日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2017年12月

さくら洗足池1


今年も残すところ、あと1時間ほどになりました。
今年もこのブログをお読み頂き、有難うございました。

以前は毎日書いていましたが(今思うと、よく書いていたものよ)、本の出版とともに始めたこのブログ、出版当初よりなぜか今の方が忙しいです。 きっとそれだけ本によって私の世界が広がったのと、7年経って私も年取って1つのことをするのに時間がかかるようになったのと、高齢になった親に関する用事が増えたのと・・・その他色々原因があるのでしょう。

ということで、ペースダウンはしましたが、来年も引き続きこのブログは書いていきますので、お読み頂けると嬉しいです。

今日は横浜の実家へ、昨夜作った煮物などの料理、スーパーで買ってきたおせちの品々を車で運びました。娘のワッチもついてきました。
コウジさんは、昨日から自分の実家へ行っていて、明日帰ってくる予定です。

コウジさんが1人で実家へ往復できるようになって、何年経つかな。ただ、実家のある埼玉県深谷市への行き方は、私がメモに書いて彼に渡します。どうやったら一番楽に行けるか、というのは彼は考えられないようなのです。考えようとすると面倒で、頭が働かなくなるようです。「ママちゃん、どうやって行ったらいいの?教えて!書いて!」は彼の常套句。

この、「すぐ面倒臭くなる」という症状が、もう少し改善してくれると、彼ができることが増えると思うのですけどね。もちろん、13年前に比べたら、今の彼の行動力は雲泥の差です。ゆっくりゆっくり、できることが増えていくだけで御の字ですね。なにしろほぼ死んでいたところを、神の手(手術して下さった脳外科医の手)によって奇跡的に救われたのですから、生きてくれているだけでもう有難く、涙、涙です。

・・・あれ、話が横道にずれました。

実家に料理を運んだあと、母を久しぶりに外食に連れて行きました。母、私、ワッチ、と三世代での昼食です。うふ、結構楽しかった。

また実家に戻ると、明日のお雑煮の準備をしておきました。これで母は、明日1人でお正月ができるでしょう。食べるものに困らないよう、3日分くらいの食料を置いてきたので安心。(でもあさっての2日には、コウジさんを連れて、また食料を持って実家へ行きますけど。)

道路はどこもガラガラ。運転しやすくて良かったです。

帰宅すると、すぐウメの散歩へ。昨日から買い出し、料理、実家への車往復運転、実家でもくりくり動き回っていたのに、私もわりと元気だな、と内心思いながら、人気の少ない道をウメと歩きました。

今朝の散歩の時は、雪が降ってきましたし、今この時間(夜10時45分)、急に寒くなってきた気がして、毛布を肩にかけ、暖房を強くしました。今日は、ことのほか寒いですね。なのに猫2匹はたった今ベランダへ出て行ってしまい、寒くないのかなあ。犬のウメはホットカーペットに伸びて、頭を炬燵に入れています。「雪やこんこ」の歌詞と真逆の我が家。

さて、これから昨日から読んでいなくて溜まった新聞2紙を読み、零時になったら寝ようと思います。
(テレビは全然見る気しないので、見ません。家の中が散らかり放題で、片付けていたら見る時間もないし。)

今年最後の写真は、昨日撮ったウメの写真にしました。
昨日の年末の忙しい中、なぜかウメがぐいぐい洗足池まで私を引っ張って行ったおかげで、2時間以上の散歩になり、くたくたでした。(夕方は夕方で、また1時間散歩ですよ。)
でも、いずれウメも年を取って歩けなくなる日がくると思うと、意気揚々と嬉しそうに歩くウメに、なるべく付きあってあげようと思うのです。(ただ、限度があります。1回2時間以上は、ちょっとムリ~!)

その散歩途中、神社の前を通ったので、パチリ!と撮った写真です。
来年は戌年なので、なんとなく、いいでしょう?(自画自賛)

それでは皆様、良いお年を!







囲碁と高次脳イベントちらし


今日は、コウジさんの会社の仕事納め。職場の皆様に支えられ、無事今年も仕事頑張れました。有難うございました。体調を崩して会社を休んでしまったのは、多分1、2日くらいだったと思います。

・・・思えば随分体力がついたものです。11年前に勤め出した頃は、午前9時から午後3時までの勤務で、しかも1時間に10分休憩を入れていました。けれどそれだと細切れなので、2時間に20分の休憩になり、その休憩時間は本当に彼は寝ていたのです。休憩時間を過ぎても起きてこないので、起こされたりしていました。

それが今は、9時から午後5時半まで休憩もなく働けています(お昼ご飯休憩はあり)。人間てすごいなあ。もちろん、コウジさんが頑張っているんですよね。偉いなあ、コウジさん。

今日は仕事納めのあと、彼は大学時代の友人らと忘年会でした。そこへの地図を書いてもたせましたが、お店までは行けず、友人に迎えに来てもらったそうです。全部自分ではできないけれど、半分くらいはできる、ということかな。すごいぞ、コウジさん。

そして2次会へは行かず(ほかの友達は行ったそうです)、無事自分の力で戻ってきました。すごいすごい!

・・・と、今、コウジさんは「今日、誰と会ってきたのか思い出せない。」と考え込んでいます。おお、やはりコウジさんだ。 この記憶障害だけは、本当にしつこくいつまでも残っています。

でも楽しかった思いは残っているので、まあいいですね。友人の方々、有難うございました。

1月7日のイベントのチラシを添付します。
今チラシを見ると、申込締切は12月25日、とありますが、まあ大丈夫でしょう。当日受付もあるそうです。

・・・ウメと散歩していても、なんとなく人が少なく、皆さん帰省されたり旅行に行かれたりし始めたのでしょうね。

今日も大掃除はせず、ウメと2回、ゆっくり散歩をしました。
大掃除は別に今しなくても、年明けでも、1年中いつでもできるし(笑)。

さあ、明日は買い出しに行って料理作りです!頑張ろ~!

(まだ思い出せず、目をつむって一所懸命考え込んでいるコウジさん。
「教えてあげようか?」と聞きますと、「最初の1文字!」と言います。 
「何の1文字?」と聞きますと、「その人の名前の1文字。」と。

「え?1人なの?」と聞きますと、目を大きく見開いて、「何人かいたよな?」と。
でも、「ダメだ!思い出せない。教えて!」と言いますので、教えました。

すると、手を打って「そうだった!」と大喜びしたあと、「でも、そうかな?」と疑っています。 
・・・コウジさんの頭の中って、どうなっているんだろうなあ。)



今年も残すところあと3日となりました。まだ大掃除もできていません。
今日は急遽植木屋さんが入ってくれ、荒れ放題だった猫の額ほどの花壇が、きれいになりました。
我が家はそこだけ、お正月っぽい(笑)。

クリスマスカードも送り、年賀状も書き、お歳暮も送り、なんて忙しい年の瀬!
そこに1日2回各1時間半ほどのウメの散歩、毎週のような動物病院通院(ウメのアレルギーによる外耳炎や、最近気になる脂肪腫のような胸のしこりを診てもらいに)。父の三回忌もありました。

父の三回忌は、無事済みました。お寺へ向かうタクシーの中で、位牌と遺影を家に忘れたことに気づき、慌てて戻ったことが、唯一の失敗でしたが。

母も夫も頼りないし、私はそそっかしいし、ワッチに「これからは、あなたが忘れ物がないかなど、気にしてね!あなたが一番しっかりしているから。」と頼みますと、「え~、そんなの、わからないよ。位牌が必要とか・・・」と口を尖らせるワッチ。「でも、これで覚えたよね!」と畳み掛けますと、ブツブツ言っていました。
なあに、大丈夫です。ちゃんと必要なものはこれこれ、とお寺さんから書類が送られてきますから(それでも忘れる私や母、夫→夫は、気にもしていないです)。

小田和正さんの「クリスマスの約束」も、録画しただけでまだ見られていません。お正月にコウジさんと見よう。でも、ここ数年私が知らないゲストばかりなので、あまり面白くないです。

そうでした、いつも言おうと思っていたのですが、『続・日々コウジ中』にはコブクロがよく出てきますが、私とコウジさんが一番好きなのは、小田和正さんです。なにしろ私は、オフコース時代からのファンでコウジさんより古いファンです。武道館のコンサートでは、席が一番前だったので、最後までドラムの大間ジローさんが見えなかったのを覚えています。

コウジさんは小田さんの歌を歌いたいのに、小田さんが高音すぎて歌えません。来月28日に、世田谷高次脳機能障害連絡協議会主催の、毎年恒例の「春の音コンサート」がありますが、「出る出る!」と張り切っていたコウジさん、歌える歌が見つからず、現在選曲で苦しんでいます。早く決めないと、またピアノ伴奏が私なので、楽譜を入手して練習する時間がなくなってしまう・・・!

歌といえば、1月7日に大森の「大田文化の森」で催される「高次脳機能障害と囲碁 & 心の唄コンサート」では、「翼をください」と「みんながみんな英雄」を歌います。何回か練習をしましたが、「みんながみんな英雄」の歌詞がみんな似たような言葉で覚えられません。メロディは、「オクラホマミキサー」なので聞き覚えがあり簡単ですけど。(チラシを添付しようとしましたが、もう時間がないので、明日にします。)

今回のお正月は、我が家と母の、2つの家の分のおせちを用意して、1つを母に持っていきます。
今から何を作ろうか思案中。まあ、煮物がメインですよね。 1週間に3回のペースで、実家へ行く予定。結構忙しいのだ~。

ではまた!
バタバタしていている中からの、とりいそぎのご報告でした。



暑さが大の苦手で、寒い冬が大好きの私でも、今年の冬の到来はちょっと早すぎたような、また寒すぎるような気がします。これから1月2月と真冬の時期が控えているのに、冬に対する心と体の準備ができていなかったせいで、ここ数日、私は珍しく風邪気味となっていました。咳や鼻水に加え、今日は頭痛までしてきて疲労感に襲われたので、年に1回か2回しか飲まないバファリンを2錠服用。すると、今はまた普通になりました。頑丈に生んでくれた両親に感謝。

今月も後半に入り、慌ててアメリカに住む知人にクリスマスカードを今日書き始めましたが、明日送ってももう間に合いませんね。あと1週間早く書けばよかったのに、前半は非常に忙しかったのです。今日は年賀状の準備をしていましたけれど、いまだにメールすべき人にしておらず、郵便物を送るべき人にも送っておらず・・・ ありゃ、お歳暮も忘れていた!なんとか今週中には送らなくては(汗)。

12月10日(土)は、東京水道橋で、社団法人日本ケアラー連盟主催の、「2017ケアラーフォーラム」が開かれましたので、行ってきました。これからは介護者の時代だと思っている私は、この連盟の会員にもなったばかりです。

そこでは介護者支援法に先立つ、介護者支援条例の作り方についての講演があり、とても勉強になったものの、大学の法学部教授のお話ですから、難しかった・・・。そのあとグループに分かれてワークショップがありましたが、私はまだ介護者支援法制定についての考えなどまとめていないどころか、その日は勉強のために参加したくらいでしたから、とても焦りました。
それでもほかの皆さんが模造紙にどんどん貼られていくポストイットに書かれた言葉を拝見するうちに、私の考えも段々まとまってきましたけれど、これからゆっくり勉強しながら考えていく必要があります。

フォーラムの参加者がかなり大人数だったため、ワークショップも各グループの発表も時間がかかって駆け足となりましたが、それだけ参加者の方々の熱気に満ちたフォーラムでした。マスコミや議員さんらも参加されていましたし、高次脳機能障害界からは、私のほかに日本脳外傷友の会事務局長(前理事長)の東川悦子さん、サークルエコー代表の田辺和子さん、会員の玉木さんがご出席。玉木さんは核心をつくようなご質問をガンガンされていらっしゃいました。

12日(火)は、コウジさんに有休をとってもらって、定期的な診察を受けるため、玉川病院へ行ってきました。
高次脳機能障害症状は相変わらず(やや改善)ですが、最近のコウジさんの心配なほかの症状は、むせたり皮膚炎だったり。むせないような薬や皮膚炎の薬を頂いていますが、高次脳機能障害の方で、コウジさんのように皮膚炎に悩んでいらっしゃる方はいますか?

コウジさんは水頭症も手術しており、シャントが脳室から腹腔まで入っています。そのシャントはコウジさんの脳室から右耳の後を経由し、右肩を通って腹腔に繋がっているようです。その右耳の後ろあたりの皮膚が痒いようで、掻いては荒れる、薬を付けて治る、また痒くて掻いては荒れる・・・のくり返しです。(もちろん、薬をつけてあげるのは私です。)
来る日も来る日も毎日、耳の後ろや頭の皮膚に薬を塗る作業に私もいい加減飽き飽きして、「今日は塗らなくてもいいかな。」「少し治ったから塗らなくてもいいね。」と手を抜くと、コウジさんは掻きむしって悪化させてしまうことが多いです。

膿や血が出て、枕カバーを汚しますので、「一体いつになったらこの皮膚炎は治るの?」とげっそりしますが、これってずっと治らないのかも。コウジさんが(掻かないようにしたら治るんだから、痒くても我慢しよう。)と思ってそれを実行してさえくれたら、きっとこんなに悪化しないと思うのだけど。そういう自制心もなく掻きたいだけ掻くのも、高次脳機能障害ゆえなのだろうな、と思っています。

かくしてずっとこの薬塗布という作業は、これからも続くのだろうなあ。シャントは、その人が死ぬまでずっと体の中だというので。

15日(金)は、また八王子近くの豊田で、八王子東京パイロットクラブの方と打ち合わせでした。世田谷と八王子は同じ都内にありながら、八王子は世田谷より2~3度気温が低いそうで、本当に寒かった~。

そしていよいよ今週末は父の三回忌ですので、抜かりのないよう、明日から準備に入ろうと思います。もう卒塔婆、供花、果物、お菓子用意し、料理も注文しました。来て下さる人やお寺さんへの諸連絡も済み、あとはお布施、御膳料、位牌、遺影・・・。 (1人で準備しているので、何か抜けがないか、ヒヤヒヤです。)

今日は時間がなくて、ウメの友達の病気のレン君の様子を見に行けなかったので、明日は行かなくちゃ。

それではおやすみなさい。









昨日、私は夫コウジさんと私の実家へ行きました。
今週末に亡き父の三回忌を迎えるため、色々用事があります。

母は、年相応といえば年相応ですが、それよりちょっと物忘れや勘違いが目立つ81歳(来月82歳)です。けれど母は自分の物忘れのひどさを認めませんし、ましてや認知症というものは自分とは無縁のものだと思いたがり、その言葉を極端に嫌っています。なので私も母のプライドを傷つけないよう、極力「認知症」だとか「アルツハイマー」だとかの言葉を使わないように気をつけてしていますが、そうはいっても症状的にはそのものなんですけどね・・・。 そして夫もまた、自分を高次脳機能障害者とは思っておりません。

その不思議な2人が碁盤をはさんで楽しそうに過ごしている光景は、大変興味深いものです。
けれど母の症状があまり進まないのも、この囲碁のおかげと私は思っておりますし、夫の高次脳機能障害が改善していくのに、囲碁はとても役立つように思っています。とにかく2人が楽しそうなのが、私はなんともいえず嬉しいです。

帰宅した夜、夫に「今日囲碁したね。」と話を振りますと、夫は「うん。誰としたかな・・・?」と早速記憶障害全開でした(笑)。

まさか母のことすら覚えていないとは・・・ ショックというより(もう13年以上経ちますから、そういうショックはないです)、面白くて不思議で、その「不思議ちゃん(コウジさん)」に、「では、誰だったと思う?」と聞きますと、「うん。どこかの囲碁の集会で、年配の女の人と囲碁をした。」 「僕より10歳くらい年上(実際は25歳年上です)で、囲碁がすごく強い人だった。 あれは誰だろう?」 「ねえ、ヒントちょうだいよ。その人のことを、僕は知っている?知っているとしたら、どのくらい長く知っている?今までも、その人とは囲碁を何回かした気がするんだけど。」と申します。

私がニヤニヤしながら、「あなたのお母さんよ。」と申しますと、自分の母と思ったらしく、「僕の母はアキエさんだよね。」と。・・・全然わからないようなので、「あなたにはもう1人、お母さんがいるでしょ。義理のお母さん。」と申しますと、夫の顔がハッと変わった時の、その面白さといったら!

「なあんだ!お義母さんじゃん!そうだ、今日横浜に行ったんじゃん!」と思い出して大喜びしていました。

こういうのが、高次脳機能障害なんですよ。

夫に、「そうやって思い出す努力をしている時って、クイズみたいで楽しいの?それともイライラするの?」と聞きますと、「楽しいのが1で、イライラするのが9。」と申します。 
「じゃあ、ストレスね。それならすぐ答えを教えた方がいいの?」と聞きますと、「それも嫌だね。 自分で思い出したい気持ちが強い。」とのこと。

夫と話していると、私も茂木健一郎さんばりの脳科学者になれそうです(笑)。生きた教材、モデルがすぐそばに毎日いるのですから。本当に面白いです。
もちろん、こうして心にゆとりを持って面白く思えるようになったのは、夫の受障から何年も何年も経ってからなんですけれど。

高次脳機能障害で一番顕著な症状は、この記憶障害と言われています。
でも、夫の記憶の箪笥の引出のどこかには、したこと・見たこと・話したこと・聞いたことなどがちゃんとしまわれているんでしょう。教えたら引出は開くけれど、教えないと引出はずっと閉じたまま。 また、引出の中はきれいに整理されているかというとそうではなく、ごちゃごちゃになっている場合もあります(というか、そういうことが多い)。

たとえば先日、コウジさんと娘ワッチと3人で、ワッチの誕生日祝いに食事に出かけたんです。
ワッチは家族と行動することが少なくなっているので、久しぶりの家族3人水入らずの外食でした。
コウジさんが私やワッチの食べる速度に合わせることなど考えもしないようで、あっという間に1人先に食べ終わって眠そうになるのは、いつものこと。それでも久しぶりで、とても楽しく帰ってきたのでした。

それを、コウジさんは誰と行ったのかを忘れてしまうのです(それどころか、帰宅したらすぐどこへ行ったか忘れますし、ひどい時は帰宅途中でも忘れます)。
ワッチの誕生祝いなんだから、ワッチが主役ですし、普通は忘れっこないのに、コウジさんは、「あの時は、僕と、お前と、〇〇さんの3人で食べたよね!」と言います。

〇〇さんは、私の古い友人で、今月4日のブログにも書いたように、私は彼女と食事をし、その時の写真をコウジさんに見せてありました。その記憶が邪魔をするわけです。きっと情報量が多ければ多いほど、コウジさんは正しい記憶を引っ張り出すのに苦労するのでしょう。そのため脳がいつもフル回転することになり、疲れてすぐ眠くなるわけです。はあ~、大変だ、コウジさんて。

でも、誰でもいつでも脳は損傷を受ける可能性があります。病気によっても、事故によっても。他人事ではなく、我が事です。

話がどんどん込み入ってしまいますので、このへんでやめますが、コウジさんは13年前の43歳の時に病気(くも膜下出血)で脳を損傷しましたが、少しずつ少しずつ、症状が改善してきたのは見ていてわかります。

コウジさんの障害は私にとっては普通となり、日常となり、受障したての頃のような嵐と暗闇の日々は遠くなりました。もちろん、まだ嵐と暗闇の中にいらっしゃるご家族も多いですし、これからもそういう家族は新たに生まれてくることでしょう。

けれどいつかは家族は着地点を見出し、そこから新しい形の家族がまたスタートするのだと思います。
別に嘆くことはなくて、また新しい人との出会い、新しい世界との出会いが待っていると思えば、一度きりだったはずの人生が、何パターンも経験できて、ちょっとお得だったのでは?と思えるかも(もちろん、状況によりけりですが)。

少なくとも私はそう考えて、「不思議ちゃん」と一緒の新しい家族の形を楽しみ、誇らしく、幸せに思えるようになっています。

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