俳優の高倉健さんが亡くなってからというもの、コウジさんは 「亡くなったのは、菅原文太だよね?」 と勘違いし続けてきました。
そのたびに、「違うよ。 高倉健だよ。 菅原文太はまだ元気だよ。」 と、訂正してきた私。
テレビや新聞などで最近まで、社会的活動されている姿を拝見していた気がして。
なのに、その菅原文太さんが28日に亡くなっていた、というニュースが。
なんてこと。 コウジさんが予言できるわけではないでしょうけど、残念です。
渋くてカッコ良くて温かみがあって、好きだったなあ。 映画は1つも見てませんが。
映画 『千と千尋の神隠し』 が大好きなワッチも、「釜じい」 の声優が亡くなったのでショックを受けていました。
年をとると、知ってる人 (こちらが一方的に、を含め) が どんどん亡くなっていくので寂しいです。 でも死は他人事じゃないですから。
先々週の火曜日は、コウジ村の会員のご主人のお通夜でした。
奥様とはお会いしていましたが、ご主人とはこれからお会いできるかな、と思っていたところでしたので、急なことで言葉を失いました。
とるものもとりあえず、コウジ村の数人と共にお通夜に駆けつけますと、会場に入った途端聞こえてきたのは、なんと小田和正さんの透明で清らかな歌声でした。
(え、小田さん?) と思わずびっくりして耳を傾けると、私が毎日家事をする時のBGMに流している、一番新しいアルバムの 『小田日和』 の歌の数々ではありませんか。
悲しいはずのお通夜なのに、なんだか心はずんできてしまい、自宅にいるようなくつろぎと優しい穏やかな気持ちの中、席につきました。
そういえばご主人は小田さんがお好きだ、と伺っていました。
亡くなるまで過ごされていた入院中のベッドでは、小田さんのCDを聴いていらっしゃったようです。
私が、「うちのコウジさんは、小田さんのDVDを毎日飽きずに見ていますよ。」 と教えると、奥様もDVDを買ってご主人に見せたそう。
でも余りご覧にならず、やっぱりCDだったそうです。
私もDVDよりCDですね。
今も 『小田日和』 を何度も繰り返し聞きながら、ワッチの受験資料を見たり、食器洗ったり、ブログ書いています。
ともかくその日、小田さんが好きなご主人を送るのに、奥様は小田さんの歌声を選ばれたのですね。
奥様のご主人に対する、愛と理解の深さを感じました。
ご主人は、どんなに喜ばれたことでしょう。
会場では、ご主人が娘さんを肩車した写真など、楽しそうな家族写真が次々映像で流れていました。
どんなに仲の良いご家族だったかがわかればわかるほど、別れのつらさも一段と感じられました。
享年51歳という年は、今の私と同じ年ですから、ご主人は私と同じ時代を生きてこられたのだなあ、と尚更ご主人を近く感じました。
ということは、私もいつ死んでもおかしくないですから、やらなきゃいけないこと、やりたいことをやっておかないと。
父のように頭はしっかりしていても、体が動けなくなることもありますし、動けるうちに動かないと。 と、今まで他の方の葬儀では感じたことのない焦りを、初めて感じました。
それも、何か起きたらすぐ死んでしまいそうな父 (父、ごめんなさい。) を8月からずっとそばで見てきたせいで、死が今までよりずっと身近になったのだ、と思います。
ところで我が家では、18年前に亡くなった義父 (コウジさんの父) の話が毎日、時には1日に何度も出てきます。
同じく、去年9月に亡くなった愛猫おはぎちゃんの話も。
おはぎちゃんの写真には、生きているかのようにしょっちゅう話しかけていて、そばにある骨壺も今では平常心で見ていられるようになりました。
あんなに泣き暮らしていた日々が遠くなり、穏やかな気持ちになってこられたのは、時がたったおかげ。
骨はそこにあってもおはぎちゃんはそこにはいなくて、私の周りを飛んでいたり、心の中に入ったりしています。
亡くなった人や動物と、生きている (残された) 私達との関係は、いつしかそういうものになるのかな、と思う私。
つまり、亡くなった人や動物は、私達と一緒に今もここに生きているのだ、と。
それは願いなのかもしれないけれど、まあ気にしない。
コウジさんにお通夜での話をしますと、しんみりしながらも、「小田さんの歌って、意外とそういう場に合うな。」 と頷いていました。
毎日小田さんの歌に囲まれている、小田さん大好きなコウジさんの時も、同じように送ろうかな、と思います。
私が先かもしれないけど。
私も小田さん大好きですが、私は何も望みません。
式も要らないけど、式は残された人のためにあると思うので、それはお金がかからない程度にしたければ簡単にすればいい、と思います。
でも私はその時、空を漂っているだろうな。
『千の風になって』 という歌の通りね。