大変よ!」 と音をあげていて、連日私に (何回も) 電話をかけてきては悲鳴をあげています。

 

 来週ケアマネさんと認定調査員さんが来る時に私も行って、母を休ませるために父の一時期施設入所の相談をします。

 

このままでは母も倒れてしまい、私が父と母の2人を介護することになりますからね。

 

東京ではワッチとコウジさんとウメの世話、横浜では両親の世話、なんて生活は実際無理だと思うのですが、そうなったらどうしようか・・・。

 

 色々考えこんでいる私と、桜の下をウメと心楽しく歩く私と、最近は私が2人いるようです。

 

 でも、元気がなかったり怒ったりしていても、ウメを見るとすぐ陽気になれるので、ホント助かってます。

 

 私に、犬猫なしの人生は考えられません。

 

 猫のおはぎちゃんが死んで半年以上経ちましたが、まだ毎日おはぎちゃんの写真に話しかけているし、夢には出てくるし、おはぎちゃんが使ったお皿やトイレも捨てられていません。

 

母も、いまだに20年前に死んだ猫の話ばかりしていますよ。

 

 一昨日実家にいた時も、母は亡き猫の話をしていて、次に父の話になったかと思うと、また猫の話に戻るので、ワッチもさすがに吹き出していました。

 

私もこの先少なくとも20年は、おはぎちゃんの話をし続けるのだろうな、と思います。

暑かった東京は今日桜が開花したそうですが、今日はウメの散歩も住宅街だけだったので、桜を見られず残念。

 

大体いつも、散歩の行き先はウメに任せています。  今日は犬友達のマロちゃんちと、猫の匂いのする家めぐりだけで帰ってきてしまいました (それだけでも1時間ですが)。

 

ところで、勉強会とテレビ番組のお知らせがあります。

 

まず勉強会は、交通事故後遺障害者家族の会の、 「心のケア研究会」 主催第3回学習会です。

詳細は以下の通りですが、「交通事故による重度障害者を介護・介助・リハビリをしているご家族」 対象だそうですので、該当する方はどうぞお申込み下さい。

 

「表参道こころのクリニック」 院長中村俊規医師講演会

『高次脳機能障害者の食と栄養』について 〜神経再生最前線、腸と腰を鍛えて高次脳を克服しよう〜

日時 : 4月13日 (日) 13時半 〜 16時45分 (13時開場)

場所 :  JA共済ビル カンファレンスホールE (千代田区平河町2―7―9   有楽町線、半蔵門線、南北線 「永田町駅」 4番出口徒歩2分)

 参加費 : 無料

プログラム :  13時半 〜 15時 講演

15時 〜 15時15分  休憩

15時15分 〜 16時45分  質疑応答、情報交換

 

協賛 : 高次脳機能障害若者の会 「ハイリハ東京」

 

お申込み : FAX   042―302―0300、  TEL  042―207―2692 、 Email  koisyo@jcom.home.ne.jp

 

また、テレビ番組のお知らせは、以前放送したものの再放送です。

 

NHKEテレ 『バリバラ障害者情報番組』

放送日 : 3月28日 (金) 21時 〜 21時29分

 

 〜 当事者を取材することで、実際に困っていることや、どういうサポートがあればスムーズに社会生活が送れるのかなど 「高次脳機能障害とは何か」 を伝え、周囲の理解につなげたい。〜

 

 特別ゲスト :  「やまぐちクリニック」院長 山口研一郎医師

 当事者 :  友成さん、藤田さん、TASKEさん

 

その再放送は、4月2日 (水) 深夜0時半 〜 0時59分です。

 前回見逃した方、はどうぞご覧下さい。

 

 以上、お知らせでした。

 

今、夕食を終えたところですが、私は怒っています。

 

食べ終わったコウジさんがふざけて、ワッチの顔の前に手を出したりお茶碗をかざしたりしたので、怒ったワッチがコウジさんの手を払ったら、コウジさんの手からお茶碗が離れ、床に落ちて割れてしまったのです。

 

 私はワッチを叱り、そのあとコウジさんを叱りました。

 

ワッチは、「わしは悪くない。」 「最初は我慢していたもん。」 「このお茶碗好きだったのに。」 とブツブツ。

 

コウジさんは、「あ〜あ!」 とがっかりしたあとで、「オレが悪かったな。」 としょんぼり。

 

でも、ワッチがコウジさんのお茶碗を持った手を払ったら、そのお茶碗が飛ぶことくらい予測できますよね。

 

コウジさんの幼稚さ (障害とはいえ) と、ワッチの乱暴さ両方に頭にきて不機嫌な私。

 

そこへ、お茶碗の割れた音と3人の怒った声に、心配そうにのそのそやってきたウメ。

 

 可哀想なのは、罪のないお茶碗とウメ。

 

でもそのウメは私の椅子の下に寝そべったので、(ほら、ウメは怖いときはやっぱり私を頼りにしている証拠!) と得意になってウメを撫でてやると、少し私の心は落ち着きました。  有難う、ウメ。

 

これから食器洗いをする私を尻目に、もうワッチとコウジさんは仲良く一緒にテレビを見ているのが、なんとなくしゃくに障ります。

 

あ〜あ、くだらない我が家のいつもの風景。

 

半年前に亡くなった猫のおはぎちゃんが、食卓横の祭壇から呆れた顔で見ている気がします。

 

そうそう、区の乳ガン検診に行ってきました。 結果は、1週間後に郵送されるそうです。

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今日3月23日は、私の誕生日です。 51歳になりました。

 

50を越えたらもう51でも52でも同じで、今度焦るのは60になる時でしょうか。 49から50になった時焦ったように。 焦っただけで何も変わらなかったのですが。

 

でも、あまり年は考えなくなりました。 今私は、60代〜80代の方と接することが多く、自分もその頃になったらその方々のように知識的にも豊かで、人格的にも立派でありたい、と願うばかりです。

 

あとは健康。 こればかりは事故を含め自分の努力だけではどうにもならない面もありますが、なるようになるしかならない。 一応今週中には乳ガン検診にも行ってきますが。

 

コウジ村を作って1年。 いい加減今年はホームページくらい作らないと、と思うのですが、のろまな私はまだアメリカ知人にクリスマスカードも出せていない。 一体何やってんだろう、と我ながら呆れてます。

 

今日やったことは、サポートネットひろしまさんが作られている 『事故に遭ったら』 の冊子イラストを描きあげただけ。

明日ワッチの学校保護者会に行きながら、郵便局に寄って送ります。

これも前々から依頼受けていたのに、こんなに遅くなってしまいました。

 

この冊子は繰り返すようですが、とてもいい冊子です。 交通事故に遭って高次脳機能障害になった場合、いつごろ何をすべきかや、損害賠償や成年後見、公的・私的保険その他利用できるものや対処方法など、丁寧に教えてくれるガイドブックです。

早く仕上がって、ここでお知らせできるといいのですが。

 

最近なぜか背中の右側が痛いので、今日はコウジさんやワッチに背中叩きをしてもらったり、ケーキを買ってきて (私が)、 食べてお祝いしました。

 

そのケーキが写真です。  いつも好きで買っていた不二家が閉店したので、タカノのイチゴケーキです。 ( 私はもっとシンプルなので良かったのですが、一緒に買いに行ったワッチが、「これ食べてみたい!」 と言ったので・・・。)

 

あまりにきれいなので、思わず写真に撮って載せました。

とてもおいしかったですよ。

時々使うこのタイトル。 今日も最近気になることを、いろいろ書いてみました。

 

まず、落合恵子さんは、『母に歌う子守唄』 の中でこう書かれています。

 

「・・・ 娘であるわたしの人権感覚は、医療の現場にいるひと、特にパターナリズム (家父長制度) のトップにいることに気づく機会のない、あるいは気づきたくない 「男医」 には、「権利意識ばかり先行した面倒でうるさい家族」 に映るかもしれない。 そしてそれは、入院している母にはまずいことになるかもしれないのだ… こうした迷いの末に、多くの家族は 「お任せします」 を選んでしまうのではないか。」

 

「患者や介護を受ける者は、医療や介護という 「サービスを受ける主体」であるのだから。」 「・・・ システムを 「受ける側」 にとって望ましい形に拓いていきたい。 誰のための医療、介護なのかを忘れてはいけない。」

 

「諦めきれるか? その説明で。 わたしは決して諦められない。」 「諦めたら、終わりだ。 異議があったら、納得いくまで説明を求めたい。」

 

「わたしは 「うるさい娘」 を貫くことにした。」

「・・・ わたしは ・・・ 人権意識を持った 「うるさい友だちや仲間」 を作っておこうと思う。 ・・・ 「そう」 覚悟することと、「そう」 行動することとの間には大きな溝がある。」 「拓いて変えていこう。 一緒に 「行動」 のできるわたしたちでありたい。 そういった意味で、わたしはより 「うるさい」 ひとになることを、ここに約束する。」

 

ああ、引用しても引用しきれないほどいいことを、落合さんは書かれています。

 

私や落合さんのように家族にパーキンソン病の家族がいらっしゃらなくても、皆さんにも是非この 『母に歌う子守唄』 を読まれてほしいです。

患者家族という立場に置かれた時に遭遇する数々の問題と、それに挑んでこられた落合さんの文章にはきっとひどく共感、力をもらえると思います。

 

もう1人、このブログでも取り上げさせて頂いた 「介護者の権利章典」 を紹介された児玉真美さん。 児玉さんには、「海さん」 という重症心身障害のあるお子さんがいらっしゃいます。

 

そのご著書、『海のいる風景』 は、お子さんと自分にとってより良い環境を求めて構築するまでの戦いが綴られています。

 

読んでいて羨ましかったのは、一緒にお子さんを支えてくれるご主人がいらっしゃることかな。

 

コウジさんを支える妻達は1人きりなのが、ともするときつい。 相談したい夫が当の障害者だ、という現実に妻達は弱っていきますよね。 でもそれも妻達がやがてたくましく立ち上がっていくことで、問題じゃなくなります。 それに、コウジ村の仲間がいるじゃない。 つらいのも、期間限定のもの。 再び元の (元以上の )自分を取り戻せる日まで頑張ろう! (← コウジさんの妻達が、もし読まれて感ずるであろう気持ちを先取りして。)

 

で、その児玉さんですが、やはり 「やっかいな親」 としてあちこちとぶつかり合いながら、次第に理解者を増やしていかれるのがすごい。

 

中でも、若いドクターが他の病院に移動する時に、彼から児玉さんがかけられた言葉を記した下りがいいですよ。 以下、その部分を引用しますと、

 

「・・・世の中には二種類の人間がいるんだって」 「その二種類ってね、ものわかりのいい人と、わからず屋」   ちょっと、ムッとした。 ふん、どうせ私はわからず屋で…。 「それでね、世の中を変えていくのは、わからず屋たちなんだって」 ニヤリとして立ち去っていくドクターの姿をあっけにとられて見送りながら、生涯忘れられぬ、はなむけの言葉を贈られたのは私の方だ、と気づいた。

 

ね、いいでしょう? 是非こちらもご一読下さい。

 

このお2人に共通するのは、当事者 (家族) は決して諦めることなく、主張を続けること。 結局それが、時間がたとえかかろうとも、確実な現実打破の道なのかと思います。

 

現在も毎週行われている脱原発デモのように、続けることが大事。 いつかは国に声が届き、国が動く日まで。

私も炎天下の行進に一度参加してへこたれたままですが、また参加しなくては、と思っています。 言ってるだけなのと実際行動するのとは、やはり違いますからね。 行動しないと届かないことがある。

 

そういえば、山梨市での上野千鶴子さんの講演も、無事行われたようです。

無事、と言わなければならないのがそもそも奇異なのですが。

 

第一、講演依頼をする前に講師のことを調べておくべきですし、依頼した時点で何の話をするかは講師と少し話し合うものの、それ以降は講師に任せるのが筋ではないでしょうか。 今回は介護の話に特定してほしい、と取り決めがあったようですが、それも本当は失礼な話です。 講演にいらっしゃる観客の中には、歯に衣着せぬ上野さんの話が聞きたくて来る人もいるはずなのに。

 

問題となった上野さんの過去のご発言の数々だって、そんなに騒ぐことなのか、という疑問があります。

 

私は朝日新聞を購読しているので、「悩みのるつぼ」 も勿論毎週読んでいて、上野さんや美輪明宏さんや車谷長吉さんの回は特に (なるほどな)、と感心して面白く読んでいました。

 

上野さんのその回も読んだけれど、「あはは!」 と笑って次のページに移りました。 それくらいのことでした。 そんな目くじらたてて怒る内容ではないし、ユーモアたっぷりのアドバイスを痛快に思いました。

 

詳しい経緯は皆さんもネットなどでご存知かと思うので省略しますが、一体この件は何なの?と呆れるほかはないです。

周りにつつかれ、ふらふら意見を変える市長、頼りない。 大丈夫ですか、山梨市、と言いたい。

 

ところで上野さんの抗議文を読んで、つくづく自分の考えの正当性を述べ、相手の間違いを指摘し、冷静に説得できる力はすごいと思いました。

この文章は、永久保存すべき名文だわ。

 

翻って自分。 私ももっともっと勉強を重ねて、講演でもどこでもきちんと話したり書いたりでき、反論を受けたらそれに的確に対応できる力をさらにつけなくては、と肝に銘じた出来事でした。

 

勿論、自分の間違いはいつでも訂正する柔軟性は持ち続けること。 そうしないといつまでたっても進歩しませんからね。

 

ただコウジさんやワッチに留守番してもらいながらの講演はやっぱり色々大変で、疲れ気味であります。 今症状が落ち着いているとはいえ、父のパーキンソン病も心配ですし。

 

最後に、明日の 「笑っていいとも」 には、なんと安倍首相が出演するらしいです。 びっくり。 もう15年以上見ていない番組だけど、録画して見てみようと思います。 一般大衆が見ている番組で、タモリさんは何を質問されるかな。 大仕事ですね。

花粉症なのかわからないけれど、午前3時半に鼻水やくしゃみで目が覚めてしまった。

 

これでは寝てられない、と起きてきて、早すぎるけど朝食を取りながら本を読んでいる。

 

私が読む本は大体が障害や病気関連の本だが、その他には犬猫関係の本を読む。

 

昨日はケアマネさんが来る日なので、横浜の実家に行った。 たまたまワッチ (娘) は学校が休みで、コウジさんも有休み消化のために会社を休んでいたから、2人残して行くのも気がかりで、実家はトンボ帰りだった。

 

電車の中で読む本を、2種類持参した。 1冊はALS (筋委縮性側索硬化症) の母親を14年介護された経験を書いた、川口有美子さんの 『逝かない身体』。 これは途中まで読んでいるが、長い力作なので、限られた読書時間ではなかなか進まない。

 

もう1冊は、『いつも一緒に  犬と作家のものがたり』。 19人の作家が飼い犬のことを書いた本で、1人1人が短いので、乗り換えを頻繁にする昨日は結局、そっちをバックから取り出して読んでいた。

 

ところが、心温まる話ばかりだろうと思って読み出した本だが、ある作家の話のところで猛烈に腹が立った。  それは、忙しい生活の余り犬に毎日ほとんど1日中留守番をさせていた作家が、ある日深夜帰宅すると、散歩まで待ちきれずに粗相して部屋を汚してしまっていた犬を感情的叱り飛ばす話だった。

 

私は犬が粗相するのは飼い主に原因があると思うので、ウメが家で粗相してしまうと決して怒らない。 悪いことしたと思ってしょぼくれているウメに、「苦しかったんだね。 我慢して偉かったね。 ごめんね。」 と優しく声をかけ撫でてあげる。 それでもしばらくは気の毒な位しょぼくれているので犬は状況判断でき感情豊かで賢いな、と感動する。

 

犬の世話をできないのに飼い出して、結局犬が死ぬ時も家にいなかったその作家の無責任さに、不愉快で犬が哀れで。

 

カンカンになりながら横浜駅で乗り換えの横須賀線に乗り込んだ直後、線路内に自転車が入り込んだので運転見合わせをする、というアナウンスが入って電車は動かなくなった。

 

両親にいつ食べでもいいパンやお寿司、ヨーグルトなどを最寄り駅で買っていこうと思っていた私は、ケアマネさんとの約束の時間が迫ってくるのでまたイライラした。

 

停車していた時間は10分ちょっとだったが、最寄駅に着くと周辺で慌てて買い物してバスに乗り込んだ。  バスの中でまた本の続きを読み始めると、今度は飼えなくなって保健所に犬を引き取ってもらった別の作家の話に、息が出来ないほど怒りがこみ上げた。

 

その犬は捕獲人から逃げ回っていたが、飼い主の妻に助けを求めて足元に駆け寄り妻を見上げたそうだ。 けれどかばってやらない妻に状況を察知し観念したのか、あんなに暴れまわっていたのにうずくまり、捕獲人に首輪をかけられると、声も発さず妻を振り返ることもなく車に放り込まれ 「殺されてしまったろう。」 だって!

 

信頼していた飼い主に裏切られた絶望と悲しみのうちに殺されてしまった犬が可哀想で可哀想で、バスを降りた時の私は怒り狂っていた。 こんな文章を平気で書く作家と、愛犬家が読むであろうこの本を編集した出版社に疑問を抱いた。 (あるいは、この2人の作家は、犬に対する懺悔の気持ちで書いたのだろうか?)

 

強風の中、途中まで歩いて迎えに出てきてくれた母に、その怒った表情のまま、 「(この強風の中) なんで迎えに来たの? 来なくて良かったのに。」と不機嫌に声をかけた私は、話し合いが終わってケアマネさんが帰ったあとも、その本の話を持ち出して怒りまくっていた。

 

父もうんうん、と頷き、母はその箇所にざっと目を通すと、「飼う資格ない!」 「悪い人だ!」 と一緒に怒ってくれた。

 

少し溜飲を下げた私は、ワッチとコウジさんが気になるので早々に引き上げたが、結局実家では和やかに過ごせず、父に悪いことしたなあ、と今頃反省している。

 

父は薬が効いていて小康状態が続いている。 字がうまく書けなくなり、書くと数ミリくらいの小さい字になってしまうので、ケアマネさんの書類の本人署名欄も私が代筆した。

 

腰が痛くしょっちゅう姿勢を変える手伝いをしたり、骨が出ている腰に母と湿布を貼ったりした。 実家から病院に問い合わせの電話をかけたり、白内障手術をもう緑内障手術した慈恵医大まで出て行けないので、慈恵医大に紹介状を書いてもらう件の相談もした。 筋肉がなくなったせいか、話していると入れ歯が落ちてきてしまうというので、歯医者へどうやって行くか、訪問歯科を利用するか、という相談もした。 (けれど入れ歯を作ってくれたいつもの歯科医に、母が付き添いで行くことに落ち着く。)

 

打ち合わせと、2人の作家への怒りだけでバタバタで帰ってきてしまったので、改めて来週あたり今度はワッチとコウジさん連れで行こうと思う。

 

さて、そろそろ学校へ行くワッチを起こす時間なのでこの辺で。

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