ようやく三池炭鉱の話に戻ってこられました。間があいてしまい、すみませんでした。

私が、去る3月8日に参議院議員会館で行われた三池炭鉱爆発事故被災者団体と議員さん達との集会へ行ったのは、「サークルエコー」代表の田辺和子さんに誘われたからなのですが、「サークルエコー」は、高次脳機能障害の団体ですが、低酸素脳症を原因とする人が多いのが特徴です。

田辺さんの息子さんは、大学の4年生だった1992年、持病の喘息の発作、続く医療トラブルから呼吸停止、重い高次脳機能障害が残りました。1993年のことで、当時は高次脳機能障害は世に知られていなくて、田辺さんは自分の息子と同じような障害者は世界でほかにいないのか、と愕然とされたそうです。

その後田辺さんは仲間2人を見つけられ、3人で1998年に「サークルエコー」を立ち上げられました。 前年の1997年には、交通事故によって息子さんが高次脳機能障害を負った東川悦子さんや大塚由美子さんが、神奈川県に「ナナ」の会を立ち上げられていました。同年には名古屋にも「みずほ」が、1999年には北海道に「コロボックル」や東京に「ハイリハ東京」が、2000年には静岡や埼玉にもそれぞれ家族会ができました。
こうして日本各地に家族会ができ続け、日本の高次脳機能障害家族会の活動はスタートしていきました。

田辺さんは三池炭鉱の事故については1963年の事故当時から関心を持っていたそうですが、エコーを作られた頃に、(これは高次脳機能障害ではないか?)と気づかれたそうです。3月10日の私のブログのくり返しになりますが、低酸素脳症は溺れたり心臓発作を起こしたりして脳に酸素が行かなくなることによって起き、その結果亡くなられたり高次脳機能障害が残ったりします。 三池炭鉱事故による一酸化(CO)中毒も、動静脈中の血液の酸素がCOに置き換わり低酸素脳症になって、やはり亡くなられたり高次脳機能障害が残ったりするので、原因や症状は同じなのです。

水俣病研究で高名な原田正純医師たちもかかわられていましたが、当時はまだ高次脳機能障害という障害名がなくて、「CO中毒」という言葉だけでした。

そのうち三池炭鉱のCO中毒は高次脳機能障害である、と言われ始め、実は三池炭鉱事故被災者こそ、我が国の高次脳機能障害の先駆と見なされ始めました。私はそのことを、最近まで知りませんでした。本などでそこをきちんと書かれた山口研一郎医師と知り合ったことで、知ったのでした。

8日は、勉強のために行ったのですが、田辺さんらほかの方々と一緒に、前に出てご挨拶することになりました。私としてもできることをしなくては、という責任を感じました。

集会に参加されていた議員さんの中には、福島みずほさんもいらっしゃいました。
私が昨年7月に川崎でヘイトスピーチを止めるデモに参加した時にも、そこで福島さんや有田芳生さんを見ましたし、2014年5月の尊厳死法制化を考える院内集会でも、福島さんはいらっしゃいましたので、色々なところで繋がっているなあ、と思いました。

昨日までは初夏のような陽気で、家の近くではウグイスが「ホー、ホケキョケ」(ホケキョ、でなくて、ホケキョケ、でした)と鳴き、小ぶりな春アゲハ蝶がひらひら飛んでいたのですが、今日は1日冷たい雨でした。
蝶はどこかで羽を休めているのだと思いますが、明日は晴れるそうなので、また飛び回ってね。

うちの犬ウメは、まだ冬毛でモコモコしていますけれど、白柴の小太郎君の家を通りかかると、敷地には小太郎君の抜け毛の山がありました。
そしてそれを、一羽のカラスが大きな口を開けて、懸命にくわえて持ち運ぼうとしていました。 これから巣作りなんですね。
やはり、春が来たなあ。

(つづく)