日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2014年12月

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寒くなるのが例年より早いペースだそうですが、本当に寒いです。 寒いというより、冷たい。

 

なかなか帰ろうとしないウメのお尻を押して、北風に身を縮めてやっと散歩から帰ってきた時には、体がカチンコチンになっています。

 

そのくせウメは家では、コタツの中か、ストーブの前から動かず、とうとう尻尾を焦がしてしまいました。

 

ワッチが焦げたところを切り揃えてくれましたが、くるんと巻いたフサフサの自慢の尻尾が、不格好な尻尾に。

 

実はガスや灯油より、電気ストーブが火災の原因としてダントツだとか。

電気ストーブから最低1メートルは離れないと危ないそうですから、皆さんも気をつけて下さいね。

 

外飼いの犬や雪国の犬も、寒かろうね。

 

ところで一昨日は、コウジさんの高次脳機能障害の主治医のところへ、久しぶりに診察を受けに行ってきました。

 

というのも、会社の上司からメールを頂いていたからです。

 

内容は、コウジさんの記憶力が最近低下しているように見受けられるのですが、とのことなので、それならば主治医を受診してみよう、と思ったのです。

 

私から見れば、コウジさんは相変わらず記憶力悪いけれど、それはいつもと変わらない程度という認識だったので、焦りました。

 

毎日コウジさんを見ていて慣れてしまっているので、もし記憶障害が進んでいるとしても気づいていなかったのだろうか?と。 (その前に、記憶障害は改善しこそすれ、悪化するのだろうか?とか。 その場合、何か薬で対処できるのだろうか?とか。)

 

もっとも、家と会社とでは頭の使う場所も違うでしょうから、会社の頭の方で障害症状が進んでいても、私はわからないのだろうか? とか。

 

上司が書いてきて下さったのは、以下のような指摘です。

 

1・ 今日の曜日がわからない

 

2・ パソコンの管理パスワードを忘れ、ログインできない。

 

3. コピー機やシュレーダーに入れる紙の枚数が多すぎて、故障の原因になる。 何度か指導を行ったが、覚えられない。

 

4. 直前の行動を覚えていない。

 

5. 退社時の打刻 (パソコン) を忘れてしまう。  など。

 

また、昼休みも早く切り上げて仕事に入るため (おお、偉い!)、「くつろいでいて下さい。」 と言うと、具合の悪い人が休むソファーに、靴を脱いで寝ていたとか。

そこまでリラックスされるのも困るので、今度からは 「机で」 と入れるようにして下さるそうです。

 

2番の管理パスワードですが、個人情報保護の面から、最近3か月ごとに変えなくてはならなくなり、しかも3回 (種類 )のパスワードを入力するのだとか。

 

それはコウジさんに、はハードルが高い作業だな。

 

余りに覚えられないので、コウジさんにだけ特別、秘密の場所にパスワードを書いた付箋紙をつけることにされたそう。

 

ところがコウジさんは、その付箋紙をつけた場所はおろか、つけられていることも忘れ、やはりログインできないのだとか。

 

そしてコウジさんは仕方なく、他の社員の開いたパソコンをちゃっかり使わせてもらっているそうです。  あちゃ~。

 

長くなりますので、今日はここまでにします。

 

続く

ついこの間12月に入ったと思ったら、もう中旬です。

 

年賀状はまだ買ってもいないし、クリスマスカードは買ったけどまだ書いていない (去年は忙しさにかまけて、結局書けなかったし)。

 

去年はなかった両親の用事が色々あったり、ワッチの受験が近づいていたり、コウジさんの2カ所の病院受診予約を入れたり、で今年の12月はすでに気疲れしている。

 

コウジさんの病院?

ええ、先月、会社の健康診断結果が送られてきて、「要精密検査」 とあったのです。

白血球が高いとか、胃や尿に所見があるとか。

 

ちょうど健診を受けた時は、コウジさんの頭と耳の皮膚炎が最高に悪化していた時で、枕カバーに血や膿みがついていた頃だ。

 

「触っちゃだめ!」 といくら私が言っても、手がうるさい彼はしょっちゅう頭や顔、耳をいじっているので、治るものも治らない。

一体この皮膚炎は、何なんだろう?

くも膜下出血を起こしたこととは関係ない、と脳外科医師には言われたけど。

 

いつもなら私が毎日薬を塗布して治るのだが、両親のことで忙しくてずっと塗布を手抜きしていたせいで、悪化してしまった。

 

白血球値が高いのはそのせいだと素人考えでは思うのだけど、心配なので会社から有休を頂き、来週精密検査の予約を入れた。

 

また、会社上司から、「最近記憶力低下が目につく。」 と具体例とともにメールが送られてきたのも先月。

 

ちょうど折りよく、コウジさんの就労の時にお世話になったナカポツさん (障害者就業・生活支援センター) から、コウジさんの仕事ぶりを見に行きたい、と言われていたので、先週上司と話をしてきて頂いた (その話はまた次回で)。

 

そこで、久しぶりにコウジさんの高次脳機能障害の主治医の診察を受けに行くことにし、あさって予約を入れた。 その日も有休を申請した。 上司から指摘された件での受診なので、快諾して頂いたが、1月に2回の有休は初めてだ。

 

すると、ナカポツさんも 「同行したい」 と言われるので、主治医にも了解を得て同行してもらうことにした。 有り難いことだ。

 

一方老健には、年末年始の父の外出・外泊について相談している。

 

父は老健の手厚い看護のおかげで落ち着いているが、一昨日はちょっと不調だったようなので、病院が休みの年末年始の外泊は不安である。

さて、どうしよう。

 

今日は衆議院選挙だった。

かかる費用は7百億円らしい。

 

それだけのお金があれば、どれだけの大学生の奨学金を賄えるだろう。

わが国の奨学金が貸与型ばかりで、給付型がほとんどないのはおかしい。

これからの日本を支える若者に、自由と機会をどんどん与えなくてはいけない。

 

国会議員数を減らしたり、文書通信交通滞在費をなくしたり (実際にかかった費用をチェック後支給、というのがいい。)、国家の浪費をやめ、その分を福祉や、大学で学びたい人が皆大学へ行ける国にするために向けるのは、難しいことではないと思うのだが。

 

この国が変なのは、それだけではない。

 

東北大震災後、いまだ避難場所や仮設住宅に暮らす人の数は数十万人で、破壊した福島原発からの放射線汚染により人が住めない地域が、依然 (この先もずっと) 存在している現実があるのに、それをまるで他人ごとのように思っている人が多くないか?

 

年末年始に海外旅行へ行く国民の数は、過去2番目の多さだという。

海外や国内の保養地へ行くよりも、同じ国内の地、人に目を向けてほしいと思うのだけど。

 

殺処分されている犬猫が20万匹近くいる一方、ペットショップで犬猫を買う人々が多いのも奇異だ。

そういう人達に、日本の犬猫が置かれている現状を教えて (多分知らないのだろう)、ペットショップで犬猫を買うことをやめてもらわないといけない。

 

今回の選挙でも、原発推進、特定秘密保護法を施行する自民党に投票した人の多さに呆れている。

それ以前に、52パーセントという投票率の低さ。

日本人であること、日本に住んでいることが、嫌になってしまう。

 

ああ、ネガティブな文で終わるのも嫌なので、何か明るい話を・・・

 

そう明るくもないけれど、今月1日にワッチは18才になった。

動物をとても可愛がる、真面目で元気な18才である。

 

今日は朝早くから夜遅くまで、模試だった。

 

初雪が降った東京 (その時間、外を見ていなかったので、気づかなかった) は、今日はとても寒かった。

ウメと散歩していても、冷蔵庫の中を歩いているようだった。

 

夜は益々冷えるので、帰ってくるワッチのために、温かいロールキャベツを煮込んで待った。

余り凝った料理をできない毎日だけど、今日はロールキャベツをゆっくり作った (私が食べたかったからだけど。 笑)。

 

作りながら思ったのは、家族のために心をこめて料理するという、普通の暮らしができることが、一番幸せだな、ということ。

 

安心してその日を、そして明日を生きられる世の中が、一番必要なのだ。

 

当たり前のことなのだが、その当たり前が当たり前でない国があちこちにあることが、問題だ。

 

・・・ ところで、コウジさんは毎年健診を受けているし、父も母も姑もワッチも病院と仲良しだけど、私が自分の健診をさぼっているのが気になるので、行ける時に行かないと、と思っている。 健康が何より大事ですからね。

 

皆様も体に気を付けて下さいね。

毎日相変わらず、ここに記すまでもない雑多な用事に追われ、あたふたしています。

 

朝5時に起きて夜12時過ぎに寝るまであっという間で、今も眠くて仕方ないのですが、そのテレビ番組のお知らせだけはなるべく早くしないと、とベッドに向かう足をとめ、パソコンを開きました。

 

あさって12月11日 (木) 20時〜

NHKEテレ ハートネットTV  「障害福祉賞 (2) 高次脳機能障害と共に生きる ー東京・貝野光男さんー」

 

貝野さんは講談師として活躍されていた46歳の時に、交通事故に遭われ、高次脳機能障害になられました。

 

大変な努力をされて、また高座に上がれるようになったそうです。

 

明日10日も、滝口仲秋さん (78歳) という脊髄腫瘍の方のお話だそうです。

 

皆様是非ご覧下さい。

 

それではおやすみなさい。

ところで今まで私は、どこまでマロママに深く立ち入って良いのか、加減がわからず悩むことが多かった。

 

特に物の売買などお金が絡むことは、他人の私が口出しすることではない、と思っていた。

 

たしかにそうなのだが、マロママは1人で考えて突っ走ってしまう人なので、見て見ぬ振りをするのが私には難しかった。

 

特に娘さんが結婚して自宅を離れてしまったあとは、毎日のように犬散歩で顔を合わせる私は、マロママの抱える諸問題を聞く機会も多かった。

 

1人暮らしで、「万一自分が倒れた場合、頼むね。」、と自宅の鍵も渡された私は、それを責任感とともに襟を正して受け取っていた。

 

(私が) いるかのキーホルダーをつけたその鍵には、幸い一度も出番はなかったけれど。

 

マロママの話には、ふんふん聞いていることがほとんどだが、(それはどうだろう?) と危険や間違いの臭いを感じた時、あるいは困っていそうな時は、差し出がましいとわかってはいても、つい口出ししてきてしまった。

 

勿論、最終的に決断するのはマロママだ、というスタンスはとってきたが、1つ間違えば信頼関係にひびが入るどころか決裂しかねないので、こういう付き合い方は難しいと常々感じていた。

 

そうはいってもお節介な私は結局、私の意見は率直に伝え、それで嫌われたり関係が悪くなったら仕方ない、と割り切ってきた。

 

例えば神戸のある家を買うつもりになっていたマロママに、その家をちょっと調べてみた私は買うのを反対した。

 

もしそこに住んだら違った人生を歩んだかもしれないマロママとマロちゃんに、自分は責任持てるのか、という自問自答もしたが、どうしても反対してしまった。

 

そこはゴージャスなマンションながら、駅から遠く隔離されたようなエリア。 駅とマンションの往復には、シャトルバスが使われる。 しかもマロママが業者から打診されている部屋は5階、というのである。

 

そんな地上から離れたセキュリティーばっちりなところでは、今まで家の前を行き来する人たちとの触れ合いを楽しんでいたマロちゃんから、その楽しみを奪ってしまうことになる。

 

ただでさえ引きこもりがちだったマロママは、益々出不精になり、マロちゃんと一緒に世間から孤立しかねない。

 

これから年をとるに従って、地域の人たちとの繋がりが大切なのに、そんな閉鎖的なところにいてはダメだ。 マロちゃんを通して顔見知りを沢山作り、何かあった時に声かけし合える濃密な関係を築くことが大事だ、とそのマンションに住むことに断固反対した。

 

マロママも同意して、そこをやめて選んだ新居は、今とても気に入っているそうなので、ほっとした。 (私も「そこならいい。」、と賛成。)

 

また、忙しそうなマロママのかわりに、マロちゃんを神戸に移動する手段を考えた。

 

飛行機や新幹線より、気を遣わないで済む、良心的で、犬猫のことをよく考えてくれる業者の車で、マロママと一緒に移動すべきだ、と進言した。

 

でもマロママがほかの用事にまだ追われているようだったので、私の名前で見積もりもしてもらった。

 

その結果をマロママに連絡し、あとは業者とマロママで打ち合わせしてもらい、晴れて今日その業者が迎えに来てくれた。

 

業者には前もってメールし、「マロちゃんはとてもナイーブ (繊細) なので、なるべくストレスのかからないよう、休憩もしっかりとっと下さい。」 とお願いしておいた。  マロちゃんが心配で心配で。

 

私が選んだ業者なので、マロママに不快な思いをさせたくなかったが、「快適快適、すごく良かった!」 「(車嫌いな) ウメも、これなら神戸に来られるよ!おいで!」 「ほんまに有難う!」 とマロママも大喜びだったので、またほっとした。

 

さて、私はこれからもお節介でいこう、と思えた日。

 

お節介は、いいものだ。

 

ただ、マロママの用事に車で送迎しても、急にマロちゃんが心配になり (コウジさんとワッチが、マロちゃんとウメを自宅でみているのに)、私を置いて先に歩いて帰ってしまったり、何時に我が家に来るのかメールしても返事がないので、まだかと思っていたらいきなり 「もうあんたんちのそばに来たよ。」 と電話があって用意ができてなくて慌てたり、いつも思い立つとすぐ行動してしまうマロママに、私も家族に言うように注意をしてきた。

 

「私はマロママの送迎が目的で動いているのに、その私を置いて帰るのは考えられない。」 とか、「返事がないから、家に来るのは夕方なのかと思っていた。 ちゃんと返事くれなきゃダメだよ。」 とか。

 

だって駐車するのにすごく時間がかかったのに、待てども待てども連絡がなく勝手に歩いて帰り出していたマロママに、携帯で居場所を聞きながら車で追いつき、激しい通りでヒヤヒヤしながら路駐して乗せるのにも、こちらは相当神経を使ったのだ。

 

けれどマロママがそれだけ焦って疲れているのも充分わかるので、その時は 「もう!」 と思いながらも憎めない。

 

そういう遠慮のない関係だと、お節介も生きると思うけれど、そんな関係だったマロママが遠くへ引っ越しし、私は落ち込んでいる。

 

コウジさんが私を見ては、笑っている。 「もう、しょんぼりしているのが分かり過ぎて、おかしい!」 と。

 

たかが犬、されど犬。

 

中野孝次さんも  『ハラスのいた日々』 の中で言っている。

「犬はどこまでいっても犬には違いなかろう。 ただの犬っころだ。 だが、他人から見れば無数にいるただの犬っころにすぎない生き物が、飼い主にとってはその犬以外の犬ではだめだという、ある絶対的な存在になる。 そして、犬という人間とは違う生きものとの共生を通じて、この地上に生きるすべてのいのちとの共感が生じる。」

 

実際ウメを見ていると、実に色々なことを考えさせられるし、ウメがいることで私の人間関係も広がる。

 

ここ2、3週間ばかりの私の頭の中は、老健の父や受験生の娘のこと、コウジさんのこと以上にマロちゃんちの引っ越しで頭がいっぱいだったし、時間をそれに使うことが多かった。

なぜなら泣いても笑っても、今日がお別れの日と決まっていたからだ。

 

リビングの壁に、ここ3週間のマロちゃんちのスケジュールと、私が手伝えそうなことを記入した紙を貼り、コウジさんとワッチにもその内容を通達、一緒に支援・協力することを要請してあった。

 

今朝早く、ウメの1番の友達マロちゃんが、マロママと神戸へ発ってしまった。

ウメはマロちゃんが乗った車が角を曲がって見えなくなるまで、食い入るように見続けていた。

 

私はしゃがんでウメの背中を抱きながら、その透き通った目を横から見ていると、なんとも切ない気持ちになって涙が出てきた。

 

多分もう2度と会えないね。

あんなに仲が良かったウメとマロちゃん。

神戸は遠すぎるなあ。

 

荷物はとうに神戸の新居に運んでしまい、人間の用が済むまでペットホテルで待っていたマロちゃんは、出発前日の昨日、我が家に初めてマロママと泊まった。

 

東京最後の1日を過ごすのに、我が家を選んでくれて嬉しかった。

 

昨日はマロちゃんと散歩したり、我が家で一緒にお昼も夜もご飯を食べたり、猫のハルを混ぜて大騒ぎして遊んだりした。

 

雨があがった夜、マロちゃんの催促を受け、また2匹+2人で連れ立って散歩へ出た。

 

マロちゃんは自分の 「元家」 まで、ぐいぐいリードを引っ張って行ったんだ。

マロママはつらくなるから、行きたがらなかったのだけど、マロちゃんに押し切られたのだった。

 

暗闇の中で見た家は、無残にブルトーザーで破壊されて、見る影もなかった。

 

マロちゃんもウメも黙って、しばらくその瓦礫の山を見つめていた。

 

いつも2匹で嬉しそうに走り回った庭も、家も、なくなっていた。

 

そして2匹はまた黙ってそこを離れ、馴染みの小さな公園へ行ったんだ。

 

少し走り回って、帰りにまた2匹は壊された家に戻った。

諦められないのか、諦めようとしたのか。

 

再び歩き出してウメの家に帰ったね。

ひとしきり遊んで、マロママを囲んで2匹は朝まで仲良く寝ていた。

 

そして冒頭の、朝の別れ。

 

湿っぽく、どよ〜んとしている私とは違って、マロママは神戸に着くまでハイヤーから 「快適や〜」 と嬉しそうにメールをくれたり、新居に着いたマロちゃんの様子を電話で明るく教えてくれた。

 

ハイヤーの中でずっと寝ていたらしいマロちゃんは、新居の中であちこちの臭いを嗅ぐと、今は落ち着いて横になったそう。

 

今日から新しい地で、2人 (1人+1匹) の新しい暮らしが始まるんだ。

 

今63才のマロママは、ここ1週間くらいで、まるで20代のように溌剌とした人に変わった。 何があったのか?

 

東京にいた10年、ご主人を亡くされて6年、本来の自分を抑えて生きてきたと気づいたそうだ。

 

色々なしがらみのあったあの家を自分の決断で手放し、全部の手続きを自分でやり、まるで憑き物が落ちたようにサバサバとした明るい顔になった。

 

「これからの人生、私は自分のために生きることにした。 自分とマロちゃんのために。」

「海外旅行もしたことなかったけど、これからはお一人様を楽しむことにした。」

 

いつもマロママをそばで見てきて、(家にこもってばかりで、なんだかしんどそうだな〜。) とか、(もっと外に出て行けばいいのにな〜。) とか、(私が黙ってると、誰かに騙されたり損なことばかりしそうな人だな〜。) と勝手に心配してきた私。

 

私が知らないご友人からのアドバイスのようだが、「お一人様を楽しむ」という姿勢は、とてもいいと思う。

そういう考えになって良かった。 そのお友達に 「有り難う」、と言いたい。

若輩者の私は、そこまでアドバイスできなかったから。

 

人の生き方や考え方って、時に一瞬で変えられるものなんだなあ。

 

それは、それまでの試行錯誤やつらい思いで鍛えられた精神力があったからこそ、「こう」 と決めたら 「すっ」 と変われるのかも。

 

何はともあれ、新天地で充実した毎日を!

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