今日は現役のアメリカ大統領が、初めて広島を訪問した歴史的な日でした。
やることも沢山あるのだけど、「今日テレビを見ないわけにはいかない!」、とウメの散歩すらもそっちのけで、夕方からテレビの前にかじりついていました。
広島訪問前に岩国基地で海軍を前に演説した時に、沖縄で日本女性が米軍属の男に殺害された事件に触れなかったのには、がっかりしました。 なぜ言及しなかったのでしょうか??? とても大きな事件なのに。 私は彼女のこと、沖縄で米軍人によって繰り返されてきた数々の凶悪事件を、非常に問題と思っています。当然ですが。
基地はいらない。日本は守ってもらわなくていい。日本は自分で自分の国を、最低限守ればいい。憲法9条を守り続け、この先も今までと同じようにずっと不戦国であることを周囲に宣言し、それでもどこかの国に攻撃されてしまったら、それはそれでもう仕方ないのではないか、と思うのです。攻撃する方が悪いのですから。
相手の良心を信じる人間、国であってほしい。 ま、きれいごとと言われればそれまでですけど(こう書きながら、テレビでは舛添さんが映って何か話しています。もう、見苦しくて見ていられない。 この人に良心があるなら、使い込んだ税金は全て戻して、潔く辞任してほしい)。
広島ヘリポートから平和記念公園までの車の移動は、結構な時間がかかりましたね。でも沿道にはオバマ大統領を歓迎する日本人が溢れ、日本人の良さを感じました。 日本の首相がもし中国の街中を、同じように車で移動したら、卵とか投げられそう? (いつも卵が勿体ない、と胸が痛みます。・・・ ああ、でもそういうことをするのは、一部の中国の人たちであって、全部の中国人がそういうわけではないですよね。) それにしても、原爆を落とされた日本が、落とした国の大統領を、このように好意的に迎えるのは、71年という長い年月が経って憎悪や悲しみが少し浄化されたということでしょうか。
きっとそれもありますが、被爆者代表の坪井直さんが、オバマさんに話した、という言葉が、その答えになっているように感じました。 つまり、「原爆投下というのは、アメリカが悪いというのではなく、「人類の過ち」 だったのだ。」、という言葉です(若干違うかもしれませんが、そんなようなことを仰っていました)。
なるほど・・・。 戦争は、それをする人、国が悪いのではなく、「人類」全体の責任なのです。憎むのは「戦争」そのものであり、その「戦争」がない世界にするためには、「人類」として、全体で協力していかないといけない、ということです。 その考え方に賛成します(オバマさんは、原爆のことにとどまらず、戦争一般について話していましたね)。
ところで中国の王毅外相は、こういう映像を見て、「南京事件を忘れるな!」と怒っていますが、もう少し互いに歩み寄ろう、仲よくしていこう、と思えないものでしょうか。
・・・と書いたあと、猛反省して、慌てて追記しています。 王毅外相の言うことは、やはり尤もだと。
日本は戦争では被害者でもあったけれど、加害者でもあり、特にアジア諸国に対して言語道断の非道を尽くしました。日本国内では、自分達が被害を受けたことは声高に繰り返し話されるけれども、自分達が被害を与えたことについては、余り口にしません。 日本だけでなく、どこの国でも、どこの社会、人間でもその傾向がありますが。私もうっかり、その傾向に乗るところでした。それはダメダメ。ああ、恥ずかしい(コメントで指摘、注意を受ける前に訂正できて良かった)。
こういう間違いを起こす時、文を書いたり、話をしたりすることはつくづく怖いことだと痛感します。私はそそっかしく、結構軽はずみなところがありますので、本当はこんなところで書いたり、話したりするのは適性がない気がします。 間違えた時は、あとで訂正していますので、また読んで下さい・・・ なるべく間違わないよう、気を付けますけど。
今回オバマさんが日本に来て、直接謝罪の言葉は諸事情から避けたにしても、来てくれたことに謝罪や哀悼の意が表れており、日本国民の感情は和らげられ、世界平和への気持ちがより強まりました。 人類の真の平和を望むのなら、日本も中国をはじめとする被害を与えた諸国に首相が行って、謝罪しなくてはいけません。 まだそれができていないうちは、戦争は終わっていないのです。
オバマさんは広島に来て、資料館を見学して(10分ですか。もっと長い時間そこで過ごして欲しかったですね)、核なき世界、戦争なき世界という理想を説き、アメリカ人も日本人も同じ人間で、人類は一つの家族だと述べていました。坪井さんと同じ考え方ですね。長い長い、感動的な心のこもった演説だったと思います。
オバマさんが献花し、韓国の犠牲者も悼み、(歩いてすぐなので、慰霊碑まで行かれても良かったと思いますが・・・)、坪井さんや森重昭さんら被爆者の方々と笑顔で話され、坪井さんと強く握手し合い、森さんと抱き合う姿を見ていて、涙が出てきました。 ああ、良かったなあ。 互いに許し合い、支え合う姿はやはり感動的です。 オバマさん、有難う。
日本は世界で唯一原爆を落とされた可哀想な国ではありますが、日本だってほかの多くの国々に悪いことをしてきたのだし、そこを反省することも大事ですし、唯一の被爆国としてこそ率先して、その「人類全体の罪」を許すことが大事なのだ、と思いました。 そこからまた、新しくより良い世界がスタートするのです。
オバマさんはあらかじめ用意した(きっとアメリカを出る時から)原稿を読まれましたが、資料館を出たばかりでの演説なので、資料館の感想もちょっとアドリブで話して欲しかったな、と個人的には思いました。
まあ色々要望はありますが、全体として、とても感動的なオバマさんの広島訪問でした。
それにしても、坪井さんの明るさは素晴らしいですね。満面の笑顔で、オバマさんに「あなたはノーベル平和賞をもらったんだから、遊んでちゃダメだよ。 これから何度も広島(や長崎?)に来て、どんどんやっていかないと。沢山の被爆者に会わないと。 協力するからね。」 というようなことを仰っていたそうです(すみません、確実なソースがなく、テレビで仰っていたのを記憶だけで書いています。きっと明日の朝刊にちゃんとしたお話が載ると思います)。
坪井さんと森さんがオバマさんと話した後、嬉しそうに談笑されている姿にも、ぐっと来ました。 皆さんどんなに苦労されてきたか、それがオバマさんによって救われ、益々前進されていく力をもらったようにお見受けしました。 そしてそれは、ほかの多くの被爆者の方々や日本国民にとっても、同じです。
さて、テレビにかじりついていた私の元にも、アメリカの知人から数日前、手紙が来ました。
父が亡くなる前日に、まさか父が次の日亡くなるなんて思わずに、時間をかけて書いたクリスマスカードを送った女性です。 高齢で、前年のカードが震えた字でしたので心配でしたが、元気そうにひ孫さんらと楽しげに映った写真を送ってこられました。添えられている字も、またしっかりしていたので、安心しました。
何が嬉しいって、元気なのを知ったのも嬉しかったですが、父の亡くなる前日に父の病室へ行かずに書いたカードに、返事がきたのが嬉しかったです。あの1日は無駄ではなかったんだ、と。 へんな論理ですが。
相変わらず父を亡くしてうなだれている私は、ウメと散歩している時でも、青空を見上げては父に呼びかける、家では父の写真に何度も話しかけている、そんな日を送っています。 皆さんも、親を亡くした時は、きっと同じように感じられたのでしょうね・・・。 時が経って寂しさが少しでも癒えるまで、仕方ないですね。
やることも沢山あるのだけど、「今日テレビを見ないわけにはいかない!」、とウメの散歩すらもそっちのけで、夕方からテレビの前にかじりついていました。
広島訪問前に岩国基地で海軍を前に演説した時に、沖縄で日本女性が米軍属の男に殺害された事件に触れなかったのには、がっかりしました。 なぜ言及しなかったのでしょうか??? とても大きな事件なのに。 私は彼女のこと、沖縄で米軍人によって繰り返されてきた数々の凶悪事件を、非常に問題と思っています。当然ですが。
基地はいらない。日本は守ってもらわなくていい。日本は自分で自分の国を、最低限守ればいい。憲法9条を守り続け、この先も今までと同じようにずっと不戦国であることを周囲に宣言し、それでもどこかの国に攻撃されてしまったら、それはそれでもう仕方ないのではないか、と思うのです。攻撃する方が悪いのですから。
相手の良心を信じる人間、国であってほしい。 ま、きれいごとと言われればそれまでですけど(こう書きながら、テレビでは舛添さんが映って何か話しています。もう、見苦しくて見ていられない。 この人に良心があるなら、使い込んだ税金は全て戻して、潔く辞任してほしい)。
広島ヘリポートから平和記念公園までの車の移動は、結構な時間がかかりましたね。でも沿道にはオバマ大統領を歓迎する日本人が溢れ、日本人の良さを感じました。 日本の首相がもし中国の街中を、同じように車で移動したら、卵とか投げられそう? (いつも卵が勿体ない、と胸が痛みます。・・・ ああ、でもそういうことをするのは、一部の中国の人たちであって、全部の中国人がそういうわけではないですよね。) それにしても、原爆を落とされた日本が、落とした国の大統領を、このように好意的に迎えるのは、71年という長い年月が経って憎悪や悲しみが少し浄化されたということでしょうか。
きっとそれもありますが、被爆者代表の坪井直さんが、オバマさんに話した、という言葉が、その答えになっているように感じました。 つまり、「原爆投下というのは、アメリカが悪いというのではなく、「人類の過ち」 だったのだ。」、という言葉です(若干違うかもしれませんが、そんなようなことを仰っていました)。
なるほど・・・。 戦争は、それをする人、国が悪いのではなく、「人類」全体の責任なのです。憎むのは「戦争」そのものであり、その「戦争」がない世界にするためには、「人類」として、全体で協力していかないといけない、ということです。 その考え方に賛成します(オバマさんは、原爆のことにとどまらず、戦争一般について話していましたね)。
ところで中国の王毅外相は、こういう映像を見て、「南京事件を忘れるな!」と怒っていますが、もう少し互いに歩み寄ろう、仲よくしていこう、と思えないものでしょうか。
・・・と書いたあと、猛反省して、慌てて追記しています。 王毅外相の言うことは、やはり尤もだと。
日本は戦争では被害者でもあったけれど、加害者でもあり、特にアジア諸国に対して言語道断の非道を尽くしました。日本国内では、自分達が被害を受けたことは声高に繰り返し話されるけれども、自分達が被害を与えたことについては、余り口にしません。 日本だけでなく、どこの国でも、どこの社会、人間でもその傾向がありますが。私もうっかり、その傾向に乗るところでした。それはダメダメ。ああ、恥ずかしい(コメントで指摘、注意を受ける前に訂正できて良かった)。
こういう間違いを起こす時、文を書いたり、話をしたりすることはつくづく怖いことだと痛感します。私はそそっかしく、結構軽はずみなところがありますので、本当はこんなところで書いたり、話したりするのは適性がない気がします。 間違えた時は、あとで訂正していますので、また読んで下さい・・・ なるべく間違わないよう、気を付けますけど。
今回オバマさんが日本に来て、直接謝罪の言葉は諸事情から避けたにしても、来てくれたことに謝罪や哀悼の意が表れており、日本国民の感情は和らげられ、世界平和への気持ちがより強まりました。 人類の真の平和を望むのなら、日本も中国をはじめとする被害を与えた諸国に首相が行って、謝罪しなくてはいけません。 まだそれができていないうちは、戦争は終わっていないのです。
オバマさんは広島に来て、資料館を見学して(10分ですか。もっと長い時間そこで過ごして欲しかったですね)、核なき世界、戦争なき世界という理想を説き、アメリカ人も日本人も同じ人間で、人類は一つの家族だと述べていました。坪井さんと同じ考え方ですね。長い長い、感動的な心のこもった演説だったと思います。
オバマさんが献花し、韓国の犠牲者も悼み、(歩いてすぐなので、慰霊碑まで行かれても良かったと思いますが・・・)、坪井さんや森重昭さんら被爆者の方々と笑顔で話され、坪井さんと強く握手し合い、森さんと抱き合う姿を見ていて、涙が出てきました。 ああ、良かったなあ。 互いに許し合い、支え合う姿はやはり感動的です。 オバマさん、有難う。
日本は世界で唯一原爆を落とされた可哀想な国ではありますが、日本だってほかの多くの国々に悪いことをしてきたのだし、そこを反省することも大事ですし、唯一の被爆国としてこそ率先して、その「人類全体の罪」を許すことが大事なのだ、と思いました。 そこからまた、新しくより良い世界がスタートするのです。
オバマさんはあらかじめ用意した(きっとアメリカを出る時から)原稿を読まれましたが、資料館を出たばかりでの演説なので、資料館の感想もちょっとアドリブで話して欲しかったな、と個人的には思いました。
まあ色々要望はありますが、全体として、とても感動的なオバマさんの広島訪問でした。
それにしても、坪井さんの明るさは素晴らしいですね。満面の笑顔で、オバマさんに「あなたはノーベル平和賞をもらったんだから、遊んでちゃダメだよ。 これから何度も広島(や長崎?)に来て、どんどんやっていかないと。沢山の被爆者に会わないと。 協力するからね。」 というようなことを仰っていたそうです(すみません、確実なソースがなく、テレビで仰っていたのを記憶だけで書いています。きっと明日の朝刊にちゃんとしたお話が載ると思います)。
坪井さんと森さんがオバマさんと話した後、嬉しそうに談笑されている姿にも、ぐっと来ました。 皆さんどんなに苦労されてきたか、それがオバマさんによって救われ、益々前進されていく力をもらったようにお見受けしました。 そしてそれは、ほかの多くの被爆者の方々や日本国民にとっても、同じです。
さて、テレビにかじりついていた私の元にも、アメリカの知人から数日前、手紙が来ました。
父が亡くなる前日に、まさか父が次の日亡くなるなんて思わずに、時間をかけて書いたクリスマスカードを送った女性です。 高齢で、前年のカードが震えた字でしたので心配でしたが、元気そうにひ孫さんらと楽しげに映った写真を送ってこられました。添えられている字も、またしっかりしていたので、安心しました。
何が嬉しいって、元気なのを知ったのも嬉しかったですが、父の亡くなる前日に父の病室へ行かずに書いたカードに、返事がきたのが嬉しかったです。あの1日は無駄ではなかったんだ、と。 へんな論理ですが。
相変わらず父を亡くしてうなだれている私は、ウメと散歩している時でも、青空を見上げては父に呼びかける、家では父の写真に何度も話しかけている、そんな日を送っています。 皆さんも、親を亡くした時は、きっと同じように感じられたのでしょうね・・・。 時が経って寂しさが少しでも癒えるまで、仕方ないですね。