日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2015年11月

石巻の話も、まだ途中ですし、14日の福生市講演の話もまだ何もしていませんが、昨日の江戸川区講演の話を、記憶に新しいうちに書こうと思います。

(それに、新しいURLのブログになってからコメント下さっている方がたへのお返事や、頂いているメールへのお返事もまだほとんどできていなくて、すみません。)

でも、きっと今日1回分では時間的に書き切れない、と書く前からわかりますので、2回に分けます。

今まで色々なところで講演させて頂きましたが、昨日の講演会は、その会場のロケーションや会場の作りが、特筆すべきでした。

まず、会場が船堀駅前、ということ。
駅から出てきた人々の波は、このデパートのようなホテルのような、ゴージャスで居心地の良さそうな公的施設に、ある程度流れていきます。
この 「タワーホール船堀」 は、映画館があったり、JTBなど民間企業も入ったり結婚式場も入っていますが、江戸川区の施設であり、会議室や講演会場、大ホール、喫茶店、食堂などなんでも入っています。しかも無料で登れる展望台もあるのです。(余談ですが、私の実家のある横浜のランドマークタワーは、上に登るのに?円もかかるので、まだ登ったことがありません。)

船のような形をしたこの建物は、吹き抜けがあり、2階以上の廊下がカーブしていたり、とても斬新な作りです。一度皆さんも行かれて見て下さい。 食堂も手ごろな値段でした。 やはり区の施設だからでしょう。

講演会場はまたいいことに、1階の展示室1・2というところで、ものすご~く広い!のです。 しかも入り口を開けっ放しにオープンにしているので、特に講演会に関心がない人、用がない人も、「あれ? 今日はここは何をやっているんだろう?」 と気軽に覗けるのがいいですね。 

覗いたところには、11時から17時まで障害関係の書籍がふんだんに置かれているので図書館のようにそれらを読むことができますし、障害関係の映画のダイジェスト版を6時間もの間ずっと流していました。 

スクリーンの前にはまた沢山の椅子が置かれ、皆さん座ってくつろぎながら上映会を見ていました。 

流れていた映画は、「アイ アム サム」 「ビューティフル・マインド」 「カッコ―の巣の上で」 「ツレがうつになりまして」 「明日への記憶」 「レインマン」 「ガチ☆ボーイ」 など沢山。 宍戸大裕監督の 「風は生きよという」 も流してもらいました。


置かれてあった本も、私の 『日々コウジ中』 『続・日々コウジ中』 『50シーンイラストでわかる高次脳機能障害「解体新書」』 『リハビリスタッフ・支援者のためのやさしくわかる高次脳機能障害』 のほか、『壊れた脳 生存する知』 『奇跡の脳』 『マンガ家が描いた失語症体験記~高次脳機能障害の世界』 『わが家の母はビョーキです』 『五体不満足』 など、高次脳機能障害だけでなく統合失調症や発達障害、視覚障害などあらゆる障害や病気に関する書籍が数十種類も用意されていました。

その先に講演会場があり、200席用意してありましたが、ほぼ埋まったのは、時間をかけて広報や宣伝に努めて下さった主催者側の努力のおかげだと感謝しています。

チラシを見ると、私が13時から講演するような書かれ方でしたが、実際は私は14時45分からとのこと。 私自身少々混乱しましたが、13時前から会場に集まって下さった方を見ますと、どうも当事者やそのご家族が多いような気がしました。

高次脳機能障害の方は、集中して講演を聞いて下さっても、50分くらいで集中力が途切れる、と某先生が言われていましたが、夫を見ていてもその通りです。
ですので、多分? 私の話を聞きに来て下さっている方がたは、13時からだと思っていらっしゃるとすると、14時45分までには疲れてしまうのでは、と心配になってきました。

そこで会場の方がた何人かに直撃インタビューをしたところ、やはり皆様、私の講演は13時からだと思ってらっしゃいました。
私は前日のブログで、14時45分からですよ、と書きましたが、それを読まれていた方には申し訳ないけれど、急遽13時からに変えて頂きました。すみません。

けれど、休憩をはさんで江戸川区の地域活動支援センターはるえ野の保坂聡年さん、松本直之さんによる高次脳機能障害についてや支援についての説明の時にも、かなりの方が残って聞いて下さったので、ほっとしました。 こんなに多くの方が集まって下さり、質問も沢山出て、大成功だったと思います。 (続く)

今日も朝から、父が入院中の病院へ行ってきました。 主治医と、「胃瘻」 についての話し合いがあったからです。

父が肺炎を起こし、口から物を食べられなくなり、経鼻栄養をするようになって、もう6週間くらいがたちました。 一時は命も危ぶまれましたが、奇跡的回復を遂げている現在、いつまでも経鼻に頼るのではなく、胃瘻にしてさらに体力を回復したり、嚥下その他のリハビリも進め、いつかは胃瘻と経口 (口から食べること) を併用しながら生活できたら、と期待は膨らみます。

医師から胃瘻の説明や、明後日に手術をする話を受けたあと、同意書関係の書類を頂いて父の病室に行きました。
父も私の説明を聞きながら頷いていた時、医師が慌てて病室に入ってこられて、明後日は検査の人が長引きそうなので、父の手術は1週間後にする旨を告げられました。

すると、父がもごもご何か申しますので、「何?」 「何?聞こえないよ。」 と尋ねますと、今の父にしてはあらんかぎりの声を振り絞って出てきた言葉が、「がっかり!」 でした。

私もびっくりしましたが、医師もびっくりして、「そうですよね、がっかりですよね。 本当にごめんなさいね。」 と謝ったり慰めたりしてくれました。

父は胃瘻をしてまた元気になろう、少しでも口からまた食べられるようになろう、と心の底から思って手術を楽しみにしていたのだなあ、と嬉しく思う半面、延期になって可哀想になりました。
でも、熱が下がってまだ日がたっていないことですし、もう1週間を体調を整えることに使って、来週手術に臨もうね、と言うと、また納得していました。

さて明日は、段々調子が出てきた父の要望で、大きなスケジュール表や、それを壁を傷つけることなく貼れるシート、ベッドからそれを読めるように大きな虫眼鏡、など色々持って行かなくてはなりません。 もう81歳ですが、まだ81歳ともいえ、まだまだ元気に生きてほしいと思います。

一方母の方は、せっかく私が入れた週1回の機能訓練型リハビリデイサービスを、休んでばかりですので、ケアマネさんから今後どうするか相談の電話がありました。
本当はアルツハイマーを少しでも改善するために、色々なところへ出て行ってほしいのですが、母があまり好まないことを無理にさせるのはかえって逆効果の気もしてきまして、辞めようかな、と悩んでいるところです。 明日12月に入りますので、明日にはどうするか決めて連絡しないと。

いつものように、病院への往復3時間、病院に3時間半、犬のウメの散歩2回で計2時間、それで終わってしまった1日でした。 ではまた。

さっき夕刊を見ていましたら(朝日新聞。私は朝日と東京2紙をとっています)、『「石巻から」YOSHIKIの約束』というタイトルの記事に目を奪われました。

人気ロックバンド「X-JAPAN」 が、今日世界ツアーをスタートするのだそうですが、それが石巻のライブハウスからなのだそうです。

YOSHIKIさんは、2013年9月に被災地を見るために石巻に来られたそうで、その時訪れたブルーレジスタンスというライブハウスで、「ここからワールドツアーを始められたらいいね。」 と口にされたとか。それが今日、実現したのだそうです。ライブの売り上げは被災地に寄付されるといいます。 私も石巻への思い入れが日々強くなっていますので、自分のことのように嬉しいです。 有難う!YOSHIKIさん。

150名の定員に、約1200人の申込みがあり、市内の体育館でのパブリックビューイングが決まったそうです。定員の半分は石巻など被災地のファンで、無料招待されたそうです。 良かった良かった。

さて前にも書きましたが、我が家は来月、アニマルクラブ石巻から保護猫2匹を家族に迎えます。 
津波から日和山へ逃げ延びた猫の子孫なので、石巻が故郷です。
家族の故郷なので、石巻が私の故郷にもなります。 ハルも茨城の保護猫ですので、茨城も私の故郷です。
猫砂、猫トイレなど、2匹を迎える準備を着々と進めています。

石巻の沿岸地域は、野原になっていたりかさあげ工事が進められていたりで、今は殺風景です。 1000年に一度の津波というので、この先また住宅地ができるのでしょうか。 
でも、次の津波(大地震)が1000年後というきまりはありません。 

津波から町を守る高い防波堤があると、いいのでしょうか。 
いえ、そうすると海が見えなくなり、迫ってくる津波も見えず危険だ、という説もあります。 
今、北上川に沿って堤防が作られる計画があるようですが、石巻を襲った津波の高さは、6.9メートル。堤防はそれより低いそうなので、意味ないのでは?

犬を避難所に入れられない、というのもなんとかならないでしょうか。 
犬が嫌いな人もいるでしょうが、犬はその家にとって、家族です。
避難所に入れず、車の中で人間と犬が過ごす例も聞きます。 
犬猫などと一緒に入れる避難所が用意できたら、いいのかもしれません。
犬同士が喧嘩するといけないので、その家族がケージを用意する取り決めにして・・・

災害が起きた時の対策を考える上で、今後は人間だけでなく、そこで共に生きている動物たちのことも一緒に考えなくては、と思います。
今の日本で災害が起きた時、きっと私自身も避難所には入らず、車か、壊れた家の中で、犬猫と暮らすだろうから。 それは人間にとっても動物にとってもストレスで、せっかく災害で生き残っても、衰弱して死にそうです。

時々コメント下さるゆきんこさんが毎年作られている、保護犬猫のカレンダーの冒頭に、次のような文章があります。 「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る ガンジー」

その通りですよ! 

と、明日は江戸川区講演会がありますので、もうそろそろこのへんで今日はやめます。
今週は金曜日にも京都市講演会があり、そちらの準備もしなくては。

昨日は、夕方5時頃まで父の病室にいました。 医師や看護師さんや介護士さん達のおかげで、大分落ち着いてきたように見える父。
でも、まだ痰で苦しんでいたり(それでも昨日、自分で痰を吐きだせました!)、目を丸くしてずっと宙を見ていて、何を考えているのかわからない時もあったり、亡くなった人が生きていると言い張ったり。 
これはパーキンソン病の薬、ニュープロパッチによる妄想か、入院していることによるせん妄なのでしょうか。あまり気にしないようにしていますが。

今日は、母が行ってくれるというので、私は家で用事をしていました。 
私が(自分は今日、行かなくても大丈夫かな。)、と判断できるようになっただけ、父は良くなってきたといえます。有り難いです(病院と父に対して)。

最後に、明日の江戸川区講演は、お申込み不要ですので、前日ですが改めてお知らせします。

日時:2015年11月29日(日) 11時~17時
場所:タワーホール船堀 展示室1・2 (江戸川区船堀4-1-1)

内容:
【イベント1】
講演会 11時~16時 1階 展示室2
13時 開会あいさつ 江戸川区健康部参事 板野晶司氏
     はじめに NPO法人 東京ソテリア 管理者 永武まさ子氏

13時10分 講演1 「高次脳機能障害の症状とはるえ野での取り組み」
        地域活動支援センターはるえ野 作業療法士 保坂聡年氏、松本直之氏

14時30分 休憩

14時45分 講演2 「共に助け合う世の中へ~夫コウジさんとの関わりを通して~」 
        柴本礼

16時 閉会

【イベント2】
展示会 11時~17時 1階 展示室1
障害に関する書籍の展示会
「高次脳機能障害 精神障害 発達障害 聴覚障害 視覚障害 難病 運動障害」に
関する書籍の展示と閲覧ブースの設置

【イベント3】 
上映会 11時~17時 同?
特設のブースを設け、障害を取り扱った映画のダイジェスト版を常時上映します。

明日お会いできる方、楽しみにしています! 是非いらして下さいね。


~ それから、最近コメント下さるようになった、「ちいさん」 へ ~

ちいさんは小さなお子さんが2人いる、女性の当事者ですよね。
実は私の知人に、当事者である奥様が、この7月に赤ちゃんを出産されたばかりの方がいらっしゃいます。
もしちいさんが宜しければ、この女性とコンタクトとられませんか? 同じような境遇の方同士、不安なことや今後のことなど、なんでも相談できるのでは、と思います。

彼女の方にご主人を通して伺ったところ、「ちいさんなら」 と仰っていますので、ちいさんの御連絡先を教えて頂ければ、お繋ぎ致します。 次にコメントされる時に、アドレスを入れて頂けませんか。 アドレスは非公開になりますので、ご安心下さい。 ご検討のほど、宜しくお願いします。

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毎日病院ですので、相変わらず家での時間がなく、帰りのバスや電車の中で、携帯を使ってこのブログ原稿のほとんどを書いています。

石巻の話の続きをしますと、

ちょうどその日(10月18日)、映画監督の宍戸大裕さんがアニマルクラブ石巻にいらして、私を南浜町(のあったところ)や、「がんばろう!石巻」の看板や、日和山へ案内してくれました。
同日のお昼からは、宍戸さんの最新映画 『風は生きよという 』 の上映会が、仙台市で催されるというのに、非常に親切な方です。このお人柄が、撮られる映画に出ています。

宍戸さんの映画 『犬と猫と人間と 2』 は、2011年3月11日の東北大震災が起きてまだ日が浅い頃の石巻の様子が写されていますが、その日私が見た石巻の海辺の風景は、がれきも取り除かれ、一面の野原でした。 かさあげ工事があちこちでされていますが、休日なので働く人もなく、ブルトーザーも動いていませんでした。

ここにはかつて賑やかな住宅街があり、活気に満ちた人々(や動物たち)の暮らしがあったのです。

その南浜町にご実家があった私の知人は、当時の何気ない町並みの写真を見せてくれました。それは、今私が住んでいる世田谷区の普通の住宅街と、何らかわりません。

それがあの大津波によって、一切合切流されたのです。
知人の立派なご実家も、ガレージの鉄筋の骨組みだけ残して(それもひしゃげてしまいましたが)、流されてしまいました。大切なお父様も一緒に・・・ です。
五井美沙さんのご自宅も。

セイダカアワダチソウがはびこっている野原の中をしばらく歩きましたが、ところどころに家があった痕跡が残っていたり、表札のついた壁の残骸を見かけました。

見ていると胸が苦しくなるそれらの光景から目を上げると、日和山や日和大橋、そして門脇小学校が見えました。門脇小学校の校舎は焼け焦げ、もう使われていません。

「がんばろう!石巻」の看板は、そこの敷地に家があった黒澤健一さんが、友人の佐藤光敏さんと、がれきの材木などを再利用して書いたもので、復興のシンボルとなっています。長渕剛さんやフランスのフィヨン首相などが訪れるなど、有名な場所になっていますが、近いうちこのあたりは石巻・南浜地区復興祈念公園として整備されるとのこと。

日和山に登って海側を見下ろすと、何にもありません。ただの野原です。

内陸側を見ると、町がありますが、それらの町も津波の被害を受けています。

アニマルクラブ石巻では、マメコとリコという犬2匹と、クララという猫1匹が犠牲になりました。
たまたまケージの中で留守番していたため、助けられなかったのですが、助けようとしていたボランティアスタッフの五井美沙さんも、流されたのです (五井さんは、犬猫を助けに家を出られたものの、あまりの津波の凄さに驚き、足の不自由な祖母を助けに自宅に向かい、そこで津波にさらわれた、と見られています)。

避難所となった小学校に、愛犬を連れてきて避難してきたものの、係の人に「犬は入れません」と言われ、泣く泣く校舎外の柱に犬を繋いで中に入り、その後来た津波で犬を失ってしまったという方もいました。

続く

今日の東京は、いきなり真冬並みの寒さでした。
人間は厚着になれますが、犬は1年中同じ裸です。
急に襲った寒さにはお構いなく、元気に歩くウメを見ていると、おかしくなります。
犬猫には、本当に癒されます。

今日は珍しく、父のいる病院へ行きませんでした (母は行きました)。

今月は昨日までの24日のうち、講演会と全国大会以外の毎日、つまり20日は病院へ行きました。
それは、父の容体が相当厳しかったからで、(まさか今日が見納めになりはしないか)、という不安を抱きながら父の顔を最後にもう一度見て、後ろ髪をひかれるような思いで病室を去ってきました。

先週、とりあえずは危機的状況から父が抜け出たことを主治医から告げられた時の、喜びといったら!
奇跡は、勿論治療のおかげですが、それと共に、父の気力によってももたらされたのかもしれません(主治医がそう言われました)。 もちろん、なにしろ81歳の高齢ですので、まだまだ安心できません。

それでも、今日か明日かということはなくなったようなので、たまった用事や家事を片付けていたのです。

これ、フルタイムで働いていたら、絶対無理な生活です。 週末しか病院へ行けません。 否、勤務後に少し、病院へ行けるかな。 でもそのためには、病院は勤務先か自宅近くでないと。

やはり毎日病室で父と向き合い、話すことで、父が回復してきたような気がします。
なので、明日も行かなくちゃ。

私の場合、自宅から病院まで片道1時間半、病室に3時間はいますから、病院通いが1日のメインになります。

病室になぜ3時間はいるかといいますと、

父がうつらうつらしている時は話せませんし、目が覚めて話せたとしても、小声で聞き取れません。
そのため、買ったマイクを父の口元にあて聞き取る作業に時間がかかります。

途中、看護師さんが頻繁に病室に来られて、おむつ交換してくれたり、寝ている父の体勢を変えてくれたり、点滴をしてくれたり、経管栄養剤を入れてくれたり、たんを取りに来てくれたりするので、それらの作業を見ていたり質問したり、時には手伝ったり、部屋の外で待たされたり。

車椅子にはほとんど乗れなかったのですが、乗れる時には乗せてもらい、父の病室のある3階や、1階のロビーまで車椅子を押して散歩したり。

医師が来られる時には、父の病状を聞いたり聞かされたり。
(この病院では、私(家族)が希望すればいつでも、主治医は面談の時間を取ってくれます。また、こちらが希望しなくても、必要な場合は主治医から面談を指示されます。 患者・家族と病院が気軽に、そして密にコミュニケーションをとれるこの病院に父を連れてきて本当に良かった、と思います。)

父がテレビを見たそうなときは、テレビをつけたり、寝たら消したり。

痰が出やすいよう、あるいはテレビが見易いよう、ベッドの頭の高さを変えたり、ベッド自体の高さを変えたり。

写真やビデオを撮ったり、持ってきた色々な資料を父に見せたり、医療職の知人からのアドバイスのメールを聞かせたり。

父の友人達が来てくれたり、姑、娘(ワッチ)が来たりもします。

時には、病院の1階の食堂でお昼ご飯を食べたりすると、もっと滞在時間は長くなります。

昨日も、「わあ、もう3時半だ。 家に帰ったら5時で暗くなっちゃう。 ウメの散歩が暗いと可哀想だから、もうそろそろ帰るよ。」と言いますと、父は柔和になった顔で、もごもご何か言います。

「何?」と耳を近づけますと、「早く帰りなさい。」 でした。

申し訳ないな、という気持ちと、父の私を思いやる気持ちに、胸がじんとして涙が出そうでした。
他人のことを思いやれるほど、父が回復してきたのが嬉しいです。
そしていつものように、(まさか今日が最後じゃないよね。)と何回も父を振り返りながら、心を鬼にして病室を出ました。

さて、そんな色々用事のある父の病室へ行かずに私が今日家でした用事とは、

1.娘(ワッチ)は喘息持ちなので、「大気汚染医療費助成」の更新に、区役所へ行ったり (もう既にかかりつけ医の診断書は用意しました)。 東京は空気が悪いから、気管支ぜん息、慢性気管支炎、ぜん息性気管支炎、肺気腫は、医療費助成の対象となります(けれどこの助成も、最近制限がつきました。詳しくは割愛)。 

2.来週の京都講演、再来週の沖縄講演の新幹線や飛行機等のチケットを受け取りに、最寄りの旅行会社へ行ったり。

3.その他消耗品や食材などを買い、雨の中重い荷物を持ち、おっちらおっちら歩いて帰りました。自転車なら楽ですけど、雨ですから。

4.講演先との連絡など。
そういえば、来月4日(金)は、京都で講演会ですが、近くの大坂へも、1月30日に講演会で参ります。まだ詳細がわからないので、お知らせできませんが。 そこで一旦、講演会は終わりです。 父の様子を見て今後は考えます(ご依頼を頂けたら、の話ですが)。

その他、もちろん1日2回のウメの散歩、食事作りに片付け、掃除。 今夜は寒いので、お鍋にしました。

石巻の話を書きたかったのですが、またにします。

おやすみなさい。

・・・ もたもた書いていたら、日付が変わってしまいました。
パソコンの不調もあり、この新しいブログの書き方に、どうもまだ慣れません。

今日は大井町にある品川区立総合区民会館「きゅりあん大ホール」において、
日本脳外傷友の会設立15周年記念全国大会が開催されました。

私は、父の容体次第では参加できないかもしれませんでしたが、なんと父は
18日くらいから奇跡の回復を遂げてきています。
信じ難い思いですが、左肺もきれいになり、表情も良くなり、命の危機はとりあえず脱したように見えます。勿論、油断はできませんが。

それでも、「多分年は越せないかもしれない」、という厳しい見方があった中で、父を不死鳥のように回復させたものは、父の気力によるものだそうです。

すごい!父。 あとはやはり、家族が毎日病室に来ていることも、父を力づけているそうなので、もう少し安心できる状態になるまでは、引き続き病室に通うつもりです。

このブログを読まれる皆様に、父のことではご心配ばかりおかけしてきましたが、お蔭さまで父はなんとか快方へ向かっている、とお伝えすることができ、とても嬉しく思います。

というわけで、昨夜の交流会と、今日の大会の両方に参加し、色々な方とお会いし、色々なためになる話を拝聴し、頭を使い過ぎて? くたびれました(笑)。

今回は家から近いので、夫コウジさんも大会に来てもらいましたが、何度言っても頭に入らないらしく、今朝も「今日、どこへ行くんだっけ?」と コウジモード全開でした。

いやはや、ものすごい人出でした。 すごい熱気!すごいパワー!
高次脳機能障害者とその家族の、前向きで元気な気持ちが溢れた会場でしたよ。
皆笑顔で、賑やかで、ここへ来るだけで元気になれそうでしたよ。

コウジ村からも、私を含め10名(東川悦子名誉村長を含めたら11名)は集まっていましたが、とにかく人が多くて皆さんどこにいるのかわからず、集まって記念写真を撮ることもおろか、ゆっくり話もできなかったり、お別れの挨拶すらできませんでした。

また折をみて今回の全国大会の話は書きますが、夫コウジさんに関係したのは、橋本圭司先生と働く当事者との鼎談。

軽妙なトークで、当事者の人柄をうまく引き出され、話を進められる橋本先生の名司会ぶりには、会場も大爆笑でした。
夫も笑ったり頷いたりしていました。 

とにかく中味の非常に濃い、素晴らしい 大会でした。

それでは明日はまた父の病院へ行きますので、もう寝ます。

皆様も、大変お疲れ様でした。

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