日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2014年09月

いたたたた・・・、とここ数日胃が痛むことが多い。

そのたびに左手の親指で押していると、いつしか痛みはおさまるので大したことはないのだけど、ストレスかなあ。

 

ワッチの学校が、センター試験の願書をまとめてくれているのだけど、ワッチが持ち帰ってきたその書類を全く読まないうちに1週間がたっていた。

 

ワッチが、「受験料支払い12日までだよ!」 と心配して言ってきて初めて飛び上がり、ギリギリで支払いに間に合った。 あ〜、危ない、危ない。

 

父の介護、入院中の母からの頻繁且つさして重要ではないまとまりのない長電話、ウメの手術と退院後のケア、そして家事と自分の仕事に忙殺され (仕事もほとんどできていないけど)、ワッチの受験のことは全く頭の外にいっていた。

 

ワッチは祖父 (私の父) がいることで落ち着かず、イライラしている。

 

例えば、ワッチとコウジさんと私でちょっと話が盛り上がりかけると、父が 「ズボンなんだけどね、」 と全く関係ない話で遮ってくるので、そこでワッチの話は中断、ワッチはうつむいて黙り、私が父と話し込んでいるうちに自分の部屋へ引き上げてしまう。

 

父は週1回3時間だけ、すぐ近所のリハビリに行って運動を始めたが、その時に履くズボンについて随分神経質になっている。

 

「途中でトイレに行きたくなっても、このズボンじゃチャックがないからオシッコができない」、と言う。

 

「チャックはちゃんとあるよ」、とチャックを見せると、「ありゃ?」 と不思議そうな顔をする父はしばらく考えて、「ああ、そうだ。 ズボンを脱げても紙パンツだからオシッコができないんだった。」 と訂正する。

 

「紙パンツも脱げばいいんじゃない?」 と言うと、また考え込む父は、「そうだね。」 と笑ってゆっくり納得する。

 

けれどまた次の日には、「ズボンにチャックがないからトイレの時困る。」 と言う。

コウジさんみたいだな、こりゃ。

 

仕方ないから、ユニクロにでも行って父にチャックがないジャージを買おう。

ジャージにはチャックがない、と父も最初から諦めるだろうから。

 

その父は、昨夜から今朝にかけて、いつものように何度もトイレに行ったが、そのうち2回はパジャマのズボンも濡らしてしまった。

 

父はパジャマを横浜の実家から2枚しか持ってきていないので、(パジャマも買いに行かないと足りないなあ)、と仕方なく短パンをはかせながら考える。

 

実は来週の鳥取講演会の時、初めてショートステイに父を預けることになった。

 

また79歳の姑に来てもらって父のお世話を頼むのも気が引けるし、姑まで倒れたら、父、母、姑を一度に私が1人で見なくてはならなくなってしまうからだ。

 

「デイサービスには行かない。」 と言い張る父のために、ケアマネさんはショートステイ事業だけ展開している会社を探してくれた。

 

幸いなことに、介護つきホテルのようなそこなら、父は行ってもいい気になってくれた。

(ならなくても、行かざるを得ないのだが。 疲れやすいコウジさんと受験生のワッチに父は見れないし、緊急時の対応にも不安があるので。)

 

でも1晩に2枚パジャマズボンを汚してしまう父には、パジャマズボンを沢山持たせないといけないことに気づき、預けるのも色々用意が大変だということをようやく知るに至る。

 

とにかく父は飲んでいる薬の量も種類もハンパではないから、持たせるのも一苦労である。

 

起床時メネシット1錠・朝食後メネシット2錠、バイアスピリン1錠、二フェジピン1錠、チラージン3錠、ネキシウム1錠、パナルジン1錠、ロキソニン1錠、フェロミア2錠・10時メネシット1錠・昼食後メネシット2錠、ムコスタ1錠、ロキソニン1錠・14時 メネシット1錠・夕食後メネシット2錠、ムコスタ1錠、バイアスピリン1錠、二フェジピン2錠、クレストール1錠、オルメネディック2錠、パナルジン1錠、就寝前にニュープロパッチ1枚 (これはいつでもいいのだが、朝に貼る方がいいのかな?) 。

 

パーキンソン病だけでなく、心臓も甲状腺も緑内障も患っているので、仕方ないとはいえこの多さよ。

私は、この薬の管理だけでもくたびれている。

 

ユニクロが入ったスーパーには、たこ焼きが売っている。

父はお酒のつまみに 「たこ焼きもいいねえ。」 と顔をほころばせたので、自転車で服とたこ焼きを買いに走った。

 

コウジさんと父がたこ焼きやお刺身、そして私が大分で買ってきたお土産の地酒の 「西の関」 に舌鼓を打つのを見ていると、それはそれなりに平和な光景だと幸せを感じもする。

 

けれど、昨夜は夜中父が大きな音を立てたので、「何事?」 と見に行くと、父がベッドにしがみついて半分床に倒れていた。

 

トイレに行こうとしてベッドから足を下ろしたところ、フローリングで足を滑らせて立てなくなったらしい。

 

父は手の届いた、ベッドの高さを調節するリモコンのボタンをあちこち押してなんとか立とうとしたようだが、枕元に置いている時計や懐中電灯がベッドから落ちて物音を立てたので、私が目を覚ましたのだ。

 

一度父をまたベッドに寝かせてから立たせて、歩行器でトイレに連れて行ったが、今夜もまた何か事件が起きるのかな〜、 とちょっと暗い気持ちである。

10年前の9月13日は、夫コウジさんがくも膜下出血で倒れた日です。

 

この10年、色々なことがありましたが、過ぎてしまえば一瞬のこと。

 

あの時死んでも不思議ではなかったコウジさんは、今日もすこぶる元気に動き回っていました。

医療はすごい。 命はすごい。 有り難いことです。

 

毎年この日はブラックジョークで、ケーキを食べてコウジさん誕生を祝うのですが、今年は余裕がなくてそんな気にもならず、なんてことなく終わりました。

 

今日は午前中、コウジさんに手伝ってもらって父をお風呂に入れました。

 

父は嬉しそうで私も満足ですが、やっぱり疲れるのでデイサービスにお願いできたらどんなに楽か、と思います。 (けれど、「外でお風呂に入るのは嫌だな。」 という父。)

 

それはともかく、来週の土曜日の鳥取講演会の再度お知らせと、来月4日の帯広講演会のお知らせをします。

 

【鳥取講演会】

鳥取県委託事業  平成26年度 第1回高次脳機能障がい支援研修会

 

日時 : 9月20日(土) 10時〜12時

 

場所  : とりぎん文化会館 (鳥取県立県民文化会館) 1階  第1会議室

 

定員 : 180名

 

お問い合わせ :  鳥取大学医学部附属病院脳神経外科  高次脳機能障がい支援コーディネーター  望月さんまで  (電話 0859-38-6767)

 

【帯広講演会】

帯広リハビリテーション講習会 脳外傷講演会

〜 妻が元気でいることが、障害の家族を元気にします 〜

 

日時 : 10月4日(土) 13時〜17時

 

場所 : 十勝リハビリテーションセンター

 

一部 :  講演会 「高次脳機能障害の夫と暮らす」 私

二部 :  「グループ討論」 当事者、家族、医療・福祉関係者等が自由に発言

 

お問い合わせ :  脳外傷友の会コロポックル道東支部 (電話 0155-24-6974)

 

宜しくお願いします。

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大分に入った日は、まるで南国のスコールのような大雨に見舞われましたが、翌日の講演会本番はいいお天気に恵まれました。

 

諏訪の杜病院の武居院長先生の司会で、先崎先生のお話から始まり、私が続き、質疑応答には発言がなく、終了となりました。

 

講演会後、コメントを下さったななははさんや、数人の方々がそばに来て下さいました。

そのあと別室で脳外傷友の会 「おおいた」 の会員の方々とお弁当を頂き、皆さんと貴重な時間を共有できて感謝しています。

 

家族会代表の萱嶋さんのおかげで、実り多い大分でした。 有難うございました。

 

帰宅すると、留守中の父の世話を頼んでいたコウジさんと義母が、疲れ切った顔で迎えてくれました。

 

私が大分での話をしても、2人は 「うん、うん、」 と上の空で相槌を打つだけで、「さあ、もう寝よう。」 と寝ようとしました。

 

父の世話が大変だったかを聞きますと、義母は 「夜中5回トイレに起きた」 「礼ちゃん、これは大変だわ。 何とかしないとみんな倒れちゃうよ。」 と答えました。  ・・・ やっぱり。

 

実は今日、私はちょっと父に頭にくることがありまして、コウジさんが会社から帰ってくる直前から父に口をきいていませんでした。

 

いつものように優しいコウジさんは、「お父さん、只今帰りましたよ。 今夜はお酒のつまみにこれこれを買ってきましたからね。」 と笑顔で話しかけてくれていました (父が家に来てから、父とコウジさんは毎晩晩酌をしています。 そのためおつまみを買う分、お金を多く持たせています)。

 

コウジさんは私の不機嫌を了解して、父の夕食の介助から服薬、トイレ介助、洗顔や歯磨き、ベッドに寝かせるまでをやってくれました (それはいつも私の役目です。 疲れているコウジさんに、申し訳ない、と感謝しながらも、私は子供のようにへそを曲げていました)。

 

父を寝かせて戻ってきたコウジさんにお礼を言いながら、「これを1ヶ月ならできても、この先ずっとだと死んじゃうよね?」 と聞きますと、コウジさんは、「死にはしないと思うけど ・・・死ぬかな。」 と疲れた顔で答えました。  ああ、相当疲れさせてしまったな。 ごめんごめん。

 

一方、母からは毎日何度も電話がかかってきて、「1人看護師さんで、高圧的なものの言い方をする人がいる。」 とか、「我慢しているくらいなら早くここを出たい。」 とか、「もう歩ける。」 「リハビリしてもらったら、かえって痛くなった。」 「あなたから病院にそう電話してくれないか。」  など、色々不満があるようです。

 

私は、母がきっとなぜそうしなくてはならないかを理解していないだけで、看護師さんや病院側に非があるとは思わないので、「私まで変な家族になりたくないから、電話しない。 (変なことを言うのは母だけで結構。)」 「リハビリしてくれたスタッフに、痛くなった、と自分で言えばいい。病院や医師に電話することはない。 勿論、耐えられないほどの痛みなら、話は別だけど。」 など返事しました。

 

母はその後よく考えたようで、「耐えられない痛みではない。」「この病院にもう少しいる。家に帰っても誰もいなくて困るから。」 と電話してきました。

 

とはいうものの、母が退院するのもそう遠い話ではないでしょうし、退院したあと自宅にヘルパーさんなり家政婦さんなりがいないとやっていけないと思うので、探し始めようと思います。

 

 私はこういう両親に、いかに私も両親も納得できる方法で、この先生活していってもらうかを考えなくてはなりません。

 

ところでウメが、昨日退院してきました。

 

切除した腫瘍は、現在病理検査に出していますが、元気いっぱいのウメと散歩してきました。 あまり歩いてはいけない、と獣医さんからは言われていますが、ウメが長く歩いては糞をしたりオシッコをしたりなので、ウメの気が済むようにしました。 かわいいウメ。 検査結果が、何でもなければいいね。

 

まだ日中は暑いけれど、ドングリやギンナンが早くも落ちていて秋の気配を感じました。

 

年内には、両親もどうにか落ち着いているかしら・・・

もちろん、そのためには私はもうひと踏ん張り、ふた踏ん張りしないといけないけれど。

大分から戻ってブログを書こうとしても、父の世話や、父母に関する諸々の用事に時間がとられて、なかなか書けずにいます。

それでも少しずつ書いていきますね。

 

1. まず、大分講演会の話から。

 

7日の大分講演は朝9時半からでしたので、6日に大分に入りました。

私の留守中は、コウジさんと姑に父の世話を頼みましたので、安心して。

 

大分空港に脳外傷友の会 「おおいた」 代表の萱嶋さんが迎えに来て下さり、大分県の高次脳機能障害支援拠点機関の1つである、別府リハビリテーションセンターへ案内してくれました。

 

山の中腹の広大な敷地に建つその建物は大変立派で、センターに入ると、直線距離120メートルの廊下に目を見張りました。

部屋数も多いし、部屋の中も広い。

こんな素晴らしい建物は、JAが建てたそうです。

障害者の方々が農作物を作られる、大きなビニルハウスもありました。

 

センターの周りも硫黄の匂いが満ち、あちこちに白い湯煙がたっていました。

別府の人は家にお風呂がなく (ある家もありますが)、皆さん外の温泉施設に入りに行くそうですよ。 羨ましい生活です。 住みたいなあ。

 

センターの職員の方々数名が対応下さいましたが、皆様拙著を既に読んで下さっていてお持ちだったので嬉しく思い、サインしました。

熱心な職員の方々を、有り難く、そして心強く思いました。

 

そのあと大分駅に行きました。

駅構内には、諏訪の杜病院が運営されている地域福祉作業所 「工房きらら」 で高次脳機能障害者の方々が作られた革製品を売る、「一坪の店コーナー」 があります (そのお店の詳しい話は、また後日書きます)。

 

そこで自分やコウジさんやワッチ、父、姑にお土産を買いました。

 

夕食を、萱嶋さんや諏訪の杜病院 (もう1つの支援拠点機関) の武居院長先生、病院スタッフの方々、そしてお名前は存じていましたが初めてお会いした先崎章先生 (東京福祉大学教授、埼玉県総合リハビリテーションセンター医師) と共に頂き、ひさしぶりに華やかな時間を持ちました。

 

そしてホテルの部屋で、これまた久しぶりに5時間も寝られて、リフレッシュしました。  (つづく)

 

2. ウメの手術の話を。

 

大分から帰った翌日、ウメの腫瘍の手術のため、ウメを連れて散歩のふりして家を出ました。

もし車に乗せでもしたら、きっとウメは (病院だ!) と警戒してしまい、連れて行きづらくなるので。

 

けれど嬉々として歩いていたウメは、病院の50メートル以上手前から嫌々を始めました。

 

逃げ出そうとするウメを抱えて、私は仕方なく歩き出しました。

ウメは16キロありますから、重くて重くて。

 

肩に担ぐと少し運び易くなったので、そのまま横断歩道を渡り、なんとなく周囲からの視線を感じながらやっとこさ病院に入りました。

 

ウメはキャンキャン暴れていましたが、若先生にリードを引かれると、途端にスタスタ (まるで嬉しそうに?) 歩いて奥に消えてしまったので呆気にとられました。

 

そのあとウメは全身麻酔をされ、念入りに身体を検査されたあと手術とのこと。

 

帰宅してからずっと祈っていて、手術が終わった夕方頃電話をすると、手術は無事に終わったとのことでした。

 

すぐウメを引き取りに行くと、ウメは寝ているそうで、ホルマリンに浸かった切り取った腫瘍を見せられました。

 

中身が詰まった腫瘍 (ガンのように) だと沈むそうですが、ウメの腫瘍ははんぺんのように浮いているので、多分良性の脂肪腫とのこと。

 

でも病理に出して、良性か悪性かわかるのは数日先だとのこと。

 

家で過ごす場合の数々の注意点や、2日後に包帯がずれてないかのチェックなどに、ウメをまた病院に連れて行くことなどを考えると、このまま預けておいた方がよい、となりウメは入院しています。

 

家に連れ帰って傷口が開いたり、子猫のハルが包帯にじゃれて ほどいてしまったら困りますからね。

 

ウメももう立ったり、病院スタッフの方々におなかを出して甘えているそうなので、安心しましたし。

 

3. 父の様子

 

父は相変わらず、夜中2時間おきにトイレです。

なので私も相変わらず、睡眠不足。

 

食事介助にも毎回1時間かかるので、食べさせている私も飽きてきたり、私の食事が冷めてしまうので食欲もなくなり、私も少し痩せてきました。

 

コウジさんも優しいので、父に献身的に接してくれています。

でもコウジさんも疲労の色が濃くなってきていて、このままでは父だけ元気で、私とコウジさんとワッチが疲れてしまうので、なんとかしなくちゃなあ、と色々考えているところです。

 

4.  母の話も。

 

5日にリハビリ病院に転院させてから、それっきり1度も病院へは行けてないので、母の様子は母の電話で知るよりほかはないのですが、まあなんとかやっているようです。

 

でも心配なので、今度の三連休にはコウジさんに父を見てもらって、ささっと母の様子を見てこようと思います。

 

来週は鳥取講演。

そのたび姑に来てもらっては、姑まで疲れて倒れてしまうので、ショートステイサービスだけを提供している施設と契約し、そちらに父を預けることができました。

 

デイサービスを拒む父のためにケアマネさんが見つけてきて下さった施設で、介護つきホテルのような所です。父はそこならいいみたいなので (それも不承不承ですが)、ほっとしました。

 

そんな感じです。

ではまた。

時間にも心にも身体にも、余裕のない日が続いています。

特につらいのは、夜寝られないこと。

 

夜は2時間おき (ひどいと1時間おき) にはトイレに起きる父の介助のため、続けて2時間寝られたならラッキーな方です。 合計でも1日2、3時間しか寝られていません。

父がこの家に来てから20日、私はベッドで寝られず、父のそばでソファで寝ています。 それも、ぐっすり寝られない原因です。

 

父はトイレへは歩行器でどうにか行くので、その気配で私は起きます。

用足しが終わった父に紙パンツとパジャマのズボンをきちんとはかせ (いつも半分までしかはけていませんので)、場合によっては新しい紙パンツや尿取りパッドを取り替えたり体を拭いたりします。

 

そのあと、歩行器につかまりながら足ひとつなかなか床から持ち上がらない父に、「足あげて!」 と苛立ちながら紙パンツやズボンをはかせます。

 

歩行器でベッドまで連れて行き、重い人形のような父の体をやっとこさベッドに座らせ、両足を持ち上げてベッドに横たえます。

すべてが腰にくる作業で、きついですねえ。

 

父を寝かせたあと、そばのソファにやれやれ、と私も横になって5分もすると、寝息を立て始めていたはずの父がまたもぞもぞ起き出すことも。

 

「どうしたの?」 と聞きにいくと、「トイレに行こうと思ってね。」 と答えます。

「だって、今行ったばかりだよ?」 と言うと、「え、そうかい? じゃ、出ないね。」 と答える父を、またスローモーションのようなゆっくりした動きで、ベッドに横たえます (とにかく体が固縮してしまっていて動かないのです)。

 

こんな調子で一晩中父を見守っているので、絶望的な気分に陥りますが、もう最近は眠ることを諦めた出しました。

 

眠らなくてもいい、と開き直ったら気が楽になり、5分でも深く眠れたら大丈夫な気になってきました。

 

ところが昨日初めて、日中に寝込んでしまいました。

母の転院に関わる書類を記入していたら急に頭が重く働かなくなり、父のそばでは落ち着かないので、用事があるふりして1階のワッチの部屋に行き、ワッチのベッドの上に倒れ込んで前後不覚になったのです。

 

ハッと目が覚めると、40分ほど経過していたので、(父は大丈夫だろうか?) と慌てて2階へ行くと、父はトイレにいたので安心しました。

 

私がしばらくの間いなかったことも気づいているのかいないのかわからなかったけど、おかげでスッキリした頭で父の昼食の用意にとりかかることができました。

 

あとは洗顔や歯磨き、入れ歯の手入れなども介助は大変ですね。

体を拭いたり、頭をドライシャンプーで洗ったり。

巻き爪の爪を切ったり、鼻毛や耳の手入れやひげ剃りをしたり。

 

食事介助に毎回1時間かかるのも、つらいなあ。

小さく切って口に運んであげないと、自分ではすぐ疲れて食べなくなるのです。

けれど、うちに来てから父の体重が4、5キロ増えたのが嬉しいです。

 

でも食事介助の3時間もあれば、私は買い物やウメの散歩、ちょっとした用事や仕事もできるので、なんとかヘルパーさんを入れたいと思っています。

まだ時間に余裕なくて、何も調べていませんが。  父は要介護3なので、もっとサービスを利用できるはずなんですが、何が必要だということすら、余裕がなくて考えられていない状況です。

 

とにかく母が明日 (もう今日) 転院になったので、それがまた大変。

 

転院には私が行かなくてはならないから、留守中父を見てもらうために、またまた深谷から義母に来てもらうことに。 義母にも申し訳ない。

 

その母ですが、入院中の間に妄想や作り話が目立ったのが心配。

私も20日のうち3日しか行けなかったし、個室で刺激もなく、頭が混乱している模様。

 

そのためにも早く母をリハビリ病院に移し、そして家に戻そうと思っています。

 

とはいっても、コウジさんやワッチ、ウメやハルちゃんの世話をしている私は、実家で母の世話ができないので、ヘルパーさんか家政婦さんを雇うことになるかもしれません。 ほかの道も考えていますが、とにかく母1人では心配です。

 

あさっては講演のため大分に前日から入りますが (義母とコウジさんに父をお願いし)、こんなバタバタで講演会へ出かけるなんて初めてです。

でも、3週間ぶりにやっとベッドでゆっくり眠れることが、ものすごく有り難いです。

 

勿論、大分で新しく繋がりができることが、一番嬉しいです。

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