日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年03月

父が老健に入所してから、5ヶ月が経ちました。

老健は3ヶ月リハビリして自宅に帰れるようになるのが目的の施設とはいえ、入所期間は3ヶ月以上になる人も多いそうです。

実際父がそこで知り合った入所者は、もう何年もそこにいるとのこと。

 

我が父の生活の場として、「父の生命が最も安全に守られる」 のは恐らく、今の老健においてだと私は思っています。

 

我が家での2ヶ月少しの生活では、パーキンソン病ヤール度5の父の介護のあまりの大変さに、私だけでなく夫 (コウジさん) や娘 (ワッチ) の精神状態も非常に不安定になり、皆毎日鬱々とした顔でしょっちゅう爆発していました。

 

一方、頭上を飛び交う怒号に父は無表情、無反応でしたが、とうとう肺炎で救急搬送されてからは、ここでの生活は父にとっても好ましくなく限界だ、と私だけでなく父も感じたようです  (何しろ、命が危なかったのですから・・・!)

 

 とはいえ、父との同居生活には勿論笑いもありましたし、父に好きな食べ物を沢山食べさせ、父の体重がどんどん増えていった時には、嬉しくも誇らしくもありました (でも肺炎は誤嚥性肺炎だったようなので、父に申し訳なく反省)。

 

また、コウジさんと父が毎晩楽しそうに晩酌する姿も、見ていて嬉しかったです (ああ、2人が晩酌できるなんて、父が我が家に来たからこそで、いい機会を持てたなあ。) と。

 

でも家事や仕事その他諸々の、日常的な用事をやりくりして父の介護をするのと、専門スタッフが純粋な仕事として父を介護してくれるのとでは、内容も質も差があります。

 

加えて、家族間では無遠慮 (失礼) な物言いも、介護スタッフには他人ならではの礼儀がありますから、父にとっては心地よさは老健の方が上でしょう (入所者の扱いがひどい高齢者施設のニュースも聞きますが、父の老健はスタッフ数も多く、手厚いです)。

 

感情的には、家族の介護は家族ができればそれに越したことはないと思いますが、現実問題としてそれができる家庭がどれほどあるでしょうか。

 

介護する家族がもう定年退職し、経済的にも時間的にも余裕がある家庭なら、心ゆくまで介護するのも可能かもしれません (それでも大変ですけど)。

 

けれど、介護する人が子育て中や働き盛りで、時間もお金も不足した家庭では、介護は厳しい作業です。

そういう立場を今 「ダブルケア」 と呼ぶらしいのですが、私のように夫までも障害者の場合は、「トリプルケアだよなあ。」、とつぶやいています(笑)。

 

なんとかやっていますけど、正直しんどく、「疲れた。」 「疲れた。」 が口癖のこの頃 (その口癖をワッチは嫌がってますが、それならウメの散歩くらい手伝ってくれたらいいのに、いつもゴロゴロ)。

 

老健生活が3ヶ月を過ぎ、市大病院で処方してもらったパーキンソン病の新薬ニュープロバッチが切れた頃から、父は 「調子が悪い」 と言い出しました。

「膝がカクカクして、杖でも歩けなくなってきた。」 と。

 

でも市大病院で新薬をもらうにしても、予約しても2時間待ち、院外処方で1時間待ちです。

父は腰やお尻が痛くなるし私も疲れるので、市大病院ではなく、ほかのパーキンソン病治療で評判のいい病院に電話しました。

 

けれど、老健に入所していると外部の病院で受診できないきまりがあるそうで (知ってはいましたが、病院によっては受診できるところもあるかと思って電話してみたのです)、「老健を出ないとダメ。」 と言われました。

 

しかも市大病院から出される、診療情報提供書も必要だとのこと。

 

すると、いったん介護付き有料老人ホームのようなところに父を動かし、市大病院からの書類を持ってその病院に行き、新薬をもらったらまた有料老人ホームを退所して老健に入所し直す、あるいはそのまま有料老人ホームに入ったまま ・・・ ということ?

 

それは父も大変だし私も大変です。  第一馬鹿げている。

 

でも一応、老人ホームにコンタクトしてパンフレットを送ってもらい、それを読み、父にも電話で考えを尋ねました。

父は、「なるべく移動はしたくないけど、どうしたものかねえ。」、と答えは出ない様子。

 

「パーキンソン病友の会」 にも入って相談しましたが、相談途中で私が忙しくなり電話を切り、また相手の都合のいい後日、相談することに。

 

今朝、老健のケアマネさんと相談しましたら、ケアマネさんが近所の病院やら薬局やらに聞いてくれました。

 

するとある病院が、老健を退所しなくても 「外出扱い」 で診察、薬を出してくれるというので、その病院に出す診断情報提供書を、市大病院にもうお願いしておこうかな。 申請しても、書いてもらえるまで時間かかるだろうし。  もちろん、申請と受け取りと、2回、私は市大病院へ行かねばなりませんが。

 

でもその老健近くの病院が、新薬ニュープロバッチを出してくれるかはわからないので、違う薬を処方された場合、父は納得しないかも。

 

そんなことを悶々と考えながら部屋を掃除していたら、なんと父の使ってないニュープロバッチが11日分出てきました!

 

早速老健と父両方に電話し、それを父が使って、今の症状が改善するならば、やはりニュープロバッチが必要だけど、変わらないならニュープロバッチをもらうためにわざわざ外出して病院に行くことはないのでは? と言いました。

 

父も老健も同意し、私はすぐニュープロバッチを老健に送ったところです。 ふう・・・。

 

ニュープロパッチも大事だけど、この先の父の介護をどうしていくか、さらに考えていかなくては。

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この週末はワッチのスーツを買ったり、老健に父の薬の件と次回の外出の件で電話したり (返事は週開けに)、深谷市にあるコウジさんの実家へ行ったりで、慌ただしく過ぎました。

 

余談ですが、深谷市のキャラクターのふっかちゃんて、かわいいですよ。

頭から、深谷市特産のネギの形をした角が生えています。

また深谷市は、この地に生まれた実業家の渋沢栄一が作った、レンガ工場のレンガの産地でもあります。

深谷のレンガは、東京駅にも使われたんですよ。

 

姑は白内障を手術をしたものの元気で、安心しました。

 

同じ80歳周辺でも、パーキンソン病の父や腰椎圧迫骨折の母のように体が弱る人もいれば、我が家の隣のおじさんのように、長い釣り道具をしょって多摩川までしょっちゅう自転車で走る人もいたり、裏のおじさんのように、色々な会の長をして飛び回っている人もいたり。

 

80歳くらいまでには、体の機能に個人差が出てくるようですね。

 

パーキンソン病のような原因不明の難病は仕方ないけれど、私が80歳まで生き長らえれたとして、その時自由に歩き回れる頭と身体でいられることを願います。

でも、そんなことわからないよね。 運が良ければ叶うでしょうけど。

 

さて今日は、 「ケンダル・アット・ハノーバー」の話の続きを (少しだけですが)。

 

ハノーバーは、アメリカ北部のニューハンプシャー州にある、自然豊かな街です。

人口1万1千人のうち、ダートマス大学の学生が6千人近いという、若者が多い街です。

 

コウジさんが銀行勤めをしていた当時、MBAを取得する時に、そのダートマス大学の教授夫妻に大変よくして頂いて、それ以来交流が続いてきました (コウジさんはダートマス大学生ではありませんが)。

 

コウジさんがダートマス大学での授業を受けている間、私やほかの奥さんは、ハノーバーの街を歩いたり、教授の奥さんに郊外へドライブに連れて行ってもらったりしました。

そして上品で知的でとてつもなく優しい教授夫妻のご自宅にも、コウジさんやほかの学生とともに招かれて、パーティを開いてもらい、楽しいひとときを過ごしました。

 

今思い出すと夢のような時間でしたが、まだ私もコウジさんも、20歳代でした。

病気・親の介護・子育てなどとは無縁で、気楽な日々でしたね。

怖いもの知らずどころか、無知といった方がいいくらいの若かりし自分は、50代になった今の私から見れば、子供すぎて恥ずかしい。

 

残念ながら教授であるご主人は、一昨年亡くなりましたが、数年前からご夫妻で ケンダル・アット・ハノーバーにお住まいでした。

 

主に大学関係者が退職後に住まわれる施設だそうで、松井智生氏 (三菱総研) のレポートによりますと (勝手にネットから引っ張ってきてすみませんが、すごく詳しく助かります。)、そういう 「リタイアメント・コミュニティとは、米国において高齢者が定年後の生活を安心して満喫できるように1960年代から始まった街づくりである。」 とあります。

 

最初の頃は、「温暖な地域でゴルフやレクリエーション中心の運営で成功を収めてきたが、その発展に伴い、知的刺激の少なさと若者不在という課題が出てきた」 そうです。 ふむふむ。

 

そこで、「最近の傾向は、高齢者が生涯学習を通じて知的刺激や生きがいを得られる大学連携型コミュニティ」 が台頭してきたのだそうです。

 

・・・ ちょっとこれでは引用ばかりになりますので、次からは自分の言葉に置き換えて続けますね。 スミマセン。

高齢者が益々増えるこれからの日本にとって、参考になる取り組みです。

 

ところで明日私は52歳になりますが、老健に電話で色々相談することがあったり、ワッチの自動車運転教習所申し込み (教習開始は4月〜5月にする予定) に行ったり。 4月から大学に通うワッチは、今まで制服で済んでいたから私服をほとんど持っていないので、服買うのに付き合ったりで、忙しくなりそうです。

 

また、お化粧をしたことがないワッチを、デパートの化粧品売り場に連れて行って、化粧の仕方を教えてもらおうかと。 時間があればですが。

 

まだワッチは肌がきれいでお化粧なんてしなくてもいい気がしますが、私も大学入る前に、母に近所の小さな化粧品屋さんに連れて行ってもらって、最低限の化粧品を買ってもらった記憶があります (でもヘタクソで、すぐ化粧が濃くなり、父に 「なんでそんなに目の上を真っ黒にするんだい?」 と言われて、化粧が濃いのに初めて気が付いたのでした。 今は面倒で、ほとんどしていません。)

 

ワッチいわく、「資生堂が、動物実験していないんだってよ。」

よし、それなら資生堂にしよう (勿論、ほかにも動物実験していないメーカーを調べて安いところで買いましょう)!

 

そして帰りに、誕生日のケーキを買ってきます。

前回のブログじゃあないけど、ろうそく5本つけてもらって?

いえ、ホイールではなく、家族3人3種類の小さなケーキを買ってきます。食べきれないので。

 

どうでもいいですね、こんな話。

 

では51歳の私、さようなら。

病気もケガもせず、幸いでした。 ありがとう。

今、私がしなくてはならないこと。

1. ワッチが入学式に着るスーツを買いに行くこと

2. 父の症状が悪化していないか老健に見に行き、悪化しているようなら薬の相談を老健にすること

3. 老健から父を外出させ、老健では食べられないものを父に食べさせること (父はラーメンと大判焼きとお寿司を食べたり、お酒を飲んだりしたいそう)

4. そして今月中に自分の健診を受けること。

 

で、今日はその4の半分を済ませました。 特定健診と乳ガン健診です。 来週は子宮ガン健診だ。

 

健診 (特に子宮ガンと乳ガン健診) は、ずっと受けています。

コウジさん、私の両親や姑より先には死ねないですから。

 

この4人を見送れたら、あとはどこへ行こうが私の勝手ですよね。

ワッチはもう大学生になるから、これからはなんとか1人でもやっていけるかな? (不安はあるけど・・・。)

 

私が死んだらワッチが受取人の保険も、コウジさんが倒れてから10年かけてきましたが、今年で切れます。 もうかけなくていいね。

 

世話する家族がいなくなったら (←不謹慎ですが)、私は静かに、どこか地方に住んでみたい。

でもその頃にはきっと私の体もガタがきていて、やはりゴミゴミした空気の悪い、でも便利な都会のマンションで病院通いしているのでしょうか・・・ あるいは不測の病気や事故でそんなに長生きしないかもしれませんが、それはそれで仕方なく。

 

なんて考えたら、悲しくなってきましたよ。

まずい、私も老後の設計をしておかないと。

 

高次脳機能障害活動 、犬猫殺処分をやめさせる活動、脱原発活動、その他正義に基づいた活動なら何でもしたいですが、単純な個人的願望としては・・・

 

ダイビングがしたかった、一度くらい。

きれいな海に潜って、きれいな魚を追いかけてみたかった (サメに追いかけられたりして)。

 

運動能力低下した今潜ったら、溺れ死ぬこと間違いなし (笑) なので、ああ、残念。 若い時にしておきたかった。

 

海外旅行はそんなに興味ないけれど (元々出不精で家の中が一番好き)、ダリ、ガウディやミロを生んだスペインのカタルーニャ地方へ行って、同じ空気を吸ったり、サグラダファミリア教会をこの目で見てみたいなあ。 それができたらもう満足です。

 

皆さんは、自分の老後はどう考えられていますか?

体が動くうちに、できることをしておかないと。

 

パーキンソン病の父いわく、 「パーキンソン病は足が弱るのだとわかっていたけど、歩けないと自分ではどこへも行けないんだよね。」

 

・・・ そうなんだね。 それなら私が父を車椅子に乗せて、父が行きたいところに連れて行こう。

そして私も、行きたいところへは体が動くうちに行っておけたらいいな。 皆さんも。

 

ところで一昨日は、小田和正さんのコンサートへ行ってきました。

67歳という年を感じさせない、最初から最後まで最高の歌声でした。 あっぱれ!

 

(勿論こういう時でも、父に万一のことがあったら駆けつけられるよう、心も体もスタンバイしています。)

 

小田さんは走ったり飛び跳ねたりしながら、息を乱さず3時間、約30曲を歌いきりました。 びっくりです。 余程体を鍛えられているのでしょう。

 

小田さん、は努力の人です。

こんなに大勢の人たちが、小田さんの歌を聞いて幸せになっています。

そういう人たち (私やコウジさんを含め) のために、頑張ってくださっているんだなあ、とただただ有り難くて。

 

隣の席のコウジさんは時々泣きながら聞いていましたが、私も感動しました。 歌声や、歌詞や、小田さんの人柄や、演奏される人たちや、ライトや、スクリーンに映し出される観客の幸せそうな姿や、色々なことに。

 

コウジさんは、小田さんがピアノをちょっと間違えて、「間違えちゃった!」 と照れてピースをした時には、「ご愛嬌ご愛嬌!」 と叫んだり、「有り難う!」 と叫ぶ小田さんに、負けじと大声で 「有り難う!」 と返したり、私をヒヤヒヤさせたのも相変わらずですが。

 

「またいい歌を作って帰ってきます。」 「・・・なんて、いい歌作れるのかな?」 「『小田日和』 (小田さんの最新アルバム) ができた時もびっくりだったけど。」 なんて、照れながら話される小田さん。

 

私より15歳も上の小田さんのパワフルな姿に、私やコウジさんもまだまだ頑張れる、という気になれます。

 

そういえば、亡くなられた絵本作家の佐野洋子さんに、『だってだってのおばあさん』 (フレーベル館) という、私が大好きな作品があります。

 

おばあさんは98歳で、元気な猫と暮らしています。

いつも口癖は、「だって わたしは 98だもの」。

 

ある日おばあさんは99歳になりましたが、誕生日を祝うケーキに必要なろうそくが、5本しかありませんでした。

 

するとおばあさんは、「だって わたしは 5さいだもの ・・・、 あら そうね! 5さいだから、さかなつりに いくわ」 と言って猫についてさかなつりに行ったり、「5さいだから」 と川を飛び越したり、すっかり若返ります。

 

そしてさかなつりの帰り道に、「ねえ、わたし どうして まえから 5さいに ならなかったのかしら。 らいねんの おたんじょうびにも ろうそく 5ほん かってきておくれ」 と猫に頼むのでした。

 

考えさせられる絵本です。

要は、気持ちの持ち方なんだと教えてくれます。

 

最後に余談を。

 

小田さんのコンサートに行く前に、武蔵小杉に新しくできた商業施設 「グランツリー」 で腹ごしらえをしていきました。

 

横浜育ちの私は、横浜に本店がある 「ハングリータイガー」 というハンバーグのレストランがお気に入りですが、家から近い武蔵小杉店ができたので嬉しい。

 

そこでコウジさんと 「おいしいね。」 と食べていた時、ふと気づくと、うわの空の顔をしたコウジさん。

 

急に、「あ、そうか!」 と喜ぶので何かと思ったら、(なんで自分は今、ここにいるんだろう? 今日はここにハンバーグを食べるだけに来たんだっけな。 このあと、夜ご飯の買い物して帰るんだっけな。) と考え込んでいたのだそう。

 

その時急に、小田さんのコンサートのことを思い出して、「なあんだ、これからが本番じゃん!」 と嬉しくなったのだそう。

 

こういう時は、(いいなあ、高次脳。 すぐ忘れるから、何度も初心で喜べて。) と少し羨ましくなりましたよ。

 

それに、自力で思いだせて、進歩進歩!

 

ではまた。

昨夜 (今朝) 午前1時に、やっと頼まれていたイラスト仕事を終えました。

 

パソコン音痴なので、イラストをスキャンして送るのに何回もトラブル発生、やっとこさ送れてほっとして眠りました。

 

ところでパソコンは便利ですが、パソコンや携帯のない時代も良かったなあ、と思います。

相手に連絡がつかなかったり、間に合わなかったり、諦めるしかない状況に陥ったことも多々ありましたが、その方がさっぱり ・ きっぱりできた気が。

 

それに、パソコンや携帯で時間短縮しているはずなのに、なぜか逆に忙しくなった気がします。

いつも何かに追われているようで、疲れやすいし (私だけ?)。

 

ともかく、時間に追われる毎日の中、あるテーマについて書き出してはいつも尻切れトンボになっているこのブログ、自分でもイライラしていますが、皆さんもイライラされていることでしょう (もし読まれていたら)。 ごめんなさい。

 

尊厳死の話も、ケンダル・アット・ハノーバーの話も、父の様子も、みんな書きかけたまま。 ああ・・・

とりあえず今日は、最近あったことをさっさと書きます。

 

先月22日の 「春の音コンサート」 でのコウジさんの歌は、とても良かったです。

小椋佳の 「山河」 は曲自体も良いのですが、コウジさんも上手に歌えましたよ。

1年で1度 (?)、カッコイ〜 コウジさんでした。 うふふ。

 

先週の8日も、コウジさんが入っているコーラスクラブの発表会でした。

コウジさんて歌が好きだから、一年中歌っていますよ。

 

クラブで発表会用に何の曲を練習しているのか、コウジさんの記憶が悪くて全然わからないので、クラブの他の会員の方にメールで確認、その6曲を楽譜に製本してコウジさんに渡しました。

 

最近雨ばかりなので、コーラスの練習や発表会も車で送迎することが多く、私もここ1ヶ月近く、密かに裏方で大活躍していたんですよ。

 

一方コウジさんは先月半ばに通風になって (再発)、会社を休んで病院へ行きました。

皮膚科 (皮膚炎) や眼科 (目が赤くなった) にも行き、年中病院へ行ってます。

 

そのたびにあれこれ世話を焼く私も、正直くたびれます。

体の丈夫な旦那を持つ人が羨ましいよ、全く。

 

それにひきかえ私は、区やコウジさんの会社から頂いた健診のチケット有効期限が今月までなのに、チケットをもらって1年以上ほっておいたので焦っています。

今週に基本健診と乳ガン健診、来週に子宮ガン健診に行く予定。

 

それに、父をまた外出 (自宅へ) させるスケジュールも組まないと。

父は今月中を希望していますが、体が動かない父の外出は非常に大変なんです。

1日がかりだし、コウジさんと2人がかり。

でも父が喜ぶなら、やらねばなあ。

 

今週はお彼岸だから、コウジさんの実家へも行きますよ。

 

お姑さんが元気なのが何より (助かる)。

でもお姑さんも一人暮らしだから寂しくなる時もあるだろうし、こちらも心配。

 

コウジさんとは毎日電話しあっているから、先週だったか、またオレオレ詐欺の電話が来たけど、撃退できてさすがです。

 

コウジさんと電話して10分後のことだったので、「詐欺だ!」 とすぐピンときたそうですが、声がコウジさんそっくりだったそう。

 

そういう場面では、そんな気になってしまうのかもしれませんね。 危ない危ない。

 

私に言われてすぐ警察に連絡したお姑さんは、次にその手の電話がきたら、騙されたふりをして犯人逮捕に協力してくれるよう頼まれたそうです。

 

でもおっかないからそれは断った、とのこと。

 

たしかに協力はしたいけど、やっぱり自宅に犯人が来られたら嫌だし、会いたくないですしね。

犯人を捕まえるのに、危なくない方法ほかにないのかしらね。

 

先週末は私の実家へ行き、母の様子を見てきたり、父が使わなくなったパソコンをもらってきたり。

 

そうこうするうちに、ワッチの入学式も近づいているから、スーツ買ったり第2外国語履修を何にするか考えないと。

 

これからはやはり中国語かな? 隣国とは仲良くしないと (まあ選ぶのはワッチだけど)。

 

そしてそして、なんと明日は、コウジさんは有休をとって、小田和正さんのコンサートに行きます! (勿論私と。)  抽選に当たったのですよ。

 

少年のような清らかな歌声を変わらず持つ小田さんも、今年は68歳になられます。

信じられない。 若い! 元気!

 

最近、「やつれたね〜。」 と言われる私 (そうなんですよ・・・) も、明日は小田さんに元気をもらって若返らなきゃ。

 

ホントに、昨年8月に両親が急に同時に要介護状態になってからというもの、自分でもかなりパワーダウンしているような気がしていました。

 

今日頂いた講演依頼も、また辞退してしまいました。 すみません。

 

明日あさっての講演なら大丈夫なんですが (多分)、数ヶ月以降先となると、父の状態が読めなくて・・・

 

でも、ご依頼を辞退し続けるのも相当なストレスになりつつあり、どうしたものか思い悩んでいます。

 

ではまた。

ウメと散歩していると、どこからともなく沈丁花の香りが漂ってくる季節になりました。

 

我が家にも沈丁花が植えてあったのですが、植えて10年を過ぎた頃あたりから弱ってきて、とうとう数年前に枯れてしまいました。 残念。

 

また沈丁花かキンモクセイのような、いい香りのする木を植えたいです。

 

今日はコウジさんは、転職される同僚の送別会をするんだそうです。

 

いつもお昼ご飯食べに、障害者雇用の仲間4人で行っているそうなんですが、そのうちのお1人が転職されることになったそうです。

 

元々営業をやられていた方なので、やはりそういうお仕事をしたくて、見つかったとのこと (コウジさん談)。

 

コウジさんはその方が好きだったのでとても寂しがり、送別会を企画したのです。

 

いつも上司に飲みに誘って頂いていますが、自分で企画するのは初めてなので、ここ1週間ばかり非常に神経質になっていました。

 

毎朝、「今日は何曜日だっけ?」 と曜日を確認したり、行くのは金曜日なのに木曜日と勘違いし出したり、正直うるさかったです (笑)。

 

今ごろ楽しく話しているかな (泣いているかも)。

 

ところでアメリカの老人ホーム 「ケンダル・アット・ハノーバー  (Kendal at Hanover)」 の話を書きたいのですが、また時間がありませんので、次回以降にします。

 

多分アメリカでも特殊な、恵まれた老人ホームだと思われますが、とても興味深いところです。

老人ホーム (と言うと語弊があるかもしれません。 「高齢者が住む場所・町」 と言った方がいいかも。) の理想といっていいと思います。

 

今急ぎのイラスト仕事をしていますし、確定申告また何もしていませんし (仕事を余りしていないので収入は多くはありませんが、自営業なので)、今月中に乳ガン・子宮ガン・基本健診受けなくてはいけないし、父の老健と実家の母のところへは時間許す限り様子見に行きたいし、義母のところへも行くし、ちょっと忙しい。

 

そんな中、この1週間だけでも2カ所のところから有り難くも講演依頼を頂いていますが、父がどうなるかわからない今、お受けできなくて本当にすみません。

 

万一の時、父のもとへ駆けつけたり、病院へ連れて行ったり、諸手続したりするのは、私1人しかいないため、常にスタンバイしていなくてはと思っています。

 

それが講演日に当たりますと、交替や休んだりできない仕事なので、それなら最初からご迷惑おかけしない道を選ぶしかなく。

 

でも、そこでお会いできたはずの方々と会えず、高次脳機能障害への理解と支援をお願いするせっかくの機会を辞退することに、悲しさと罪悪感を持っています。 仕方ないとはいえ。

 

今、コウジさんが帰宅しました。

 

楽しく少々酔っ払っていますが、誰とどこで食事してきたのか覚えていません。

 

やっと1人2人思い出して、「それだけだ!」 と言いますが、肝心の送別される方のお名前は出てきません。

 

お店も間違っています。 自分が決めて楽しみにしていたお店なのに。

会社内にある、バーコーナーだったと思っています。

 

思い出さないで終わりそうなので、主賓のお名前とお店の名前を教えてあげました。

 

そうしたら目を丸くして、「そうだった!」 「いい送別会だったなあ。」 なんて言ってます。

 

・・・ ふう、記憶は、ほんと〜に、良くなりませんねえ。

 

でも、無事楽しく帰ってこられて良かったです。

 

では、イラスト仕事イラスト仕事。

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