日々コウジ中

日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

2018年08月

IMG_6700


私はプラナリアを飼っています。
週に1度くらいの頻度で、餌の冷凍赤虫を与え、そのあと赤虫で汚れた水を替えるため、2日に分けて水槽の水替えをします。2日かけるのは、移動したあとの水槽やバケツの中に、取り残されたプラナリアがいないよう、細心の注意を払うからです。 赤虫を与える前の写真が、添付です。よ~く見ると、水槽の中にプラナリアが見えますけど、見えるかな。赤虫は、キューブ状で冷凍されいて、その1つをこの写真ではトレーに乗せたところです。解凍するとドリップが出るので、ペーパータオルで水分を取ってから与えます。その方が水が傷まない気がして。

手順としては、1~2日、前もって日向に汲み置きしてカルキを抜いておいたバケツの水を用意し、1週間のうちに水面に油膜ができた水槽の水を3分の1くらい捨てます。なぜか知りませんが、プラナリアの入っている水は、油膜ができます。油膜を捨てて残った少しきれいな水槽の半分を、水が少な目に入ったバケツの1つ(ここではピンク色のバケツ)に分けます。バケツが2つあるのは、単に大きなバケツが家にないからです。また、バケツの水を少な目にしておかないと、水槽からの水が入らないからです。 あ、なぜ水槽の水をバケツに入れるかというと、今まで住んでいた水の成分も入っていた方がいいでしょうから、です。赤虫を与えたあとの水槽の水は、汚れてしまうので、与える前の水をバケツに入れておくことが肝心です。

10分ほどで自然解凍できた赤虫を、つまようじで掬って水槽に入れます。 1時間ほどして水槽を覗くと、白く透き通っていたプラナリアの体が、赤虫を食べたことにより、赤く太っています。その姿を見た時の嬉しさと言ったら…!

(わあ、食べた食べた!)と笑みをこぼしながら、水槽を離れ、しばらく待ちます。やがてどのプラナリアも満腹になった頃を見計らって、1匹1匹(時にはいっぺんに2匹)をスプーンで掬って、新しい水と今までの水槽の水が混ざったバケツに移動します。 このプラナリアの引っ越し作業が時間がかかるのですが、心が無になり、とても安らぐひとときです。

全部移動し終えると、水槽の水を翌日捨て、水槽も洗います。翌日までに何度も水槽を覗き、取り残されたプラナリアがいないか、確認します。ものすごく小さなプラナリアが、残っていたりするので、(おお、危ない危ない。危なかったねえ、キミ!ごめんねえ。)とそれも救い、完全に動くものがなくなってから、水を捨てます。

きれいになった水槽に、前日バケツに移されていたプラナリアをバケツの水ごと戻します。やはり写真のバケツより水槽の方が容量多く入るので、足りない水は、もう1つの汲み置きしてあるバケツ(青いバケツ)の水から補充します。これでまた1週間くらい、プラナリアはゆうゆう幸せそうに生きています。
以上が、私なりのプラナリアのお世話方法です。 水温が高いと溶けて死んでしまうので、涼しいところに置きます。時々、プラナリアが喜ぶかな、と近所の熱帯魚屋さんで水草を買ってきて、浮かべてあげます。やはり嬉しそうに水草に絡まっています。

プラナリアは分裂して増えるので、今100匹くらいかな。
身体を切断されても、それぞれに頭ができて再生する、不思議な生き物です。
私は切断しませんけどね。 目が2つあって、可愛いです。

1年半前の佐久市での講演のあと、佐久総合病院から歩いて駅まで戻る途中に千曲川が流れていました。
私は川岸へ降りて行き、ワクワクしながら石をあげてプラナリアを探しましたが、いませんでした。

私は無知でした。
プラナリアは、きっと持ち上げられた石の裏についていたのです。
なのに私はどかされた石があった、水の中を探したのでした。
またいつか清流のそばに行ける機会があったら、今度こそどけた石の裏を探して、プラナリアを見つけてみたいです。

・・・ ああ、これが55歳のおばさんの楽しみか、とふと我に返ると、きっと滑稽ですよね。
でも、いいのです。これが私なのですから。

さて、この間の日曜は、実家へ母の様子見がてら、夫コウジさんと母に囲碁を打ってもらいました。5子置き碁し、なおかつ母に教えてもらいながら打ったので、コウジさんが勝ちました。 だから5子じゃなくて3子にすれば良かったのに~。 私は母も夫も両方応援しているので、どっちが勝っても複雑な心境です。コウジさんも、少しずつ囲碁が上達しているようですよ。本人からやろうとしないので、囲碁する場を設定するのが大変で、私が忙しいと1か月1回も碁石を持たない、なんてことはざらです。

その日、実家のリビングで母と夫が対局している向こうでは、NHKEテレの囲碁番組がついており、石倉昇先生が、解説をされていました。
いつも囲碁教室でお会いする石倉先生と同じく、優しくわかりやすい説明のようでした。

「ようでした」、ごいうのは、私がまだへたっぴなので、テレビ放送されているNHK杯の対局など、理解できないことが多いからです。多分わかりやすいのでしょうけれど、まだ私にはわからない、のであります(苦笑)。

帰宅してから、録画してあったその番組を、ゆっくり見始めました。でも途中で疲れて眠くなり、また翌日見ました。ふんふん、なんとなく意味がわかる気がするけれど、やっぱりまだ私には難しい。これはまた最初から見直そう、そうしたら段々わかってくるかも、という気がしました。

けれど最近(いつものことながら)、忙しくて家で囲碁クエストをする時間も、囲碁の本を読む時間もありません(悠長に見えるプラナリアの世話は、マストなんです)。宿題をやらずに学校へ行くときのような、あの不安な、絶対打ちのめされることが最初からわかっているような絶望的な気持ちで、今度の囲碁教室へ行くと思います。 でも負けるつもりでいれば、怖くありません。そう思うのに、いざ対局が始まると、どうせなら勝ちたくなるんですね。負けるだろうけれど、最後まで望みを捨てず、頑張ろうと思います。

ここ最近少し涼しい日が数日あったので、今までやけどしそうなくらい熱かったアスファルトに悲鳴をあげてすぐUターンしてきたウメの散歩も、午前1時間、午後1時間となりました。 
いやだあ~、少し涼しくなったとはいえ、相変わらず気温30度は越えていますし、湿度がめちゃくちゃ高いので、汗だくで帰宅、シャワーの日々です。

帰宅してまたすぐ用事に取り掛かれるかというと、そうではなくて、気力体力が元に戻るのに、30分以上はかかるのです。ご飯も作るし食料など買い出しもあるし掃除もあるし、残った時間で講演準備や用事をしているため、囲碁ができないではありませんか。・・・ 夏の間は、効率悪いのは仕方ありませんね。

ということで、今日のブログ最後は、お知らせです。

昨年から始まった、「秋の信州囲碁三昧」ツアーが、今年は王銘琬九段ご夫妻も交えて、9月29日(土)~10月1日(月)に催されます。

主催は、「碁石海岸で囲碁まつり実行委員会」「全国盲学校囲碁大会実行委員会」「日本棋院長野県本部」「暮らしと耐震協議会」。 後援(予定)は、日本棋院・全国盲学校長会・長野県・長野県教育委員会・長野市・山ノ内町・長野青年会議所・中野青年会議所。

私はコウジさんが心配なのと、犬猫世話もあるため、1泊が限度で、9月30日から参加しようと思います。(そういう部分参加もありです。)

詳しくは木谷正道さんのHPでチラシをご覧ください。
http://kokorono-uta.net/kokorono-uta/

良かったらお申込みください(あと10名ほどで、いっぱいになるそうです)。



IMG_6690


昨日、コウジさんと1本のとうもろこしを半分に分け、「おいしいね。」と食べていた時、ふと感じた疑問を私はもらしました。 「100年後も、人はこうしてとうもろこしを食べているのかな。」

コウジさんは「そうだよ。食べているんだよ。」とこともなげに答え、食べ続けています。

ふうん・・・。 もうその時に私はこの世にいないけど、人々の暮らしはずっと続いているんだろうな(核戦争などが起きない限り)。 携帯電話やパソコンが普及したこの30年近くで、世の中は随分変わりましたが、100年後の世界は、どれだけ技術が進んでいるのでしょう。宇宙旅行も普通になっているのかもしれません。父が罹患したパーキンソン病、コウジさんの父がそれで亡くなったガンも、認知症も、みんな治る病気になっているかもしれません。 どんな世界になっているのか、見てみたかったな。

人は1人の例外なく死ぬのは当たり前のことですが、生死について、最近ぼんやり考えます。
父が亡くなったこと、西城秀樹さんなど著名人が亡くなったことを悲しむ一方、(でも私だってもうすぐそっちの世界へ行くのだから、同じだわ。)と、浮かんできた涙が止まったりしています。

お盆の時期というのもありますし、道端に転がっているセミの死骸を見ることも増えたせいもあります。
熱いアスファルトの上に転がっているセミを見つけると、やはり可哀想に思い、拾い上げて日陰の草の上に置いてあげます。

街路樹の根本がコンクリートで固められている場所を見ると、地下にいたかもしれないセミは、出てこられたのだろうか、と心配になります。

夜の間中、ベランダで狩りをしたくて待機している猫のチーは、この頃はカナブンではなく、トンボを捕まえてくるようになりました。 せっかくヤゴからトンボになったばかりなのに! とトンボをくわえて走るチーを、血相を変えて追いかける私。 大猫のハルは狩りはしないのに、このチーはとてもすばしっこいです。

犬友達のアメリちゃんママが、猫2匹飼い出してからはすっかり猫好きになり、マンガの『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』を貸してくれました。 面白かった~。 私もお返しに、ワッチが以前買ってあった『ニャアアアン!』の1巻と2巻を貸してあげました。これも面白いです。

私は子供のころからマンガが好きでした。
長谷川町子さんの「サザエさん」、「いじわるばあさん」はもちろんのこと、白戸三平さんの「カムイ伝」も大好きでした。白戸さんはまだご健在なのを、この間新聞記事で知り、嬉しく思いました。水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」や「河童の三平」、藤子不二雄さんの「ドラえもん」、手塚治さんの「ブラックジャック」などや、楳図かずおさんも大好きで、楳図さんの本はほとんど持っています。

中学生になると、少女マンガが好きで、「別冊マーガレット」「りぼん」などを夢中で読みました。その中ではくらもちふさこさんや、一条ゆかりさんが好きでした。
高校では、同人誌を作ったりもして自分でも少女マンガを描いていましたが、大人になってからはあまり読まなくなっていました。

マンガ、本、映画・・・ そういうものを心ゆくまで読んだり見たりしたいけれど、自分の今の年齢と生活を考えると、その時間をなかなか取れないでいます。小さく(えいっ!)と思い切らないと、マンガも読めません。ほかにしなくてはいけないことが、色々ある気がして・・・ (すみません、メールなどにお返事できていない方も何人かいらっしゃるのに、マンガを読んでいて。借りたものは早く返さないといけないので。)

ここ数日で、3冊本や雑誌を読みました。それもやはり読まなくては、という必要を感じてアマゾンに注文したものです。

そのうちの1冊が、昨日手元に届いた雑誌、『地域人』です。

この中に、視覚障害者でアマ4段の腕前を持つ、柿島光晴さんの記事が掲載されていたので、予約注文していました。配送の遅れがあったそうで、10日発売でしたが、昨日やっと入手できたのです。

柿島さんが23歳で網膜色素変性症という病気から失明されたこと、アニメ『ヒカルの碁』に出会い、アイゴという視覚障害者用の碁盤を使って腕をあげたこと。今は全国の盲学校をアイゴを寄贈しながら回られ、囲碁指導もされていること。そして大船渡で始まった「碁石海岸で囲碁まつり」の昨年度は、全国盲学校囲碁大会の実行委員長になられたこと、など、柿島さんについての詳しいお話が、写真と一緒に上手な文章でまとめられていました。
関心のある方は、どうぞご注文されてお読みください。

http://chiikijin.chikouken.jp/

また、明日8月22日(水)夜10時からNHKで、大分などにある障害者施設「太陽の家」を作られた医師、中村裕さんの番組 「太陽を愛したひと」があるそうです。 障害者に仕事をしてもらうことに情熱を傾けられた中村さんの話を、是非ご覧ください。

ひどい話ですね~・・・

ええ、中央省庁の障害者雇用数水増しの件です。
障害者雇用が義務付けられて以来42年にわたって、水増しという不正が恒常化していたそうです。

東京新聞の今日の第一面記事からの引用になりますが、
「国や自治体は模範となるべく、非正規従業員を含む常時雇用者の中で法廷雇用率を、企業より高い2・5%(三月末まで2・3%)に設定。昨年六月一日時点で、国の三十三行政機関で合計六千九百人の障害者を雇用し、平均雇用率は2・49%だった。」

「だが、国交省や総務省など十近い主要省庁で、手帳交付に至らない比較的障害の程度が軽い職員などを合算することが常態化していた。拘束時間の長さや国会対応など突発的な仕事が多い特性から採用が進まなかったのが理由とみられる。 対象外の人数を除くと、実際の雇用率が1%未満になる省庁が多いとみられる。」

なんだそうですよ。それじゃあ、民間企業よりずっと低い雇用率になります。

障害者雇用が義務付けられた企業は、目標(法定雇用率2・2%以上)を達成できない場合は、1人不足すると原則月5万円の納付金が課せられ、企業名を公表されることもあるのに。

ズルをしていた省庁は、真面目な話、遡って違反金を納めないといけないんじゃないでしょうか。

民間企業は努力して、障害者雇用を進め、「昨年六月時点で約四十九万六千人、実際の雇用率は1・97%と、いずれも過去最高を更新」しているのに、見本となるべき省庁がこんなことをやっていたなんて。
これでは、国が障害者雇用を本気で考えているとは、到底思えません。身内にだけは甘いなあ。

政府には不正はないという前提で、チェック機能を設けなかったから、このようなことが起きたそうですが、なぜそれが今回明らかになったのかな。明らかになっただけ、まだマシですけれど、明らかになったことで、本来対象になるべき障害者の方々の雇用が、新たに必要となると思いますよ。宜しくお願いしますよ。

この話だけ書きたくて、ここへ来ました。

明日午前は囲碁教室で、午後はそこで知り合った囲碁仲間が、私の家で続きの囲碁の勉強会をするので、もう寝ます。3か月前から月1回、この勉強会が始まったのですが、当初ほかの方の家でやる話だったので、私は参加できる時だけ参加しようと思っていたのです。 でも急にその家の方の都合が悪くなったので、我が家になったのでした。 我が家になったなら、コウジさんにも参加してもらいたいのですが、今のところコウジさんはこちらのおばさん集団の熱気に恐れをなして、あまり近寄ってこず、1人向こうでテレビを見ていることが多いです。

とにかくもう寝ないと。もう午前1時だ、おやすみなさい。

数日前、コウジさんがMBAを取得した時に知り合ったご夫婦と、昼食を共にしました。
かれこれ30年近く前に遡りますが、そのご夫婦とは大学院の世帯寮で隣り合わせに住んでいた時期があったのです。当時コウジさんは都市銀行に勤務していて、銀行から企業派遣という形で大学院に来ていたのですが、そのご夫婦も同様に、別の都市銀行から企業派遣されて来ていました。私たち夫婦も、そのご夫婦も、皆まだ20歳代でした。若かったなあ~。

とても気が合った私たちは、一緒に近くの渓谷へ行ってバーベキューをしたり、大学院を卒業してからも、お互いの家を行き来していました。

そうこうするうちに、コウジさんは銀行を辞めて転職を重ね起業、すぐくも膜下出血で倒れ、後遺症である高次脳機能障害を負い、リハビリ生活を経てから障害者枠での就職活動、そして就職しました。
一方そのご夫婦は、ご主人が銀行の海外の色々な支店に、副支店長、支店長という役職で赴任、お子さんたちはインターナショナルスクールに通っていました。海外赴任が長く続いたので、自然と会うこともなくなっていました。それでも一時帰国した束の間の休みに、時間を作ってくれてお会いしたのが数年前。その時、私たち夫婦をとても心配してくれ、食事までご馳走してくれました。

数年前に日本に戻られてからも忙しく、今はご主人が京都に単身赴任されている中、お誘い頂いたのでした。このブログにも、数か月前に亡くなられたアメリカの知人女性のことを書きましたが、その女性には私たち夫婦だけでなく、そのご夫婦の方がもっとお世話になっていたので、その女性の思い出話をして偲ぼうという話になったのです。

久しぶりにお会いするご主人はすっかり貫禄がついて、まさに役員のご風貌。奥様も、相変わらず若々しく美しい。お子さんたちもそれぞれ有名私立大学へ進み、就職先も保険会社や商社、と絵に描いたような上流家庭です。

昼食のあと、そばのご自宅へも招いて下さいましたが、それがまたすごい豪邸でした。車庫にはベンツも。
わあ、大学院の狭い40平方メートルしかない世帯寮に共に住んでいたご夫婦が、今は社会的にも大変成功され、とても裕福に幸せに暮らされているのを見て、(う~ん、うちも同じようなルートを辿っていたかも知れなかったのに、全然違う生活になっているなあ。)、と否が応でも頭の中で比べてしまいました。 

でも比べても、「うちと違うなあ。」「どこで道が分かれたかなあ。」「やっぱりうちは大きな病気をしたからだなあ。」と思うだけで、今の自分の暮らしは、それはそれでいいものだと肯定する自分がいます。なので、ちょっと羨ましいけれど、「いいの、うちはこれで。」と首を横に振る私でした。コウジさんも、「すごい家だなあ!」「いい車だなあ!」と無邪気に感心しながらも、「○○さん(ご主人の名)、頑張ったんだなあ。偉いなあ。」と心から喜んでいました。

そうです、○○さんはとても優秀で、とても努力家で、誰からも好かれる好人物なので、出世されるのは当たり前です。コウジさんは、人は好くても、あんまり出世しそうなタイプにも思えないので(ゴメン!笑)、病気していなくても、今とトントンでしょう。ただ、○○さんが忙しすぎるのが、心配です。

嬉しいのは、ご夫婦が、私たち夫婦のことを気にかけて下さったことです。そして、真剣に色々な話をし、私の話にも一所懸命耳を傾けてくれたことでした。奥さんが、涙を拭いていた優しい姿も。そして、私の考え方、感じ方に間違えた点があれば、ご主人がそこを修正してくれたこと。

たとえば、コウジさんが障害者になって、今までの友達が(数人を除いて)いなくなってしまった、と私が感じている点について、そのご主人は、「僕も誰とも会っていませんよ。」と言いました。大学を卒業して以来、皆仕事が忙しいから、会わないのだそうです。

「え、そうなんですか!?」、と驚く私。コウジさんが障害者になったゆえに、友達がそばからいなくなったのだと思うのは、けちな被害妄想の仕業なのかもしれない、という初めての考えが浮かんだのでした。

また、大学時代のサークル仲間に、忘年会で会う時に、その友人らに向けて私が高次脳機能障害の症状を書き、コウジさんから彼らにその紙を渡してもらったにもかかわらず、新宿歌舞伎町のど真ん中に、酔っぱらったコウジさんを1人残して皆で3次会へ消えた件。 これは『日々コウジ中』にも書いて、私が怒っていたできごとですが、ご主人いわく、「だって、こうして会っていても、普通だもん」。
つまり、コウジさんが普通の人なので、問題なく1人で帰れるだろうと信じ、普通に歌舞伎町のど真ん中でバイバイしたのだろうと言うのです。(実際は迷って、大変だったんですよ~!)

私が「すぐ忘れるので、同じ話をすると思います。」「同じ質問をすると思います。」「すぐ怒ったり泣いたりすると思います。」「道に迷います。」「作り話します。」・・・ など、あんなにコウジさんの障害について詳しく書いたのに、彼らは(なんだ、別に普通じゃん。)と、その紙で説明されているコウジさんよりも、実際目の前にいるコウジさんで判断したのだ、というのです。

ええ~!そういうことだったの?
わかりづらい障害だから、その障害が見えず、普通に見える外観で判断してしまったの?彼らも皆さん、酔っぱらっているし?なるほど・・・。 そう考えると、あまり怒れない件なのかもしれません。

でも、ほかの忘年会では、普通に見えるコウジさんを、電車に乗るまで見送ってくれた友人もいます。その友人は、その後もなにかにつけて私たち夫婦を心配してくれ、ご自分の勤務先に申請して、私たち夫婦が毎年楽しみに参加している世田谷高次脳機能障害連絡協議会主催の「春の音コンサート」の運営資金への助成金を勝ち取ってくれもしました。

・・・やはり、きっとその友人や、今目の前にいるご夫婦は、特別なのだと思います。特別、他人への思いやりが深い方たちなのだと思います。そんな人たちがそばにいてくれたなんて、なあんだ、私とコウジさんは、恵まれているじゃない!感謝しなければ!時が経つほどに、心に余裕ができてきて、今まで見えなかった、手を差し伸べてくれている友人たちの姿が見えてきたともいえます。今まで失礼しました。


もしコウジさんがあのままバリバリ働いていたら、私もイラスト仕事をしたり、構想を持っていた絵本輸入会社を作っていたりしていたら、果たして友人が脳卒中や事故で高次脳機能障害者になったとして、そのご夫婦のために助成金を取ろうとしたでしょうか。 せっかくの休みの日に、4時間も5時間も時間を割いて、自宅に招いたり、車で送ってあげたりしたでしょうか。

わかりません。

もしかしたら、しなかったかもしれません。

自分の仕事や、楽しみに時間を使うのに忙しくて、友人(他人)の苦しさや寂しさに気づかなかったかもしれません。

あるいは、助成金をとったり、食事を共にしたり、自宅に招いたり、話を真摯に聞いてあげたり、心配したり、車で送ったり、 したかもしれません。

していた、と信じたいけれど、なんだか、自信がなくなってきてしまいました。

だから、このご夫婦や、その友人は、素晴らしい人たちだ、と思うのです。

出会えたことに感謝し、その方たちの心遣いに見合うよう、これからも一所懸命真面目に生きていきたい、と思います。

そのご主人は、「今までは皆忙しかったけれど、定年過ぎれば、寄ってきてくれますよ。」とも言いました。

うん、そうかもしれません。でも、今はもうそんなに孤独ではないから、いいのだけど。

コウジさんが43歳で倒れ、私が41歳だった頃が、一番孤独で、どん底だったので、その時に沢山の人に寄ってきてもらいたかったのだけど。でも贅沢はいいません。ここまでなんとかやってこれたのも、色々な人に助けてもらったからです。有難うございました。

そのご夫婦に車で送ってもらい、帰宅して1時間後には、コウジさんはその日のことを忘れていました。

どこへ行ったか、誰と会ったか、いつものように思い出せませんでした。

うんうん唸って、ようやく頭から絞り出せたのは、ご夫婦の家にいた、1匹の小さな犬の姿でした。
「犬がいた!」と叫ぶコウジさん。

その犬は、すごく可愛いかったんです。
ヨークシャーテリアで、14歳という老犬で、前日にサマーカット(夏用に毛を短く刈ること)したばかりだというので、ほとんど皮膚なんです(笑)。 しかも、足腰が弱くなっているので、絨毯の上はいいけれど、フローリングの上はつるつる足を滑らして歩くんです。そしてすぐパタン、とどこでも寝ていたんです。

その無防備で毛のないおかしな小動物が、私もコウジさんもすごく可愛いく思えて、可愛いすぎて涙が出るほどでした。あまりに可愛いので、もし今後ウメが天寿を全うしたなら、自分の年齢も考えて、高齢の、引き取り手のない、病気でもいいので、ヨークシャーテリアの里親になって、それを最後に犬を飼うのをやめよう、と考えたほどでした。(ウメが死ぬことを考えるのも、すごく嫌なことですが。こんなに大好きなウメに死なれることは、たまらなく怖いことです。)

4時間以上もご夫婦と一緒にいて、食事したりお茶飲んだり、あれだけ泣いたり笑ったりしながら話して、楽しい時間を過ごしたのに、それを全て忘れ、コウジさんの頭に残っていたのは、小さくて頼りない、ユーモラスな犬の姿だけでした。

それを考えると、動物というのは、人間の脳に特別枠で記憶に定着するもの、脳に訴えるものなのではないか、という気がしてきます。脳にというより、心に、と言った方が正確かもしれません。アニマルセラピーというものもありますしね。

その後、私が教えてあげて、やっとコウジさんはご夫婦と会ったことを思い出しました。

奥さんにも、そのことをメールで伝えると、やはり驚いていました。
別れたあと、ご夫婦で、「随分回復したね。」「脳のお病気をされたなんてわからないね。」と話していたのだそうです。数時間前の記憶がないことを知って愕然とされ、高次脳機能障害というものに改めて理解を深めてくれました。

さあ、なにはともあれ、色々あるけど、今日も生きていられたことに感謝し、前を向いて歩いていきましょう。

でも、横もキョロキョロ見て、あの二歳の男の子を発見した尾畠さんのように、困っている人がいたら、手を差し伸べていきましょう。


山口県で行方不明だった2歳の男の子、見つかって良かったですね。
見つけて下さった78歳の尾畠春夫さんのことを、さっきテレビ朝日の報道ステーションで詳しく紹介していましたが、なんだかとても面白く、立派な方なんですね。

日本各地で災害が起きると、軽トラックでボランテイアに駆けつけられる生活を、65歳からされているそうです。
65歳までは魚屋さんをされていて、65歳の誕生日にぴったり魚屋さんをやめられ、今までお世話になった社会に恩返ししようと、ボランティアを始めたそうです。

色々な映像が残っていました。
2011年の東日本大震災の時には、濡れた写真をきれいに洗って干しているところをインタビューされていました。広島の豪雨災害でも、がれきをどかしている姿が。それも尾畠さんです。

今回、新聞記事で男の子が行方不明になっていることを知り、翌日もまだ行方不明で、さらにその翌日も行方不明のままだったので、「行こう!」と思ったそうです。夜、寝ながら、自分は男の子を見つけられそうな気がしたんだそうです。そしてその予感が的中し、山に入って20分後には男の子を抱っこして戻ってきたんですよ。ということは、往復で20分なので、10分で見つけたということです。なんて方でしょう!すごい勘です。聞けば、以前にも地元大分で行方不明の女の子を捜索するボランテイアに加わったことがあったので、その経験から「子供は山へ登って行く」と、上を目指したんだそうです。

男の子が見つかったのもすごく嬉しいことですが、この尾畠さんという方を知れたのも、私は嬉しいです。こういうスーパーマンのような人が、日本にいるんですね。日本の宝ですね。

と、久しぶりに明るいニュースに触れ興奮していますが、今日は73回目の終戦記念日でした。
正午の黙とうの時、私も目を閉じて犠牲になられた人たちのことを思いました。
戦争は絶対してはいけない、それは日本だけでなく、世界中にいえることです。

お知らせを2つ。
1つ目は、私が通っている囲碁教室の石倉昇先生が、テレビに出られます。
8月19日(日)
NHKEテレ 午後0時半~1時55分
NHK杯 羽根直樹九段 対 佐田篤史三段
解説 石倉昇九段

楽しみ!でもその時間、もしかしたら実家へ行っているかもしれないので、一応録画しておきます。

ほかにも石倉先生は、以下の番組にも出られているそうです。

●囲碁・将棋チャンネル
 「石倉流 すぐに役立つ布石作戦」 火曜 午後零時から零時30分

 「碁の教科書シリーズ2 定石の使い方」 日曜 午前7時~7時半

2つ目は、世田谷区の高次脳機能障害情報です。

「世田谷高次脳機能障害の今を振り返る」
日時8月24日(金) 18時半~20時半
場所 : 三茶しゃれなあどホール(三軒茶屋駅徒歩1分)

第1部 これまでの25年間を長谷川幹医師と振り返る。
 長谷川幹氏、繁野玖美氏、今井雅子氏
第2部 世田谷のこれからを語る
 和田義明氏 ほか4名。
主催 : 世田谷区高次脳機能障害者関係施設連絡会
定員 : 120名
入場無料

申込・お問い合わせ TEL 03-5376-3414 世田谷区立総合福祉センター(担当:別所さん)
             TEL03-5712-5105 ケアセンターふらっと(担当・川邊さん)

申込多数の場合は、区内在住の人を優先に選ばれるとのことです。

ではまた。

↑このページのトップヘ