このブログでも時々書いていた、近所の仲良し犬のレン君が一昨日亡くなりました。
昨年11月にガンが見つかった、11歳の白柴君です。
ウメも私もレン君が好きなので、病気が見つかってからはなるべく頻繁に様子を見に行っていました。
段々痩せて行くレン君が心配で、写真や動画を撮っては、仕事が忙しい飼い主さんに送って報告していました。
ガンになった犬に関する本を集めては読み、それを飼い主さんに読んでもらったり、ネットで得た情報を送ったり、ほかの動物病院の情報を教えたり、庭の階段の上り下りがつらそうになったレン君を見て、「こういう犬用スロープを買うといいのでは」と情報を差し上げたり、ヨロヨロ歩くレン君を見て、「こういう吊り下げ型ハーネスがいいのでは」とクリスマスプレゼントとしてあげたりしていました(ご迷惑かもしれないのに、それを顧みない自分は、我ながらすごくお節介だと思います)。
飼い主さんはスロープを早速買ったものの、レン君がそのスロープを嫌がってスロープのないところを歩こうとしたため、返品したそうです。かえって無駄な情報を差し上げてしまったことに狼狽しましたが、犬によってはそういうスロープの好みがあるのだということを知りました。
どんどん痩せるものの、まだこれからおむつをしたり、寝たきりになったり、キャリーで散歩したりする時期を経ていくのだろうし、桜も一緒に楽しめたらいいな、と思いながら、一昨日もウメとレン君の様子を見に行ったのでした。
そこでレン君が数時間前に亡くなったことを思いかけず知り、ショックと悲しみで涙が溢れている私とウメを、飼い主さんのご家族は庭へ招いて下さいました。そこで可愛かったレン君の亡骸を見、撫でさせてもらった私は、号泣しました。
レン君はその前の日も少しだけ自分の足で近所を散歩できたそうですし、庭や玄関の移動もしていたそうです。その日の午前、庭で倒れているレン君を発見したご家族が、必死に心臓マッサージのように体を撫でると、レン君は起き上がり、自分の好きな寝床へ歩いていって寝たそうです。ご家族はほっとし、往診医を呼んだあとお昼頃見ると、レン君はそのままそこで亡くなっていたそうです。苦しいとも痛いとも鳴かず、穏やかに亡くなっていたそうです。
静かでお利口で気高い、レン君らしい死に方でした。(こうして書いていても涙が出てきます。)
飼い主さんのご家族は大変仕事がお忙しい方々なのですが、レン君が亡くなったのが皆さんがお休みの土曜日のお昼でした。医師に死後にレン君を診てもらい、ゆっくりレン君と過ごした翌日の日曜日の夕方遅く、火葬を済ませたそうです。そして月曜日の今日、皆さんはまたそれぞれの責任あるお仕事に戻られました。
レン君は愛する家族に一番迷惑をかけないタイミングを選んで、生を閉じました。
それがまた涙を誘うのです。
私は自分の家で飼っている犬猫が死んだらもちろん悲しくて何も手につきませんが(おはぎちゃんが死んだ時も3年はペットロス状態でした。今も悲しいです)、よそ様のお宅の犬が死んでも同様にペットロスになることを知りました。一昨日のレン君ちからの帰り道も泣きながら歩いていましたし、昨日も今日もレン君のことを考えては何度も涙に暮れています。
ウメに、「レン君、バイバイだよ。」と言うと、ウメは私をじっと見つめていた真剣な目をすっとそらして、遠くを見つめて何か考えている様子をします。わかっているのか、わかっていないのかわかりません。でも今朝も一番に自分からレン君ちへぐいぐいリードを引っ張って行き、レン君ちへ着くと必死にレン君を探すのです。やはりウメなりに何かを察知しているのでしょう。いつもウメのそばに来てくれたレン君は、昨日も今日もいません。ウメを引っ張って門扉から離そうとすると、ウメは抵抗して門扉にしがみつきます。そして中を覗いてレン君が出てくるのを待っています。
動物というのは、かくも情が深い生き物だなのだ、と改めて思い知りました。自分の子供の世話を放棄し、餓死させたり凍死させたり虐待死させたりする人間は、なんて恥ずかしい生き物でしょう。
昨日は実家の母の様子を見に行く前に、近所の花屋さんにお供え用の花を注文しておき、夕方帰ってくるとそのお花や、レン君に供えるおやつを包装してレン君ちへ持っていきました。でもちょうどその時間帯に霊園で火葬と葬儀をしていたそうでお留守だったので、玄関先に置いて帰ってきました。
ウメも来月11歳になりますが、仲良かった犬が段々こうして死んでいきます。
レン君の前はトイプードルのリリーちゃん。その前は甲斐犬のナナ丸君。その前はラブラドルのタンクちゃん。
引っ越しで会えなくなった柴犬のマロちゃんやグーちゃん、レアちゃん。飼い主さんが離婚して親戚に引き取られたノア君(でも新しい家は、海のそばなので、ノア君は毎日砂浜を思いっきり走って楽しく暮らしているそうです。気まずい空気の家庭にいるよりは、犬にとって温かな家庭の方が幸せです。前の飼い主さんもノア君をとても可愛がっていましたから、苦渋の、且つ賢明な選択だったと思います。)、飼い主さんが高齢で散歩できなくなり、毎月養育費を支払うと世話をしてくれる施設に預けられた柴犬のチャコちゃん(でも二度と飼い主さんはチャコちゃんと会ってはいけない決まりなのだそうで、飼い主のおばあさんは悲しがっています)。
いつかは来る別れ。犬や猫の方が寿命が短いので、残された人間はその都度悲しみにうちひしがれ、ダメージを受けます。それでも一緒に過ごした楽しかった時間を思い出し、それを抱きしめながら生きて行きます。幸せだったことを思い出してまた飼う人も少なくありません。私のところも、猫のおはぎちゃんを亡くして3年は飼えませんでしたが、猫の可愛さを忘れられず、今またハルとチーという2匹の猫の里親となって幸せな時間をもらっています。やはり犬や猫というのは、人間にとってかけがえのないパートナー、大切な家族だと思います。
最近気づいたのは、犬を飼っていると、近所で犬を通して知り合う人がすごく多いことです。猫を飼っていても、あまりそういう世界はありませんが、犬の場合外を散歩するため、同じく犬を散歩させている人と挨拶から始まり、仲よくなる人も多いのです。今ざっと数えてみたら、ゆうに50人くらいの人は知っています(私が話好きなせいもあります)。これはすごいことです。犬を散歩させていなければ、この近所の50人の人とは知り合っていませんでした。この50人は、いわば「ご近所犬ネットワーク」とでも申しましょうか。
会えば犬の話題だけでなく、抱えているご高齢のご家族の話になったり、病気や子どもの話になったり、美味しいお店や通っているヨガ教室の話になったり、話題は広がる一方です。これは、本当に面白い世界です。学ぶことも多いです。
そんな「ご近所犬ネットワーク」の中で、特に仲のいい犬は2~3匹で、その中の1匹がレン君でした。
レン君今までウメと仲良くしてくれて、有難う。
これからもずっと、ウメの心の友達でいてください。
合掌。
昨年11月にガンが見つかった、11歳の白柴君です。
ウメも私もレン君が好きなので、病気が見つかってからはなるべく頻繁に様子を見に行っていました。
段々痩せて行くレン君が心配で、写真や動画を撮っては、仕事が忙しい飼い主さんに送って報告していました。
ガンになった犬に関する本を集めては読み、それを飼い主さんに読んでもらったり、ネットで得た情報を送ったり、ほかの動物病院の情報を教えたり、庭の階段の上り下りがつらそうになったレン君を見て、「こういう犬用スロープを買うといいのでは」と情報を差し上げたり、ヨロヨロ歩くレン君を見て、「こういう吊り下げ型ハーネスがいいのでは」とクリスマスプレゼントとしてあげたりしていました(ご迷惑かもしれないのに、それを顧みない自分は、我ながらすごくお節介だと思います)。
飼い主さんはスロープを早速買ったものの、レン君がそのスロープを嫌がってスロープのないところを歩こうとしたため、返品したそうです。かえって無駄な情報を差し上げてしまったことに狼狽しましたが、犬によってはそういうスロープの好みがあるのだということを知りました。
どんどん痩せるものの、まだこれからおむつをしたり、寝たきりになったり、キャリーで散歩したりする時期を経ていくのだろうし、桜も一緒に楽しめたらいいな、と思いながら、一昨日もウメとレン君の様子を見に行ったのでした。
そこでレン君が数時間前に亡くなったことを思いかけず知り、ショックと悲しみで涙が溢れている私とウメを、飼い主さんのご家族は庭へ招いて下さいました。そこで可愛かったレン君の亡骸を見、撫でさせてもらった私は、号泣しました。
レン君はその前の日も少しだけ自分の足で近所を散歩できたそうですし、庭や玄関の移動もしていたそうです。その日の午前、庭で倒れているレン君を発見したご家族が、必死に心臓マッサージのように体を撫でると、レン君は起き上がり、自分の好きな寝床へ歩いていって寝たそうです。ご家族はほっとし、往診医を呼んだあとお昼頃見ると、レン君はそのままそこで亡くなっていたそうです。苦しいとも痛いとも鳴かず、穏やかに亡くなっていたそうです。
静かでお利口で気高い、レン君らしい死に方でした。(こうして書いていても涙が出てきます。)
飼い主さんのご家族は大変仕事がお忙しい方々なのですが、レン君が亡くなったのが皆さんがお休みの土曜日のお昼でした。医師に死後にレン君を診てもらい、ゆっくりレン君と過ごした翌日の日曜日の夕方遅く、火葬を済ませたそうです。そして月曜日の今日、皆さんはまたそれぞれの責任あるお仕事に戻られました。
レン君は愛する家族に一番迷惑をかけないタイミングを選んで、生を閉じました。
それがまた涙を誘うのです。
私は自分の家で飼っている犬猫が死んだらもちろん悲しくて何も手につきませんが(おはぎちゃんが死んだ時も3年はペットロス状態でした。今も悲しいです)、よそ様のお宅の犬が死んでも同様にペットロスになることを知りました。一昨日のレン君ちからの帰り道も泣きながら歩いていましたし、昨日も今日もレン君のことを考えては何度も涙に暮れています。
ウメに、「レン君、バイバイだよ。」と言うと、ウメは私をじっと見つめていた真剣な目をすっとそらして、遠くを見つめて何か考えている様子をします。わかっているのか、わかっていないのかわかりません。でも今朝も一番に自分からレン君ちへぐいぐいリードを引っ張って行き、レン君ちへ着くと必死にレン君を探すのです。やはりウメなりに何かを察知しているのでしょう。いつもウメのそばに来てくれたレン君は、昨日も今日もいません。ウメを引っ張って門扉から離そうとすると、ウメは抵抗して門扉にしがみつきます。そして中を覗いてレン君が出てくるのを待っています。
動物というのは、かくも情が深い生き物だなのだ、と改めて思い知りました。自分の子供の世話を放棄し、餓死させたり凍死させたり虐待死させたりする人間は、なんて恥ずかしい生き物でしょう。
昨日は実家の母の様子を見に行く前に、近所の花屋さんにお供え用の花を注文しておき、夕方帰ってくるとそのお花や、レン君に供えるおやつを包装してレン君ちへ持っていきました。でもちょうどその時間帯に霊園で火葬と葬儀をしていたそうでお留守だったので、玄関先に置いて帰ってきました。
ウメも来月11歳になりますが、仲良かった犬が段々こうして死んでいきます。
レン君の前はトイプードルのリリーちゃん。その前は甲斐犬のナナ丸君。その前はラブラドルのタンクちゃん。
引っ越しで会えなくなった柴犬のマロちゃんやグーちゃん、レアちゃん。飼い主さんが離婚して親戚に引き取られたノア君(でも新しい家は、海のそばなので、ノア君は毎日砂浜を思いっきり走って楽しく暮らしているそうです。気まずい空気の家庭にいるよりは、犬にとって温かな家庭の方が幸せです。前の飼い主さんもノア君をとても可愛がっていましたから、苦渋の、且つ賢明な選択だったと思います。)、飼い主さんが高齢で散歩できなくなり、毎月養育費を支払うと世話をしてくれる施設に預けられた柴犬のチャコちゃん(でも二度と飼い主さんはチャコちゃんと会ってはいけない決まりなのだそうで、飼い主のおばあさんは悲しがっています)。
いつかは来る別れ。犬や猫の方が寿命が短いので、残された人間はその都度悲しみにうちひしがれ、ダメージを受けます。それでも一緒に過ごした楽しかった時間を思い出し、それを抱きしめながら生きて行きます。幸せだったことを思い出してまた飼う人も少なくありません。私のところも、猫のおはぎちゃんを亡くして3年は飼えませんでしたが、猫の可愛さを忘れられず、今またハルとチーという2匹の猫の里親となって幸せな時間をもらっています。やはり犬や猫というのは、人間にとってかけがえのないパートナー、大切な家族だと思います。
最近気づいたのは、犬を飼っていると、近所で犬を通して知り合う人がすごく多いことです。猫を飼っていても、あまりそういう世界はありませんが、犬の場合外を散歩するため、同じく犬を散歩させている人と挨拶から始まり、仲よくなる人も多いのです。今ざっと数えてみたら、ゆうに50人くらいの人は知っています(私が話好きなせいもあります)。これはすごいことです。犬を散歩させていなければ、この近所の50人の人とは知り合っていませんでした。この50人は、いわば「ご近所犬ネットワーク」とでも申しましょうか。
会えば犬の話題だけでなく、抱えているご高齢のご家族の話になったり、病気や子どもの話になったり、美味しいお店や通っているヨガ教室の話になったり、話題は広がる一方です。これは、本当に面白い世界です。学ぶことも多いです。
そんな「ご近所犬ネットワーク」の中で、特に仲のいい犬は2~3匹で、その中の1匹がレン君でした。
レン君今までウメと仲良くしてくれて、有難う。
これからもずっと、ウメの心の友達でいてください。
合掌。