日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年05月

ブログを書きたい気持ちはあるのですが、時間がなくてなかなか書けません。

 

先週土曜日は、父が老健から自宅近くの有料老人ホームへ引っ越ししました。

 

半年過ごした老健の父の部屋は、荷物が多くて移動が大変でした。

老健から台車を借りて、コウジさんと何回も5階の部屋と玄関を往復。

お世話になった事務や介護・医療スタッフの方々にお礼を述べて、頼んであった介護タクシーに荷物を積むと、父とコウジさんとでいざ出発。

 

30分ほどで老人ホームに着くと、再び全ての荷物を父の新しい部屋に運び、父が過ごしやすいようにしつらえました。

 

老人ホームで待ち合わせしていた母が、勘違いして違うホームで待っていた、なんていうドタバタもありましたが、とりあえず引っ越しは無事終了。

父も快適そうでした。

 

次の日は、母がお酒のほか、タオル、ゴミ箱など部屋にないものを持って行ったそうですが、私はその日は桜木町で行われたパーキンソン病友の会総会と講演会に参加していました。

 

そこで講演された医師に今後父を診て頂く予定で、市大病院からの紹介状ももう用意してあります。

講演会後に、医師にご挨拶して来週伺うことも伝えておきました。

 

会場に、車椅子の奥様を介助されていた男性がいらして、その奥様の様子が父とそっくりだったので、思わず話しかけに行きました。

 

伺ったところによりますと、奥様のパーキンソン病発症は10年前だそうで、症状が悪化し出したのは2年前とのこと。

今は体が右に傾いて、車椅子なのが、父と一緒です。

 

ご主人がご自宅で1人で介護されているそうで、お子さんの手伝いはないとのこと。

 

けれど奥様は小柄なので、お世話は大変ではないとのことでした。

 

ご主人はスポーツをずっとやられているので背筋もピンと伸び、体力にはまだまだ自信があるそうで、笑顔いっぱいの前向きな方で元気を頂きました。

 

我が家の場合、母が父を立たせようとして腰痛の圧迫骨折でいまだに不自由な体ですから、やはり自宅介護は無理ですが・・・

 

できるところはできているのだなあ (自宅介護が)、と驚くとともに、ご主人が疲れをためられないか心配でもありました。  お年は、75歳くらいでした。

 

翌日はまた有料老人ホームへ行って、ケーブルテレビ業者と契約など長い打ち合わせ。

 

老人ホームに入るための書類やら、ケーブルテレビを入れるための書類やら、時間のかかる書類書きと捺印ばかりで、ヘトヘトです。

 

疲れたあまり、何書いているのかわからなくなり、連帯保証人にも父の名前を書いてしまったり、はんこが上下逆さまになってしまったり。

 

行きも帰りも高速を車で飛ばし (家の用事がたまる一方なので焦って)、ウメの散歩をしている時も、フラフラめまいがしてきました。

 

「あれがない」、「これがない」、と言う父のために、今日も服などを買いに行きましたが、来週の病院初診が終われば、ようやくほっと一息つけそうです。

 

パーキンソン病で腰が斜めに曲がっている父は、ズボンが合わずに困っています。

 

LLくらいじゃないと腰がきつく、でもそれでは丈が長すぎ。

いつも裾上げしていますが、パーキンソン病患者に向いた服が開発されるといいのになあ。

腕もうまく動かないので、袖に手を通すのが一苦労なのです。

 

ところで先日のパーキンソン病講演会でも、医師が 「パーキンソン病は、命を落とす病ではありません。」 と仰っていたように、肺炎や転倒 (骨折) などがなければ、患者は普通の寿命まで生きられるようです。

 

父はしょっちゅう転倒しますし誤嚥性肺炎を起こしていますから、ちょっと心配ではあるものの、昨年8月以来の深刻な衰弱は、ひとまず落ち着いた感があります。

 

そこで、今まで辞退させて頂いてきた講演会のご依頼を、秋以降からお受けすることにしました。

 

でも、さすがに年内に入ったあと6回で、いっぱいいっぱいの気がします・・・

 

資料を作り直すのに時間かかりますし。

頭もパーキンソン病とともに高次脳機能障害モードにも、またしっかり切り替えないと。

 

詳細が決まりましたら、ここでお知らせしますね。

 

では、おやすみなさい。

今日は朝早くから慌ただしく家を出て、父のいる横浜の老健に10時に入りました。

 

私の家から電車3本とバス1本を乗り継いで片道約2時間かかりますし、実家からもタクシーで30分なので、やはりこの遠さはネックです (車で行くにはしんどい距離でもあり)。

 

でも父はこの半年でとても表情よく元気になり、老健様々でした。

 

自宅介護を良しとする風潮がある日本ですが、いやいや、やはり自宅近くの施設で専門スタッフによる介護・看護・医療を受け日々安全に過ごし、好きな時に自宅に外出・外泊できるというパターンは理想的だと思います。

 

もちろん介護度の重い軽いや、経済的状況にも左右され一概には言えませんが、老健や有料老人ホームより安い特養  (特別養護老人ホーム) も、今後視野に入れようと思います。

何年も待っていたら寿命が先に来てしまうと思って考えもしませんでしたが、父 (要介護3、パーキンソン病ヤール度5) くらいならそんなに待たないで入れるという話も聞き ・・・検討したいと思います。

 

最初は施設を嫌っていた父も、冴えた頭でこの半年の経験を顧みて、施設の良さを認識したことは収穫でした。

 

今度入る有料老人ホームは私の家から車で1時間、実家からは車で5分。 外出も面会もしやすくなります。 好きなお酒も飲めるし (適量)、あんパンや飴など菓子も食べられます。

 

でも 「BSテレビを見られないならホームには入らないよ。」、なんて言うワガママな父は、体は不自由ながら頭が冴え冴えしているものだから、しもべのようにこき使われる私はいつもヘトヘトです。

 

今日も、通帳に記帳して持ってくるよう指示され、銀行に寄るために早く家を出てやっと部屋に着くやいなや、挨拶もそこそこに色々な事務用品が乗っている机の上を片付けるよう言われ、あせあせと片付けているうちに有料老人ホームのケアマネさんらがいらして、1時間半くらい聞き取り (父が考えた通り、机の上に皆で書類を広げました)。

 

その後、父が老健の職員にサポートされながら椅子から車椅子に移動する様子、昼食をとるテーブルに到着してからまた椅子に移動する様子、父が食べる様子を、老人ホームの方がたと一緒に見ました。

 

私の家にいた時には、父の口に私やコウジさんがスプーンで食べものをどんどん運んでいましたが (おかげで誤嚥性肺炎になった?)、今父は自分のペースで箸で食べています。

 

父を介護して下さった顔見知りの看護士さん、介護士さん、ケアマネさんらにこの半年のお礼を言い、電動歯ブラシで歯磨きしながらテレビを見ていた父に挨拶して、すぐ帰宅。

 

帰りに買ったおにぎりで3時に遅いお昼を食べたら、突如頭痛と疲労感に襲われ、15分床に突っ伏してうたた寝。

 

それからウメの散歩を1時間したわけですが、これ、毎日ルーティンの仕事を持っていたら絶対できない生活ですよね。

 

でも私やコウジさんがもっと年とった時、ワッチの世話にならず、ワガママ言わず、大人しく施設に入るためには (笑)、お金が要りますよ。

 

こんな親の介護に時間使って疲れている場合ではなく、親の介護はほどほどに、仕事しなくちゃ。 本当ですよ。

 

ところで夜、テレビを見ていたコウジさんが、「高次脳機能障害だよ〜!」 と言うので、床拭きしていた手を止めて慌てて見に行くと、NHKEテレの 「ハートネットTV」 にGOMAさんが出ていました。

 

こういう情報って入ってこないんですよね。

番組を見つけてくれたコウジさんに、感謝しながら拝見。 再放送あるかな? (来週25日月曜日、午後1時5分からありました。)

 

GOMAさんのお名前は、『日々コウジ中』 が出た頃すぐ知りました。

同じ頃展覧会を開かれていて、主婦の友社さんを通して誘われたのですが、当時非常に忙しくて時間がとれず、行けなかったのです。

 

ディジュリドウという楽器の演奏で有名だったGOMAさんは、交通事故で受傷後、精密な点描画を描かれるようになったそうです。

 

初めて画面で拝見しましたが、とても優しい穏やかな表情の、魅力的な方でした。

 

GOMAさんを心配そうに見つめる奥さんの姿に、(私と同じだ〜) と思いました。

 

・・・ もっと書きたいのですが、もう疲れてダメです。

 

おやすみなさい。

ブログを書く時間と気力がないまま何日か  (1週間) 過ぎてしまいました。

今日もあまり書けないのですが、ここ最近の様子を簡単に書きますと、 山口先生の講演会での話の内容が盛り沢山過ぎて、まだ消化できていません。

配布された資料も、まだろくに読めないまま。

 

ほかにも読みかけの本がたまる一方なのに、家の中の大掃除をしています。

物が多くてごちゃごちゃだと、頭の中もごちゃごちゃになるので、思わず大掃除に突入してもう1ヶ月くらい。

でも大掃除って疲れる。 まだまだ終わりません。

 

老健から有料老人ホームへ移る父に関しての用事が、やはり多いです。

明日も老健に行って、有料老人ホームと私と父とで話し合い。 そしていよいよ今週土曜日が、引っ越しだあ。

 

引っ越しには介護タクシーを使い、コウジさんとえっちらおっちら荷物を運ぶ予定。

 

翌日曜日は、パーキンソン病友の会神奈川県支部の総会と講演会。

そこで講師の医師に質問しようと思っています。

 

ホームの部屋でBSテレビを見たい父のために、横浜のケーブルテレビ会社や老人ホームと相談。

来週ケーブルテレビ会社がホームに書類持って来てくれ、手続き。

母が無理そうなら、また私が行かないと。

 

再来週は新しい病院にやっとのことで予約がとれ、父を連れていく。

ニュープロパッチが10日切れてしまうが、仕方ない。 また、悪い状態を見てもらった方が良いかも?

 

父の旧友から、父に会いたいという有り難いコンタクトが母を通してあり。

父はホームでお酒を酌み交わそうと楽しみにしているので、「それはいくら何でもホームではできないんじゃない?」 と言うと、「なんでだい?」 と不満そう。

 

やれやれ、ホームの食堂片隅か部屋で、ペットボトルのお茶を飲んで頂くか、実家に父を外出させて旧友にも来てもらって、そこでお酒を飲んで頂くか (そのためには、また私が行かないと)。

 

次々父から出される要望に頭がパンクしそうなので、頭の半分くらいを使って考えることにしよう。

ふう。 ほかにも考えなくていけないことが、いっぱいあるのだ。

 

先週月曜日は、世田谷区のふらっとへ行きました。

広島のサポートネットひろしまの方々が、東京の高次脳機能障害者の自立訓練をしているところを見学されたいとのことで、私に 「どこがいいでしょう?」 と聞かれました。

 

私は、「ふらっと」 さんか、「調布ドリーム」 さんではないか、と返事致しまして、その2カ所をお繋ぎしました。

 

調布ドリームさんの見学は、山口先生の講演会と重なり、残念ながら同行できませんでしたが、月曜日のふらっとさんへは同行できました。 同行、と言うよりついて行ったのです。

同じ世田谷区にいながら、ふらっとのお話をじっくり伺ったことがなかったので、良い機会でした。

 

翌火曜日は東京を台風が襲いましたが、コウジさんと横浜アリーナにコブクロのコンサートへ行ってきました。

 

コンサートツアーが始まっていたことも知らず、知った時にはチケットは完売だったので諦めていたのですが。

 

そんな時、私が利用しているコープの宅配のカタログをめくっていましたら、なんとコブクロのチケット抽選があったのです。  半信半疑で申し込みましたら、当たったのです。

 

コウジさんと喜んで聴きに行き、台風でびしょ濡れになって帰ってきましたが、いい思い出になりました。

 

さて、少しパワーをチャージできましたので、明日また老健へ行ってきま〜す。

脳外科医の山口研一郎先生と初めてお会いしたのは、2011年NHKEテレ 「にっぽんリハビリ応援団」 の収録の場、つまりNHKの建物の中でした。

 

高次脳機能障害がテーマの回で、収録は山口先生が2日分、私と神奈川県総合リハビリテーションセンターの瀧澤学支援コーディネーターが1日分でした。

 

そのため、山口先生は2種類の服を用意されていて (1日で収録するため)、私の前に座られて出番を待たれていた山口先生の背中をふと見ますと、急いで着替えられたのでしょうか、上着の肩にシワがよっているのに気がつきました。

 

そのシワを見た瞬間、山口先生に親近感を抱き、好きになったのを覚えています (変な意味でなく)。 そして、(どうしよう、直してさしあげようか。) と悩んでいるうちに、先生は呼ばれて落合恵子さんと稲川利光医師の間の席に歩いて行ってしまいました。

 

さすがにお会いしたばかりで、ご挨拶もろくにしていない方の服のシワを指摘できなかったのですが、テレビカメラが写す前からは、背中のシワは映りませんから、支障はありませんでした。

 

実は私は、その番組の録画を見直したくなくて、1度見ただけないのですが、そのわけは、やたらに「そうですね。」 「そうですね。 」を連発している自分がイヤだからです。

 

緊張していたせいですが、落合さんが話されている途中なのに、早くも 「そうですね。」 を言って、すぐなんにでも迎合する醜悪な人間のように見えて、恥ずかしいのです。

 

本番前に打ち合わせはありましたが、私はその打ち合わせに10分以上遅れて加わったのが残念でした。

 

NHKには早く着いたのですが、そのまま打ち合わせ場所に行くつもりが、髪やお化粧をセットする部屋にあれよあれよという間に連れて行かれてしまいました。 そんなつもりなかったのですが、ボサボサの髪でテレビに出たら、見る人に失礼ですし、仕方ありません。 勿論ボサボサではなかったと思いますが、プロにセットして頂くと、サラサラヘアになり、鏡の中の自分に驚きました。 (お化粧は時間もないし、直してもらいませんでした。) だからテレビに出るアナウンサーや天気お姉さん、勿論タレントの女性たちは、いつもプロにメイクやヘアを整えてもらっているので、きれいで当たり前なんですね。

 

とにかく髪をセットしてもらっている間に、どんどん時間がたつものですから、ほかの方々が打ち合わせていらっしゃるのに、そこへ加われずに焦っていました。

 

ようやく解放されて打ち合わせの部屋におずおず入りますと、大方の話は終わっていました。

 

それで、私はあまり番組の流れが把握できていなかったものの、皆さん打ち合わせされていたのだから大丈夫だ、という意識があり、何を振られても、「そうですね。」 と相槌を打っておりました。

 

でも、質問もされますから、どんな質問が来てもいいように、他の人が話されている時には、全神経を集中させていなくてはならず、それはそれはストレスフルな時間でした。

 

番組を見た知人達は皆、その時の私の顔 (表情 )が変だ、うつろだった、と笑いますが、全神経を集中している時の私の顔は、うつろな表情になるようです。 ああ、がっくり。

 

番組収録を終えて、控え室で握手してくださった落合さんの手の感触は温かくソフトでした。 私と瀧澤さんが廊下の角を曲がるまでずっと、控え室のドアそばに立って笑顔で見送って下さったので感動したのを覚えています。

 

元々落合さんの大ファンだった私はあまりに感激していて、山口先生とその時、ご挨拶して別れたか、記憶にありません (苦笑)。

 

けれど番組出演が縁となり、その後山口先生とやりとりが始まりまして、現在に至っています。

 

いつだったか、山口先生から頂いた手紙の字が読めなかったので、お会いした時に 「これはなんと書いてあるのですか?」 と尋ねたことがあります。

 

私もひとのことを言えないくらい字が下手なのですが、先生の字もよく読めないので、失礼とは思いながら、内容がわかっていない方がもっと失礼だと思って、あえて質問したのでした。

 

すると先生は、「ん、どれどれ? 」とご自分の書かれた手紙を手にとられ、しばらく 「う〜ん・・・」 と唸っていましたが、とうとう諦めて、「自分で書いたけど読めない。 でも、ま、そんな風なことが書いてあるんだよ。 」と笑って手紙を返されました。

 

(そんな風って、どんな風?) と、全くわかりませんでしたが、この時も私は吹き出して、また先生が好きになったのでした。

 

で、昨日の山口先生の講演の話を書こうと思っていましたが、今日は思いもかけずこんな話になってしまいましたし、さらにこんな時間ですので、寝ます。

講演会の話はまた次回に。

 

脳外科医として毎日診療されながら、社会に数々の鋭い問題提起をされている先生ですが、素顔はとても優しくて気さくで温かい(熱い)、そしてちょっぴりお茶目な方だということをどうしてもお知らせしたく、前置きが長くなりました。

 

ちなみに昨日伺った話では、先生が診察されたりリハビリされたりした高次脳機能障害者は、昨年末までで千名を越えたそうです。 すごい。 先生は、せっかくのこの数の情報を、今後データか何かにまとめて出されたい、とのことでした。

そうと決まったら、早速老健にこちらの気持ちを伝えなくては、と連休明けに老健に電話しました。

 

いつも窓口になって下さるケアマネさん (老健に入所した際も担当された) に事情を話しますと、快諾してくれました。

 

薬代のことも理解してくれましたし、「やはり自宅から近い方がお母様も来やすいですよね。」 とか、「他の施設を経験されるのも、お父様にとっていいかもしれません。」 とか言ってくれ、さらに、「老健を退所して3ヶ月たてば、また老健に入所して週5回のリハビリを受けられますよ。」 と教えてくれたりもしました。

 

老健では入所3ヶ月 (通常はそこでリハビリが終わって自宅に帰ります) は週5回 (日) リハビリがあり、4ヶ月目からは週2回になっていました。

 

リハビリを父に毎日させたい私は、そういう方法もあるのか、と勉強になりましたが、何回も入所退所を繰り返すのは、高齢でパーキンソン病ヤール度5の父にとっては大変なので、あまり現実的ではないですね。

 

さて、新しい施設に入所するにはまた健康診断を受けなくてはならないのが、1番気が重いことでした。

 

父を外出させて、老健近くの病院で健康診断を受けさせようと思いながら、ケアマネさんにその相談をしてみました。

 

すると有り難いことに、老健が健康診断をしてくれるそうです。

老健で撮れないレントゲンも、老健が父を近所のクリニックに連れて行ってくれるそうです。

 

1つ作業が減ったので、嬉しい。 おかげで今月中に行う作業は、あと3つになりました。

 

1. 健康診断結果が出たら、老健に老人ホーム職員と私が集まり、父を囲んで面会や話し合い。

 

2.  入所が決まったら、父を老健から老人ホームへ引っ越しさせる。

 

3.   老人ホームへ移ったら、すぐ新しい病院の神経内科を受診させ、パーキンソン病の薬をもらう (市大病院は混んでて、もうやめました)。

 

2については、今の老健の父の部屋は、父に頼まれて私が買って持ち込んだテーブル2つ、本棚があるので、赤帽さんでも頼まなくては、と考えていました。

 

そんな打ち合わせを、父と介護タクシーの中でしていましたら、運転手さんが前を向いて運転しながら、「そういう引っ越しもお手伝いしますよ。 長く施設にいると、意外と持ち物が増えて、他に移る時困る方が多いんですよね。」 「このタクシーに乗せられるだけ乗せていいですよ。 運ぶのもお手伝いしますよ。」 と言われるではありませんか。

 

わあ、なんでも口に出して話してみるものですね (私は時間を惜しむように、父といる間はずっと話しています)。

 

見ると、そのタクシーの内部は、車椅子に乗った父の後ろにかなりのスペースがあり、テーブルも本棚も楽に入りそうです。

 

というわけで、引っ越しはこの介護タクシー1台で済みそうで、ほっとしました。 よし!

 

3については、できたらニュープロパッチが切れる前に、新しい病院を受診させたいです。

市大病院に頼んでいた紹介状 (診療情報提供書) は、今日届きましたよ。 うん、着々と進んでいます。

 

・・・ でもね、私がいなかったら何も進まないということに、時々考えてしまいます。

 

要するに、高齢者が理想的な生活を送るためには、子どもなど家族が環境調整をしないと、自分じゃできないというのが、父や母を見ていてわかります。

 

でも子どもや兄弟姉妹がいない人も沢山いるわけで、そうした人はどうするのでしょう?

誰が色々な手続きを考えたり、実際に動いたり、入所する際の保証人になってくれるのでしょう?

友達でしょうか? 行政でしょうか? 民間の業者でしょうか?

 

あまりに父の世話でやることばかりに追われ、気が滅入った時、思わず父に言いましたよ。

「子どもを10人くらい産んでおいてよ (産むのは母ですけど)。 私1人しか動く人いないから、すごく大変なんだよ。 私の家のことが全然できないんだから。」 と。

 

親不孝だなんて言ってる場合ではなく、本当にしわ寄せが私の家に来ます。

夕食を作る時間がなくなりお弁当になったり、コウジさんの有休も土日も、父の外出手伝いになってよく体を休めなかったり。

家族揃っての休日がなくなったり。 疲れた体で犬を散歩させるのがしんどくなって、犬に当たってしまったり (ウメ、ごめんね)。

 

で、できるだけ父のために奔走していた私も段々疲れて嫌になってきまして、「できません、無理。」 「やりません、今は。」 と、「NO!」 を声高に上げるようになりました。

 

そんな、父の希望全てを受け入れられませんし、父の考え方が無茶だったり誤っていたり、非効率だったり、無駄だったりすることも往々にしてあるのです。

 

そうして私がイニシアチブをとることに、最近私だけでなく父母の方も慣れてきたように思います。

これは、「老いては子に従え」 ということなんでしょうかね。 それでいいと思います。 ハイ。

 

ところで今日は池袋で、山口研一郎脳外科医による講演会がありました。

 

留守番を寂しがる夫 (コウジさん) に、「それなら一緒に行こう?」 と誘うと、「あ、それはいい。 人に会って気を遣うより家でゴロゴロしていたい。」 とのことで、コウジさんは留守番。

 

山口先生のお話は盛りだくさんの内容で、配布された資料も山ほどで、明日じっくり読んでここに書きますね。

 

今日はもう疲れましたので、おやすみなさい。

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