日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2016年03月

東京は急に暖かくなってきて、桜の開花も進んできましたが、まだ1割も咲いていない木もあり、まちまちです。

今月もまだ2回しか書いていないので、気にかかってここに来ました(相変わらず翻訳仕事に没頭しています)。
毎日のように書いていた(書けていた)、以前の自分が信じられません。
う~ん・・・ あの頃より今の方が時間的・精神的な余裕がないのは、年をとってきて自分も周りの状況も変わってきたからなのか? 自分の状況変化として、1つのことを処理するのに、体力も気力も衰えてきている? (なんて言ったら100歳でも動きまわっている方に笑われちゃいますね。) 周りの状況変化としては、もちろん親の介護(介護どころか、父は死んでしまい、ショックでまだクラクラしている。母の方は結構大変・・・)が始まったこと。

この2週間、コウジさんの痛風はようやく下火になってきて、2日ほど前からまあ普通に歩けるようになりました。
おかげで毎朝車で駅まで送って行ったり迎えに行ったりしなくてもよくなり、ウメの散歩もまた分担してもらえるようになり、ホッ。 なぜなら、この2つのことだけでも、私の自由時間が結構減っていたのであります。

先週までには私も健診に行き、免許更新にも行き、親の年金の手続きも終え、母のケアマネさんとの話し合いも済ませ、セコムに相談にも行ってきました。 ああ、忙しかった。 

パーキンソン友の会へも、父のこの5年間の発症から亡くなるまでの経過で感じた問題点、反省点など長文をしたためて寄稿しました。夏頃会報に掲載して頂けるようです。

誕生日(23日)も、何もしないであっという間に過ぎました。ワッチは友達と旅行へ行ってましたし。 自分の誕生日に関心がなくなったのは、随分前からのことですから、いいのです。

それよりその日、福島の「SORA アニマルシェルター」の秋田犬の「アキタ君」が亡くなったことが悲しいです。
アキタ君は大震災1か月後、南相馬市を放浪しているところをSORAさんの?ボランテイアに保護されました。それから5年、SORAさんに手厚く世話され、幸せだったと思いますが(私とワッチがボランティアに行った数年前は、まだとても元気でしたが、ガンになってしまったのです)、ほかにもまだ放浪して痩せこけている犬猫が、福島には残っているだろうし、イノシシや牛、キツネ、色々な動物が放浪している映像を実際にテレビで見ます。放射能に全身汚染された蛇のX線写真や、イノシシのフンや鳥や植物の同様の写真は衝撃的で、汚染をまき散らした人間側として申し訳なくてたまらない。なのに原発をゼロにしない日本政府や、企業や自治体は、非常に情けない。

でも、嘆いているだけで阻止するために行動しないのは、是認するのと同じこと。
昨日の安保法案施行に反対デモを敢行した人たちは、気高く見えます。私も行けたら行きたいけれど、やることだらけで身動きできず、応援しているだけで、それも申し訳ないです。署名ならいくらでもするけれど。

乙武さんにもがっかりだな。どうでもいいけれど。特に自民党を批判していたのに、自民党から出馬しようとしていたそうなので、節操という面で疑問が。

クローズアップ現代から国谷さんが降板されて、それもがっかり。最後の放送は見損ねてしまったけれど、大好きでした。でもこれからもフリーで、また多方面で活躍されてほしいです。毎日色々なテーマに取り組まれて、的確に話されて、すごい方ですよね。これからは7人の女性キャスターが日替わりで担当するそうですが、それを1人で22年も!こなしてこられたのですから、本当にすごい。神業です。

それから同じくNHKの「おはよう日本」で、お天気キャスターを務めていた渡辺蘭さんが、明日が最後?なのも残念。出産を控えられているからなので、おめでたいけれど、毎朝コウジさんと楽しみに見ていました。蘭さんの笑顔で、元気をもらっていました。

NHKニュース以外あまりテレビは見ない私ですが、国谷さんと、蘭さんと、「ダーウィンが来た!」と、志村けんの動物番組内の、動物と話せるハイジさんと、森泉さんの大工仕事を見るのが好きです(あれ、結構見ている?)。そのうちの2つが終わってしまい、がっくり。(「ドキュメント72」も見ていたけれど、始まりが遅いので、余り見なくなりました。その時間帯は、1日のまとめの仕事や用事にかかりきりなので。コウジさんは見ていますよ。)

セコムについてですが、いざという時に母の家に駆けつけてくれるはずのセコムの駐在所が、母の家から結構離れているのが気に入らず、話が進んでいません。母がボタンで非常事態を知らせ、セコムとセコムから連絡がいく救急車が駆けつけてくれるとしても、救急車の方がずっと早く家に着いてしまう。 でも鍵はセコムが持っているから、救急隊員は家の中に入って、倒れている?母を助けることがすぐできない。 セコムが来るまで救急隊員が20分も待っていたら、母はもしかしたら死んでしまう。だとしたら、セコムに入る意味はあるのか・・・? 

そう考えて、同業者のALSOKにも相談してみました。すると、ALSOKの駐在所の方が、母の家からずっと近いので、これからまた見積もりしてもらおうかとも思うのだけど・・・本当は、私が母と同居すれば一番安心なのですよね。お金もかからないし。

でもそうすると、コウジさんが1人でこの家に暮らすことになり、とても不安(ワッチはいつもあちこち出かけていて、頼りにならないし)で、無理。かといって、コウジさんが私と一緒に母の家に住むことも無理。 なぜなら、今は会社までドアツードアで30分かからず楽々行けているのに、母の家からだとバスや電車を乗り継いで1時間半以上かかるのです。それはとても体力的にきついし、迷子になるだろうし、通勤中のトラブル発生のリスクがぐっと高まります。

あ~あ、さて、一体私はどうやって母の世話をしたら一番いいのでしょうか・・・ 難問です。 この1か月、母は色々騒動を起こしているので、頭が痛いです。 

それではまた。

追伸 コメントに、返事書けずすみません。また、メールなどで質問頂いている方々にも、返事できずにいてすみません。そのほか、返事や連絡できていない人ばかりで、本当にすみません。来月あたりから、少しずつできるかと思うのですが・・・ 申し訳ありません。 待ってて下さ~い。


翻訳仕事がまだ半分しかできていないのに、ここでブログを書いているのを知られたら怒られてしまう(かな?)ので、30分だけ書きます。30分でどれだけ書けるかな。

今日、近くの大学キャンパスをウメと散歩していたら(どんなに忙しくても、1日2回の散歩ははずせませんので)、もう桜が咲いていました。 毎年私がチェックする木は同じで、ある桜の木の幹の部分を見ます。枝の先のつぼみは咲くのは遅いけれど、幹から直接生えているつぼみは、咲くのが早いですよね。 コゲラ(小さなキツツキ)もいたし、1週間以上前にはうぐいすも鳴いていて、意外とこのあたりは色々な生き物がいます。カワセミもいますよ。

今年は春が来るのが嫌でした。 なぜなら、そこに父がいないからです。父と桜を見るのを楽しみにしていたのに。父が亡くなってもうすぐ3か月が経ちますが、やはりどうしても納得ができず、苦しい気持ちが続いています。そのことについては今日は書きませんが、父亡き後の諸手続きも相変わらず続いています。

昨日はようやく書類を整えて、「これで完璧だ!」と世田谷区内の年金事務所に持っていたのですが(全国どこの年金事務所でもいいそうです)、住民票に不備があり、受け付けてもらえませんでした。1時間半待ち、30分かけて手続きしたのですが。
でも横浜で住民票をとったら、その他の書類は確認済みなので、郵送すればいいそうです。先は見えたのでホッ。 

確かに電話で聞いた時も、「世帯全員の住民票」と言われ、父のところには「×」がついているらしかったのですが、私が住民票を申請して出てきたものは、母だけ載っているものでした。
(父はもういないので、これでいいのだな。)と一人合点してそれを持って行ったのですけど、それじゃいけないそうなんです。やはり父が亡くなった時に一緒に暮らしていたという証拠がないとダメとのことで、よくわかりませんがそういう住民票を明日取ってきます。

明日はそのまま実家へ行って、母関係の用事をしてきます。こっちも色々あるんですよ。細かいことですし、きりがないので今は詳しく書きませんが、あさっては私の地元にあるセコムに行って、実家の防犯その他について相談してきます。毎日用事ばかり。

昨日は年金事務所のほか、自分の免許更新もしてきました。その場で撮ってもらった写真を、5年前の免許証のものと比べると、全然ちが~う! やっぱり確実に年を取っているのだなあ、とがっかり。年をうまくとっている方もたくさんいらっしゃるけれど、私はなんだかただ年をとった顔だわさ。 

家に帰ってきて、20年前の免許証も出してそれと並べると、これまた別人! 20年前も別に美人じゃないけれど、若いというのはやっぱりいいもんだな、と思いました。 まあ、それだけの話で、これからいい年の取り方をしていきたいとも思いましたけど。

一昨日は雨の中、確定申告にも行ってきました。毎年行っているけれど、すごく並んでいたので、会場のポストに投函してきました。控えにハンコが要らない人は、投函でいいそうです。

今月中に行かなくてはいけないのは、あとは健康診断。無料券(割り引き券)が今月いっぱいなのです。年1回はやはり自分の体も調べてもらいたいですし。

今晩は翻訳仕事の前に、加入しているパーキンソン病友の会に手紙を書きます。父がなぜ亡くなる事態になったか、自分なりの考えを書いて、ほかのパーキンソン病の方に役立ててほしいと思っています。
納得できないけれど、現実を受け入れなくてはいけない。でも父の死がほかの方に役立てば、少しは心落ち着くし、嬉しいです。会報に載せて下さるそうなので、うかつなことは書けず、なんとなく今晩はこの手紙書きだけで終わってしまいそうな気もします。

夫コウジさんは元気ですが、相変わらず痛風の痛みは少し続いているようです。来週末また病院へ行かなくては。

コウジさんは3日前の日曜日、会社の同僚数人と、会社で待ち合わせてカラオケに行ってきました。休日に遊ぶなんて初めてのことなのですが、待ち合わせが会社ですから安心ですし、カラオケの場所へも連れていってもらえますし、集合が午前11時なので、きっと夕方4時くらいには戻ってくるかな、と思っていました。彼も大喜びで出かけて行きました。

そうしたら5時になっても7時になっても帰ってこないので、心配になって、邪魔して悪いかなと思いながらも、何度も電話しました。けれど全然つながりません。 

段々色々なことを想像し出した私は、一番悪いパターンとして、皆ととっくに解散しているのに、通りか電車で誰かと喧嘩になって、どこかで倒れているんじゃないか? もしかしてどこかに連れ込まれて、「ママちゃん、助けて!」と言っているんじゃないか? そんな想像をしました。

そして、コウジさんがいなくなったこの家を想像し、とてつもなく悲しく寂しくなっていました。いてくれなくちゃ困る。いつも変なこと言ったりしたりして、家族からブーイングを浴びている彼だけど、いなくなったらダメなのです。彼だってせっかく生還して元気になったのに、つまらないことで死んでしまったら可哀そうすぎる。ああ、カラオケに行かせなかったらよかったのかも・・・

妄想がどんどんふくらみ、9時になっても電話がつながらないので、知っていた幹事の方の携帯(コウジさんが出かける前にメモしておいた)に、電話しました。 もし出た幹事の方が、「え?もう4時に解散しましたよ。まだ帰らないんですか?」なんて言ったらどうしよう、とドキドキしながら。

すると出た幹事の方は、「今電車の中です。ええ、15分ほど前に渋谷駅で解散しました。連絡せずすみませんでした。」と言ってくれたので、どんなにホッとしたことか。どんなに嬉しかったことか。わあ~、良かったよ~。

お礼を言って電話を切ると、すぐコウジさんからも、最寄駅に着いた、という電話が。 遅いよ、もう!

でもコウジさんを大切にしよう、と改めて思った出来事でした。

コウジさんはとても楽しくて、時間がこんなに経っていたなんて、お店を出てみんなでびっくりしたんだそうです。
コウジさんに、「会社は楽しい?」と聞きますと、「楽しいよ!」と笑顔で答えます。 良かったなあ。(仕事は結構忙しくて大変そうなんですが。まわりの方々にいかに支えられているか、ということですね。有難いです。)

さあ、ちょうど30分経ちました。 では投稿しますね。

それではまた。

今日は、3月11日。今日は絶対にブログを書かなければ、とここにやってきました。

けれど何を書いても、新聞やテレビで報道されていることをなぞらえるに過ぎない気がして、ただただ、亡くなられた方を悼み、故郷へ戻れないでいる多くの方がた、あるいは取り残されている方がたに思いを馳せ、今後少しでも良い方向に物事が進むことを祈るのみです。

津波による被害と、原発事故による被害。
東北大震災は、2種類の被害をもたらしました。
前者はかさあげ工事、堤防や住宅や魚市場などの建設、と復興が進んでいるけれど(それでも人口流出はある。)、後者は、放射能汚染によっておそらく永久に住めない場所ができてしまい(日本の歴史で、そんなことは初めてでしょう)、この先一体どうなっていくのか。 少なくとも今の状況を見れば、「原発を稼働するなんてことは馬鹿げたことだ」、と誰でもわかる。なのに、わからない人がいる、ということが信じられない。

また、1000年に一度の大津波と言われるけれど、この次の津波がまた1000年後というわけではない。もしかしたらすぐあるかもしれない。 今回の津波の高さより低い堤防を作って、意味があるのだろうか。
さっき20時からのNHKスペシャルで、津波の脅威を詳しく分析していたけれど、「津波という天災の前には、人間は無力だ」 という何人かの体験者の言葉に、(そうなのだな)、と思った。

天災に太刀打ちできないのは、仕方ない。少しでも被害を減らせるよう、工夫や準備をするしかできないだろう。漁をしてくれる人がいなければ、魚を食べることはできず、海に囲まれた日本では海のそばに住まないわけにはいかないだろうから・・・

ただ、原発事故は、天災ではなくて、あきらかに人災。もっと高台に建設すればよかったとしても、その高台にも到達する津波が来たら同じ話で、やはり作ってはいけないのです。

ところで、明日15時から15時55分まで、NHKEテレで、「誰も取り残さない防災とは ~要支援者1800人の声から~」 があります(5日の放送は見損ねました)。
東日本大震災では、死者の6割が高齢者であり、障害者の死亡率は全体平均の2倍だったそうです。

また、それに関する映画として、飯田基晴監督の、「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」がありますので、ぜひご覧になってほしいと思います。

昨日は杉並リハビリテーション病院から依頼を受けた講演会でした。 東京都区西部(新宿・中野・杉並)脳卒中医療連携協議会主催で、講演の話はまた追って書きますが(去年の講演会から書いていないので、順番に・・・すみません。)、会場が中野駅前の中野コングレス・スクウェアというところでした(中野セントラルパーク内)。

警察大学校あとの敷地に最近作られたというそのビルが、あまりに立派なのでびっくり。
同じく整備された敷地には、早稲田大学や明治大学、帝京平成大学のそれぞれ中野キャンパスも建設されているようで(そこまで見に行きませんでしたが)、東京に住んでいてもこういう街づくりを全く知らない私は、まさしく「おのぼりさん」で、キョロキョロするばかりでした。

相変わらずなかなかここへ来られませんが、今月が過ぎれば少しは時間ができて、もう少し書けるようになるかと思っています。来週も再来週も、あれやこれや用事が山積みです・・・

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