昨日ワッチ(娘)の洗濯物をよく見ないで洗濯機に入れたら、洗濯を終えて洗ったものを取り出すと、赤いパスケースが洗濯機の底に残っていました。あ~あ、ポケットに入れたままだったんだな、とがっかり。
どこで買ったものなのか記憶にないけれど、革製のかわいいケースなので、パスモと学生証と一緒にベランダで大事に干しました。
コウジさんの白い下着と、コウジさんが使う白いバスタオルにも赤い色がついてしまいましたが、ほかの衣類やタオルはセーフだったので、大学が休みで遅く起きてきたワッチと、ほっとしました(コウジさんには、まだ言っていません)。
さて今朝のこと。雨の日は自転車に乗らないワッチを、仕方なく駅まで送りました。雨の日はこれがあるから、忙しいのです。歩けばいいのだけど、大学まで遠いので、せめて最寄駅までは楽させてあげようという親心。
するとさっき駅で別れたはずのワッチから、すぐメールが。何だろう、忘れものかな、と読みますと、やはりパスモは洗濯したら使えなくなっていて、再発行が必要なのだとのこと。今朝は駅員さんが改札を通してくれたとのこと。そうなのかあ、やっぱりダメだったかあ。再発行手続きも面倒だけど、しなくちゃね(ワッチが)。
雨がそんなに大降りでもないので、今度は会社へ行くコウジさんに、「歩いて行く?」と聞きました。するとコウジさんは、「やだよ!頼むよ、ママちゃん。ワッチだけ送るなんて、なしだよ。」と甘えますので、また仕方なく車を出しました。私なんて、誰も駅まで車で送ってくれないのに、うちの家族は皆甘えん坊だよね。
ところが雨の影響もあるのでしょうか、帰りに踏み切りに引っかかると、それが全然開かず、目の前を上り下りの合計7本の電車が通り過ぎました。その間12分!開かずの踏切です。私もイライラしましたが、傘をさして待っている通勤通学の人たちはもっと気の毒で、やっと開いたらそういう人たちに先に踏み切りを通ってもらい、いざ私が車で踏切を渡ろうとすると、向こう側からも長蛇の列になっていた車が殺到してきました。
業務用の大きなトラックも多く、狭い道ですれ違えるのだろうか、でも待っていた順番からいえば私の方が優先でしょう、とまたしてもイライラしながら、車をゆっくり勧めたり、ドアミラーが電柱にぶつからないように引っ込めたり。もうこれは電柱にぶつかるか、トラックとこするかしても仕方ないかも、と観念したくらいでしたが、トラックがうまくよけてくれて、無事通ることができました。ああ、もう、朝からイライラ、汗びっしょりです。
駅が近くて便利なのはいいのですが、家の周りは踏切だらけで、1回引っかかると3本電車が通るまで待つのはざら。ワッチも「ほんと、踏切って邪魔だよね。」といつも文句を言ってますが、仕方ないねえ。
そんなわけで、コウジさんを送って帰ってくるまで、30分もかかってしまいました。普通だったら10分以内には戻ってこられるのに。ウメが心配するといけないので、NHKニュースをつけたままでしたが、朝の連続ドラマになっていました。ウメはテレビの前で、すやすや寝ていました。ああ、これから雨の中、ウメの散歩です。
ところで前置きが長くなりましたが、「碁石海岸で囲碁祭り」の話を進める前に、ちょっと今日はほかの話をします。
昨日の朝、NHKの「おはよう日本」で4時41分と5時40分からそれぞれ5,6分ずつ放送された「囲碁祭り」の全国ニュース。とてもよく内容がまとまっていて、さすがNHK、という出来でした。有難うございました。
全盲の棋士でアマ4段の柿島光晴さんの熱い思い、開会式の様子、小学1年生の時に病気で全盲となった吉光駿君(現在12歳)の選手宣誓や、台湾の盲学生、顔さんとの対局、岡田結美子6段や囲碁が強い東北のボランテイアの大学生たちが教えてくれる様子など、何度も録画を繰り返し見ました。
中でも一番感動したのは、駿君と顔さんが対局後、「会えてうれしい。」「これからも交流をしたい。」「言葉が通じない人とでも楽しめた。学校の友達にもどんどん囲碁を広めていきたい。」と話していたことです。
駿君のお父様の俊貴さんも、「1つ取り組むものができたのが大きい。自分のことを自分の意志でやっているところを見ることができる。」と喜んでいらっしゃいました。
囲碁は老若男女、国、障害の有無を問わず、誰もが楽しめ、互いに仲良くなれ、しかも頭の体操にもなるという、実は素晴らしいゲームなんだということが、私にもわかってきました(問題は、ここ1週間は全然練習する時間がなくて、また忘れてしまっていること。私のような超初心者は、1日練習しないと、1週間戻るような気がします。まだ大してわかっていないので、スタート地点に戻るということです。明日の囲碁教室も、また初日の時の私だと思いますが、頑張って行きますよ)。
「碁石海岸で囲碁祭り」は、「第1回全国盲学校囲碁大会」を兼ね(というより、それがメインイベントでした)、その実行委員長の柿島さんに、「目が見えない世界というのは、どういうものなのか知りたい。」とあからさまに質問しました(いえ、ある方にそう言ったら、その方がすぐ柿島さんのところへ行き、「柴本さんが、目が見えない世界を知りたいそうですよ!」と言われたので、後に引けず、わあ、失礼だと思われるのでは、と身を縮めながら柿島さんの前に行って、話を伺ったというのが真実です。ついでにそのままペア囲碁をさせて頂くことになりましたが。その話は後日)。
柿島さんは、一番いいのは、今外苑前で催されているイベント、「ダイアローグ イン ザ ダーク」に参加されることですよ、と言われました。そのイベントは、岡田六段も、「娘と参加してとても良かった。」、と会場の皆に向かって勧められていたものです。
帰宅してすぐ調べ、コウジさんと一緒に参加しようと思い、来月下旬の日曜日を予約しました (結構予約がいっぱいです)。目が見えないとはどういうことか、とウメと散歩しながら時々目をつむって歩いてみたり、家でも目をつむってみたりするようになりました。家の中ならまだ安全ですが、外で見えないというのは、車や穴ぼこ、段差など危険がいっぱいですね。
まだ囲碁同様、視覚障害者の世界は入口に立ったところです。でも、これから中に入って学んでいき、特に視覚障害者のためになにかできることはないか、考えていきたい、という気持ちを強く持っています。きっと私ができることより、教わることの方がずっと多いだろうことは、もうわかっていますが。
今回、点字図書館の田中理事長ご夫妻とも面識を得ました。
実は私の父が1年半前に亡くなった後(もうそんなに経つなんて。まだこの間のようです)、実家に点字図書館から郵便物が届いていました。実家に届く郵便物は私が全て確認するようにしていますので、それを見ながら母に尋ねますと、父は生前、点字図書館やユニセフ、その他の団体に寄付をしていたそうです。
それで、私も父の遺志を継ぎたいと思い、振込用紙の入った去年秋に送られてきていた封筒を持ち帰ってきたものの、昨日まで紛失して見つかりませんでした。(振り込もう、あとで読もう、と思ってどこかにしまうと、かえってどこにしまったか忘れてしまうことがよくあります。結局、『ノーマライゼーション』今年1月号にはさまっているのが、見つかりました。この号には、柿島さんが冒頭カラー記事で特集されていますので、そこに私なりの気持ちではさんでいたのでしょう。)
まさか、理事長ご夫妻と話せるなんて思ってもいませんでしたが、気さくに話して下さるうちに、昔からの知り合いのような気さえしてきました。そして実は父が寄付していたので、私もしようと思っているけれど、振込用紙がどこかへ行ってしまい、探しているところだという話もしましたら、父の名前を聞かれました。
少し驚きながらも喜んで答えますと、メモされたわけでもなく、一度聞いただけの私の父の名前を覚えて下さり、後日連絡を頂きました。それによりますと、スタッフに調べてもらうと、私の父は1994年から2012年まで寄付していたそうです。1994年といえば、父が60歳になった年。2012年といえば、パーキンソンと診断され、身体が動かなくなって自由にどこへも行けなくなった年。
そう考えますと、父は定年退職となった年(実際はもう少し長く働いていましたが)から、新たに自分ができる社会貢献として、寄付という道を選んだのだな、ということがわかります。そしてパーキンソンが進み、体が動かなくなって、毎月送金していた郵便局へ行けなくなったのでしょう。
父の思いがわかった私は、思わずリビングに飾ってある父の写真の前に行くと、「パパ!パパの気持ちがわかった。同じ気持ちで、私があとを引き継ぎますよ!」と涙ながらに報告しました(ほかにも、あちこちの犬猫保護団体にささやかですが寄付や支援物資を送っていますので、どこへもささやかな気持ちになりますが。また、本当は父あてに最後に来ていた振込用紙を使って送金したかったのですが、振込用紙が見つかる前に、もうネットから送金済ませました。)
こうして、高次脳機能障害、囲碁、視覚障害、と導かれるまま世界が広がっていくのは、やはりコウジさんが病気になったからだなあ、と改めて思います。コウジさんは、会社を作ってすぐ病気で倒れて、家族や社員、そのほか今まで色々な人に迷惑をかけてきたなあ、申し訳なかったなあ、と思いますが、それ以上に今いいことをしている、と思う私は、コウジさんの顔を感謝の気持ちとともにしみじみ見つめることも多い今日この頃です。
どこで買ったものなのか記憶にないけれど、革製のかわいいケースなので、パスモと学生証と一緒にベランダで大事に干しました。
コウジさんの白い下着と、コウジさんが使う白いバスタオルにも赤い色がついてしまいましたが、ほかの衣類やタオルはセーフだったので、大学が休みで遅く起きてきたワッチと、ほっとしました(コウジさんには、まだ言っていません)。
さて今朝のこと。雨の日は自転車に乗らないワッチを、仕方なく駅まで送りました。雨の日はこれがあるから、忙しいのです。歩けばいいのだけど、大学まで遠いので、せめて最寄駅までは楽させてあげようという親心。
するとさっき駅で別れたはずのワッチから、すぐメールが。何だろう、忘れものかな、と読みますと、やはりパスモは洗濯したら使えなくなっていて、再発行が必要なのだとのこと。今朝は駅員さんが改札を通してくれたとのこと。そうなのかあ、やっぱりダメだったかあ。再発行手続きも面倒だけど、しなくちゃね(ワッチが)。
雨がそんなに大降りでもないので、今度は会社へ行くコウジさんに、「歩いて行く?」と聞きました。するとコウジさんは、「やだよ!頼むよ、ママちゃん。ワッチだけ送るなんて、なしだよ。」と甘えますので、また仕方なく車を出しました。私なんて、誰も駅まで車で送ってくれないのに、うちの家族は皆甘えん坊だよね。
ところが雨の影響もあるのでしょうか、帰りに踏み切りに引っかかると、それが全然開かず、目の前を上り下りの合計7本の電車が通り過ぎました。その間12分!開かずの踏切です。私もイライラしましたが、傘をさして待っている通勤通学の人たちはもっと気の毒で、やっと開いたらそういう人たちに先に踏み切りを通ってもらい、いざ私が車で踏切を渡ろうとすると、向こう側からも長蛇の列になっていた車が殺到してきました。
業務用の大きなトラックも多く、狭い道ですれ違えるのだろうか、でも待っていた順番からいえば私の方が優先でしょう、とまたしてもイライラしながら、車をゆっくり勧めたり、ドアミラーが電柱にぶつからないように引っ込めたり。もうこれは電柱にぶつかるか、トラックとこするかしても仕方ないかも、と観念したくらいでしたが、トラックがうまくよけてくれて、無事通ることができました。ああ、もう、朝からイライラ、汗びっしょりです。
駅が近くて便利なのはいいのですが、家の周りは踏切だらけで、1回引っかかると3本電車が通るまで待つのはざら。ワッチも「ほんと、踏切って邪魔だよね。」といつも文句を言ってますが、仕方ないねえ。
そんなわけで、コウジさんを送って帰ってくるまで、30分もかかってしまいました。普通だったら10分以内には戻ってこられるのに。ウメが心配するといけないので、NHKニュースをつけたままでしたが、朝の連続ドラマになっていました。ウメはテレビの前で、すやすや寝ていました。ああ、これから雨の中、ウメの散歩です。
ところで前置きが長くなりましたが、「碁石海岸で囲碁祭り」の話を進める前に、ちょっと今日はほかの話をします。
昨日の朝、NHKの「おはよう日本」で4時41分と5時40分からそれぞれ5,6分ずつ放送された「囲碁祭り」の全国ニュース。とてもよく内容がまとまっていて、さすがNHK、という出来でした。有難うございました。
全盲の棋士でアマ4段の柿島光晴さんの熱い思い、開会式の様子、小学1年生の時に病気で全盲となった吉光駿君(現在12歳)の選手宣誓や、台湾の盲学生、顔さんとの対局、岡田結美子6段や囲碁が強い東北のボランテイアの大学生たちが教えてくれる様子など、何度も録画を繰り返し見ました。
中でも一番感動したのは、駿君と顔さんが対局後、「会えてうれしい。」「これからも交流をしたい。」「言葉が通じない人とでも楽しめた。学校の友達にもどんどん囲碁を広めていきたい。」と話していたことです。
駿君のお父様の俊貴さんも、「1つ取り組むものができたのが大きい。自分のことを自分の意志でやっているところを見ることができる。」と喜んでいらっしゃいました。
囲碁は老若男女、国、障害の有無を問わず、誰もが楽しめ、互いに仲良くなれ、しかも頭の体操にもなるという、実は素晴らしいゲームなんだということが、私にもわかってきました(問題は、ここ1週間は全然練習する時間がなくて、また忘れてしまっていること。私のような超初心者は、1日練習しないと、1週間戻るような気がします。まだ大してわかっていないので、スタート地点に戻るということです。明日の囲碁教室も、また初日の時の私だと思いますが、頑張って行きますよ)。
「碁石海岸で囲碁祭り」は、「第1回全国盲学校囲碁大会」を兼ね(というより、それがメインイベントでした)、その実行委員長の柿島さんに、「目が見えない世界というのは、どういうものなのか知りたい。」とあからさまに質問しました(いえ、ある方にそう言ったら、その方がすぐ柿島さんのところへ行き、「柴本さんが、目が見えない世界を知りたいそうですよ!」と言われたので、後に引けず、わあ、失礼だと思われるのでは、と身を縮めながら柿島さんの前に行って、話を伺ったというのが真実です。ついでにそのままペア囲碁をさせて頂くことになりましたが。その話は後日)。
柿島さんは、一番いいのは、今外苑前で催されているイベント、「ダイアローグ イン ザ ダーク」に参加されることですよ、と言われました。そのイベントは、岡田六段も、「娘と参加してとても良かった。」、と会場の皆に向かって勧められていたものです。
帰宅してすぐ調べ、コウジさんと一緒に参加しようと思い、来月下旬の日曜日を予約しました (結構予約がいっぱいです)。目が見えないとはどういうことか、とウメと散歩しながら時々目をつむって歩いてみたり、家でも目をつむってみたりするようになりました。家の中ならまだ安全ですが、外で見えないというのは、車や穴ぼこ、段差など危険がいっぱいですね。
まだ囲碁同様、視覚障害者の世界は入口に立ったところです。でも、これから中に入って学んでいき、特に視覚障害者のためになにかできることはないか、考えていきたい、という気持ちを強く持っています。きっと私ができることより、教わることの方がずっと多いだろうことは、もうわかっていますが。
今回、点字図書館の田中理事長ご夫妻とも面識を得ました。
実は私の父が1年半前に亡くなった後(もうそんなに経つなんて。まだこの間のようです)、実家に点字図書館から郵便物が届いていました。実家に届く郵便物は私が全て確認するようにしていますので、それを見ながら母に尋ねますと、父は生前、点字図書館やユニセフ、その他の団体に寄付をしていたそうです。
それで、私も父の遺志を継ぎたいと思い、振込用紙の入った去年秋に送られてきていた封筒を持ち帰ってきたものの、昨日まで紛失して見つかりませんでした。(振り込もう、あとで読もう、と思ってどこかにしまうと、かえってどこにしまったか忘れてしまうことがよくあります。結局、『ノーマライゼーション』今年1月号にはさまっているのが、見つかりました。この号には、柿島さんが冒頭カラー記事で特集されていますので、そこに私なりの気持ちではさんでいたのでしょう。)
まさか、理事長ご夫妻と話せるなんて思ってもいませんでしたが、気さくに話して下さるうちに、昔からの知り合いのような気さえしてきました。そして実は父が寄付していたので、私もしようと思っているけれど、振込用紙がどこかへ行ってしまい、探しているところだという話もしましたら、父の名前を聞かれました。
少し驚きながらも喜んで答えますと、メモされたわけでもなく、一度聞いただけの私の父の名前を覚えて下さり、後日連絡を頂きました。それによりますと、スタッフに調べてもらうと、私の父は1994年から2012年まで寄付していたそうです。1994年といえば、父が60歳になった年。2012年といえば、パーキンソンと診断され、身体が動かなくなって自由にどこへも行けなくなった年。
そう考えますと、父は定年退職となった年(実際はもう少し長く働いていましたが)から、新たに自分ができる社会貢献として、寄付という道を選んだのだな、ということがわかります。そしてパーキンソンが進み、体が動かなくなって、毎月送金していた郵便局へ行けなくなったのでしょう。
父の思いがわかった私は、思わずリビングに飾ってある父の写真の前に行くと、「パパ!パパの気持ちがわかった。同じ気持ちで、私があとを引き継ぎますよ!」と涙ながらに報告しました(ほかにも、あちこちの犬猫保護団体にささやかですが寄付や支援物資を送っていますので、どこへもささやかな気持ちになりますが。また、本当は父あてに最後に来ていた振込用紙を使って送金したかったのですが、振込用紙が見つかる前に、もうネットから送金済ませました。)
こうして、高次脳機能障害、囲碁、視覚障害、と導かれるまま世界が広がっていくのは、やはりコウジさんが病気になったからだなあ、と改めて思います。コウジさんは、会社を作ってすぐ病気で倒れて、家族や社員、そのほか今まで色々な人に迷惑をかけてきたなあ、申し訳なかったなあ、と思いますが、それ以上に今いいことをしている、と思う私は、コウジさんの顔を感謝の気持ちとともにしみじみ見つめることも多い今日この頃です。