これは私の個人的な考えなのですが、家族の誰かが病気になると、その家族のそれまでのあり方によって、病人 (障害者) の辿る道は多少変わってくるのかもしれません。

?まず、それまで比較的仲が良く、互いに優しさや信頼関係で結ばれていた家族の場合は、一時期は悲嘆に暮れるものの、再び昔のような家族に戻ろうとして、病気を受容 → 家族が結束してそれを乗り越える努力 → 新しい家族の形を見つけて、又前向きに歩き始める。

 というパターンを辿るのではないでしょうか。

 それは、昔の自分達の家庭のイメージが、戻るべき理想として存在するので、幸せな思い出が原動力となり、絶えず補給される燃料となって、そのイメージに向かって再構築され易いからかも知れません。

 勿論、前向きな姿勢や、困難に負けない強さも要求されますから、簡単なことではなく、実際しんどいものです。

 ただ、この家族が団結する 「家族力」 があるかないかによって、障害や病気を克服することがスムーズにいく家族と、そうでない家族に分かれるのでは、と思うのです。

 残念ながら、それまで余り仲がいいとは言えなかった家族の場合でも、病気がきっかけとなり、案外それで家族がまとまることになるかもしれません。 (勿論、逆の場合もありましょう。)

 「うちはあんまり家族仲が良い、というわけでもないです。」 と思ってらっしゃる方でも、少なくとも今このブログをご覧になっていらっしゃる方は、前者でしょう。

 なぜなら、「どうにかしたい。」 という思いがあるからこそ、ここを覗いて下さっているのですよね。 そういう思いがあれば、いつかは、前向きな新しい家族になるんだと思います。

 「うちは、柴本さんちと違うから・・・」 なんて思わないで下さいよ。 私のうちだって、修羅場は何度もありましたし、本に書いてないこともありますからね。理想的家族ではなかったと思います。でも、どっちかと言われれば、やはり、仲良し家族ではありました。

 そして、とにかく仲が悪かった家族や、お一人暮らしで家族がいらっしゃらない方などは、やはり行政の出番だと思います。 そうした方々には、行政が支援し、生活の不安事を取り除いたり、働き盛りの方なら、就労まで面倒をみてくれるような、家族のような、色々な気配りと対応をお願いします。 (それが家族のいる障害者にも役立ちますし。)

 やはり障害者は、こうして声をあげないと、ダメですね。気づいてもらえません。(高次脳機能障害者の場合は、病識がない人が多いので、家族が声をあげないとなりませんが。)

 今日、目白駅ホームから、全盲の武井さんが転落死された事件を受け、視覚障害者の方々がJR東日本に、ホームドア早期設置やホームに駅員配置などを求める申し入れをしましたね。

 そのニュースを、良いことだと思って見ていました。

 東京新聞では、事件のあった目白駅を、実際に全盲の方に歩いてもらい、その感想を22日の記事にされていましたが、それを読んだ私は、愕然としました。

 なぜなら、点字ブロックが、床より低く敷設されているわ、10年前仕様で老朽化しているわ、突起が浮き出ておらず、その突起も大きめで数も多いため、平坦に感じわ、しかも床がタイル張りなので、ブロックの突起が確認しづらいわ、問題だらけでした。

 これではたしかに、ブロックの意味がないですね。

 武井さんの痛ましい事件が、遅々として進んでこない駅のホーム対策に、拍車をかけることになればいい、と思っています。