「囲碁は、面白いね。」
昨夜、コウジさんはこう言いました。
私は、(やった!しめしめ、やっとコウジさんのやる気にスイッチが入ったかな?)と思いました。
きっと、昨日の大森での囲碁の会が、彼には相当面白かったのでしょう。
その話をする前に、囲碁の面白さは、今私が考える限りでは3つあると思います

1つは、「囲碁自体の面白さ」。たった黒い石と白い石を使った陣取りゲームなのに、奥が深いです。囲碁歴20年以上の82歳の母も、「こんな面白いもの、誰が考えたのかしら、っていつも思うわ。」と言っております。

どうしたら相手より自分の陣地を広げられるか、という勝敗ゲームですが、整地するまでは、どっちが勝ったのか、まだ初心者の私にはわかりません。勝っても、「え、勝てたの?負けたと思ったのに。」。負けても、「なんで負けなのかな。勝ったと思っていたのに。」と、ぼんやりしたあと、やはり勝てたのはあそこが良かったのだ、やはり負けたのは、あそこが悪かったのだ、と反芻する楽しさもあります。

では、勝てたら良いのか、というと、そうともいえません。もちろん、自分の力だけで勝てたなら嬉しいでしょうが、相手のミスがあったり、元々自分の方が棋力が上だったりしたら、勝利の喜びもそんなに大きくはないでしょう。

昨日、元アマ本因坊で5月に世界アマチュア囲碁選手権に日本代表として出られる村上深さんに、対局して頂きました。
村上さんは色々な高次脳機能障害者(夫も含め)に教えてくれていましたが、ふと手があいていらしたので、「1局お願いできますか?」と頼んだところ、「いいですよ。」と快く引き受けて下さったのです。嬉しい!

9路盤で私が黒番(先番)で始めましたが、私がうんうん唸っていると、「もし悩んでいるのなら、ここで白黒の石を替えてみますか?」と提案してくれました。村上さんが今劣勢の私の黒石になり、私が優勢の村上さんの白石になってもいい、と言われるのです。面白いな~、と思いましたが、「いえ、もう少し頑張ります。」と言うと、「そうですか。じゃあ、交替する権利は1回だけ、残しておきましょう。」と言われました。

さて、いよいよ追い詰められ、境界もできて私の黒石の負けがほぼ決定した時に、「村上さん、ここで石を替えたいです。」と言いました。負けかなあ、と思った時点での申し出に、我ながらすごく村上さんに失礼だと思いましたが、初心者の私は、これで負けるのかがよくわからなかったので、言えたのです。もしかして私は負けだと思うけれど、まだ可能性はあるのかな、という期待もありました。

村上さんも、「え、ここで替えますか?」と驚かれながらも、約束なので、「じゃあ、ここから僕も本気で頑張りますよ。」と私の黒石に手を持ち替えて、白地の中に打ちこまれました。 ああ、もう白地と確定だと思っていた中にも入ってみたのだな、それしか勝てる希望はないのだな、私がここでミスをしたら、きっと村上さんは勝てるのだな、と思いながら、慎重に打っていくと、やはり黒は白の領地の中で生きられませんでした。
村上さんも、「ここで終わりですね。生きられません。」と仰り、私の勝ちとなりました。が、やっぱり全然嬉しくありませんでした(笑)。 当たり前ですよね、負けた黒を替わってもらったのですから。私が負けたのと変わりません。

囲碁は勝てても負けても学びがあって面白いと思いますが、ここでわかりました。やっぱり勝てると嬉しいし、負けるとつまらないんですね。当然のことなんですが、今回の村上さんとの対局で、そこがはっきりしました。
(しかも、対局というよりも、9路盤を使った指導碁というもので、私は有利な黒石で、しかも時々村上さんに教わりながら打っていたんですよ。なのに劣勢になり、石を替えてもらい、至れり尽くせりなのに、負けたのです。笑)
ともかく、囲碁をする時はぼんやりした気持ちではなく、「勝つぞ!」「相手より1目でも(半目でも)多く陣地を取るぞ!」という素直な気構えで臨むことが大事だ、と改めて思いました。

ただ、ネットで無料の詰碁をやっていたり(1日たった5、6問ですけど)、石倉先生教室で教わっているので、石の生き死にがだんだんわかってきた気がします。
こうしてまだ20級?のへっぽこの私でも面白いのですから、うまくなればなるほど、面白いに決まっています。ああ、楽しみ!皆さんも、是非囲碁をやってみて下さい。

囲碁の面白さその2つ目は、「囲碁をすると、相手の人の性格や考え方がわかる」ということです。慎重な人、豪快な人、思い切りのいい人、くよくよする人、おっちょこちょいな人など様々で、とても面白いです。囲碁が手談といわれるゆえんはそこにあります。囲碁をすれば、国が違っても、老若男女、障害があるなしに限らず、コミュニケーションができるというのは、とても素晴らしいことだと思いませんか?

また、相手分析だけでなく、囲碁をすることで自己分析もできる、と思います。
話を全て書くと長くなるので割愛しますが、通っている石倉先生教室のある場面で、アシスタントのK先生が「次の一手はどこでしょう?」と言われました。私は(あそこだ!)と瞬時に思い、早く答えを言いたくてドキドキしていましたが、ほかの初心者3名の方たちは慎重に考えていらっしゃいました。そこへ石倉先生が覗きにこられましたが、皆さんまだ考えています。私は(なんでみんな、こんな簡単な問題がわからないのかな?)と隣のK先生に思わず、「だって、一目瞭然じゃないですか?」とつい言ってしまいました。

すると石倉先生が、「あ、じゃあ、打ってみて下さい。」と言われるので、待ってましたとばかりに胸を張った私は、「ここです!」と自信満々に黒石を打ちました。
ところが、「その通り!」と言われるものとばかり思っていたのに、石倉先生は、「ん~・・・、そこに打ちたくなるよね。でもそこだとね、白はこっちを打つんですよね。」と、私が見ていない端の方に白石を置かれました。「そうすると黒はこう、白はこう・・・で、ね、黒石は分断されちゃうんですよ。」「だから最初にこっちに黒石を置き、それからそこへ置くと、黒石は繋がって陣地も大きくなるんです。」と説明されました。

私は自分の手が正しく最良だとばかり思っていたのに、もっと良い手があったことを教えられ、愕然とするやら、出しゃばったあげく間違えていたので赤面するやら、穴があったら入りたいくらいでした。

この経験で、私はほかの皆が考えているのを待てないせっかちで自分勝手な性格、皆を代表して答えようとする傲慢なところがあり、結局間違えていたので軽率でおっちょこちょい、思慮不足だという、とんでもない性格だということがわかりました。ショボン…

こうして囲碁をしていると、自分の性格の反省になり、人間ができていくような気がします。少なくとももう少し思慮深くなったり、視野が広くなったりするのではないでしょうか。今後の私の成長に乞うご期待です(?)

さらに付け加えるなら、今の例は人から教わって自分の性格分析ができたのですが、教わらない普通の対局でも、同じことが言えると思います。いわば、石を使った相手との対話でもあり、自己との対話でもあるのです。

そして囲碁の面白さ3つ目は、「囲碁をする人たちと新しく広い世界を構築できる」ということです。この3つ目が、これからの高齢化・バリアフリー化・多様化社会において、一番重要かもしれません。年齢、性別、国、障害の有無等に関わらず、全ての人とコミュニケーションができるというのが、囲碁の強みであり効用です(思う、というあいまいな言葉ではなく、ここはもう断言してしまいます)。

コウジさんが「囲碁は面白いな」と言うのは、1つ目と2つ目の理由もさることながら、この3つ目が大きいという気がします。

私はこの13年半、高次脳機能障害者である夫コウジさんをそばで見ながら一緒に生活してきて、高次脳機能障害に大事なことは特に2つあると思っています。1つは「障害当事者の居場所」が必要だということ、もう1つは私達「当事者家族への支え」が必要だということです。その2つを講演で訴えています。

「当事者家族への支え」については、私のようにもう長年経って元気になれた当事者家族はまだいいのですが、特に受障後数年は、家族は本当にきついと思います。障害者より介護者が先に倒れないように、気をつけてください。自分がまず元気で健康な精神でいること、すると障害当事者の幸せは、そのあとについてきます。逆に介護者が先に倒れたら、介護者とともに障害者、特に高次脳機能障害者は困ってしまうのです。(なぜ高次脳機能障害者、と但し書きをしたかと申しますと、ほかの障害があっても自立されている方もいらっしゃるからです。高次脳機能障害は「脳の障害」なので、この障害への理解と支援が乏しい世界では、かなり行動に制限を受けていたり、1人ではできないことも多いのです。)

そして「当事者の居場所」とは、ただ「居る場所」というわけでは、もちろんありません。その人が生き生きと再び輝ける場所、生き甲斐や喜びを感じられる場所、リハビリができる場所、自己実現ができる場所、楽しく感じられる場所、力をもらえる場所、そして自分も力を他に与えたい気持ちにまでなれる場所・・・、そうした場所が必要です。

コウジさんの場合、温かい家庭(笑)、働ける場所(会社)はありますが、家庭と会社だけの往復では世界がちょっと狭くて、第三の世界があるといいな、と思っていました。友人らがいればいいのですが、皆さん同世代(43~56歳)は仕事が一番忙しく子育ても大変な時期ですから、あまり私達家族を構ってくれる余裕はないので、コウジさんが自分で趣味でもなんでもいいので、何か楽しめる場所があるといいな、と思っていました。しかもコウジさんの障害のことを理解してくれる場所が。

歌もやりました。近所のコーラス教室に、何年か通いました。そこで仲間もできました。でも、歌う曲が、コウジさん好みではなかったようです。彼が好きなのは、昭和の歌やフォークソング、小田和正さんやコブクロ、森山良子さんです。教室では、なぜか最近は外国の知らない曲や民謡などが続いていて、彼はつまらなそうでした。
そこへ木谷正道さんから声をかけて頂いて囲碁を始めたことで、コーラス教室は行かなくなりました。

するとこの囲碁の会が、なんとも楽しいのです。知らない方がいっぱい、入られてくる方もいれば、やめられる方もいる、また戻ってこられる方もいる、そのへんはとても自由なので気楽です。お金もかかりません。(囲碁って、趣味でやる分には道具もウエアもいらないので、楽です。)
しかも、頭のトレーニングになりリハビリになります。心の唄バンドのコンサートや練習もあり、昨日もバンドが歌ったり練習しているのを背中で聞きながら、ずっと囲碁に熱中されている方々もいました。高次脳機能障害者だけでなく、聴覚障害者や視覚障害者や身体障害者や難病の方々がいて、その家族がいて、囲碁ボランティアの方々がいて、支援職の方々がいて・・・なんでもありの場、ごった煮状態で、自由で、実に面白い場です。 やはり、沢山の人で一緒に何かをするということは、1人でするよりずっと楽しいんですよね。

コウジさんはそこで私にお尻を叩かれながら?何局も打って頂き、ヘロヘロで帰宅しましたが、とても楽しかったようです。疲れやすいので、「もういい。」「もう疲れた。」とすぐ音を上げる彼ですが、まだまだできる、と見た私は何人もの囲碁ボランティアさんにお願いして、相手をして頂いたのでした。

そして昨日はその場に、なんと囲碁には認知機能低下を抑制する効果があるという論文を、先ごろアメリカの雑誌に発表された飯塚あい先生(神経内科医・元院生=プロ棋士を目指されていた方)がいらして、講演して下さったのでした。 その話を次に書きたいと思います。