日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年06月

ブログを書く時間がなく、父や母や犬の用事に追われています。

とりあえず元気だということをお知らせするためにだけ、ここへ来ました。

 

父 → 自宅へ外出させたり (1日がかりでした)、特定医療費 (指定難病) 医療受給者証更新のための諸々の用事。

 

例えば、臨床調査個人票を主治医に記入お願いしたり、記入されたそれを受け取りに行ったり。

住民票とったり、課税状況の確認書類揃えたり。 その他色々。 ああ、次回診察もそろそろです。

 

パーキンソン病 (難病) 患者を抱える家族は、皆さん同じように今頃バタバタされていますよね、きっと。

 

母 → 物忘れがひどいので、かかりつけ医に電話したり手紙書いたりして、紹介状を用意してもらう。

その後すぐ、母を連れて予約してあった大学病院へ。

問診やテスト、血液検査は終えたが、MRIは1ヶ月待ち。 次回診察は1ヶ月半先。

 

さらに、母の介護認定も更新時期を迎え、認定調査が入るので立ち合うためのスケジュール調整。

 

昨年夏から、急に衰えた父と母の世話をする子供は私1人、実家も病院も役所も施設もみんな横浜だから、1つ1つの用事が1日がかりになってしまう (必然的に、夫・コウジさんのことが手薄になってしまっています。 でもコウジさんも元気です。 今、ジブリのジグゾーパズルにはまっています。)

 

あまりに日々書類がたまる一方なので、「父ファイル」 「母ファイル」 を作って、特に重要な書類やノートをはさんでみたら、少しわかりやすくなってちょっと嬉しい。

 

勿論、そんなファイルに入りきらない諸々の書類やパンフレット、メモ、領収書、手紙類は、紙袋や大きなカバンに入れてあります。

 

過去のものや今しばらく使わないものは、実家の2階に運び (我が家は狭いから)、現在進行形の金銭に関わる書類は、ホームにいる父の部屋に運び、本棚にファイルして並べる。

 

父はあまり動かない手と指で、それら書類をチェックする。

父は会社員時代、経理部や監査役だったので、そういう仕事が好きなようだが、かくして父の今の部屋はまるで書斎のよう。

 

父といえば、あれから好きなBS放送を見たり、ホーム内に囲碁友達ができたり、高校時代からの友人らが部屋に遊びに来てくれたり、毎晩晩酌もできて、楽しそうで朗らかになった。 良かった。

 

父や母の代は、自分たちで働いたお金で、子供=私 も手足となり、安心した老後生活を送れて幸いだったが、私やコウジさんの代は、お金もないし、東京圏では介護難民となり、どうなるやら、だ。 ピンピンコロリ、は誰でも望むことだろうが、なかなかそうはいかないし。 誰もが老後に希望を持てる国になってほしいし、しなくては。

 

一方、愛犬ウメの左側後ろ足に、こぶを発見。

 

突然現れたので、慌てて動物病院へ連れて行くと、「どこかにぶつけて炎症起こしているのかもしれないし、腫瘍かもしれない。」 とのこと。

 

たしかにこぶを発見する前日、溝を飛び越そうとして失敗、後ろ足が溝に派手に落ちたのを思い出す。

けれどそれが原因なら、薬で腫れが引いてくるはず、と言われ朝昼晩飲ませているが一向に変わらず今日で3日。

 

5日たったらまた病院で診察だが、(腫瘍でなければいい) と気が気でない。

 

ただ、ウメが溝を飛び越せなかったのは太り過ぎだからだそうで、今の体重17キロを14キロくらいまでには落とさないと、これから心臓病などになるかもしれないとのこと。

 

ウメが太り始めたのは、猫のハルの餌を好んで盗み食いしているからのようだ。

 

猫の餌は嗜好性が強く、カロリーが高いそう。

 

そこで、ハルの餌はウメが届かないらせん階段の上に置くようにした。

 

ハルは突然変わった餌の場所に不満そうだが、仕方ない。

 

思わず長くなりました。

これら以外にも色々用事があり、なかなかブログ更新もできず、コメントにもお返事できないかもしれませんが、お許しを。

今週末は、父をホームから自宅に外出させます  (そんな話題ばかりでスミマセン)。

 

よく仕組みがわからないのだけど、父の 介護保険はホームで全部使うのだそうで、介護タクシーも全額自己負担なのだそう (老健でもそうでした)。

 

だから節約のため、父を私の車に乗せて送迎。

なにしろ今度のホームは、実家のそばなので楽なのです。

 

自宅の急な階段も、コウジさんと私の2人がかりで父を支えながら上り下りする予定。

ちょっと心配だけど、なんとかなりそう。

 

今はホームでも毎日晩酌している父ですが、自宅でもお寿司をとって、お酒をゆっくり飲んでもらおう。

 

そうそう、だから介護保険を使えないので、自宅用車椅子や、ホームに置いてない歩行器を買いました。

 

歩行器は老健からホームに引っ越しした時に、私の家にいた時レンタルしていたものと同じものを買ったばかりなのだけど、「重い」 のだそう。

調べると4キロありました。

 

だから、老健のと同じものを探してまた買いましたが、それは2キロ弱でした。

 

父は筋力がどんどん落ちているから、この2キロの差は大きいのでしょう。

 

先々週の受診の時、医師は 「もう杖で歩くのは無理です。」 「歩行器でいいよね。」 と父に言ってました。

残念ですが、全面的に車椅子になるまで、まだ歩行器でできる限り歩いてもらいたいです。

 

一方、同じ話ばかりしたり、私の話が全然頭に入らなかったり、勘違いばかりしている母。

 

車の運転をやめさせられて本当にほっと していますが、一度きちんと認知症の検査をしてもらった方がいい、とずっと前 (1年くらい前) から思っています。

 

検査してもらって、「ただの老化」 ならそれでいいし、もし認知症なら早く治療しないと。

なので、今週か来週で、病院に連れて行こう、と病院を調べているところです。

ふう、両親の2人いっぺんの世話は大変だ~。

 

上野千鶴子さんがご著書の中で、暉峻淑子(てるおかいつこ)さんがお父様の介護を5人の子どもでローテーションを組んでされた話に触れ、「これがもし子どもが二人なら、二晩に一回では、子どもの生活破綻になるだろう。ましてや一人っ子なら、とてもやっていられない。 もし子どもを自分の老後の保険と考えるのなら、せめて五人は産んでから、そう言ってほしいものである。」 と書かれているが、その通りだと思って手を叩きました。 (手を叩いても、子ども=介護要員が増えるわけではなく、私が一人で父と母の面倒を看るのは変わらないけれど。 コウジさんの母、お姑さんがまだまだ元気でいてくれて、有り難いです。)

 

実はここ1週間、上野千鶴子さんにはまっています。 ベストセラーの 『おひとり様の老後』 から始まり、『老いる準備 介護すること されること』、『女は後半からがおもしろい』 のあと、今4冊目の 『ニッポンが変わる、女が変える』 を読んでいるところ。すごく面白い。 歯に衣着せぬ語り口が、痛快で共感することばかり。

 

その他、『思想としての 「医学概論」 いま 「いのち」 とどう向き合うか』 (高草木光一編) が読み始めたところで、『えほん・障害者権利条約』 (ふじいかつのり作  里圭絵) は読み終え、『見えないけれど観えるもの』 (藤井克徳著) は買ったばかり。 藤井さんは、日本障害者協議会代表です。

 

読まなきやいけない本、読みたい本が沢山あります。 嬉しい。

 

『アーティストたちが愛した猫』 も買いましたが、まだ全然読めていない。

猫は本当にかわいい。 犬も勿論。

ああ、殺処分ゼロ活動にももっと関わって活動したいのに。 しなくちゃいけないのに。 私はなにをやっているんだろう・・・

 

ところで講演会ですが、9月下旬から再開することにしました。

9月27日 (日) は港区、翌28日 (月 )夜は千葉、10月10日 (土) は荒川区、同月31日 (土) は釧路、11月14日 (土) は福生市、まだ未定ですが同月29日は江戸川区・・・ の予定です。 年内にもう1つ、入るかもしれませんが。

 

詳細はまた、決まったらお知らせします。

それまでに頭を整理して、資料作らなくては。

 

ああ、今週末 (土曜日) はまた国会を囲む   「女の平和 ヒューマンチェーン」 なのだけど、父を外出させる日なので参加できません。  でも心は国会前に。

 

日本がきな臭い方向に行くのを、国民みんなで阻止しなければ。

関東も梅雨入りしました。

こちらにもあちらにもアジサイが咲き乱れ、季節は巡るものだなあ、と改めて思います。

 

小学生時代を過ごした横浜市南区は、まだ山が多く残っていました。

私は当時、高台に建っていた公団住宅に中学まで住んでいて、学校には山を降りてまた登り、片道30分かけて通っていました。

 

舗装された道ではなく、ブロックを敷いた山道を下っていると (地域の人たちからは、そこは 「ブロック階段」 と呼ばれていました)、大きなカタツムリが沢山いたものです。

 

かわいそうに、通学路なものですから、踏まれて潰れてしまったカタツムリもいましたが、あんなに大きなカタツムリを、もう40年見ていません。

 

田舎の方に行けばきっと大きなカタツムリはいるのでしょうが、このあたりで見かけるのは (ほとんど見かけませんが)、ちっちゃなちっちゃなカタツムリです。でも、かわいい。

 

ちなみにブロック階段はなくなり、山々は崩されて住宅地になりましたが、まだ公団住宅は残っています。

 

今夜いつものように床拭きをしてましたら (ウメの抜け毛が1年中すごいので、1日最低2回は拭き掃除しています。)、テレビを見ていたコウジさんが、「うるさい。 今大事なテレビを見ているんだ。」 と怒りました。

 

何の番組かと思って私も見てみますと、NHKEテレのハートネットTVでした。

難病のALSになった広告マンの、「ヒロ」 さんという方の話でした。

 

途中から見ましたので、来週の再放送を見なくては、と思い、皆さんにもお知らせします。

 

筋肉が段々動かなくなる原因不明の難病で、治療法もまだ見つかっていないALS。

そんなヒロさんの言葉、「生きるとは楽しむこと。」 「幸せは周りにある。 気づくか気づかないかだけ。」 は真実だと思いました。

 

明日もALSの話です。ご覧下さい。

私も、コウジさんが見ていなければ、見損ねるところでしたので、コウジさんに感謝。

 

それから、このブログではもっと講演会や勉強会情報などもお知らせしなくては、と反省しています。

とりあえず急ぎの勉強会は、6月14日 (日) にあります。

 

交通事故に遭われ、解決を求めていらっしゃる被害者の方々へのご案内です。

〜他人に人生を破壊された交通事故被害者の人生を取り戻すために〜 勉強会・講演・無料法律相談会・分科会・心の相談・懇親会

 

NPO法人交通事故後遺障害者家族の会主催 第14回総会 & 勉強会

 

日時 : 平成27年6月14日 (日) 9時半開場

 

場所 : JA共済ビル カンファレンスホール (東京都千代田区平河町2―7―9) 東京メトロ永田町駅4番出口徒歩2分

 

午前の講演

● 「裁判の成果は立証で決まる」 10時半〜11時半  講師:北原浩一氏 (本会代表理事)

 

● 「最高裁判決の解説」 11時半〜12時  講師:本会協力弁護士

 

午後の講演

● 「高次脳機能障害の精神・心理学的リハビリテーション」〜重度障害を含めて〜

13時10分〜14時40分  講師:先崎章氏 (東京福祉大学社会福祉学部教授)

 

その他のプログラム

● 分科会 15時〜16時半 ①裁判 ②介護・リハビリ ③親無き後&後見人

● 無料法律相談(要予約)

● 無料心の相談 (要予約)

● 懇親会 17時〜 (会費5千円)

 

お申し込みは、FAXで 042―302―0300 です。

(参加者氏名や被害者氏名、住所、電話FAX番号を書いて申し込む申込書があるのですが。 お問い合わせは042―207―2692へ。

今、会のHPを拝見しましたら、詳細や申し込み方も載っていました。行かれる方は、どうぞご覧下さい。)

 

申込締め切りは6月10日。 お知らせが遅くてすみません。

 

北海道砂川市でも、一昨日夜、信じがたいひどい交通事故が起きました。

何も悪くない幸せなご家族が、一瞬にして犠牲になられたことに、加害者 (多分) への憤りとやりきれなさを感じます。

 

私も交通事故が怖いので、運転も下手ですし、夜間は運転しないようにしています。

けれどこちらがいくら気をつけていても、相手が乱暴運転や信号無視をしていたら、避けようにも避けられません。

 

車は便利ですが、やはり走る凶器だということを肝に銘じて運転しないと。

わかりきったことなのですが。

 

自分の無謀運転が奪った人たちの幸せを、どう償うつもりなのでしょう。

いくら償っても償えません。

取り返しがつかないことなのです。

 

怒りを込めて、無謀運転する人に抗議したい。

人の命を軽んじるのは、自分の命も大切にしていないのでしょう。

かけがえのない命を、大切にして下さい。

昨日の続きです。

 

高齢者は、人手が豊富なら、家庭で介護されるのもありでしょうが、この先人口が減る一方で、しかも高齢者の割合が増えるばかりの日本で、今までのようには家族が介護負担をできなくなってくるでしょう  (今だって皆さん苦労していますが)。

 

一方、介護度の重い高齢者を自宅で家族が介護する、という図がなくなっていき、施設が主要な役割を担うようになるには、施設の利用料を低く抑えないと皆が利用できません。

 

勿論、介護のできる住み込みのお手伝いさんを雇える裕福な家は例外ですが、それでも家にこもる生活より、施設で様々な世代の人たちと接する生活の方が刺激もあり笑いもあり、ボケなくていいという気がします。

 

また、施設も均一ではなく、やはり認知症のある人とない人を、程度によって段階的に分けて、それぞれの施設に入ってもらった方がいいでしょう。

 

それは、老健で半年暮らしてきた父を見てきて思うことです。

と、ここから父を通して考えてみた理想的な高齢者施設とは、を書いてみます。

あくまでも父のような高齢者 (認知症のない、体が不自由な高齢者) にとってであり、認知症の方やもっと体が不自由な方はまた違うと思いますが。

 

とにかく真面目で厳しく、几帳面で、努力家で、責任感が強く、優しい、そして精神的にとても強い父です (余談ですが、パーキンソン病になるのは、父のような性格の人か多いそうです)。

 

そんな父に、「ケンダル・アット・ハノーバー」 の話をし、「そういうところがあったら、良いと思わない?」 と聞いてみたところ、父はすぐさま、 「ん? でも、もしそういうようなサークル活動が、ここ (老健) にあったとしても、参加する人はほとんどいないと思うよ。」 と答えました。

 

なるほど、たしかに入所者を見ると、1日中椅子に座ったまま自分の前を通る人をじっと見ているだけの人がいたり、自室でずっと寝ている人がいたり、テレビを見ているだけの人がいたり、夜中2時くらいになると、壁や机をバンバン叩く人がいたり・・・・ で、とても元気で活動的で、例えば知的な会話を楽しめる (世間話でもいいけれど) ような人たちは、父の階にはいなそうでした (失礼を承知して現実を述べるなら)。

 

引っ越ししてきた今の有料老人ホームでも、しょっちゅう奇声をあげている人がいるようで父は嫌がっていますが、どこの施設でも認知症のある方とない方は一緒に生活しているものだよ、と父には諦めてもらっています。

 

ところが 「ケンダル・アット・ハノーバー」 は、元ダートマス大学教授など、裕福で知的な方々が入所しているため、お互い元々知り合いだったり、似た境遇ゆえ話は合うでしょうし、施設でお世話になるだけでなく、大学に授業を聴講しに行ったり、それどころか教えに行ったりもしています。

 

入所者は、 「皆でおしゃべりしながら食べる食事の時間が楽しみ。」 なのだそうです。

 

沢山のサークルがあり、イベントは入所者が話し合って決めます。

日本では施設が決めて連れていくのとは、大違いです。

 

元気な時から入所し、要介護度があがるにつれ相応の介護を受け続け、認知症になると認知症棟に移ります。

 

ただ、入所者が裕福な人ばかりなので、利用料も高く、それゆえに入所者の色々な希望が叶えられて快適な施設になっているのでしょうが、ヒントを与えてくれます。

 

つまり、

① 高齢者の最高の宝というべき、「経験」 を生かす場を作ること。

それは自分の知識や技術を教えるだけでなく、例えば戦争体験者として話をしたり、書いたりしてもいいです (父のように話すのも遅くなり、字もうまく書けなくなった人には、聞き取り役、書き役にお願いする)。

 

実は数日前、NHKの 「おはよう日本」 で、得意な絵で、シベリア抑留体験を描き続けている91才の男性を取り上げていました。

男性は、自分の体験だけでは狭くなるから、と抑留された友人を訪ね歩き、その人の話をまた絵に描いていました。

 

父は終戦の時11才でしたが、戦争体験者がどんどん少なくなる前に、そういう人たちの証言を集めることは、急を要することではないでしょうか?

 

また、父は囲碁8段なので、施設で囲碁を教えることもできます。

そうした趣味や特技を、他の入所者に教えるのもいいでしょう。

 

もちろん皆と一緒に活動したくない人は、部屋で本を読んでいてもいいのですが。

 

② ケンダル・アット・ハノーバーでは、自宅もそばにあるでしょうから、時々帰ったり、家族が訪問し易いでしょう。

 

日本 (東京圏) でも、皆が皆地方の施設に行かなくても、自宅そばの施設を選びたい人は選べるようにした方がいいでしょう。

 

父は友人と会いたがっていますが、来客と食べたり飲んだり (適度な量) できる、楽しいひとときを過ごせる部屋があるといいですね。

今のホームでも、これから相談してみるつもりですが・・・

 

施設 (という名前も、今ひとつしっくりしませんが) が、今のようにどこか暗いイメージではなく、入るのが楽しみになるようなところに変わっていくといいですね。

 

私はまだ日本にどんな施設があるのか、よく知りませんが、上のようなところもあるのかも知れません。

少しでも、より父が喜び満足するところを探していきたいと思います。

 

でもなんといっても、今のホームが自宅に近いことが、父にとっては嬉しいようです。

 

今日も母に、「あんぱんとチョコレートパンと、ビニールでできた碁盤を持ってきてくれ。」 と頼み、母は 「面倒臭いわね。」 「でも少しでも会いたいのかしらね。」 と、タクシー (ワンメーター位) で届けて、部屋で一緒に食べてきたそうです。

 

老健や今の有料老人ホームで、父は自宅や私の家にいた頃よりずっと元気です。

 

かえって母の方が、同じ話や質問ばかりしたり、勘違いしたりで心配。

 

今日は父にとって理想的な施設について考えてみましたが、認知症の人や、父のように (多くはないけれど) 年金でなんとか暮らせる人ではない人にとって、どういうところがあるのかも考えてみないといけません。

 

 

 

今日の朝刊 (東京・朝日) や、たまたま見たテレビの 「ひるおび!」 では、いわゆる2025年問題が取り上げられていた。

 

団塊の世代 (1947〜49年生まれ) が75歳になる2022年から、東京圏 (東京・神奈川・埼玉・千葉) は急速に高齢化する。

 

2025年までに75歳以上が175万人増え、介護ベッドが13万床不足する。

 

そこで、有識者で作る 「日本創成会議」 は、東京圏の医療・介護受け入れ余力地域として、地方41カ所を挙げた。

要するに、東京圏民はそういうところへ移動するのが望ましい、という話だ。

 

私が昨年講演会で招かれた帯広市は、医療が全国最高レベルだそうだし、同じく別府市は医療・介護ともに全国最高レベルだそうだ。

 

別府市は言わずとしれた全国有数の温泉地で、病院も多い。

そこで知己を得た某病院長先生は、父の介護でてんてこまいな私 (私の大分講演中は、姑に来てもらって父を看てもらった。) に、自分の病院が運営する施設に父を来させればいい、と勧めてくれた。

何しろお風呂は温泉だし、利用料も東京や横浜に比べて安い。

 

私が試しにその話を父にしてみたところ、いつも疑心暗鬼で慎重な父が意外にも目を輝かせて、「温泉はいいねえ〜。」 と乗り気になった。

 

でも、父の病状が悪化したり何か用があるたびに、私が東京から別府まで行かなくてはならないと思うと、やはり実行は難しいかな、と私はすぐその話を終わりにした。

 

けれど今改めて思うのは、これからの日本、高齢者ばかりになって老老介護は当たり前。

介護される人の具合が悪くなっても、介護する人も高齢で身動きできないかもしれない。

すると近くにいようが遠くにいようが、行けないのは同じではないか?

 

また、山口研一郎医師は先日の講演会で、「2025年には認知症患者は5人に1人となるけど、そのうち3人に1人になる。」 と言われた。

 

続けて、「3人に1人というと、それは果たして病気といえるのだろうか。」 と言われたので、会場にいた人々が爆笑した。

 

たしかに3人に1人が認知症だったら、おかしな人が当たり前の世の中になる。

「年取ったのだから、仕方ないよね。」 と互いに頷き合い、別に治療に躍起にならないで、ほったらかしになるかも知れない。

 

つまり、未来は今より、介護における親子関係はずっとドライになっているかもしれない。

少なくともアメリカでは、親は高齢になったらとっとと施設に入って、子供の世話になろうとは思わない、という話も聞くし、私もそれがいいと思う。

 

生産年齢の中高・若年層を介護に縛り付けては、社会の損失だ。

もちろん親の世話をしたい、という子供の気持ちを否定するつもりはない。

実際今の私は、親の世話にかなりのエネルギーを使っているし。

見て見ぬ振りはできないし、世話するならとことん抜かりなくしたくなるのは性分。

 

でもその結果疲労困憊して、自分の生活にしわ寄せが来ているのも、また事実。

その間で、ジレンマに陥っている。

 

一方、今、国は高齢者が施設や病院ではなく、住み慣れた地域に戻って暮らすように、「地域包括ケア」 を進めている。

 

それが東京圏に限っては例外で、地域には戻らず地方移住すべき、ということ?

なんか変な話だな。

 

また新たな問題として、既に現在でも、茨城などに東京圏の高齢者を受け入れる施設があるのは、「住所地特例」 という制度があるからこそで (介護保険は東京圏のものを使う)、移住となるとその特例が利かなくなるから、地方にとってはメリットがあるのか?

メリットがあるように、特例の解釈を拡大しなければならないのでは?

 

地方だって、若者か元気な高齢者には来てほしいけれど、介護が必要な高齢者ばかりに来られたら、自分たちが受ける介護や医療まで悪影響を受けるのではないか? と心配になりますよね。

 

さらに私は、世の中高齢者ばかりになったら、施設もそれ相応に増えて、利用料も良心的価格になることを何の根拠もなく期待していたけれど、それは全く逆かも知れない、という気がしてきた。

 

つまり、特に東京圏の高齢者数の増加スピードが早すぎて、介護施設設置が追いつかず、お金のある人は入れても、ない人はあぶれて地方に行かざるを得なくなる (それも、地方が受け入れてくれれば、の話)。

 

施設は需要過多により利用料が高騰する。

地方でも、まだお金のある高齢者から入所でき、ない人は行き場がない?

 

結局は、世の中お金のある人だけ安心できる、ということになります。

 

う〜ん、それはないよね。

お金があってもなくても、命は平等に扱われてこそ、文明国だ。

 

もっとも文明国なら、オスプレイを買ったり、無駄に大きな会場を作ろうとする東京オリンピックを開いたりしている場合ではなく、そのお金を、高齢者福祉に使うべきだと思うのだけど。

 

このブログでも、アメリカのCCRCの1つ、「ケンダル・アット・ハノーバー」 の話の途中でしたが、今日の東京新聞朝刊で、CCRCの文字が飛び込んできました。

 

日本でも日本版CCRCが検討されているそうですが、富裕層向けのアメリカとは異なって、年金の範囲で暮らせる仕組みを政府は検討中とのこと。

 

(CCRCとは、元気なうちから入って、医療や介護が必要になっても引き続きそこでケアが受けられる、退職者向けの地域コミュニティーのこと。)

 

冒頭に戻ると、東京圏民のために、それを地方に作る、ということになるのでしょうか?

 

・・・ 段々ややこしくなってきましたので、一回ここで切ります。

 

続く

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