日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年10月

いったんは仙台講演会の話を書き始めたのですが、長くなりそうなのでまた次回にします。

今日は昨日の話と、このブログについてのお知らせをすることにしました。

 

昨日は・・ ・と書き出したものの、睡魔に襲われ、テレビを見ているコウジさんの前で横になって、マッサージをしてもらい、またパソコンに戻ってきました。

どうも疲労感が抜けませんので、もう寝ることにします。  すみません。

なので、最初の予定をどんどん短縮して、簡単に書きます。

 

昨日は、父を転院させました。

朝5時半起きでコウジさんと通勤ラッシュの電車に乗って、父が入院する病院へ急ぎ、退院手続き、入院手続き両方で私もコウジさんもぐったり。

 

それに当の父本人も、転院前のたん吸引で苦しがっていましたし (見ている私もつらいですが、吸引する看護師さんも大変そう。 なんでこんなにたんて出るのでしょう。)、転院先病院でも、検査に次ぐ検査でさぞや疲れたことでしょう。

 

主治医となる医師から今の父の体の状態を聞きますと、肺炎は治ったものの、左肺にのうほうがあったり、胸水があったり、肺気腫があったりで、心配な状況でした。

肺炎が治ったから、もう肺は大丈夫だと思っていたのに。

 

そうでなくても父は、狭心症でカテーテル手術でステントが入ってますし、パーキンソン病のヤール度5 (最重症度) ですし、緑内障で左目は失明していて、さらに甲状腺機能低下症です。

81歳の体は、既に満身創痍。 この先とても心配です。

 

ベッドの上でさらに一回り小さくなったように見える父は、1ヶ月くらい前は元気だったのに、お年寄りは急に変わるのものなのだなあ。

 

父が心配ながらも、釧路講演会があさってに控えているので、今日と明日は父の病院へは行かず、体調整えています。

 

代わりに母が行ってくれましたが、父の病院と別の施設とを混同してしまい、その施設から何回もわけのわからない電話をしてくるので、しまいには私も大声で怒ってしまいました。

 

その後、母は人に聞きながらやっと病室に辿り着けましたが、こんな母だから私は全然安心できません。

釧路から戻ったらすぐ、病室へ馳せ参じないと。  入院したてなので、何かと心配です。

 

私の疲労感は、体の疲れよりも、気疲れの方が多いなあ、きっと。

 

さて、このブログですが、長らく続けてきましたが、近日に引越をすることになりました。

新しいURLは、後日お知らせします。

引越してからも、特に内容が変わるわけではないのでご安心ください。

 

それでは皆様、おやすみなさい。

父が入院中の病院に行っているか、父に関する用事で1日が終わる、そんな毎日を送っています。

時々講演会に出かけますが、父も母もどうなるかわからない現在、なるべく用事を入れずにいます。

 

一昨日は夫コウジさんのコーラス発表会でしたが、コウジさんを車で会場まで送ったものの、やること考えることが山積みで、発表会へは行けませんでした。

 

私がいない観客席を見て、コウジさんはやっぱり寂しかったそうです。  ごめんね〜。

 

昨日も朝から父の転院先病院と、母がいる実家と、父が入院中の病院と、3ヶ所をハシゴしてバタンキュー (最近の人は、あまりこの言い方しませんか?)、早々に寝てしまいました。

 

それでも、父を自宅で介護していた頃は、夜中に30分から1時間おきにトイレに起きる父のため、私の睡眠時間がつなぎ合わせて合計やっと1日2時間でしたから、まだ今の方がましです。

あの生活を続けていたら・・・ いえ、続けられません。 確実に私の方が倒れて、父より先に入院でしょう。 あるいはあの世か。

 

この前のブログでは、食べられなくなった父をどうするか、悩んでいたところまで書きました。

 

老人ホームに戻ってあくまでも経口 (口から食べる) ことにこだわり、結果全身が衰弱して、いわゆる老衰死を迎えるか。

老衰を待たずとも、再々度の誤嚥性肺炎でもっと短期間で亡くなるか。

 

いずれにしても老人ホームに戻ると、父にすぐに死はやってくるようでした。

 

経口ではない非経口には、いろう・経管・中心静脈があり、今父は栄養とって体力を回復させるために、経管 (鼻から胃までチューブ) をしています。

 

3週間点滴だけの入院生活で、すっかり衰弱してきたかに見えた父が、また元気になってきました。

顔色もよく、あれやこれや心配したり食べたがったりします。

 

ワッチにも (勉強を) 頑張るように言ってくれ、だとか、経管は痛くてつらいからやめてほしい、これならいろうの方がよっぽどいい、いろうで体力つけて経口リハビリして、少しでも食べられるようになりたいし、足りない栄養はいろうで補いたい、だとか。

 

老人ホームに戻りたかったけれど、それではすぐ死ぬことがわかったので、療養型病院で頑張る、その病院は自宅近くがいい、だとか。

 

頭はしっかり冴えています。  入院1ヶ月もなると、時々せん妄で、「足元に鶏の唐揚げが落ちているから、取ってくれ。」 なんてことも言います。

 

父の食べ物に対する執着は、そのまま生命力だと考えられるので、まだまだ父は死ぬべき人ではないのだ、という気持ちにさせられます。

 

パーキンソン病の患者は、認知力低下より先に、嚥下障害がくるというのも頷けます。 なので、父のような人には、胃瘻など非経口手段を施すことはいいことなのだ、という考えに今至っています。 そして体力をつけ、胃瘻と経口併用でまだまだ生きて、それでももう頭など、全身的に弱ってきたら、その時また決断することにします。 色々な考えの方がいると思いますが、とりあえず私(と父)は、そうすることにしました。

 

当初ソーシャルワーカーさんの言うように、療養型病院を本来なら5つくらい見学し、(満室のところが多いのと、比較のため) 納得いく病院へ転院させるつもりでした。

 

けれど昨日行った1つ目の療養型病院は、自宅から歩いて15分で、大きな公園に面して環境もアクセスも良く、勿論存在は昔から知っていたところでしたので、行く前から第一希望でした。

 

相談室の方のきめ細かな説明や、院長先生のお人柄や、病院の方針 (外出や外泊をどんどんさせ、できれば在宅に戻す)、そして部屋がたまたま今空いていたことから、ほかの4つの病院見学はキャンセルし、そこに父を転院させることに決めました。

 

これから4つ見学していると、父の転院も遅くなる一方ですし、第一私に時間がなく、体力も続きません。

 

そう決めてこちらの意志を伝えると、入院のしおりのほかに、入院時に父が着てくるパジャマを手渡されました。

 

それがなんだかとても嬉しかったです。

父の居場所を見つけられ、そこに受け入れられたたようで (その通りですが)。

 

隣接する大きな緑豊かな公園の中を (もう紅葉していますが)、どんぐりやくぬぎを拾いながら、のんびり歩いて15分で実家につきました。

 

・・・この公園は、実は小学生の頃の私の遊び場でした。

ワッチが生まれた時も、父と母とコウジさんとワッチの乗ったベビーカーを押して散歩に来ましたし、毎年桜の時期には皆で散歩に来たものです。

 

病院窓からは、その公園の木々の葉が、触れられそうなくらい近く、ここなら気軽に父を公園や実家に車椅子で外出できます。

 

私が実家に泊まれば、父に外泊もさせられます。

こんないい病院に部屋があいていたなんて、なんてラッキーでしょう。

 

母と、私のお土産の崎陽軒のシウマイ弁当を食べると、私だけ父の入院する病院へ行きました。

行く前に退院の希望と転院先を電話でソーシャルワーカーさんに伝えていたので、着いた時には主治医の了解も出ていました (限られた時間内に効率的に動くクセがついています)。

 

病室に入ると、父が笑顔になり、私から報告を受けると、「どうなったかな、と思ってたんだ。」 と安心したようでした。

転院先病院のパジャマも見せると、より嬉しそうでした。

 

ということで、明日はコウジさんも有休をとり (毎月1日とれる有休を、まだ今月はとっていなかったので、ちょうどよく。)、朝早く父が入院中の病院へ行きます。

 

介護タクシーで寝たまま、鼻に経管をつけたまま、父を新しい病院へ移します。

 

まだまだ父は生きる気満々ですから、新しい病院でいろう手術受けて、新しい生活が始まります。

 

父を見ていたり世話したりしていますと、学ばされることばかりで、親は死ぬまで子どもに教えてくれるものだなあ、と感慨深いです。

 

思えば父は、コウジさんが入院中、私より先に病室に来てコウジさんを見つめていました。

東京の私より、横浜の父の方が、新宿の病院へはずっと遠いのですが、意識のない管に繋がれた状態のコウジさんを見守りに、よく通ってくれました。

 

1人で心細かった私は、どんなに有り難かったか (姑は家で、ワッチの世話をしてくれていました)。

 

数年前に父にふと尋ねた問い、「今までの人生で、一番嬉しかったことは何?」 に対して、父は 「う〜ん・・・ とおる君 (コウジさんの本名) が、段々良くなってきたことかな。」 と答えました。

 

(え〜? そうなの? もっと嬉しかったことなかったの?) とずっこけかけた私は、(そんなにも、コウジさんや私たち家族のことを心配してくれていたんだ)、と気づき、申し訳なく思ったのを覚えています。 → この話をすると、コウジさんはいつも泣きます。

 

だからコウジさんも、恩返しもあって、より一所懸命父の世話をしてくれているのかな。

いえ、元々優しい彼ですから、何も考えずに父を喜ばせることだけ、考えてくれています (入院中のことは、覚えていませんし)。

 

父も幸せですねえ。 やっぱり、コウジさんと結婚して良かった〜。 うん、優しい人が一番です。

 

最後に・・・

全然話は違いますが、脳外傷友の会全国大会のお申し込みは、今月30日までです。

皆さん、是非ご参加くださ〜い!

 

上田敏先生や渡邉修先生、橋本圭司先生らも話されますし、就労や高次脳機能障害支援の現実と今後についてのシンポジウムもあり、盛り沢山です。

 

私は20日の交流会と21日終日参加し、21日の就労の鼎談は、コウジさんと一緒に聞くつもりです。

 

会場でお会いできるのを、楽しみにしています。

朝晩涼しくなったものの日中は暑くて、半袖で歩いている人もまだ結構います  (私もその1人)。

 

仙台や石巻、父のことも書きたいのですが、取り急ぎ講演会のお知らせを  (再度のお知らせも含め)。

 

【第9回釧根脳外傷リハビリテーション講習会】

●10月31日  (土)  12時半受付 13時10分講演 17時終了

●アクアベール (釧路市栄町8―3)

 

・講演 「高次脳機能障害者の家族から望むこと」 柴本礼

・グループ討論 「意見交換会」

 

お申込み →  (0154) 32 - 7400

参加費無料

 

【日々コウジ中の夫と私】

●11月7日 (土) 13時半 〜 16時

●中野区医師会館会議室 (中野区中野2―27―17)

 

お申込・お問合わせ → 電話 : 03-3389-2375 FAX : 03-5942-5811 (11月6日まで・先着150名)

参加費無料

 

【高次脳機能障害講演会・特別相談会】

●11月14日 (土) 13時半 〜 15時半

●福生市役所  第一 ・ 第二会議室 (福生市本町5番地)

 

・講演会 「高次脳機能障害  家族目線から」 柴本礼

・特別相談会  お申込 ・ お問合わせ  → 福生市役所  福祉保健部  障害福祉課  障害福祉係

電話 : 042-551-1742

参加費無料

 

【平成27年度 江戸川区高次脳機能障害普及啓発講演会】

●11月29日 (土) 11時〜17時

●タワーホール船堀  展示室1・2

 

1 講演会 13時〜16時 (会場受付12時半〜)

講演1  「共に助け合う世の中へ 〜夫コウジさんとの関わりを通して〜」 柴本礼

講演2 「高次脳機能障害について」 保坂聡年  地域活動支援センターはえる野  作業療法士

 

2 展示会  11時 〜 17時 展示会

高次脳機能障害や 関連する障害に関する 様々な書籍の展示会を行います。

 

3 上映会

 

主催 : 江戸川区/地域活動支援センターはえる野

 

お問い合わせ →  地域活動支援センターはえる野 (電話 : 03-5664-6070  FAX : 03-5664-6071)

 

入場無料

 

【第29回 京都市地域リハビリテーション交流セミナー 〜高次脳機能障害のある方が地域で暮らすために〜】

 

●12月4日 (金) 午後1時半 〜 午後5時

●京都産業大学 むすびわざ館  2階ホール (京都市下京区中堂寺命婦町1―10)

 

●内容

第一部  講演

「交通事故や脳の病気の後遺症といわれる高次脳機能障害ってどんなの?」

京都大学大学院 医学研究科 精神医学教授  村井俊哉先生

 

第二部  講演

「高次脳機能障害 家族目線から」 柴本礼

 

第三部  座談会

「地域で安心して暮らすこと」 村井俊哉先生、柴本礼、大嶋孝司氏 (京都市地域リハビリテーション推進センター  地域リハビリテーション推進係長)

 

ブースコーナー (支援事業所の紹介・電動車椅子、自助具等の体験)

 

定員300人

参加費無料

 

主催 : 京都市

申込み不要 (手話通訳・要約筆記については申込みが必要。 11月4日〜20日)

 

皆様、是非起こし下さいますように。

 

私は明日も、実家や、父が入院している病院へ行ってきます。

用事が目白押しで、やってもやってもエンドレスじゃ~。

最近またまた書けていなかったのですが、今日は簡単にこれまでのことをまとめます。

 

26日の港区講演会には、沢山の方がいらして下さいました。

慈恵医大の原貴敏医師 (お若い!) が、高次脳機能障害について最新の、貴重なご研究をお話下さいました。

コウジ村からも何人かいらしてくれました。 有難うございます。

港区には、3年前にできた 「みなと高次脳」 という家族会がありますよ。 是非お入り下さい。

 

27日は千葉市で、高次脳機能障害者の就労をテーマにした講演会でした。

実際に高次脳機能障害者を雇用されている2社の担当者の方がたや、障害者職業総合センターの田谷勝夫先生のお話は、大変興味深かったです。

私も、夫コウジさんの話を色々致しました。

 

今月10日は、荒川区で講演会でした。

区内在住・在勤の方々対象の、こじんまりした会でしたが、逆にお一人お一人と深くお話でき、濃い内容になりました。

 

荒川区は人口20万人ですが、講演会にいらした当事者は4名。

家族会もありますが、入られている方は少ないそうです。

 

まだ存在を知られていないのかもしれませんが、区内にもっともっといらっしゃるはずの当事者・家族を、どうやったら見つけられ、支援や家族会に繋げられるのか、が今後の課題のようでした。

職員や家族会の代表は、とても熱心な方々でした。

 

このブログを読んで下さっている方の中で、荒川区在住の当事者やご家族の方がいらしたら、是非家族会やたんぽぽセンターに、コンタクトされて下さいね。

 

一昨日の仙台講演会は、話が長くなりますのでまた次回に。

 

最後に父の様子を。

 

先月22日に入院した父。

おかげさまで肺炎は順調に良くなってきましたが、肺に映った腫瘤が、悪性の肺ガンではないか、と気を揉みました。

リスクのある気管支鏡検査を受けるにも二の足を踏んでいたところ、どうやら膿瘍のようだから検査が必要なくなりました。

その後、さらに膿瘍でなく炎症ということで、ひとまずそちらは安心。 炎症も治ってきました。

 

今問題なのは、13日に医師から聞いた話では、父が食べられていないというのです。

 

嚥下障害で、入院して3週間は点滴だけ。 言語聴覚士さんが嚥下のリハビリをして下さっていましたが、父は嚥下がうまくできなくて、食べられていないとのこと。 点滴には、栄養がほとんどないそうなので、このままでは栄養失調になります。

 

そこで医師から、この先父は経口にするか非経口にするかを聞かれました。

(経口とは口から食べること。 非経口は胃瘻、経管、中心静脈の3つとのこと。 ← 中心静脈だなんて、聞いた事もない言葉でした。)

 

父はあくまでも口から食べて回復する、と申しますし、家族もそうしようと思います。  でも・・・。

 

経口、非経口にもそれぞれメリットやデメリットがあるのは、本を読んでも先生のお話からもわかるので、悩んでいます。

 

まだ流動的な話なので、これ以上書くのはやめますが、父のことでしばらく忙しく、また書けなくなるかもしれません。

父が入院して、あっという間に3週間以上がたちました。

 

肺炎はなかなかよくならず、それどころか肺に 「腫瘤」 のようなものが写っているというので、気管支鏡検査をすることになったのが10日ほど前のこと。

 

父の意志も確認してから、麻酔や造影剤や検査への同意書にサインしたものの、検査のリスクを考えると心配でたまらず、ネットでずっと調べていました。

 

ところが先週末のCTで、その腫瘤が小さくなっていることがわかりました。

それは腫瘤ではなく膿瘍の可能性が高いということで、なんと、心配だった検査が中止となりました。

 

ほっとしたものの、相変わらず父は酸素吸入器・点滴・尿管・ミトン (手袋=管を抜かない為にはめられている) をしています。

 

まずはこの酸素吸入器が抜け、点滴が抜け、再び口から食べられるようにならないと、退院もできませんし、膿瘍の治療もするとなると、 あとどのくらい入院しているのかわかりません。

 

しかも、せん妄というのでしょうか、「中国の人と函館に行くはずだったのに、大風で飛行機が飛ばなくなった。 1人2万6千円の旅費のうち、1万9千円が旅行会社から戻るのだが、昨日それを受け取りに行こうとしたバスの中で、現金で戻ってきた。 でもまだ確認することがあって、そうしないと僕も中国の人も困る。 礼ちゃん確認してくれないかい。」 と、長い時間かけてやっと話し、私に頼む父。

 

父は勿論、ベッドから動けないので、「それ、夢だと思うよ。」 とあっさり言う私に、父はキョトンとしています。

 

とにかく、あまり認知機能や筋力が低下する前に、早く良くなって退院してほしいものです。

 

ほとんど毎日、面会に行っていましたが、 段々疲れてきて、ここ数日は母が行ってくれています。

なぜなら昼間、横浜の病院へ行くと、私は家事や仕事を夜することになり、就寝が午前2時になるのです。

 

そんな日が続いたため、これでは体調を崩して、講演会先にご迷惑をおかけしてしまいかねない、と思いました。

 

犬のウメも寂しいのか、私が帰るとすごい喜びようです。

待っていた散歩もぐいぐいリードを引っ張るので、ヨレヨレで帰ってきた私は、さらにフラフラに。

 

一時は命の危険も心配された父でしたが、なんとなく大丈夫そうなので、ちょっとここ数日サボって自宅で休養に努めていたのです。

 

いえ、その間も、当事者から直接寄せられる相談に対応していたり、当事者家族を支援機関に繋いでいたり、今週末の仙台講演会、再来週末の釧路講演会の準備をしていました。

 

さらに先週は、母のケアマネさんと打ち合わせもあり、母の今後を相談しました (その帰りには、やはり父の様子を見に行きました)。

 

明日の午前は、母関係の用事 (デイサービス見学と契約) のあと、父の様子見に行きます。

う〜ん、やっぱり忙しいです。

 

先月27日の港区主催講演会、28日の千葉リハセンター主催講演会、そして一昨日の10日にあった荒川区主催講演会の話は、またのちほど書きますね。

 

次のブログは、いつ書けるかわかりませんが・・・

 

では、おやすみなさい。

 

コウジさんはとても元気で、「安心してください、はいてます。」 の最近流行っているギャグが気にって、そればかり言ってるので、ワッチにけむたがられています。

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