日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2017年05月

昨日ワッチ(娘)の洗濯物をよく見ないで洗濯機に入れたら、洗濯を終えて洗ったものを取り出すと、赤いパスケースが洗濯機の底に残っていました。あ~あ、ポケットに入れたままだったんだな、とがっかり。
どこで買ったものなのか記憶にないけれど、革製のかわいいケースなので、パスモと学生証と一緒にベランダで大事に干しました。

コウジさんの白い下着と、コウジさんが使う白いバスタオルにも赤い色がついてしまいましたが、ほかの衣類やタオルはセーフだったので、大学が休みで遅く起きてきたワッチと、ほっとしました(コウジさんには、まだ言っていません)。

さて今朝のこと。雨の日は自転車に乗らないワッチを、仕方なく駅まで送りました。雨の日はこれがあるから、忙しいのです。歩けばいいのだけど、大学まで遠いので、せめて最寄駅までは楽させてあげようという親心。
するとさっき駅で別れたはずのワッチから、すぐメールが。何だろう、忘れものかな、と読みますと、やはりパスモは洗濯したら使えなくなっていて、再発行が必要なのだとのこと。今朝は駅員さんが改札を通してくれたとのこと。そうなのかあ、やっぱりダメだったかあ。再発行手続きも面倒だけど、しなくちゃね(ワッチが)。

雨がそんなに大降りでもないので、今度は会社へ行くコウジさんに、「歩いて行く?」と聞きました。するとコウジさんは、「やだよ!頼むよ、ママちゃん。ワッチだけ送るなんて、なしだよ。」と甘えますので、また仕方なく車を出しました。私なんて、誰も駅まで車で送ってくれないのに、うちの家族は皆甘えん坊だよね。

ところが雨の影響もあるのでしょうか、帰りに踏み切りに引っかかると、それが全然開かず、目の前を上り下りの合計7本の電車が通り過ぎました。その間12分!開かずの踏切です。私もイライラしましたが、傘をさして待っている通勤通学の人たちはもっと気の毒で、やっと開いたらそういう人たちに先に踏み切りを通ってもらい、いざ私が車で踏切を渡ろうとすると、向こう側からも長蛇の列になっていた車が殺到してきました。
業務用の大きなトラックも多く、狭い道ですれ違えるのだろうか、でも待っていた順番からいえば私の方が優先でしょう、とまたしてもイライラしながら、車をゆっくり勧めたり、ドアミラーが電柱にぶつからないように引っ込めたり。もうこれは電柱にぶつかるか、トラックとこするかしても仕方ないかも、と観念したくらいでしたが、トラックがうまくよけてくれて、無事通ることができました。ああ、もう、朝からイライラ、汗びっしょりです。

駅が近くて便利なのはいいのですが、家の周りは踏切だらけで、1回引っかかると3本電車が通るまで待つのはざら。ワッチも「ほんと、踏切って邪魔だよね。」といつも文句を言ってますが、仕方ないねえ。

そんなわけで、コウジさんを送って帰ってくるまで、30分もかかってしまいました。普通だったら10分以内には戻ってこられるのに。ウメが心配するといけないので、NHKニュースをつけたままでしたが、朝の連続ドラマになっていました。ウメはテレビの前で、すやすや寝ていました。ああ、これから雨の中、ウメの散歩です。

ところで前置きが長くなりましたが、「碁石海岸で囲碁祭り」の話を進める前に、ちょっと今日はほかの話をします。

昨日の朝、NHKの「おはよう日本」で4時41分と5時40分からそれぞれ5,6分ずつ放送された「囲碁祭り」の全国ニュース。とてもよく内容がまとまっていて、さすがNHK、という出来でした。有難うございました。

全盲の棋士でアマ4段の柿島光晴さんの熱い思い、開会式の様子、小学1年生の時に病気で全盲となった吉光駿君(現在12歳)の選手宣誓や、台湾の盲学生、顔さんとの対局、岡田結美子6段や囲碁が強い東北のボランテイアの大学生たちが教えてくれる様子など、何度も録画を繰り返し見ました。

中でも一番感動したのは、駿君と顔さんが対局後、「会えてうれしい。」「これからも交流をしたい。」「言葉が通じない人とでも楽しめた。学校の友達にもどんどん囲碁を広めていきたい。」と話していたことです。
駿君のお父様の俊貴さんも、「1つ取り組むものができたのが大きい。自分のことを自分の意志でやっているところを見ることができる。」と喜んでいらっしゃいました。

囲碁は老若男女、国、障害の有無を問わず、誰もが楽しめ、互いに仲良くなれ、しかも頭の体操にもなるという、実は素晴らしいゲームなんだということが、私にもわかってきました(問題は、ここ1週間は全然練習する時間がなくて、また忘れてしまっていること。私のような超初心者は、1日練習しないと、1週間戻るような気がします。まだ大してわかっていないので、スタート地点に戻るということです。明日の囲碁教室も、また初日の時の私だと思いますが、頑張って行きますよ)。

「碁石海岸で囲碁祭り」は、「第1回全国盲学校囲碁大会」を兼ね(というより、それがメインイベントでした)、その実行委員長の柿島さんに、「目が見えない世界というのは、どういうものなのか知りたい。」とあからさまに質問しました(いえ、ある方にそう言ったら、その方がすぐ柿島さんのところへ行き、「柴本さんが、目が見えない世界を知りたいそうですよ!」と言われたので、後に引けず、わあ、失礼だと思われるのでは、と身を縮めながら柿島さんの前に行って、話を伺ったというのが真実です。ついでにそのままペア囲碁をさせて頂くことになりましたが。その話は後日)。

柿島さんは、一番いいのは、今外苑前で催されているイベント、「ダイアローグ イン ザ ダーク」に参加されることですよ、と言われました。そのイベントは、岡田六段も、「娘と参加してとても良かった。」、と会場の皆に向かって勧められていたものです。

帰宅してすぐ調べ、コウジさんと一緒に参加しようと思い、来月下旬の日曜日を予約しました (結構予約がいっぱいです)。目が見えないとはどういうことか、とウメと散歩しながら時々目をつむって歩いてみたり、家でも目をつむってみたりするようになりました。家の中ならまだ安全ですが、外で見えないというのは、車や穴ぼこ、段差など危険がいっぱいですね。

まだ囲碁同様、視覚障害者の世界は入口に立ったところです。でも、これから中に入って学んでいき、特に視覚障害者のためになにかできることはないか、考えていきたい、という気持ちを強く持っています。きっと私ができることより、教わることの方がずっと多いだろうことは、もうわかっていますが。

今回、点字図書館の田中理事長ご夫妻とも面識を得ました。
実は私の父が1年半前に亡くなった後(もうそんなに経つなんて。まだこの間のようです)、実家に点字図書館から郵便物が届いていました。実家に届く郵便物は私が全て確認するようにしていますので、それを見ながら母に尋ねますと、父は生前、点字図書館やユニセフ、その他の団体に寄付をしていたそうです。

それで、私も父の遺志を継ぎたいと思い、振込用紙の入った去年秋に送られてきていた封筒を持ち帰ってきたものの、昨日まで紛失して見つかりませんでした。(振り込もう、あとで読もう、と思ってどこかにしまうと、かえってどこにしまったか忘れてしまうことがよくあります。結局、『ノーマライゼーション』今年1月号にはさまっているのが、見つかりました。この号には、柿島さんが冒頭カラー記事で特集されていますので、そこに私なりの気持ちではさんでいたのでしょう。)

まさか、理事長ご夫妻と話せるなんて思ってもいませんでしたが、気さくに話して下さるうちに、昔からの知り合いのような気さえしてきました。そして実は父が寄付していたので、私もしようと思っているけれど、振込用紙がどこかへ行ってしまい、探しているところだという話もしましたら、父の名前を聞かれました。

少し驚きながらも喜んで答えますと、メモされたわけでもなく、一度聞いただけの私の父の名前を覚えて下さり、後日連絡を頂きました。それによりますと、スタッフに調べてもらうと、私の父は1994年から2012年まで寄付していたそうです。1994年といえば、父が60歳になった年。2012年といえば、パーキンソンと診断され、身体が動かなくなって自由にどこへも行けなくなった年。
そう考えますと、父は定年退職となった年(実際はもう少し長く働いていましたが)から、新たに自分ができる社会貢献として、寄付という道を選んだのだな、ということがわかります。そしてパーキンソンが進み、体が動かなくなって、毎月送金していた郵便局へ行けなくなったのでしょう。

父の思いがわかった私は、思わずリビングに飾ってある父の写真の前に行くと、「パパ!パパの気持ちがわかった。同じ気持ちで、私があとを引き継ぎますよ!」と涙ながらに報告しました(ほかにも、あちこちの犬猫保護団体にささやかですが寄付や支援物資を送っていますので、どこへもささやかな気持ちになりますが。また、本当は父あてに最後に来ていた振込用紙を使って送金したかったのですが、振込用紙が見つかる前に、もうネットから送金済ませました。)

こうして、高次脳機能障害、囲碁、視覚障害、と導かれるまま世界が広がっていくのは、やはりコウジさんが病気になったからだなあ、と改めて思います。コウジさんは、会社を作ってすぐ病気で倒れて、家族や社員、そのほか今まで色々な人に迷惑をかけてきたなあ、申し訳なかったなあ、と思いますが、それ以上に今いいことをしている、と思う私は、コウジさんの顔を感謝の気持ちとともにしみじみ見つめることも多い今日この頃です。





今、夜の11時をまわったところで、私は迷っています。
今から零時までの間にブログを書くか、来月の講演会向け資料を作るか・・・ 資料提出締め切りは、今月末なのに、今までのんびりしていて、まだ取り掛かっていないのです。だからちょっと焦っています。

でも、ここにこう書いているということは、ブログを書くことを選択したわけですね。よし、明日は1日資料作りにあてます。ちなみに来月の講演会は、「交通事故後遺障害者家族の会」主催で、6月17日(土)に催されます。
→ http://koisyo.com/
会員でなくても参加(無料)できますが、交通事故で重い障害が残った方(とご家族)向けの話になります。

さて、昨日の話の続きですが、囲碁列車が盛駅に着くと、雨の中、出迎えて下さっている方々が沢山いらしたので感激しました。皆さんによって持たれている大きな横断幕には、「碁石海岸で囲碁祭り」にようこそ!歡迎 歡迎光臨大船渡」と書かれてありました。中国語の歓迎文字が書かれてあるのは、囲碁祭りに参加する台湾の学生や引率者の方々も一緒に、囲碁列車から降りたったからです。大船渡市の戸田市長も出迎えて下さっていましたし、NHKのスタッフも待ち構えていて、早速撮影開始されていました。 

→ NHK岩手では、17日に、今回の囲碁祭りの様子が7分にわたり放送されたそうですし、15日の岩手日報(新聞)にも大きく掲載されました。そして明日朝、NHK「おはよう日本」の4時半からと5時半からの2つの時間帯のどこかでそれぞれ、囲碁祭りが放送されるとのこと。囲碁祭りが全国放送で流れるのは、初めてなのだそうです。私はもう録画予約を済ませましたよ。

数年前から関われてきた、多くの人たちの被災地大船渡市や囲碁への思いが、こうして段々大きな形を作られてきているのですね。

送迎バスに乗ってすぐ着いたのは、「リアスホール」という立派な建物でした。これは大震災のあとに作られたホールで、でこぼこした外観は、リアス式海岸をイメージされたのでしょうね。

そこで前夜祭が執り行われ、大船渡市長や商工会議所の方、東北大学などの大学生や高校生のほか、地元の方々もいらしていたようです。私は初めての参加でもあり、ほとんど知らない方たちの中で、ただ驚きながら、式の様子を見ているばかりでした。

(ここで11時59分になりましたので、投稿します。続く。)

大船渡へ2泊3日で出かけた13日から昨日まで、なにかと用事に追われて読めない新聞が溜まっていることが気になっていました。そしてようやく読めた昨日は、溜まっていた10日分の2紙(朝日新聞・東京新聞)のそれぞれ朝刊夕刊全てを読むのに、1時間かかりました。それも大きな見出しと、関心を持った記事だけですが。

そうしたら、なんですか、「共謀罪」というものが衆院法務委員会というところで19日に強行採決され、今日衆院本会議で可決されたそうですね。国民の真意を問うこともなく、安倍さんの思うがままにどんどん進んでいく今の政治って、変ですね~ (私なんてここ最近テレビのニュースも新聞もチェックできていなかったので、浦島太郎になった気分です)。

「特定秘密保護法」、「安保法案」、そしてもし「共謀罪」成立が参議院で阻止できなければ、なぜこんなに早く次々法律ができていくのか、不気味です。多くの国民が政治に無関心なのをいいことに、まるで戦争できる国に向けて国内の体制を整えていくかのよう・・・? 「無知は恥であるどころか罪である。」、と常々思っているくせに、最近つい、のほほんとしていた私も、さすがに早く情報を集めなくては、とようやく心配になり出しました。

そんな時ではありますが、昨日から書き始めた囲碁祭りの話の続きに戻ります。
・・・ 余談ですが、囲碁は平和なゲームなのだそうですよ。先日の囲碁教室で、初心者同士対局していた私のところへ石倉先生がやってこられました。私はそれまで相手の方に、「え、そこじゃなくて、ここに打たないと。ここはアタリだから、取っちゃいますよ。」なんてちょっと偉そうにアドバイスして、相手の方が「あ、ホントだ!」と打ち直すのをニコニコしながら見守っていました。そして心の中で、(うん、なんとなく私の勝ちかな?)、なんて思っていました。ところがいざ整地したら、なんと私が30目以上も大負けていたんです。 

私は、(え~?なんで負けたんだろう。)と不思議でしたが、相手の方も、「なんで勝ったのかわからない。ぼ~っとした感じ。」と言いました。そして2人でぼ~っとしていると、石倉先生が、「そうなんです。それが、囲碁は平和のゲームと言われる点なんです。」と言われました。要するに、将棋やチェスのように王将やキングを取るゲームではなく、囲碁は陣地を作るゲーム。終わっても勝ち負けの実感に乏しく、「やった!勝った!」「悔しい!負けた!」と興奮することはなく(する人もいるでしょうが)、なんとなくぼ~っとしているものなのだそうです(石倉先生そのままの言葉ではありませんが、私が覚えているのは、そんなような言葉でした)。だとすると、囲碁って奥が深く、素敵なゲームですね。頭をすごく使いますし、脳も喜んでいるのがわかります。

・・・ところで安倍首相は、平和のゲーム、囲碁をするのでしょうか?

さて、大船渡の囲碁祭りへ行くことになり、私も13日の朝、集合場所の東京駅に向かいました。集まった「団体さんご一行」で東北新幹線に3時間ほど乗ると、新花巻駅に着き、そこから「囲碁列車」で釜石を経由して盛駅に着いたのは、さらに3時間後。朝早く東京を出たのに、盛に着いたのは夕方です。でも、電車の中でおしゃべりしたり囲碁をしたりしていたので、あっという間でした。

この「囲碁列車」というのは、この年1回の囲碁祭りのために特別に走らせてくれることになった電車で、JR(新花巻~釜石)と三陸鉄道(釜石~盛)が同じ電車に乗ったまま直通になっているため、電車ファンが通過駅のホームでこちらに向けてカメラを構えていたくらい、珍しいものだそうです。電車の中では、皆さん早速碁盤を広げて、囲碁を打ち始めました(天気も3日間ずっと雨で車窓の景色を楽しむこともなかったため、よけい囲碁に集中しました)。

そしてこの時に使用した碁盤セットが、「アイゴ」と言って、視覚障害者の方たちが使用する、特別の碁盤と碁石です。ワッフルのように線が立体に浮き出た碁盤に、裏にへこみの入った碁石をはめ込んで打つため、電車が揺れても碁石は碁盤から滑り落ちません。黒石と白石を区別するために、黒石の表面に小さな突起がついていて、視覚障害の方たちはそれで打つことができるのです。この「アイゴ」があれば、どんな電車でも誰でも席を向い合わせたら道中囲碁を楽しめますね。

視覚障害の方たちは、打たれた碁石を、手でさわって確認し、次の一手を打ちます。頭の中で碁盤上の碁石が見えているのです。これは本当にすごいことだと思います。目が見えている私が、とてもかなわない強い視覚障害の方たちがいっぱい。(つまり囲碁は、老若男女、国、障害あるなしに関わらず、皆で楽しめるゲームだということなんです!)

今回の囲碁祭りは、昨日ここに書いたように「第1回全国盲学校囲碁大会」を兼ねており、その実行委員長である柿島光晴氏は、日本視覚障害者囲碁協会代表理事を務められ、アマ4段の腕前をお持ちなのです。柿島さんは、視覚障害者に囲碁を広めたくて、今まで既に国内の盲学校25校を訪問し、アイゴを寄贈してこられました。

この盲学校囲碁大会には、国内だけでなく台湾の盲学校からも生徒たちが参加しました。 その盲学校の生徒たちの交通費や宿泊費をまかなうための資金が、どうしても100万円不足しているそうです。柿島さんは、「盲学校生徒と被災地(大船渡市)復興の両方を応援する国民行事「大船渡大会」を発展させていくには、皆さまのお力が必要です。どうかご支援よろしくお願い致します」と訴えられていて、現在クラウドファンディングで支援を6月末まで呼びかけています。どうぞここをお読みいただき、少しでも皆様からご支援を頂けると嬉しいです。(アイゴの説明等があり、視覚障害者のことを少しはわかって頂けるかと思うので、お読み頂けるだけでもすごく嬉しいです。 さらに、去年の囲碁祭りの動画も見られますよ!)  
→ https://readyfor.jp/projects/12110

尚、今日入った情報ですが、この「盲学校囲碁大会」の様子が、あさって25日にNHKで放送されるそうです。時間が早くて、朝4時半(くらい)からと、5時半(くらい)の2回だそうですが、「おはよう日本」内で全国放送です。是非ご覧下さい!

ではまた次回に続きます。
(つづく)


今日の東京は昨日に引き続き、非常に暑かったです。なのに、よりによって一番暑い午後2時にウメがワンワン騒ぎ出したので、なるべく日陰を選んで散歩しましたけれど、その時間にあんまり日陰はありませんでしたから、日焼けしてしまいました。勿論、散歩している犬は、ほかに1匹もいませんでしたよ。やはりこれからの季節、犬の散歩は朝早くと夕方遅くがいいですね。

さあ、やっと今日から「碁石海岸で囲碁まつり」の話に入れます。

これまでの経緯をご存知ない方に説明しますと、私が夫の高次脳機能障害症状改善を期待して、囲碁を始めたのは2月のこと。木谷正道さんが呼びかけ人となり、「囲碁・高次脳機能障害プロジェクト」なるものが始まったのです。でも私も夫も全くの初心者で、私は碁石をマスの中に入れるのだと思っていたくらいですから、前途多難に思えました(線の交わるところに置くのですよ)。けれど同じ初心者でも、夫の方が囲碁に対するセンスがあるな、という気が、そばで見ていて最初からしていました。

4月からは、『ヒカルの囲碁入門』著者である、石倉昇九段の囲碁教室(カルチャースクール)が近所にあるのを知って入り、初心者の方たちと和気藹々、石倉先生を始めとする優しい先生方に教わりながら、久しぶりに「新しいことを学ぶことの楽しさ」を体感しているところです。帰宅すると夫に教え、一緒に打ちますが、やっぱりなぜか夫の方が理解がいいようです。説明している私の方がわからなくなるのを、せせら笑う夫。おかしいな、こんなはずではなかったのだけれど、きっと元々の囲碁に対するセンスというものは、健常者でも障害者でも同じように、ある人もいればない人もいるのではないか、という気がします。

そんな私を、木谷さんは今月13日から15日まで開かれた大船渡での囲碁祭りにお誘い下さっていたのですが、コウジさんが倒れてからというもの、3日も家を空けたことはなく(せいぜい遠方での講演の1泊だけ)、その間コウジさんに犬猫の世話をしてもらわなくてはならないし(ワッチは大体家にいないことが多いので)、月曜日はコウジさんも会社なのに、1人で色々な用意はできないと思い(特に火の始末)、無理無理、と思っておりました。

ところで今回で4回目(つまり4年目)になるという、大船渡市での囲碁祭りは、被災地支援の目的が強いですが、大船渡市に「碁石海岸」という場所があることから、本来ならずっと昔からあっても良かったお祭り(催し)ですね。(すみません、こう書きながらまだ不勉強で、もしかしたら震災前にはあったのかな・・・?)

そして今年このお祭りは、メインイベントとして「第1回全国盲学校囲碁大会」も開き、日本国内の盲学校の学生さんたちだけでなく、台湾の盲学校の学生さんたちも参加されるという、大きなお祭りになりました。
今回は高次脳機能障害は関係はないけれど、視覚障害者が囲碁をされるということにかねてからとても興味があった私は、参加申込締切が迫ってくる中、段々心が動いてきていました。最後は、コウジさんの、「自分は大丈夫だよ。なんとか留守番できるよ。行っておいでよ。」という声に背中を押してもらい、参加することにしました。本当は行きたい私のことを気遣ってくれた、優しいコウジさんです。

出発前日には、大きなカレンダーの裏側を使い、3日間毎日コウジさんがすることを、黒いマジックで細かく書き、特に気を付けることは赤字で書いて、冷蔵庫に貼りました。

たとえば、犬猫の餌と水やり、犬の散歩、猫のトイレ掃除、家のモップかけ(犬猫の抜け毛掃除)、月曜日のゴミ出しの仕方、食事のこと(冷凍庫にあるもの、デリバリー頼めるもの、買いに行けるお弁当屋さんやカップラーメンの在庫情報など)、花壇の花の水やりなど。 でも、この中の半分もできればよしとし、火事で家が燃えたり事故で怪我をしなければもうそれだけでいい、と思っていました。

近所の方がたには、私が3日間大船渡へ行っていていないことを伝えておきました。そうすれば、コウジさんが何か路上で困っていた時には、(ああ、奥さんいないんだ。)と思い出して、助けてくれると思いますし、何か家で不審なことが起きていたら、連絡してもらえるかもしれないですし。・・・こういう気遣いで、出発前からぐったりしていた私です。

最後は私の母とコウジさんの母の2人に、「時々コウジさんに電話してあげてね。」と頼んでおきましたが、大船渡から戻ってコウジさんの携帯の着信記録を見ますと、2人の母から合計30回も着信していました(笑)。これではコウジさんは、1日中電話応対で、忙しかったでしょうね。
でもおかげで家は燃えていなかったですし、犬猫も元気でいてくれましたので、帰宅した時には本当にほっとしましたよ。それ以上にほっとしたのはコウジさん自身だったようで、もうくたくたのようでした。エライ!コウジさん、頑張った!有難う!

ただ、東京も大船渡と同様雨がちだったそうで、家中の床は、ベランダと家の中を行き来していた犬猫たちのせいで、泥だらけでした(コウジさんもワッチも、全然気にしていなかった)。だから帰宅してから1時間は、いきなり床拭き掃除に追われた私です。

大船渡に滞在中、私はずっと家のこと(コウジさんのことや犬猫のこと、植木や花のこと、火事、ゴミ出し)が気になって電話ばかりしていましたけれど、こういうのは、ほかの参加者とは違う点なのだろうな、と思いました。

つづく

なかなかここへブログを書きにこられず、2週間も経ってしまいました。

その間、夫の病院付き添い、母の病院付き添いはいつものごとくありましたし、昨日は2度目になる森山良子さんのコンサートへ夫コウジさんと行き、今日は今日で雅楽師の東儀秀樹さんの歌と演奏を聴きに、近所へウメと出かけてきました(というより、東儀さんの演奏時間とウメの散歩時間が重なってしまい、仕方なくウメ連れでステージから遠い場所で聴いていただけです。ウメが騒いだら、すぐステージから離れようと思っていたのですが、幸いウメは、気持ちよい夕方の風が吹く中、大人しく一緒に聴いていました)。

東儀さんはもう10年以上前から、愛する地元の町がすたれないよう、けれど大きくなり過ぎない程度に活性化できれば、という気持ちから、とてもローカルなこの年一回の音楽祭に出演して下さっています。有難いなあ。

私は何年か前、まだこの音楽祭の存在を知らなかった頃、たまたま夕食の買い物で駅そばまで来たら、なにやら心地よい音楽が駅の方から聴こえてくるじゃありませんか。でもあまり気にしないでそのまま地下のスーパーで買い物をし、帰ろうと思ってまた地上へ出たら、まだそのきれいな音楽が聞こえていました。

そこで思わず買い物袋をぶらさげたまま、音楽に引き寄せられて駅前へ行くと、すごい人だかり。そして皆の視線の先のステージを見ると、そこにはなんと、篳篥(ひちりき)を吹く東儀秀樹さんの颯爽とした姿が。
(なぜここに東儀さんが?)とのけぞった私は、気を落ち着かせてそのままずっと聴いていましたが、本当に素晴らしかったです。
それ以来毎年のようにこの音楽祭を楽しみにしていて、今や東儀さんのCDや著書は大体持っているほどのファンになりました(夫コウジさんも、娘ワッチも)。

それにしても、篳篥という楽器はとてもきれいな音色なんですよね。最近ワッチは篳篥を習いたいと言っています。私としては、ワッチかコウジさんにギターを習って欲しいのですが、2人ともその気はないようなので、がっかり。私もギターに向いていないようで、一時練習したこともあるのですが、てんでダメでした。

今日もコウジさんは一人で聴いていましたし、私はウメと聴けましたが(ステージ裏からなので、東儀さんの姿は全く見えませんでしたけど)、ワッチは家から出るのが面倒で、悩んだ末今年は断念しました。勿体ないなあ。

昨日の森山良子さんのコンサートも、2月に初めて行って感激し、すぐまたコンサートを探して予約、ずっと楽しみにしていたものです。とても69歳とは思えない若々しさ、可愛らしさ、そして歌の上手さにまたもや夫と感動した1日でした。

ところで、実は私は、なんとなんと、13日~15日の3日間、岩手県大船渡市で行われた囲碁祭りへ行ってきたのでした。

事前にそのことについて書こうと思ったのですが、とてもその時間的余裕がなく、帰ってきてから書こうと思ったのですが、やはり今までその時間的+心の余裕がなかったのです。そして今日もあと5分を残すのみとなりましたので、大船渡での話は明日以降に書きます。

色々書きたいことがありますので、お楽しみに!

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