日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2017年09月

IMG_2396


今日の夕方、高円寺で開かれていた小西修さんの写真展へ行ってきました。
小西さんにもお会いすることができましたので、了解を得て写真を載せます。(カッコイイですね~!)

小西さんの横に写っているのは、来年のカレンダーです。そのうち小西さんのHPでお求めになれると思いますが、1部1600円の売上の100%が、多摩川でやっと生き永らえている犬猫の救済基金になるそうです。(ぜひ、ご協力を!)

以下、帰宅後小西さんへ送った感想の一部ですが、こう感じました。
「小西さんの写真は猫を写しているようでいて、実は人間の醜さ、身勝手さを写しているので、半分たくましく生きる猫への敬意を感じ、半分醜い人間への怒りを感じます。
同じ人間として猫に申し訳ない思いでいっぱいになりますので、写真を一瞬直視できなくなりますが、(えい!現実を見なければ!)(もういないかもしれない、あるいはいないことがわかっている彼ら彼女らがたしかに生きていた証として、私の目に焼き付けたい。)という思いで1枚1枚見つめました。」

多摩川で必死に生きている尊い命を持つ猫たち(犬もいます)を、まず捨てる人間がいるということ。次にそういう不遇な猫たちを虐待して怪我させたり殺したりする人間がいるということ。多摩川の猫たちは、人間の持つ醜さ、愚かさを教えています。

そういう人間とは反対に、小西さんご夫妻のように、毎日寝る間も惜しんで猫たちの世話をされている神様のような人間もいる、というのが素晴らしいことです。けれど30年近くもこのような活動をされているのに、同じように継続して活動できる方はいないようです(私もとてもじゃありませんが、できません)。その理由は、虐待する人たちとの軋轢で多くの善意のボランテイアの方たちは、神経をすり減らしてしまうからだそうです。ですから、こういう活動を続けるには、なるべく傷つかないよう、自分を鈍感にする術が必要なのだそうです(それでもやはり、当然ながら傷つくそうです)。

また、虐待している人にやんわりと注意することが大事で、こちらも逆切れしてしまうと、そういう虐待する人の矛先は、やはり弱い猫たちに向けられるそうなんです。(本当にどこまで腐った人たちなんだろう!あるいは、精神が非常に病んでいる人でもある。)そういう人たちの心を入れ替えてもらえるには?虐待しないようにしてもらうためには?簡単には解決しない問題ですが、解決しないといつまでも可哀想な犬猫たちは救われません。

それに、このような活動にはお金がかかりますし(餌代、治療代ほか)、体力だって必要です。小西さんご夫妻だって、100歳まではできませんし、誰かが継続していかなくてはなりません。そういう人が、30年出てこないというのは、やはり小西ご夫妻は、本当に稀有な存在なのです。

買ってきたカレンダーを早速見ているコウジさんに、「どうしたらいいのだろうねえ。」と聞きました。コウジさんは高次脳機能障害ですが、最近時々すごく冴えた答えをします。高次脳機能障害が改善してきて、以前のコウジさんの頼りになる部分が復活してきたのかもしれません。

コウジさんは、「運に任せるしかないよ。」と答えました。「また小西さん夫妻のような人が出てくるのは、運だよ。」と。「そうかあ・・・神様は、小西さん夫妻に白羽の矢を立てたように、いつかはほかの人に狙いを定め、その人が出てくるのね。それは運なのね。」と、私は心細い話だ、と思いながらも、その話には真理があるように思いました。

あるいは、小西ご夫妻の2人分の働きを、100人くらいで分担すれば、継続できるかもしれない、という私の考えもあります。そのためには、活動を組織化しないとなりませんが。
どうしたものか、これからも考えて行きたいと思います。

尚、写真展は明日まで、高円寺から徒歩4分の、「ギャラリー・来舎」(杉並区高円寺北2-37-5)でやっています。時間は14時~18時です。

ところで今日の私は、写真展と午前の囲碁教室へ行った以外は、冴えない日だったんです。(いつも冴えていませんが、今日は特に。)

まず、家でコンタクトレンズを洗っていたら、いきなり「ピンポーン」と誰かが来ました。コンタクトレンズを持ったまま、「はあい?」と窓越しに顔を出しますと、1人のおじさんがいて、「研ぎ屋ですが、御用ありますか?」と聞きます。色々な人が来ますが、包丁を研ぐ人が御用聞きに来るのは、珍しい。でも急いでいたので、「ないです。」と断り、また洗面所へ戻ってコンタクトレンズを再び洗い始めたら、中断されて集中力が疎かになっていたせいと急いでいたせいで、レンズを流してしまいました。あ~・・・
ショックでしたが、もう作って1年は経っているので、新しく替え時かもしれません。月曜日に眼科へ行くことにし、とりあえず古いレンズがあったのを装着して出かけました。あんまり良いことではないのですが。

小西さんの写真展は、「高円寺」なんです。けれどなぜか私は「高井戸」だと思い込んでいました。高井戸は井の頭線ですが、東横線渋谷駅から井の頭線は、東横線が工事で地下5階に潜って以来、すごく歩くようになったんです。それで延々と歩き、やっと井の頭線に乗って座ってホッとした途端、急に自分は高円寺と高井戸を混同しているのではないか?という嫌~な気持ちが湧いてきたのです。バッグから案内状を取り出して確認すると、やはり「高円寺」とあります。しかし電車の中の路線図を見上げて見ても、「高円寺」という駅名はありません。午前の囲碁教室で頭を既に沢山使ってしまったので、全然頭が回らなくなってキョロキョロと挙動不審になっていた私を、隣で本を読んでいたおじさんはちら、ちら、と見ていました。そのおじさんに、思い切って話しかけました。「すみません。この電車は、高円寺は行きませんか?」と。

おじさんは本から顔を上げると、「え?高円寺?行きませんよ。」と驚いたように答えてくれます。私が焦った顔をしていたのでしょう、「高円寺ならこのまま吉祥寺へ行って乗り換えもできますが、ほら、今ここで(下北沢駅でした)降りて、小田急に乗り換えて新宿まで行って中央線に乗るといいですよ。」と、瞬時に的確なアドバイスをくれました。その凄さに感動しながらも私は飛びあがるとお礼を言い、すぐ電車を降りました。

下北沢駅で小田急線に乗り換えるのもかなり歩きましたし、新宿から中央線快速に乗ったのに、休日は高円寺を飛ばすというアナウンスがあって仕方なく中野で各停に乗り換えましたし、その各駅電車もホームが離れていてわかりづらくて探すのに苦労しましたし、最初に高円寺と高井戸を間違えた自分を呪いながら歩きました。
私はもっと年を取ったら、電車に間違えることなく乗れる自信がなくなりました。電車に乗るという行動も、センスや適性が必要なのではないでしょうか?年取ったら車の運転も危なくなるし、電車も自信ないとなると、歩き回れる近所くらいしか、行動できなくなりそう。とすると、もっと年を取ったら、それこそなるべく便利なところにいた方がいいだろうなあ・・・。

でも、初めて降りた高円寺の町は、とても活気があって住み易く楽しそうな町でしたよ。おまけに私の家の近くではまだ売っていないパンジーが売っていたので、葉っぱが沢山ついた美味しそうな?鉢を3つ買いました。ツマグロヒョウモンの幼虫たちが喜ぶぞ~。明日から、もっとレスキューできるよう、ウメの散歩の時には目を皿のようにして歩こう、と思いました。

最後に、コンタクトレンズの話が出てきたので余談になりますが、最近特に目が見えづらくて困っています。元々ド近眼でしたが、コンタクトレンズや老眼近眼両用メガネでも、近くのもの、手元のものが焦点が合いません。裸眼で目をくっつけて見るのが、一番見えます。
宅急便を送ろうとすると、郵便番号を記入する欄がよく見えません。7つの枠がありますが、薄い印字なのと枠がくっついているので、その枠に1つ1つ数字を入れるなんて芸当が、できなくなりました。なので、適当に書くものですから、きっと枠をまたいで書いていると思います。

今日のお昼くらいにも、駅でワッチの通学定期の継続をしてきたんですが(クレジット決済なので、私が購入)、申請用紙に書いてある小さな字が見えないんです。多分こんなことが書いてあるのだろう、と推測して適当に記入しましたが、これはなんとかしないと、実に不便です。これも老眼なのでしょうか。老眼の人は、皆さんこんなに不便なのでしょうか。老眼用のコンタクトレンズってあるのかしら、とにかく月曜日は眼科受診に決まりました。

ではまた。

昨日の私のブログにコメント下さった、sheepさん。 そして、最近コメント下さったyuuki さん。 そして、そのほかの、このブログを読んで下さっている高次脳機能障害者家族の皆さんへ。

このブログやコメント欄は、皆さんが繋がったり共感できる、ほっとできる居場所かもしれません。それは私にとっても同じで、このブログの意義はそこにあると思うので、続けています。

でも、ここを離れて皆さんそれぞれが、それぞれの場所で生きてらっしゃる(私も同じ)。
そしてそこは、こことは違って、高次脳機能障害のことを知らない人ばかりの、語弊を恐れずあえて言わせてもらえれば、いわば「敵の陣地」なのです。私たちは1人1人、毎日、そこで孤軍奮闘しなくてはならないわけです。そして実際、そうされているのです。

いや~、私たちは、よくやっていますよ。自分で自分をほめてやりましょう。家族がこんなへんてこな障害を負わなければ、もっとずっと楽だったのに。制約されることなくもっと自分のことに時間を使えて、行きたいところに行って、会いたい人に会って、食べたいものを食べて、笑っていられたのに・・・。

そういう気持ちは、私にもありますよ(笑)。あのまま夫コウジさんが、ほかの大多数の人のように健康で、普通に働いてくれて、平凡だけど普通の人生を歩めたら、どんなに「楽(らく)」だったか、と。
ただ、「らく」だけど「たのしい」かどうかは、別です。
「たのしい」と思うかもしれないけれど、それが「真のたのしさ」なのかは別なのです。
はっきり言えば、それは「まやかしのたのしさ」「まやかしのしあわせ」だと、私は思っています。そう思えるところにまで達することができています。
そして、今大変な皆さんも、いつかはそこに辿り着きますから、ご安心下さい。

考えてもみて下さい。そこに貧しく、今日食べるものにも事欠く人がいるのに、自分は食べるものも住むところも何不自由暮らしている人は、本当に幸せ者なのでしょうか?本当は、大馬鹿者なのではないでしょうか?周りからはバカにされているのに、そこに気づいていない、実は裸の王様なのでは?

真の幸せは、全ての人、生き物が幸せで、初めて成り立つものだと考えます。1人でも不幸な人がいたら、おかしいじゃないですか。助けないと。皆で幸せにならないと。

では、コウジさんが障害を負わなければ、私は愚か者で人生を終えたのでしょうか。あの世へ行ったときに、良い人生を送られてきた人たちから、「あなたは無知で小さな世界にいたね。」と言われ恥ずかしく身を縮めたのでしょうか。その可能性はあります。
私は生き物が大好きで、その命を大切に考えてはいますが、人生は限られた短い時間なので、その短い時間の間に本当の幸せに気づけたかは、わかりません。ここまで毎日ほかの障害や病気や貧困や差別に苦しむ人たちに、思いを馳せる人生だったかは、それはわかりません。

なので、コウジさんに感謝しているわけです。
あなたのおかげで、ちょっと苦労もあったけれど、それ以上に大きなものを見つけられた。もっと大切なことがわかった。それは、助け合う人と人、生き物と生き物の繋がりです。

だから、毎日コウジさんが爆発したり(するんです)、怒鳴ったり(うるさいですよ。犬猫もびっくりしますが、慣れて冷やかに見守ってくれています)、まるで子供のようになったり(相変わらず娘のワッチの食べ物を欲しがって食べてしまいます)、人や生き物に迷惑なことをしたり(それもします。昨夜も猫のハルやを抱きしめすぎて、嫌がったハルやチーが逃げる時にコウジさんを蹴ると、カッとしてハルやチーを追いかけてぶとうとしましたし、ハルは逃げる時にテーブルの角に、頭をしたたかぶつけてしまいました。また、歩いているウメのお尻を、面白がって蹴飛ばすのです。私とワッチにこっぴどく叱られてもニヤニヤしているだけです)、同じことを何度も聞いたり(30分に4、5回同じ質問をします)して、ほとほと嫌になりますが、これからも家族仲よく一緒に暮らしていくつもりです。嫌なこともいいことも一緒に。それが家族でしょうから。色々なことをひっくるめて、ようやく豊かな人生になると思いますから。

コウジさんがコウジさんになって、もう13年目です。きっと私はコウジさんに慣れてしまっているのでしょう、以前は怒ったり「これは大問題だ」と思えたことに鈍感になり、そんなに、天地がひっくり返るほどの大ごととは思わなくなりました。前は思っていたんです。慣れることは怖いことでもあり、いいことでもあります。コウジさんの障害を見過ごすことなく、トラブル予防や対応の目はしっかり持ち続けることも必要ですね。普段は意識していませんから、そんなに大変ではありませんが、いざという時にその目が役立つよう、どこかで覚醒しておく必要があるでしょう。大先輩の方々は、もうそんな境地にはとっくに達されていると思いますよ。

話を最初に戻して、今、1人1人ご自分の生活の場で、無理解な周りと必死に戦って、時には孤独になったりパワーダウンしたり鬱っぽくなったりしている方は、沢山いらっしゃると思います。でも、日本中、世界中にも同じような仲間は、実は沢山いるということを忘れないでもらいたいです。1人では苦しくつらいけれど、仲間と繋がればほっと気が楽になります。また、支えてくれる人と出会えれば、道は開けて行きます。この「同じ経験をしている人」「支えてくれる人」を見つけると、それらが私たち当事者・家族には大きな力となって、羽ばたいていけます。

毎日ウメの散歩をしながら、ツマグロヒョウモンの幼虫の、黒とオレンジの体を探している私は、このツマグロヒョウモンの幼虫が私たちのように思えます。この幼虫を知らない人は、「まあ、なに、この虫は?」とせっかくありついたスミレ科植物からつまみあげ、ポイッと捨てたり、ひどい人は殺してしまうこともあります。私は何度もそうなった哀れな幼虫を見てきて、その都度心が死にました。命あるものを殺す人はもってのほかですが、捨ててしまうのは、その幼虫がなにかを知らないから、ということも理由の1つです。知ってくれたら、守ってくれるかもしれません。だから私たち当事者・家族は、この障害を世に知らしめるよう努力しなくてはいけません。それが自分のためになるのです。今は毎日余裕がなくてできないかもしれませんが、知らない人に知ってもらうことは、非常に必要なことなんです。知らない人も安穏とされず、色々なことにアンテナを張り巡らしてほしいと思います。それがやがて自分のためになることなのです。

ツマグロヒョウモンの幼虫は、そのうちきれいに輝く金色のボタンのついた黒いさなぎになり(それも素晴らしく美しいです)、やがてオレンジ色の可憐な蝶になって大空に向かって羽ばたいていきます。

「そうなんだ、これは蝶の幼虫なんだ、それならせっかくの命、少しくらいスミレの葉っぱをあげてもいいかしら。」と助けてくれたら(サポートしてくれたら)、幼虫はせっせと頑張って蝶になって旅立っていけます。幼虫も1人ぽっちです。1人(1匹)でいつも命の危険にさらされながら、懸命に生きています。秋の到来とともに鳴き声が聞こえなくなりつつあるセミも、1匹で羽化の時間(その時間に敵から攻撃されたらアウトです)を命がけで過ごし、やがて立派な羽で独り立ちしていきます。生き物はみな同じ、1人、1匹です。自分の力だけでは足りず、支えや見守りや運があって、初めて自分の生をまっとうできるのではないでしょうか。

「支えてくれる人」「見守ってくれる人」を見つけて下さい。
そして、「支える人」「見守る人」にもなって下さい。
それが、大事です。






時間の使い方がもっとうまくなればいい、といつも思います。今日も大したことができず、もやもやしたまま終わりそう。今日の最後にここへ来ました。

今までは、いくら慌ただしい毎日とはいえ、朝に朝刊を読み、夜に夕刊を読むことができる普通の生活を送っていました。が、なぜかこの1週間は、9月21日の朝刊から読めておらず、新聞がたまる一方。やっと今日、今日の夕刊を読めたので、明日はここから逆に遡って21日までざっとですが目を通そうと思います(東京新聞と朝日新聞の2紙)。

う~ん、こんなことは今までなかったのだけれど、なんでかな?と、今、小西修さん作の多摩川猫カレンダーを壁からはずして横に持ってきましたよ。(そうそう、小西さんの写真展が、昨日から始まりましたよ!私はいつ行けるか考え中。)

やはりNHKで放送して頂けるという、ウメの動画送付に関わる色々な用事、実家でのケアマネさんらとの会議、長野1泊囲碁旅行、帰ってきてからの大量の写真や動画の整理と送付、2日がかりのプラナリアの水替え・・・などやっていますが、実はウメの抜け毛がここへきてものすごく、娘ワッチが毎日のように喘息発作を起こしていることも関係しています。 

柴犬は本当に、抜け毛が半端ではない量なんですよ。これから秋になるという今の時期、ほかの犬からワンテンポ遅れたのんびりウメは、今が抜け毛のピークです。ウメはソファーや、私やコウジさんやワッチのベッドの上にあがって寝たり、そこで体をカイカイ掻いたりするので、毎日何度も粘着テープクリーナーで抜け毛を掃除したり、特にワッチの布団カバーとシーツは、毎日洗濯しなくてはなりません。そうしないと、発作で息が苦しくてできなくなるワッチ。私の母が重い喘息持ちなので、隔世遺伝してしまったなあ。
とにかく、このウメの抜け毛対応が、意外と時間がかかるのだ。もちろん、1日2回のウメの散歩もあります。ウメはすごくかわいいけれど、手間がかかるう~。でも、やっぱりかわいい。とてもかわいい。すごく大事です。

長野へ行っている間、ウメの散歩はコウジさんがしてくれました。「絶対リードを引っ張らないこと。首輪が抜けたらウメは車にぶつかってしまうから!」と赤字で大きく書いていったおかげで、ウメは無事私の帰りを待っていてくれました。帰宅して犬猫3匹が皆元気でいてくれたことで、コウジさんに大感謝です。
でも、家の玄関を開けた時、なんか臭いな~、と思った私。コウジさんに、「ウメのウンチ、捨ててくれた?」と聞くと、「捨てたよ!」と明るい返事。
そうかな~、と気になりながらお散歩バッグをちょっと覗いてみましたが、それらしきウンチの入った袋はなかったので、そのままに。

翌日の散歩の時、お散歩バッグの中を整理していると、(汚い話ですみませんが)トイレットペーパーでくるんだだけの、ウメのウンチが入っていました。どういうこと?臭いはずだ。げっそりしてそれを取り出しましたが、ウンチがバッグの中の色々なものに滲みて、大変なことになっていました。もうそのバッグは臭くて不衛生で使えません。

会社から戻ったコウジさんに、その話をすると、「あ!そうだった!」と思い出す彼。覚えているだけいいけれど、この件には、やっぱり高次脳機能障害症状が関係している、と分析しました。つまり、トイレットペーパーでウメのウンチを取った後、通常はビニル袋に入れて持ち帰るのですが、コウジさんは「袋が入ってなかった。」と言います。でも、袋は数枚、バッグの奥の方に入っていました。(私がちゃんと入れておくに決まっています。)
袋を探すのが面倒だという点や、探しても見つからない(すぐ諦める)点、袋に入れないまま忘れてしまう点。私に確認されても、「ちゃんと捨てたよ!」と疑いもせず自信満々で即答する点。

障害を持っていなくても、探すのはちょっと面倒だ、と思う人もいるでしょう。見つけるのが苦手な人もいるでしょう。忘れてしまう人もいるでしょう。勘違いする人もいるでしょう。なので、普通の人と高次脳機能障害の人とを、どこで区別するのか、難しいだろうな、と思います。ちょっとの差なんです。性格的なものと、障害と、ちょっとの差なんですよね。その差が、家族ならわかるんですけれど、パッと見はわかりづらいというのも、わかります。
この「見えない障害」と言われる高次脳障害が見えるためには、「家族目線」的なものが必要だと思います。
障害当事者と、同じ側に立てば、見えるのです。そしてそれは、どの障害、どの病気についても、同じことが言えると思います。

少しわかりづらい話になったかもしれませんが(そんなことないかな?)、とりあえず今日はこのへんで。

コウジさんの失敗は、障害が起因するものだとわかるので、これは怒るべきことではないです。
でも、この障害への理解がないと、普通は怒ってしまうのだろうな。普通=社会の理解は、つくづく必要だと思います。


またまた書けない日が続いてしまいました。スミマセン。

実はこの23日、24日と急遽長野へ行ってきたのでした。

それは、「高次脳機能障害と囲碁」、という会を毎月大森で開いて下さっている木谷正道さんが企画されたツアーで、スケジュールとしては、23日は長野駅近くの会場で囲碁大会(盲学校囲碁大会も含む)のあと、善光寺宿坊「薬王院」に泊まり、翌24日に木谷さんのご実家である地獄谷温泉後楽館で、木谷道場ギャラリーのオープンセレモニーに参加して泊まって帰る、というものです。

本当は23日朝から25日夕までのツアーですが、25日は月曜日なのでコウジさんの会社がありますから、私は24日に帰ってきました。しかも23日土曜日は、午前中は石倉先生教室がありますので、それが終わって私が長野に入ったのは夕方でした。

そんなタイトな行動になることがわかっていましたので、最初から参加する(できる)つもりはなかったのです。けれど、宣伝不足なのでしょうか、なかなか人数が集まらないとのことで心配になり、それなら、と1泊だけ参加することに決めたのが、出発の数日前のこと。
さあ、行くと決めたら途端に忙しくなり、新幹線の切符を予約して受け取りに行ったり、母や義母に連絡したり、また使わないカレンダーの裏に大きな字で私やコウジさんの予定を書いて冷蔵庫に貼ってもらったり、てんやわんやでした。それも、コウジさんが、「行っておいでよ。僕は留守番できるよ。」と言ってくれたから可能になったのですが。その代わり、「コウジさんには大好きな辛口の地酒を沢山買ってきてあげるね。」、と約束しました。

私がまだ出かけていないうちから、母や義母からどんどんコウジさんに電話がかかってきましたので、安心しました。「まだこれから出るんだけど、この調子で、しょっちゅう電話してあげてね。」と2人に重ねて頼みました。そうしないと、私がどこへ行ったのか忘れ、コウジさんが不安になってしまうのです(ワッチは出かけて、家にいませんし)。

長野に行っている間も、機会あるごとに電車の中でも部屋でもどこでも囲碁を打っていましたが、元々疲れて寝不足だったため、あまり頭が働きませんでした。それでも、囲碁以外は宿坊薬王院で精進料理を頂いたり、善光寺のお朝事や胎内めぐりというものに生まれて初めて参加したり、栗ソフトクリームを食べたり、珍しい経験をさせてもらいました。

中でも地獄谷後楽館は素晴らしいところでした。せっかく行ったのに、3時間半でおいとましなくてはならなかったのがとても残念でしたが(大部分の方は、当然泊まられました)、この後楽館の話は別途書きたいと思います。

帰宅してからは、大量に撮影した写真を参加者に送る作業に、パソコン音痴の私は丸一日かかりました。今は、動画を送ろうとしているところですが、時間がなくてまだできていません。留守してしまったので、プラナリアへ餌をあげたり水替えしたりの仕事が今日になり(大体週末にしています)、世話しながらしばし癒されていました。

コープの宅配で注文したビオラ(スミレの一種)が昨日届いたので、早速近所のツマグロヒョウモン仲間の家から、すみれを食べ尽くして困っていた幼虫3匹を連れてきて、うちのビオラにくっつけてあげました。まだ町の花屋さんにはパンジーやビオラが出ておらず、一足先に宅配で手に入れたのです。

身近にいる生き物の命優先にしており、メールしなくてはいけない方にできていなくて焦っています。

外は雨が強くなってきました。明日の明け方が、東京はピークだそうなので、会社へ行くコウジさん、大学へ行くワッチを駅まで車で送りましょう。

ということで、多分明日もまたここへ来ます。

おやすみなさい。

台風一過の翌日(18日)から暑さがぶり返し、元気をなくしていた私は、今日は幾分暑さもおさまったので、また書く気が出てきてここへ来ました。

今日から動物愛護週間ですが、我が家は1年中毎日が生き物愛護日です。
昨日、家の近所でオオスカシバを見かけたので、オオスカシバを見事に描かれた昆虫画家の熊田千佳慕さんの画集を見たくなって、帰宅すると探しました。部屋の隅にある小さな本棚にその本があるはずなので、そのあたりをゴソゴソしていましたら、ギャッ!セミの亡骸が転がっていました・・・。 あ~、びっくりした。

きっとベランダに来たセミを、1歳猫のチーが捕まえて家の中に持ってきたのでしょう。特に目立った傷はなかったので、元々弱っていてチーに捕まり、チーから逃げて部屋の隅っこに紛れ込んでそのまま寿命を迎えたのだ・・・と思いたいです。 持ち上げると、紙のように軽いセミの体。魂が抜けて軽くなったのか、乾燥して軽くなったのかわかりませんが、悲しくなって家の狭い花壇の植え込みの中に落としました。

亡きおはぎちゃんも、3歳のハルも、こういう狩猟はしませんね。すばしこいチーだけが、いつでもベランダで獲物を待ち構えています。そのため私は家の中で、ギャッと悲鳴をあげることがしばしば。この間は、バラバラになったトンボの死骸に悲鳴をあげました。その数日後、またチーがトンボをくわえて家の中を走っているのを運よく目撃した私は、チーをつかまえてどうにかトンボを離させ、トンボは無事にまた飛んでいきました。

カナブンもよく捕まえてきます。私が助けられる時もあれば、朝起きてくると犠牲になったカナブンがリビングに転がっていることもあります。先日は、なんとかわいいヤモリが犠牲になっていました。ヤモリといえば、家を守ってくれる幸福の象徴。そのヤモリがバラバラになっていて、それを拾い集める私は悲しくてヤモリに謝りながら、バカチーに腹が立って仕方ありませんでした。

けれど幸いなのは、秋が近づいてきて、セミもトンボもカナブンもヤモリもベランダに来なくなってきたこと。
チーも早めにベランダから引き揚げ、コウジさんの両足の間で寝るようになりました。良かった。

実はプラナリアの世話もしている私。あまり会うことのない兄がプラナリアを飼っているのですが、兄が旅行に行く間、暑さに弱いプラナリアを7月に20匹預かったのです。プラナリアはご存知の通り、身体を2つに切られても、それぞれが再生する不死身の生き物です(暑さには弱いけれど)。きれいな水に住むので、週に1回は半量の水を取り替えます。取り替える水も、1日以上日光にさらしてカルキを抜いたものでなければなりません。

また、週に1回は冷凍赤虫を解凍したものを与えます。すると薄いグレー色の体をしたプラナリア達が寄ってきて食べ、赤い体になるのがかわいいのです。赤虫が水槽に入ると、水が汚れますから、数時間したら新しい水(それも半量は今までの水、あと半量は1日以上日光にさらした水)に移します。その時、スプーンで1匹1匹掬って移動させるのですが、スプーンに触れられると体が縮こまったり、ひらひら舞ったり、それもこの上なくかわいいです。

そういう作業で1週間に何時間も使ってしまうので、早く兄に返したいのですが、この暑さの中環境変化で死なせてしまうのが嫌で、涼しくなる11月くらいまでは預かるつもりです。
なぜなら世話は大変ですが、プラナリアを世話している時や、虫眼鏡でじっと見つめていたりする時、とても心落ち着くのです。その時の心境は、「無心になる」というのも近いのですが、どちらかというと、プラナリアを見ながら頭(考え)や心(気持ち)の整理をしている、のに近いです。なので、結構大切で、必要な時間となっています。
というわけで、我が家には玄関にプラナリアの入った水槽(今、70匹くらいに増えています)、ベランダには汲み置きした水の入ったバケツがいくつか常に置かれているのです。

相変わらず、ツマグロヒョウモンのお世話もしています。温暖化のせいでしょう、南の蝶だったツマグロヒョウモンを、東京でもよく見かけるようになりました。でも食草であるスミレ科の植物が、この時期極端に少ないのです。道路を横断しているツマグロヒョウモンの黒とオレンジの縞模様の幼虫を見ると捕まえ、自宅にスミレを自生させている友人宅に持って行っていました。けれどそこのスミレももう食べ尽くされ、昨日今日は仕方なく、(これはスミレかな?)と思える草が生えているところに幼虫を放しました。でも家に帰って調べると、それはドクダミのようでもあります。願うのは、ツマグロヒョウモンが東京の環境に順応し、ドクダミでもなんでも食べられるように進化してくれることです。そうでないと心配でたまりません。

(ワッチが小学生だった頃、よくツマグロヒョウモンをワッチと2人で育てていたんです。家の中で越冬させたり、目黒にある自然教育園の研究員の方に質問のメールを送ったり、教育園に訪ねて行ったりしたこともあります。結構凝り性ですね。)

このブログでもお願いした、宮崎にある「いのちのはうす保護家」さんのクラウド・ファンディングですが、おかげ様で「老犬デイサービス」は目標金額を達成しました。ご協力下さった皆様、有難うございました。
さらにネクストゴールとして掲げた「ハンデのある猫のカフェ」も達成し、これから工務店が作る運びとなりました。

けれど、HPを読んでいますと、現場で働く山下代表や藤井副代表、その他のスタッフの方たちの御苦労はもう大変です。(山下さんは心労から顔面麻痺にもなられてしまいました。)恵まれない犬猫のために全力で取り組まれている方々に、頭が下がります。

「いのちのはうす保護家」のHP→ http://pawstamp.com/hogoya/

一方、多摩川の河川敷138キロの両岸に住む(捨てられた)猫や、その猫の世話をして下さる優しいホームレスさんたちのお世話をされている、写真家の小西修さん。その小西さんの個展が、今月27日から10月2日まで高円寺(高円寺北2-37-5 ギャラリー・来舎。14時~18時)で開かれます。行かれる方はどうぞ、多摩川の厳しい環境の中、懸命に生きている猫たちや、自分勝手な人間のことを知って頂きたいと思います。私もどこかの日に、行ってきます。
小西さんのブログ → http://www.top-virtual.com/kabuto/diarypro/

動物愛護週間を調べていましたら、こんなサイトを見つけましたよ。

https://rdsig.yahoo.co.jp/_ylt=A3aX5EfdwMFZUWQAhPiJBtF7/RV=2/RE=1505956445/RH=cmRzaWcueWFob28uY28uanA-/RB=Im0o2y19G9.oxXcZLnKbwdfE4Os-/RU=aHR0cHM6Ly9kb2NzLWRvbmF0aW9uLnlhaG9vLmNvLmpwL3JlcG9ydC8yMDE3ZG9nY2F0AA--/RK=0/RS=mEXPxKEsBZQsRepyDVoFnNrmDaw-

そうそう、NHKに提出するウメの動画を、いくつか昨日今日でさらに撮影しましたので、明日にでも提出します(放送はまだまだ先です)。

ではまた。



↑このページのトップヘ