日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年02月

ワッチの受験でバタバタした毎日でしたが、明日は年一回の 「春の音コンサート」です。

 

これは、私も所属する世田谷高次脳機能障害連絡協議会が主催する、障害者 (高次脳機能障害者だけでなくてもいいのです。) によるコンサートです。

 

歌あり演奏あり、群読ありダンスあり。 夫コウジさんは歌います。

 

毎年私が、下手ながらピアノで伴奏していましたが、今年はワッチの受験やら父のことやらで練習する時間がなく、一時は参加も見送ろうかと思っていました。

 

けれどコウジさんは楽しみにしている会なので、伴奏はCDにして参加することにしました。

 

最終的に参加を決めたのが最近なので、もうワッチの受験と同じくらい気になって、慌てて猛練習してきました。

 

選んだ曲は、コウジさんの好きな小椋佳さんの 「山河」。

 

すごくいい曲ですが、練習不足で不安。 (私が。 コウジさんは平気そう。 でも、きっと間違えますよ。)

 

場所は、国士舘大学多目的ホール (図書館地下)です。  住所は、世田谷区世田谷4―28―1。

 

時間は、午後1時から3時半 (開場は12時半)で、参加費千円です。

 

保坂世田谷区長もみえるそうですよ。

 

というわけで、ワッチの進学先はまだはっきり決まっていない中、多分私も聞きに行ってきます。

 

(コウジさんはリハーサルもあるので、早めに出演者仲間が迎えに来てくれます。)

 

取り急ぎお知らせでした。

 

広い会場ですので、まだまだ入れますから、皆さんどうぞお越し下さい!

 

(でも、ご連絡が遅くなってすみません。 なかなかここに書く時間がとれず・・・。)

ワッチの大学受験が、昨日終わりました。

 

1月のセンター試験から続いてきた過密スケジュールの間、風邪をひかず何よりでした (神戸へ引っ越しした、犬友達のマロちゃんママがワッチに残していってくれた、加湿セラミックファンヒーターのおかげだと思います)。

 

幸いすでにいくつかの大学から合格通知を頂いていますが、ワッチの本命の発表はこれからなので、家族皆でヒヤヒヤしています。

 

慣れない父の介護にてんやわんやだった8月から10月までの3ヶ月が、遠い昔のことのよう (その父も今は老健で、より元気になりましたが、父の話はまた次の機会にします)。

 

元々エンジンがかかるのが遅いワッチの受験勉強は、家の中が落ち着いた11月からやっと本格化し、嫌いな塾 (狭い席に座るのが窮屈で苦手なため) にも3ヶ月だけ入って、自習室を大いに活用してきました。

 

自宅ではコウジさんがすぐテレビを大きな音でつけたり、歌ったりするので気が散るそう。

 

もっとも、物理と数学については、近所の大学院生にもっと前から教わってきていました (ワッチは理系)。

 

ある大学の受験問題でわからなかったところが、翌日別の大学の受験で出ると困るので、ワッチは持ち帰った問題を大学院生に写メールで送りました。

 

すると大学院生はすぐ解いてくれ、親切にも深夜我が家のポストに入れといてくれました。 有り難かったです。

 

ワッチはそれを読んで、安心して翌日の受験に臨みました。

 

一方私は、ワッチの体調管理やお弁当作りのほか、受験スケジュール表を何種類も作っては壁に貼ってきました。

 

そしてコピーを実家にいる母、老健にいる父、コウジさんの母、に配ってきました。

それを見れば、皆から応援してもらえるし、忙しい日時がわかってもらえてなにかと便利だからです。

 

私はコウジさんと出会い、良き友と出会い、そして尊敬してやまない恩師とも会えた母校を、ワッチにも勧めてきましたが、ワッチは結局そこを受けませんでした。  ちょっと残念。

 

ところで、その恩師はことあるごとに私を心配して下さるのですが、最近頂いたメールでは、「人間 (じんかん) いたるところ青山あり」 という言葉でワッチを応援して下さいました。

 

無知を恥じながらもここでご紹介しますと、それは人間どこへ行っても、そこで活躍できるのだ、という意味だそうです (青山とは、自分の骨を埋める場所、という意味だそうです。 人間は、「にんげん」 ではなく 「じんかん」 と読み、それは世の中のことだそうです)。

 

どうしてもそこじゃなくてはダメ、ということはなく、どの道をとっても自分なりの道を歩めるのだ、というこの故事を、ワッチやコウジさんに伝えますと、2人ともすぐにこやかな、ほっとした顔になりました。

 

そして私達3人は、「いい言葉だねえ〜。」 といつまでも和んでいたのですが、3人それぞれ思い浮かべた青山は違うような気がしますヨ。

 

とにかくワッチがどこの大学に決まっても、そこがワッチの青山なんです (まだ骨は埋めないけど。 笑)。

 

実はワッチは、推薦でどんどん進学先が決まっていく友人達の中で、焦ってきました。

 

時には愚痴になり、時には泣きそうになってきました。

 

けれど、その精神的重圧と闘いながら一般入試を受け続け、今ワッチは、「推薦でいかなくて良かった。」 と満足気です。

 

親の目から見ても、この数ヶ月でワッチは随分強くなり、成長したのではないかな、と思います。

 

結果がどうあれ、沢山の人たちに支えられながら精一杯頑張れた、それだけでもう大きな収穫でしょう。

 

話は違いますが、今日は犬のウメの8歳の誕生日。

 

おいしいものを食べさせ、ブラッシングしてあげ、笑顔を見合わせながら、ゆっくり散歩してきました。

 

どうかこれからも元気に、長生きしてくれますように。

 

それから、アマゾンで頼んでおいた後藤健二さんのご著書が3冊、今日届きました。 あと1冊はまだです。

 

明日早速拝読しようと思いますが、コウジさんはいち早く1冊読んでしまいました。

 

コウジさんいわく、「事実が淡々と書かれている。」 とのこと。

コウジさんも前は本を読めなかったのに、読めるようになりました。

子供向けに書かれた大きな字の本なので、とても読みやすいそうです。

 

また感想はここで書きます。

 

それでは、おやすみなさい。

 

 

ワッチ (娘) の大学受験が既にスタートしていますが、ここのところ我が家での会話のほとんどは、受験よりもシリアで人質になってしまった後藤さんに関するものでした。

 

緊迫した状況ながらも、後藤さんが解放されそうな空気が何度か訪れたので、そのたびに私たちは拍手したり飛び上がって喜んできました。

 

けれど、1日朝のニュースでその期待も打ち砕かれ、ずっと沈痛な空気の中にいます。

 

疑問や怒り、むなしさ、寂しさ、悔しさ、といったありとあらゆる負の感情が胸の中に渦巻いて苦しいです。

 

そもそも後藤さんや湯川さんが捕らわれていることを知りながら、イスラム国を刺激するような演説をした、安倍首相のせいだ。 安倍首相は、湯川さんや後藤さんの命を軽んじたのだ。

 

とか、

 

ヨルダンのせいだ。 後藤さんはトルコ国境まで来ていて、サジダ死刑囚とまさに交換される直前だったのに。ヨルダンは人ひとりの命より、国を優先したのだ (パイロットが生きているとして)。

 

とか、

 

恨みがましい気持ちが湧き上がってくるのを、抑えることができませんでした。

 

でも・・・

でも、です。

 

後藤さんのお母さんの言葉は、こうです。

 

「この悲しみが憎悪の連鎖になってはならないと思います。」

 

その通りです。

たしかに、憎しみや恨みからは何も生まれません。

 

後藤さんが命を掛けてまで私たちに訴えたことは、そんなことではないはずです。

ここでイスラム国に対する怒りのあまり、進む道を間違えてはいけないのです。 危ない危ない。

 

後藤さんは戦争している国々で被害に遭うのは子どもたちだ、と子どもたちに優しい目を向けられてきました。

 

戦争の中にあってもひたむきに生きている一般の人たちの暮らしを、映像や言葉に残してこられたそうです。

 

(後藤さんのご著書4冊をすぐ注文しましたが、後藤さんが何を書かれてきたのかを知りたいのは皆同じようで、在庫切れの状態。 いつ入手できるかは未定。 早く読んで、後藤さんのお人柄に触れたいのですが。

 

逆に、今回のような悲惨な事件が起きなければ、私は後藤さんのことや、後藤さんのご著書をまだ知るに至ってなかったろうと考えると、自分の関心の低さをとても恥ずかしく思っています。)

 

後藤さんが望んだのは、今の安倍内閣が急に力を得たかのように声高に叫ぶテロ対策や自衛隊派遣、積極的平和主義 (その言葉の意味するものもよくわからないけれど。)、というような、敵味方に別れる世界ではないですよ。

 

戦争のない、平和な世界なんですよ。

 

私たちは争っている国々があったなら、自分には関係ないと知らん顔するのではなく、その争いの理由を共に考え、争いを終わらせる手助けにこそ力を注がなければならないのですよ。

 

その努力をしないばかりか、敵対心を育み、争いを益々大きくしようとしている政府に乗せられてはいけないのです。

うむ。

 

中東の争いは、もはや 「あそこらへんの国々」 として、他人ごとではいけなくなったのです。

世の中は50年前とは違って、変わったのです。

 

日本人はほかの国の憂事を他人事ではなく、自分たちも共同体だということを早く認識しないと。

 

後藤さんは過酷な生活を強いられる子どもたちを、優しい目で見つめてこられました。

 

なのにご自身のお子さんは、まだ小さいといいます。

ひとりはまだ、生後4か月くらいの模様。

 

ああ、生きていたならこれからどんなに可愛がられたことでしょう。

大きくなったお子さんたちと、どんな会話ができたことでしょう。

 

でもお子さんたちは、こんなに素晴らしい誇れるお父さんを持たれて幸せです。

 

崇高な志と、それを実行できる勇気 (死の可能性さえある) の両方を持てる人はそういません。

 

それに、産後間もなく心身ともに不安定な時期に、大切な夫の危機に際して、冷静なメッセージを読み上げられた奥様の立派な態度を尊敬するとともに、相当なショックの中どうされているか、心配が募ります。

どうか奥様とお子さんたちを支えて差し上げる方が、周りに沢山いらっしゃいますように・・・。

 

 

それにしても、湯川さんを救うのに、なぜ後藤さんが行かなくてはならないのか疑問です。

1人の勇敢で優しいジャーナリストではなく、政府が救いに行かなきゃいけないのでは。

国民1人の命も、政府は救えないのだ、ということを改めて知った出来事でした。

 

そして今朝テレビを見ていたら、パイロットが先月既に殺害されていたことがわかったそうです。

ああ、可哀想に・・・!  どんどん死んだ人が増えていく。

 

ヨルダン政府がもしこのことをとっくに知っていて (そういう見方もあるそう)、後藤さんとサジダ死刑囚との交換交渉の時黙っていてくれたのだとしたら、中山外務副大臣の感謝の涙の意味もよりわかる気がします。 ヨルダン政府も、一所懸命考えて下さったのでしょう。

 

何が事実なのか、まだ情報が錯綜している時なので (サジダ死刑囚の死刑が執行されたというニュースも・・・)、迂闊なことは口にできませんが、こんな憎しみあいの世界はコリゴリです。

 

これ以上、人を殺すのはやめて欲しいです。

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