日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年01月

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今日もお知らせをします。

山口研一郎医師 (高槻市のやまぐちクリニック院長) が、『国策と犠牲 ―原発そして現代医療のゆくえ』 という本を昨年11月に出版されました。

社会評論社からで2600円+税、10人以上の方のご執筆で、先生はご執筆と編者です。

 

昨年知ってすぐアマゾンで取り寄せましたが、雑用に追われまだ最初のへんしか読めていません。

全てが大変興味深い内容ですので、全部読み終わってから感想とともにご紹介しようと思っていましたが、それではどんどん遅くなってしまうので、今日ここでお知らせすることにしました。

 

目次を見れば、どんなことが書かれているかわかると思いますので、書き写しますね。

 

〜 原子力兵器・原発、科学技術・先端医療をめぐる 「国策」 は私たちの生活 (くらし) と生命 (いのち) になにをもたらしたのか。 その現状と問題性を照射するシンポジュウムの記録 〜(チラシより)

 

【目次】

まえがき   戦後日本における 「国策」 をめぐって   山口研一郎

 

序章   いま深くいのちをみつめる   高史明

 

Ⅰ 福島原発事故と内部被爆

はじめに   塩見有生

 

第1章 「低線量」 放射線内部被爆と健康障害   松井英介

 

第2章 若狭湾における反原発の闘い   中蔦哲演

 

コラム1  原発を告発し続けた夫・水戸巌   水戸喜世子

 

Ⅱ 現代科学技術と先端医療

はじめに   西沢いずみ

 

第3章   医療政策としての脳死・尊厳死 ―私たちはナチスを断罪できるのか―   小松美彦

 

第4章  人体部品資源化 ・ 商品化のいま   天笠啓祐

 

コラム2   改定臓器移植法施行後三年の実態   川見公子

 

第5章   子どもと臓器移植・原発事故・遺伝子診断 ―国策の犠牲者としての子どもたち   亀口公一

 

第6章   科学技術における 「国策」 と 「犠牲」 の連鎖の構図   山口研一郎

 

コラム3   三池CO闘争五〇周年の今日的意義   沖克太郎

 

Ⅲ  被爆地・長崎の戦後

 

第7章   長崎の医師・永井戸隆、秋月辰一郎のことなど  ―土山秀夫先生に聞く   山口研一郎

 

コラム4   被爆者医療に五〇年取り組んだ父・秋月辰一郎   藤信子

 

コラム5   被爆地・長崎で見た現実   西村豊行

 

あとがき   苦からの解放をめざす人々へ   神戸修

 

どれも今一番ホットな話題 (と申していいのか。深刻な社会的問題)です。

 

山口先生は2年ちょっと前に福島被災地 (相馬郡飯館村や南相馬市小高区など) へ一度行かれ、まだ何も片付いていない荒れ地のままの現地をご覧になって、ショックを受けたそうです。

 

さっき私も浪江地区をためしに検索しましたら、グーグルのストリートビューで町の様子を見ることができました。

 

人の気配がないそのような場所が、今の日本に存在するのだ、という事実に改めて心が重くなりました。

 

私は、私たちは、一体どうしたら良いのだろう・・・

ここで父の話は一旦おいて、映画 「風は生きよという」 のお知らせです。

 

来る2月1日、12時30分〜16時まで、上記映画の上映会 & シンポジウムが催されます。

 

監督は、映画 「犬と猫と人間と2」 の、宍戸大裕監督。

 

「人工呼吸器を使いなから、地域で自立生活を送っていらっしゃる方々を描いた作品」 (宍戸監督のブログより。) だそうです。

 

宍戸監督のブログに映画のチラシが掲載されていますから、それをご覧頂ければと思います (ここでの貼り付け方、忘れてしまったのですみません)。

 

一応監督の許可を得ましたので、ここでも宣伝させて頂きますね。

 

会場 : 東京国際フォーラムD5ホール (千代田区丸の内5番1号 JR有楽町駅から徒歩1分/東京駅より徒歩5分)

 

主催 : ● 呼ネット 〜 人工呼吸器ユーザー自らの声で〜  ● NPO法人東京都自立生活センター協議会

 

参加費 (資料代) : 1000円

 

プログラム :

12:00  受付

12:30 〜 12:40  開会挨拶

12:40 〜 13:40  映画 「風は生きよという」 上映

 

13:40 〜 14:00  監督挨拶

 

14:00 〜 14:20  休憩

 

14:20 〜 15:50  シンポジウム 「人工呼吸とともに生きるということ」

パネリスト

自立生活センター北見代表  渡部哲也氏

立教大学社会学部助教授  深田耕一郎氏

帝京大学医学部附属病院神経内科医師 畑中裕己氏

呼ネット副代表  海老原宏美さん

呼ネット代表  小田正利氏

 

15:50 〜 16:00  閉会挨拶

 

お申込みは、お名前・ご所属先・ご連絡先 (電話またはメールアドレス) ・車椅子利用有無・介助者同伴有無と人数・手話通訳、要約筆記、電子データ資料、点字資料の必要な方はそれをお知らせ下さい。

 

FAX : 042―540―1844

Eメール : conet.jimukyoku@gmail.com

 

申込締切 : 1月26日

 

定員 : 120名 (事前申込み制、先着順)

 

私も是非行きたいのですが、ワッチの受験があって難しいかも・・・

 

関心のある皆様、是非お申込みされて行かれますように。

 

弱いものへ温かなまなざしをそそがれる、正義感溢れる熱く若い宍戸監督が、呼吸器を使われる方がたをどんな風に描かれたのか、とても楽しみです。

 

私が5月に参加してそこで監督ともお会いした、尊厳死法反対集会の様子も出てくるそうです。

 

 

父は希望通り、年末の30日に実家に帰ったのですが、父の身の回りの世話をするのが母しかいないことが、私は不安でした。

 

その母は、腰痛圧迫骨折でコルセットをしていますので、老健の職員さんからも私の医療職の知人からも、「せいぜい一泊に。」 「なるべく早く老健に帰った方がよい。」 と言われていました。

 

ただ母だけは、「大丈夫、大丈夫。」 と言うものですから、大丈夫なのかな、とちょっと思ってた私。 それは大きな間違いだったのですが。

 

私はインフルエンザにかかってしまったコウジさんの世話や、年賀状作成、大学受験直前のワッチの諸々の用事があり、「お正月は多分手伝いに行けないよ。 だから滞在はなるべく短めにね。」 と父に言ってありました。 可哀想ですが。 でも、外泊するなら、もっと暖かくなってからがいいのに。

 

第一、私もインフルエンザに感染しているかもしれないので、うつしてしまったらえらいことです。

 

そして一泊目から案の定?、母の悲鳴の電話が始まりました。

「も〜大変!」 「やっぱり私はみれないわね。 コルセットしているんだから (そんなこと、最初からわかってましたが)。」 「腰が痛くなってきて、私の方が寝てるのよ (え? じゃあ、父はどうなってるのだ?)。」 と、日を追うごとにまずい状況になっていることが伺えました。

 

だから父も母も、一泊くらいにしておけば良かったのに。

けれど私や母が毎日、「老健に帰った方がいいんじゃない?」 と言っても、「帰らないよ。」 と聞かない父。

そしてとうとう当初の予定通り、1月4日に帰ることになったのです。

 

ちなみに老健で年末年始、自宅に帰ったのは父くらいで、皆さん老健にいらしたそうです。

なぜなら年末年始なんて病院もやってないし、自宅での下手な介護や不注意で命取りになったら大変ですからね。

 

それでも 「自宅に帰る。」、と言う父なので、万一のことがあってももう仕方ないや、と私は覚悟すらしていました。

 

そして老健に帰る前日、1月3日の夕方のこと。

父がお漏らしをしてしまった、と母から電話がありました。

 

せっかく老健では問題なく順調に暮らしていたのに、きっと食事もトイレも着替えも、母の手助けなく何でも1人で父は頑張っていたから、とうとう疲れて体力がなくなってしまったんだな、と可哀想になりました。

 

(やはり無理なんだってば。 でも明日は老健に帰るから良かった。 それにしても、よくここまで窒息も骨折も風邪もなく過ごせたものだ。 父も母も頑張ったなあ。) と、ほっとしたり尊敬したりの私。

 

ところが、その夜9時にまた母から電話が。

父がトイレ前で倒れて動けなくなり、隣のおばさんに助けに来てもらっていると。

 

え〜・・・!

母は自分が助け起こそうとしたら、また骨折で入院する、と思って隣人を呼んだそう。 その判断は良かった!

 

遠くの親戚より近くの他人、の言葉通り、隣近所は有り難い存在。

もう40年住んでいるので、母は近所に助けられています。

 

隣のおばさんは、倒れている父の身体の下にシーツを差し入れて、寝室まで引きずって、ベッドに寝かせてくれたそう。

 

すぐ寝てしまった父は、幸い頭も打ってないし大腿骨を骨折してもいないようで良かったけれど、言わんこっちゃない。

 

もう行かないわけにはいかず、私は多分インフルエンザにうつってない、と思って、翌4日朝早く実家へ行きました。

そこで見た、父のやつれように絶句。

 

父の話では、父はろくに食べていなかったし、水分もとっていなかったようです。

なんてこと。

 

食べ物は冷蔵庫にあるのだけど、母は腰痛で布団に入っていることが多く、父は自分で食事の世話ができないから、5泊で3キロも痩せてしまっていました。

 

ああ・・・

電話で母の話を聞く限りでは、食べるものはいっぱいあるし、父も沢山食べているとのことでした。

そして母は本当にそう思っているらしいので、困るのです。 大丈夫だろうか、母?

 

いくら忙しくても、インフルエンザにかかっているかもしれなくても、私が途中一度見にくれば良かった。

でも疲れていて、来られなかったのだ。

本当に、人手不足で困ってしまう。

(だが、子供のいない家だってあるし、皆なんとかやりくりしているのだろうなあ。)

 

老健へ帰るタクシーの中で、父に尋ねました。

「自宅と老健とどっちがいい?」 と。

 

すると、間髪を入れず父は答えました。

「そりゃあ老健だよ!」

 

・・・私は、どんなに大変な思いをしても、父は「自分の家がいい。」、と答えると思っていたので、意外でした。

よっぽどつらかったのだな。

 

ただ、こんなお正月になって父も可哀想だったけど、疲れ切った母も可哀想だった。

 

老人同士の生活とは、なんと不便で危険で不安なものなのだろう!

 

しかも本人達の判断力も、かなり危なくなっていることが今回の件で改めてわかったのでした。

 

続く

あけましておめでとうございます。

新年のご挨拶がうっかり遅くなりすみません。

今年も宜しくお願いします。

皆さまにとっても、私にとっても、今年がいい年になりますように。

 

昨日今日はいよいよ始まったワッチの大学受験出願で、受験料を振り込みにコンビニへ行ったり、願書を書留速達で送るのに郵便局へ行ったり。

 

いえ、それどころか肝心の願書がなくて、慌てて書店へ買いに行ったりもした (ワッチは11月に急遽入った塾の自習室に、長時間こもって勉強している)。

 

それにしてもコンビニは便利だ。

もし銀行振り込みにしたら、こんな年明けの平日、どれだけ待たされるかわからない。

コンビニはどんどん進化する。

 

センター試験も、いよいよ来週末。

ワッチもこれまでの人生で、今が一番勉強しているのではないだろうか。

 

志望校に受かればいいけれど、受からなくても、今の努力はいい経験になるだろう。

 

受験は厳しいからなあ。

いくら少子化で大学全入時代とは言っても、人気のある大学の倍率は相変わらず高い。

 

一方、日本の子どもの貧困率は、先進20か国のうち、悪い方から4番目だという (ワースト1は米国、2位はスペイン、3位はイタリア)。

 

大学へ行きたくても行けない子どもが沢山いる、というのが日本の現状だ。

 

やはりそれはおかしい。

全ての子どもには等しく、教育の機会を与えなくては。

 

教育費を多くかけられるお金持ちの子どもが難関大学に入り、大会社に入り、高給をもらい、格差社会が拡大するばかりだなんて、絶対間違っている。

 

大学授業料を無料にし、地方から進学する学生には安価で寮に住まわせ、生活費もサポートする。 勿論奨学金は貸与ではなく給付。

 

政府は無駄な出費をやめ、若者を育てることが大事だ。

わかりきったことなのに。

 

お金持ちも、自分の子どもだけでなく、お金がなくて困っている子どもをサポートする仕組みができないものか (ちなみに我が家は、一人娘のワッチを大学に行かせるだけで、精一杯だ。 子どもが1人で良かった。)

 

話は変わるが、この年末年始の父の外泊も色々あった。

 

30日に父を老健に迎えに行った時、手厚い看護や医療、リハビリを日々受けている父の顔は晴れやかで生き生きとし、威勢も良くて、ちょっと若返った感じだった。

 

ところが、4日に老健へ帰る父を迎えに実家へ行くと、そこには憔悴して顔つきが別人のように変わり、覇気の消えたおじいさんがいた。

 

続く

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