日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2014年10月

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昼間は暑くて、半袖のTシャツでウメの散歩をしていたのに、今ベランダに出てみたら、冷たい風が吹いていて、冬が近づいているな、とワクワクしました。

 

私はいつも書いているように、キーンと凍るような空気の冬が好きです。

逆に5月から10月の暑い時期 (長すぎる!) は苦手です。

 

よし、これからは身も心も上向きになるぞ、否、なりたい、否、ならなくちゃ。

 

明日はまた、老健に行きます。

父の服やマグネットの囲碁セットなど持って、父の様子を見に。

 

その前に実家に寄って、私の家に持ってきていたポータブルトイレや父の服、紙パンツ、風呂椅子などを置いていかなくては。

それから、私が父のためにアマゾンで取り寄せた地酒2本も (広島の賀茂泉と、愛媛の梅錦。、あと父が好きなのは、大分の西の関だというけれど、それは先月大分で買ってきて飲んでしまいました。)

 

老健に入ってても、外出外泊は自由だというので、時々は実家に外出させようと思います。

そのため、実家に地酒を置いておけば飲めるので。

 

父は会社勤めの時、社内で地酒会の会長をしていたくらい、お酒が好きです。

飲酒禁止の老健では、気の毒だけど、決まりだから仕方ない。

 

老健と実家は同じ横浜市内ですが離れているので、明日はまた1日がかりの行程です。

だからもう寝ます。

 

あ、そうでした。 老健入所日の話の続きをしていませんでした。

 

会議が終わって父のところに戻ると、父は昼食中でした。

職員が数人、甲斐甲斐しく父に話しかけたり世話を焼いて下さっていました。

 

父は私に気づくと、開口一番 「おいしいよ!」 と言ったので、私も職員の方々も笑ってしまいました。

 

見ると、混ぜご飯に魚、サラダ、お味噌汁などで、3時にはおやつが出るそう。

おやつはお饅頭だったりおせんべいだったり。

その日は、オレンジゼリーでした。

 

自動販売機も幾台かあって、父の好きなサイダーもちゃんと売っていたのでほっとしました。

 

父の部屋からは富士山が見えるそうですが、その日は曇っていて見えず、昨日も今日も電話で確認したところ、相変わらず見えていないそうです。

 

それから話は変わりますが、こんなバタバタの中、猫のハルちゃんに避妊手術を施しました。

 

コンビニ袋に入れられて、多分生後2週間くらいで捨てられていたハルちゃん。

里親になれるためには、決められた時期にワクチン接種と避妊手術をすることが、譲渡の条件でした。

 

またそのへんの話も書きたいと思いますが (尊厳死の話も中断したままですみません。)、ハルとウメのかわいいツーショットを添付します。

 

この2匹に、我が家はどれだけ救われていることか。

大切に育てていますよ。

父は一昨日、横浜にある老健  (老人介護保健施設) に入所しました。

ここに至るまでの話は色々ありますが、それはあとにするとして、一昨日の様子を記します。

 

朝8時半にタクシーで出発、渋滞に巻き込まれながら老健に到着すると、すぐ父は自分の部屋に車椅子のまま案内され、沢山の職員の方々に囲まれました。

車椅子からベッドに腰掛けるまでにも数人の手を借りて、腰掛けるとすぐ、血圧を測られたり質問されたりが始まりました。

 

職員の方々は、「え、病院からじゃないんですか? ご自宅から来られたのですか?」 とびっくりされていたので、普通病院から来ることが多いのかな、と思いました。

まあ、これだけ体の動かない父を自宅で見ていたわけだから疲れるのも当然だな、と人知れず頷いていた私です。

 

医師もいらして、父の身体チェックをされました。

 

そのあと私だけ広い会議室のようなところに呼ばれ、そこに先程の医師 (施設長だそうです)、理学療法士、作業療法士、管理栄養士、介護士、看護師、ケアマネさんその他色々な職業の方が皆一同に会して席に着いたので、何が始まるのかとびっくりしました。

私はただ入所手続きして、少し父と話したら帰るのだろうな、と思っていたのですが。

 

まず医師が、父を診察した結果のおおよその話をされました。

それによりますと、父は手の力が弱く、関節が硬く、拘縮があり、足の膝の関節は曲がって拘縮は手よりさらにひどく、前かがみで前屈なんとか症だそうで、肺は少し弱いがほぼ正常で、心臓は昔動脈硬化症を起こしていたようで薬も飲んでいるし雑音あり、弁膜症がなんとか、でも今の調子はおおむね良好云々… と、よどみなく話されるので驚くやら感動するやら。

 

職員の方々は真剣にメモされていて、学校のよう。

 

手の話の時に、医師は 「関節は硬いけれど手首や足首の動きはいい。 何かリハビリしていましたか?」 と私に質問されたので、「週1回近所の機能訓練特化型リハビリに3時間だけ通っていましたが、 それも数回です。 ただ父は、ずっと家では書類整理をしていました。 ガッチャンと穴をあける機械で書類に穴を開けたり、それにリングや紐を通したり、ファイルしたりをしていたので、それが良かったのでしょうか。」 と答えました。

 

医師が 「それはいいことです。」 と仰ると、ほかの職員の方々は、そのやりとりをまた必死にメモされていました。

そして医師は 「それではまずそちらからどうぞ。」 と、端から順番に職員に所見を述べさせ始めました。

 

最初はたしか、作業療法士さんだったと思います。

医師の話を受けて、自分が父に施すつもりのリハビリについて話されたあと、私に質問。

 

「お父様は日中は何をされていましたか?」

私はすかさず、「書類整理です!」。

 

皆がなぜかどよめく中、父が企業で役員を15年務めた仕事人間で大変真面目で細かい性格なこと、家では株だとか貯金通帳だとか、色々な手紙や資料を整理していて、私はさながら秘書のようにその手足となってこの2ヶ月以上動いていたこと、を話しました (これもいつかブログで書こうと思っていましたが、ホント大変でした)。

 

また、新聞に載った株価を虫めがねでチェックしては、ラインマーカーで塗っていたことを話しますと、医師は 「仕事が好きだったのですね。 また、社会との接点を持たれようとしていることも大変いいことです。 ここでも、お父様がお好きなそうした仕事をされていることがいいので、何か用意した方がいいでしょう。 何もすることがないと入院していた病院で起きたような 「せん妄」 が起きますから。」 と仰いました。

 

するとほかの職員の方々が口々に、「部屋のテレビはBSが映らないので、ご自宅からBSの写るテレビを持ってこられたら部屋のテレビと替えて、株価をずっとご覧になっていてもいいですよ。」 だとか、「この階の新聞はあまりほかの方読まれていないので、ラインマーカー塗られていいですよ。」 だとか、「机を持ってこられていつもなにか書かれるといいですよ。」 だとか、「何か購読されるならとりますよ。」 だとか話されました。

 

有り難いな、と思いましたが、父は株価ばかり見ているわけではないので、何かそんなに重要でない書類 (なくなってもいいもの) を持ち込もうと思います。

 

次の発表者は、管理栄養士さんだったか。

(父が小柄なので、) 「あまり量も召し上がらないと思っていましたが、娘さんの話から沢山食べられることを聞き、常食で1600キロカロリー、一口大にしようと思います。」 「むせがあり誤嚥性肺炎も起こしたことから、お茶や汁物もとろみをつけ、お皿は自宅で使っていたように唐小鉢と小スプーンを用意しようと思います。」 云々と話されました。

 

私も (すぐ口出しする私)、「そうです、お茶や水はむせるので、薬を飲む時は飲むヨーグルトやエンシュア、牛乳などで飲んでいました。」 と得意げに言いますと、「牛乳はスッと喉に入ってしまうので、ヨーグルトにしましょう。」 とのこと。

 

「ヨーグルトですか? 飲むヨーグルトではなく?」 と更に図々しく聞きますと、「飲むヨーグルトはこちらには用意がなく、ヨーグルトでいいと思います。」 とのこと。  たしかにそれでいいな、と思い、頷く私。

 

さらに私は、「父は意外と若者のような食事が好きで、カキフライなどの揚げ物も好きですし、パンも好き、お刺身も好きです。」 とアピールしました。

栄養士さんは、「揚げ物は出ますよ。 パンは週2回、お刺身は何かの行事の時かな。」 と仰るので、安心しました。

 

栄養士さんは、「血圧のことがあるので、塩辛いものはどうしましょうか。」 と医師に質問され、医師は、「お父さんはしょっぱいものはお好きですか?」 と私に聞かれ、私が 「大好きです。」 と答えますと、「うん、まあ普通に食べてもらっていいでしょう。」 と言われたので、良かった、と思いました。

 

次の発表者は、多分理学療法士さんだったと思います (沢山いらしたので覚えきれず)。

「もう今までのお話を聞いていて、大体わかりましたので、特にお話しすることはありませんが・・・」 と言いかけると、医師がうんうん、と頷きながら、「とにかく、拘縮をとるリハビリと、筋力をつける、この2つをやってもらって、自宅に帰ってもらいましょう。」 と言われたので、益々嬉しくなりました。

私も父も、父が良くなって自宅に戻り、母と暮らせたらそれが一番嬉しいのです。

 

次と次が介護士さんや看護師さんだったと思いますが、お2人は、「転倒しないこと、ナースコールを遠慮しないで押してくれること、見守りが大事だと思うこと、コミュニケーションをよくとるよう心掛けたいこと」、云々を話されました。

 

そして最後に医師が、このメンバーで私の父を3か月サポートすること、2週間後にまた集まってプランの見直しをすることなど話され、「では頑張りましょう」 と一同解散となりました。

 

このプロフェッショナル軍団に父がこれから3か月お世話になれるのかと思うと、嬉しくて興奮さめやらぬ顔で、廊下で近くにいた職員の方に質問しました。

 

「すみません、私、老健さんてよく理解していなかったようなのですが、どこでもこんな会議を持たれるのですか?」 と。

 

彼女は、「そうですね、特にうちは医師が 「最初に顔合わせして話合うことが大事だ」 という方針を持たれているので、いつもこうですよ。」 と返事されました。

 

うわあ、高齢者介護経験ゼロのシロウトの私が父の世話をしていたこの2か月と10日より、ずっとここの方が父のためになるじゃない! と焦るやら感動するやら。

 

・・・もう長くなりましたので、この続きはまた。

 

父が老健に入る前も入ったあともやることの山で、なかなかここに書けずにいます。

昨日ブログを書くつもりが、例のごとく父の世話で猛烈に忙しかったのと、私が咳まで出始めてしまったので、(まずい!)、と早々に寝てしまいました  (と言っても12時くらい)。

 

父の介護の様子はゆっくり書いていくつもりでしたが、大変なことばかり書いている私を (実際大変であります。)、皆さんが心配されているのが気になってきました。 ご心配おかけしてすみません。

 

まだまだ大変なことを書いている途中でしたが、皆さんに余り心配かけてもいけないので、今日はもう、書くつもりだった順番を変えて、今後の方向が決まったことを先に書きますね。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

父を自宅に引き取って2か月以上が過ぎ、介護の勝手がなんとなくわかってきた一方、心身の疲れはもう最高潮のこの頃。

なにより、父が君臨している今の我が家に、大学受験が迫ったワッチのストレスも最高潮、そして私の手伝いをしてきてくれた夫、コウジさんの疲労もそろそろ 限界にきているようで、父の周りで家族がいがみ合うのにも遠慮がなくなってきていました。

 

3人の怒鳴り声や他愛ない話を日常的に頭からかぶりつつも、ポーカーフェイスの父。

パーキンソンは表情が乏しくなる、と言いますが、父の場合はまだ笑顔も出るので、私達家族のことを呆れているのかもしれない。

 

結構そんなマイペースの父にブツブツ言ったり、声を荒げたりしている私ですが、時には疲れのあまりか上機嫌になってヘラヘラ笑っていることもあり、精神的に危ない。

 

たとえば昨夜は、やっと介護ベッドに乗せて 「軍師官兵衛」 を見せていた父が、うつらうつらして見えたので、(寝ているのかな。 じゃあ電気代が勿体ないからテレビ消そうかな。) と思い、父の顔を真正面から眺めました。

 

目が細く開いているようで閉じているようで、私は手を父の顔の前で振ったり、顔を近づけたり遠ざけたり、ふざけてみました。

 

反応がないので、(やっぱり寝てるじゃん! せっかくテレビの前にスタンバイさせたのに。) とおかしくなって声を出さずにケタケタ笑ってテレビを消しました。

 

数分後また父の様子を見ると、父は目を開けていて、テレビがついていないのを不満に思っている表情をしていましたので、「あら、起きた?」 とがっかりしてまたテレビをつけました。

 

それが、父はずっと目を開けていたようで、今日になって、昨日私が自分の顔の前で手を振っていたね、と笑って手を振るマネをするのです。

 

(ひええ、寝ていると思ってたら大間違いなんだな、気をつけなくては)、と狼狽した私。

 

テレビといえば、昨日は日本オープンをNHKでやっていましたね。

父もコウジさんも見ていまして、番組が終わるとコウジさんはプチッとテレビを消して、「ああ、終わった。」 と楽しげにこっちへ来ました。

 

私が、「誰が勝ったの?」 となにげなく聞くと、やはりいつものように立ち止まり、首をひねるコウジさん。

う〜ん、う〜ん、と考え込んだあと、「片山だ!」 と叫びました。

するとすかさず父が、書類整理する手を休ませもせず、「ウソだよ。」 とポツリ。 (父は書類整理しながらテレビを見ていました。)

 

コウジさんはドキッとした顔で、「違いましたっけ?」 と照れ笑い。 そのあともずっと考え込んでいて、「池田だ!」 とまた叫びました。

 

黙っている父に、私が 「合ってる?」 と聞くと、「合ってるよ。」 と。

それを聞いて、わーいわーい、と喜んでいるコウジさん。

 

もう2か月も一緒に暮らしていると、父にもコウジさんの障害がよく見えただろうな、と安心するような、心配かけてしまい悪いような。

 

ともかく、こんな感じで疲れながらも時々笑える (ほとんど苦笑いですが) 瞬間のある日々を送ってきました。

逆に、今の苦境を笑い飛ばさないとやっていけない、てなもんで。

 

父のエンドレスの介護に今も腰が痛い (足が上がらず、パジャマを着せられないままベッドに倒れてしまった父に、馬乗りになって無理矢理ズボンを履かせたら、アイタタタ・・・・ となったのです) けれど、今日は今後の見通しがはっきりたった日でした。

 

午前は週1回3時間だけのリハビリに行った父、午後は横浜から老健の職員お2人が面会にやってこられたのです。

 

ここへ至るまでの道のりは遠かったような、早かったような。

でももうへとへとの私にとっては、やはり遠く、これ以上遅かったらもうダウンしていたでしょう。

 

● 父がここへ来た当初は、先のことは考えずにやみくもに世話をしていました。

 

● けれどやがて、予想を上回る介護のしんどさに、自分の生命の危険すら感じ始めた時期が訪れました。

 

● そこで無理することをやめ、なんでもハイハイ、と従っていた父に対して、「もうこれからは、私の言う通りにして!」 と自分が上にたって指示することにしました。

 

● そう決めたものの、きりのない介護生活に、私だけでなく夫と娘の疲労の色も濃くなる一方でした。

 

● 夫と娘を守るのは、私しかいない。そう気づくと、夫と娘と自分を優先させつつ、父にも少々の妥協は伴いながらも納得してもらえる道はないか、模索し始めました。

 

● そしてこのブログでコメント下さる方や、親身にアドバイス下さる医療職の知人の言葉を参考にしながら、父を老健に入所させることを考え出しました。

 

● ケアマネさんにも相談、自分で探した老健に実際に見学と話し合いに行ったり、ケアマネさんが教えてくれた、リハビリ重視の高い有料老人ホームにもコンタクトしたりしました。

 

● そんな折、母の知人から横浜のある老健を教わり、そこに惹かれてコンタクトしました。

 

● 入所に必要な書類を送ってもらい、その時父が肺炎で入院中だった病院の医師に相談、健康診断書を書いてもらえることになりました。

 

● 横浜のパーキンソンの病院に受診に行った10月9日に老健入所のための3か月分の薬を頼み、入院した病院には10月16日にやはり内科の3か月分の薬を頼みました  (老健では薬が10割負担になるそうなので、薬は持参した方がいいとのこと)。

 

● 父もこの狭く騒がしい、バリアフリーではないバリア 「フル」 の我が家より、老健に行って毎日のリハビリと介助を受け、そのあと横浜の自分の家に戻りたい、という希望でした。

 

● 私も、せめてワッチの受験が終わるまでは、父に老健か横浜の実家、その他で過ごしてもらうことを望みました。

 

● でも、9月23日に肺炎で急に入院してしまったように、父の体調次第で予定はすぐ変わるため、はっきりどうするかわからない、というのが正直なところでした。

 

そして今日、父の体調も良く、揃った書類と薬を前に、老健との面会が実現し、今週中にも父が入所することに決まったのです。

 

すみません、もう眠くて寝ますが、続きは明日以降にまた。

ということですので、なんとか今の修羅場を乗り越えるところです (それがたとえ一時期的なものであっても)。

介護の毎日が続くと、これは次第に鬱になってくるな、と実感しています。

 

きっとここを読まれる方は、ここの内容に暗い気持ちになるから、次第に遠ざかっていくのでは、と思います。

どうぞ気が滅入る方は、しばらく読まれないで下さいね。 今、何かいい道はないかと模索しているところですので、道が見つかった頃、また覗きにいらして下さい。

 

私自身も、精一杯のことを父にしている自負はありますが、しょっちゅう、「もうやだ!」 と投げ出したくなります。

昨日か一昨日だったかな、ふと、(ああ、もう充分父に尽くしたから、このまま父に万一のことが起きても、悔いはないな。) なんてことまで思ってしまいました。

 

もっと長い時間、もっと重い症状の家族を介護されている方からしたら、甘っちょろいのかもしれませんが、結構体力的にも精神的に 「きている」 なあ、というこのごろ。

でも一方で、私がそんな気持ちになるくらいお世話させてもらえて、父には感謝している自分もいます。

なかなか父とこうして密に過ごす時は今までなかったので、父という人間をよく観察できる機会をもらえて嬉しいのは事実です。

 

とはいいうものの、今もやっとのことで一日を終え、父の洗顔、歯磨き、トイレのあとベッドに寝かせたのもつかの間、げっぷをしたとかで吐き、シーツが汚れ、新しいシーツと取り替えたところです。

 

やれやれ、とそこを離れた途端、ドッシーンというすごい音。

(今度は何?) とびっくりして見ると、床に尻もちついている父。

なんで? 今ベッドに寝かせたばかりなのに。 尻もちついている父の手には、小さな懐中電灯と時計が。

 

いつもベッドで夜中、時間を懐中電灯で確認している父。気が済むよう好きにさせていますが、今シーツを取り換えた時、私はうっかり懐中電灯と時計を枕元に戻すのを忘れ、そのへんの棚の上に置いたままベッドを離れたようです。

 

父は自分で起き上がり、歩行器につかまってそれらを取ったけれど、それらを持った手で歩行器をつかめず、転倒したようです (きっと、私に迷惑かけないよう、自分と取ろうとしたのでしょう)。

 

私は呆れ、「何してるの? 寝てたのに、なんで立ったの?  転んだら骨折するじゃない!」  と怒りましたが、父は何も返事せず。

 

パーキンソンで言葉が遅いのですが、そのことにもイライラしてきて、「もう勝手に骨折したらいいじゃない。 私は面倒見きれません!」  と転んだ父を助けもせず放っていました。  だって、本当にキリがなく、こちらが倒れてしまう。   でもちょっと良心がチクリ。

 

昼間はコウジさんと一緒に、父をお風呂に入れましたが、なにしろ体がほとんど動かないので、こちらが汗だくに。

 

「足上げて!」 といくら言っても父の足は上がらず、足の裏を洗うのは諦めました。

 

本当に、デイサービスに行ってお風呂に入れてもらうか、技術のあるヘルパーさんに入浴介助を頼みたいです。

 

おまけにコウジさんは、すぐ 「もうオレいなくていいな?」 とお風呂場から逃げて行こうとするので、それを阻止するために喧嘩腰になってしまい、お風呂では大騒ぎなんです。

 

デイサービスに行ってくれたら、9時から4時くらいまで私は自由時間が持てるのに、「僕は絶対行かないよ。」 という我がままな父のために、こちらは24時間毎日毎日一緒です。

 

勿論、ウメの散歩や買い物の時は仕方なく、「すぐ戻るから、転ばないでよ! 」「そこにいてよ!」 と口が酸っぱくなるほど言って、すぐ行って帰ってきます。

 

今日、父は2回転倒しました。

なんだかもうこちらも疲れてきて、限界を感じる毎日。

 

薬の話をしましょう。

 

(その1)

父は沢山の薬を飲んでいます。嚥下する力の弱い父が薬を飲むのは大変だろう、とふと思って、「薬をトンカチで叩いて粉にして、ヨーグルトかなにかに混ぜて飲む?」 と提案したところ、すぐ乗ってきた父。

 

ところが薬によっては固い薬もあって、細かい粉にするのが大変だということがわかりました。

 

面倒臭くて、自分が言いだしっぺなのに文句を言いながら粉にしていた私を、冷めた目で見ていたワッチが一言。

「粉にしていいの?  胃で溶ける、腸で溶ける、とちゃんと意味があってそれぞれコーティングされているんじゃないの?」

 

その鋭い指摘に、肉叩きで薬を叩いていた私の手が止まり、私の手元を見ていた父も顔をあげてワッチを見ました。

私 「それ、あるかもね。」 父 「そうかもしれないね。」

 

そのワッチの言葉により、私の面倒な仕事が1つ減り、父はまた元のように一粒一粒、頑張って飲んでいます。

ワッチが後で調べたところ、やはり医師の許可なく勝手に砕いて飲んではいけないそう。

すごいぞ、ワッチ。  助かった。 ウヒヒ。

 

(その2)

父が飲んでいる薬で、父が苦手なものがあります。  それは「パナルジン」。

砕いて飲んだ時、苦かったそうです。

 

砕いて飲んではいけないだろうに、父はメネシットやいくつかの薬は、ちょっと噛んでしまって飲んでいる模様。

 

コウジさんに服薬の手伝いをお願いした時、父はコウジさんに聞いていました。

「パナルジンはどれかね?  ムコスタは?」

 

コウジさんは、「こっちがムコスタですよ。」  と父に一粒渡し、それを噛んだらしい父は、「うわあ、これもひどい味だね。」  と苦虫をつぶしたような表情。

 

私はそれを何か作業しながら聞いて、「へえ、ムコスタもまずいんだね。」  と特に気にせずコメント。

・・・ でも、待てよ、コウジさんのことだから、怪しい。 作業の手を止めて残った薬を見に行くと、その錠剤には「ムコスタ」の印字が。

 

「あれ、こっちがムコスタだから、今父が飲んだのはパナルジンだよ。」

それを聞いたコウジさんは父に平謝り、父は笑いながらも、「まずいのがいつまでも口の中に残るんだよね。」 とぼやいていました。

 

コウジさんは薬を砕いて父に飲ませた時、「ちょっと砕き方が粗いのがあったね。」 と言われていました。

 

せっかくやってくれているコウジさんが気の毒で、父に隠れて私はコウジさんをいたわってあげましたが、結構父は言うので、それもやれやれです。

 

ではまた。

あ〜、今日も疲れたび (かなり古い?)

 

明日はワッチは模試です。

忘れ物しないかくらいはチェックしてあげたい。

また少しあいてしまいました。

書く時間がなく、毎日過ぎていました。

 

イライラするのは、こうして自分の時間がほとんどないからと、やはりかなり疲れているからでしょうねえ。

いつも、「は〜、くたくた!」 と言ってます。

父が聞いてても、もう関係なし。

「腹ふくるるわざ」 というように、自分にため込んでいてはダメなのです。  どんどん言ってしまう。  書いてしまう。  でも書くヒマがない。  困った。  でも、今少しなら書ける。  だから書きます。

 

書くとやっぱり楽しいし、ほっとします。

このブログは、いまや私の精神安定剤です。

主婦の友社さん、有り難う。  皆さん、有り難う。

 

新しいできごとから遡ります。

昨日10月16日は、父を連れて先日まで入院していたT病院へ行きました。 体の動かない父の移動は、ホント大変ですよ。

退院後の検査をすると、肺炎はもうきれいになっていました。  良かった。

 

パーキンソン以外の薬 (甲状腺や心臓の) を処方してもらいましたが、急いでいる私は、「一包化の指示が出ているので、薬ができるまで時間がかかります」、と病院前にある院外処方の薬局で言われました。

 

もう車椅子に座っているお尻が痛くて1分も待てない父のため、着払いで送ってもらうことにして帰ってきました  (ちなみに横浜のパーキンソンの病院前の薬局は、薬局負担で送ってくれますが)。

 

入院原因だった誤嚥性肺炎を繰り返さないよう、しかも父の意向にも沿うよう、現在父の食事にはすごく気を付けています。

 

父の食べたいものを、細かく細かく、けれど細かくし過ぎず、ゆっくり食べてもらっています。  ・・・だから膨大な時間がかかるのだ。  とほほ。

 

介護タクシーを使わなくても、もう慣れたから私だけで父を病院へ連れていけそうでしたが、何かあった時 (たとえば、急に私の都合が悪くなったとか、父がもっとヨロヨロになって私1人で支えられない時とか。) のために、一応契約した方がいい、とケアマネさんが言うのでそれに従い、今回利用しました。

 

ふむ、たしかに車椅子に乗せてくれて移動は楽ですが、父はすごく時間かけても歩行器で頑張って歩いているので、今のところ介護タクシーは絶対必要、ということではないな。 お金かかるし。

 

それにしても、私が免許持っていて良かった!  とつくづく思います。

運転はヘタクソだけど、父をどこにでも連れて行ける。

 

一昨日の10月15日は、父を眼科に連れて行きました。

その日初めて知ったのですが、驚いたことに、父は左目が見えていませんでした。

 

左目の緑内障は、J大病院で何年か前に手術したのですけど、それでもどんどん視野欠損は進んだようです。

 

その近所のN眼科医 (いつも私、ワッチ、コウジさんがお世話になっている) が言うには、父は慢性の閉塞隅角緑内障で、痛みを感じないまま、ゆっくり進行したのだろうとのこと。

 

父は元々無口であんまり弱音を吐かないものだから、私は視野は欠けているのは知っていましたが、少しは見えているのかと思っていました。

道理で、歩くのも、食べるのも、父は距離感がつかめず苦労していたわけです。

 

右目は幸い見えていて、少し緑内障は始まっているものの、半年に1回の健診でいいとのこと。 ほっ。

 

そもそも眼科医に行ったのは、父が自分は白内障だ、黄斑変性症だ、見えづらい、と普段無口なのにうるさいのと、左目の緑内障の進行具合が気になったからです。

 

横浜のわりと大きなS病院に、もう遠くて通えないJ大学病院から紹介状を頂いて、7月に一度検査をしてもらったものの、次回が9月、という悠長な話でした。

 

その間に母の入院、 父を世田谷に引き取っての介護が始まり、予約の変更を繰り返し、益々横浜のその病院から遠ざかっていました。

 

そしてとうとう、ここ世田谷からそこに通うのも面倒なので、もう家の近所の眼科医でいいじゃん、そこへ行くといつもすぐ治るし、と思い出しました。

 

ウメの散歩の途中で急に思いついてそのN眼科に寄り、かくかくしかじかと経緯を話し、雨で空いていたその日、すぐ父をみてもらえることになりました。

 

急いでウメと走って帰り (いつものそのそ歩いているウメも、私が急いでいるので一所懸命走ってくれました。 でも、やっぱりちょっとのろい。)、父に服を着せ、階段を早く早く、と降りさせ、靴下と靴をはかせ、手引き歩行で車に乗せると、すぐ眼科へ。

 

さきほど話をした看護師さんらが出てきて、父の歩行を手伝ってくれ、患者さんまで手伝ってくれました。

有り難い。 それほど父の様子は、助けてあげなくては、と周囲の方に思わせるものなのでしょう。 助かりました。

 

いつもお世話になっている医師は、私の顔を見るなり、「なあんだ! (あなたか!)」  と笑い、父の目を1時間くらいの間に詳しく検査してくれ、左目が見えていないこととその理由、でも右目は大丈夫だから 「お父さん、大丈夫。 長生きして下さいよ!」 とガハハ、と笑って励ましてくれました。

 

そして、「こんな (パーキンソンで歩けない) 状態で、何度も病院なんて無理! 一度で済ませなきゃ、本人も家族も大変だよ。」 と優しい言葉。

 

ああ、これからはもう大きな病院ではなくて、近所の病院がいいなあ、とつくづく思いました。特に年をとったらね。

 

大きな病院は、変な話ですが、元気じゃなくちゃ行けませんよ。

とにかく待つから、患者にはつらい。

 

だって10月9日に父を連れて行った、パーキンソンのY大学病院は、12時の予約なのに診察室に入れたのは1時半。 つまり1時間半も待たされたんです。

 

しかも院外処方の薬局では、さらに1時間待たされました。

 

もう父もくたくたでしたが、私なんか世田谷から横浜まで往復運転して、病院ではやれ文書窓口だ (特定疾患医療受給者証の内容が変わるらしく)、やれ薬局だ、会計だ、と駆けずり回って、もうくたくたなんていうものを通り越していました。

 

実家にも寄って、母の様子見たり、お昼ご飯買いに行ったりもしたし、なぜか実家に母のケアマネさんとヘルパーさんもいらしていたので、びっくりしながらも話し合ったり。

 

母が急にお2人を呼んだそうですが、実は母の方も認知の面で心配があります。

 

父が落ち着いたら、今度は母の方だぞ~。 ガンバレ、私。

 

どんどん長くなるので、このへんで区切ります。

ではまた。

 

余談ですが、父が緑内障なので、私も遺伝でなるかもしれず、N眼科に近く検査に行こうと思います。

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