「笑い太鼓」 さんに教えて頂いた、名古屋会場、豊橋会場の各聴講者内訳は、次の通りです。
『名古屋会場』
行政1、医療58、福祉93、教育3、家族・当事者100、学生7、その他・未記入31? ? (計293人。)
『豊橋会場』
行政8、医療21、福祉82、教育4、家族・当事者28、学生1、その他・未記入21?? (計165人。)
こんなに沢山の方々が、足を運んで下さったことに、深くお礼申し上げます。 (中島先生や、今井代表のおかげです!)
また、この内訳を見て思うのは、名古屋会場では当事者の方々が、大変多くいらしたということ。
ああ、私の仲間がこんなに・・・。
1人1人の方と、握手したかったくらいです。
また、名古屋・豊橋ともに、医療・福祉関係の方々がかなり多いです。
支援者側の方が、これほど多く来て下さったことに驚き、有り難く思いました。
名古屋での滞在時間は短めで、ビル街しか見ていませんが、「タクシーより市電に乗りたい。」、と皆でどやどや乗った路面電車から見た豊橋の町は、落ち着いていて、低層の建物が多く並び、広々した良い所でした。
会場の「あいトピア」 の部屋に入ると、窓側が全面ガラス貼りで、天気が良かったため、遠くの山々まで見渡せ、私や中島先生、今井代表は思わず歓声をあげたほどです。
ほかにも豊橋には、福祉関係の箱物 (建物) が多いらしく、羨ましい環境でした。
ところで、東京に住む私からは、名古屋や豊橋はおろか、大阪や京都までも、皆同じエリアに思えていましたが、名古屋と豊橋だけでも70キロも離れているんですね!
私の距離感の基本となるのは、実家横浜と東京都心の距離が30キロで、それは近いような遠いような、といった微妙な線なのですが、その倍以上もあるので、名古屋と豊橋は近くはないですねえ。
三重や岐阜の方が、かえって名古屋に近いようです。
まあ、東京も横に長いから、同じようなものですが、こういう地理的なことって、支援体制にも影響してくるのでしょうね。 ふむふむ。
さて、講演内容ですが、私は当事者側の、体験談に基づく視点からしか話せませんし、まだ勉強不足ゆえ、中島先生や今井代表のお話は、会場の皆様と同じく、知識を得るために一所懸命、耳を傾けて拝聴していましたよ。 (つづく)
今、外は大雪です! ワッチが大喜びでウメを連れて出て行き、全力疾走で、家の前の道路を何度も往復していました。 近所に恥ずかしいですし、風邪ひいちゃうから、やめてほしいです。 中学2年生ですが、小学生のようだわ・・・。
積もるかな?
コメント
コメント一覧 (10)
そういえば、私もあちこちで泣きましたよ~!職業訓練所の家族懇談会で、保険会社社員の前で (怒りながら)、病院で、電話で、自宅で・・・。でも、泣き出すと、それを冷ややかに客観的に見つめる自分もすぐ現れるので、1分くらいで、(ふん。泣くもんか。)となりました。で、我慢。おかげで強くなりました。 うちのコウジさんは、できがそんなに良くないから、自慢はないですよ。(苦笑。) でも、同じ行為をよく繰り返していました。特に、銀行員時代にお世話になった会長 (私達の仲人さんです。)が、今何されているかな~、と、いつもパソコンで調べていました。何回調べても変わらないのに。いつも「何しているかな~。」と調べているので、イライラした私は、「そういうあなたは、何をしているの!」 と突っ込んでいましたっけ。今も、似たり寄ったりで、同じことを繰り返すことは、変わりませんね。お兄さんはその話をすると、きっと楽しいのでしょうから、その気持ちは受けとめてあげるといいですよ。耳栓しながらでもね (笑)。 私は専門科じゃありませんけど、そういう 「快」 の気持ちって、障害者にはプラスみたいですよ。意欲にも関係するのでは。
前回11月に一人で参加させて頂き柴本さんのマンガを購入し、社内にて回覧したところ、今回5名社員が自分も…と参加希望をし、6人で参加させていただきました。
中島先生のお話はもちろん興味深く皆が勉強になったと絶賛!!
私は、同じ境遇である柴本さんに親近感を持ち、お会いできて嬉しく思いました。
主人が脳出血で倒れたのは、一昨年の12月14日。
51才の時でした。
主人の仕事は、グラフィックデザイナー。デザインの仕事もしながら専門学校の講師もしてました。
主人の作品が大好きで、私の経営する介護関連事業の会社のカタログ初め主人のデザインありきでここまで来ました!!
夜中に24才の娘がボイストレーニングの講師として独立したいと言う話をして私の会社の事業部として、音楽療法も取り入れてやって行くか否かを三人で話し合い、就寝直後の出来事でした。
死んでしまうかも…一晩付き添いながら娘と泣いて過ごし、翌日命は助かったもののそこからが戦いの始まり。
あとは、まったく柴本さんと同じ経験をしています。
入院⇒リハビリと5月まで過ごし、自宅においても麻痺の残る右半身のリハビリを現在も継続中。
私が、主人の言動・行動が依然と違いおかしいと思い始めたのは、夏を過ぎたあたりから…
それでもいつかは元通りにといつも思いながら過ごしていました。
ところが、11月のセミナーでこれは障害の一つと解かり何だか涙が止まらなく…
介護事業をしていていつもいろんな方にお会いして、この障害のことも解かっているのに、なぜ気付かなかったのか今でも不思議。
今は、柴本さんと同じく前向きに主人と付き合っています。
主人の脳を回復に向かわせた娘の作る歌…
主人のまわりの友人たちの励まし…
主人の生徒たちからの応援…
負けてはいられませんよね!!!
今は、年末から今日にかけてカタログ48ページの制作に励んでします。⇒ほめてやると喜びおこずかい頂戴!!と…
この正月もマツコデラックスの身体に私の顔写真を合成した年賀状~いつも私をいじったパロディの作品が年賀状なので~でが完成して皆をびっくりさせた主人。
最初は怒ってばかりいた私ですが、今は穏やかに御子様主人を相手にして毎日楽しく過ごしています。
いつか主人の個展を開くのが夢です。
日々コウジ中のマンガを見せたら〝僕もコウジくん。12月14日で一歳〟と自分のことを皆にEこうじくんと言って笑っています。
語り出したら止まりません(笑)
私も娘もブログしています。
何だか日々の出来事を残して行きたい気持ちが共通しているかも…
次回また作品が出来上がったら拝見します。
とても温かな現実のお話…ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
クモ膜下で倒れた後、高次脳機能障害になってしまった兄のことではアドバイス下さってとても感激しました。
本を読んだとき、「えっ、我が家のこと???」というぐらいコウジさんが兄に似ていた(風貌や行動)ので驚きました。それからワッチちゃんも娘と重なり柴本さんの戸惑い、悩み…、私とてもよくわかります。でも、ごめんなさい、そう思いつつ、私大笑いしていました。こんなに高次脳機能障害のこと、みんなにわかりやすく伝えられる本てないなーって感心し、兄の行動がまんがになってるー、という笑いです。
5年前兄が倒れる少し前から、父が認知症となりました。兄はいまでこそそれほど怒らなくなりましたが、当時は結構怒りっぽくて父の何気ない一言に怒りをばらまいていた時期もあり、病気だから仕方がないとするにせよ、どうしようもなくぼろぼろの毎日を過ごしていた時期もあります。しばらくしたら、父の深夜の徘徊が始まり、それを追っかけて何時間も探し続ける日々もありました。
家族の中に認知症と高次脳機能障害…
悲しくも二人とも脳なんですねー。
柴本さん、またこちらにおじゃまします。ではまた(^。^)
講演にお越し頂き、有難うございました。 中休みの時、私の所へまっすぐに満面の笑顔でいらした時は、まさか当事者家族の方とは、失礼ながら思いもしませんでした。 私のブログの前の方で、家族が倒れてから、悲嘆と拒絶→諦め→受容→喜び、へと繋がっていくプロセスを、「トンネルの向こうにある豊かな人生」 (だったかな?) と表現したのですが、Eさんは、そのトンネルを、特急列車で走り抜けていらしたかのようです。(私は鈍行・各駅、時々車両故障で立ち往生) 素晴らしいですね。ご主人のこともとても大切に思っていらして、「家族が仲がいいことが、この障害を乗り越えていく鍵だ。」、という自説の典型的な良い例です。いまだに私は、色々寄り道したり、間違いを起こしたりしていますので、もしかしたらEさんに教えて頂くこともあるかと思います。どうぞ、遠慮なく、ご投稿されて叱って下さいね。そちらのコウジさんにも、宜しくお伝え下さい。
ご投稿有難うございます! 壇上から、(小さな女の子がいるけど、退屈だろうに、静かにしていて偉いな。) と思って見ていました。ですから、壇から降りるとすぐ、お声をかけに行きました。イチゴのどアメ、食べてくれたかな?とてもかわいいお嬢さんですね。叔父さんが大声で怒鳴ると、青ざめてしまった話を伺い、「かわいそうだったね~。でも、病気なんだから、大丈夫よ。(病気だから大丈夫、というのも変ですけどね。)」 と言うと、コクン、と頷いていましたね。本は、私もいまだに読むと笑っていますよ。本当に、コウジさんておかしいですよね。当時は、笑うなんてとてもとても。 「どうしよう!」 と泣きたい気分でしたけど、時がたつと、笑える日がくるんですね。テレビを見て怒鳴り散らすのも、我が家と同じと伺い、それを帰ってから言うと、ワッチもコウジさんも、「へえ~!」 と面白がって喜んでいました。(そのあと、コウジさんは、「やっぱり、それって、障害の症状なのか。」 とつぶやいて複雑な顔をしていました。仲間がいると、病識が持てるかも!) お父様が認知症とは、今知りました。それは大変ですね。想像するだけでも、うさんぽさんのご苦労がしのばれます。でも、とても穏かなうさんぽさん。どうぞ、どーんと受けとめられて、「くるみ」 や、「笑い太鼓」 のお仲間に相談されたり、ここにいらしたりして元気出して下さいね。お母様にも娘さんにも、お姉様にも宜しくお伝え下さい。あ、もちろん、お兄様のコウジさんにも。
でも、この涙ってこの辛さを乗り超えるために通らなければいけない道なんです。きっとそう。涙を流せば、辛さも洗い流せる、のかな、最近は少し泣かなくなりました。
そういえば、兄は、青春時代の思い出を語りだすと止まらなくなる困った病癖があります。もう何百回、いや何千回も聞いたから、という、学生時代の自慢話(成績のことが主)やら、会社の話やら、ふうむ、兄はどうやらプライドの高い人間だったのか?と思います。コウジさんはそういったことはないでしょうか。その話がはじまると、家族は辟易して、どうやって矛先を変えさせようかと思うのです。
メス。ネザーランドドワーフでーす。
(^・^)かわいいです。(^・^) ちょうど、今年は、うさぎどしですね。(^・^) この間あめをもらったおんなのこより
すみません、おはぎちゃんやウメちゃんのことを知り、娘がウサギのことをどうしてもお知らせしたかったらしいので、お許し下さい。
お返事ありがとうございます。そうなんですね。家族会の方に聞いたら、やっぱり同じように自慢を一通りするとのことでしたので、皆さんそうなのか、と思っていました。
倒れてから2年位は全くしゃべらなくて心配しましたが、あるときに堰を切ったようにしゃべりだしました。倒れたときのことや入院中のことはぜんぜん覚えてないんだそうです。入院していたトイレに閉じこもって出てくる気配がなく、私が隣のトイレに乗って、鍵を開けたこと。お風呂に入ったら、ずーっと入ったまま。出ないといけないよ、と声をかけても入ったまま。すごく入浴に時間がかかりました。毎日これではみんなのお風呂が遅くなるから、と考えに考えて、姉が服を脱いで入ったら、ぼーっとした頭でも、これはいけないと思ったのか、「それはちょっと…」と焦ってましたっけ。本当にぼーっとしていましたね。
今はそれが嘘みたいに、べらべらにしゃべります。
本人曰く、高校時代の友人に会ったときに、阪神が優勝したということをきいたんだけど、自分の記憶にはない…というところがポイントだったらしく、そこから自分はどうなっていたんだろうと考えたらしいです。大のドラゴンズファンで野球好きだったから、ちょうどはまったんでしょうか。そのときから、人が変わったようにしゃべりだしました。
昔話がしつこいのもよくなっている証拠と思えば、忍の一字というところでしょうか。
中島先生が言われていた通り、本人はハッピーなんですが、周りはとても大変…。柴本さんも言われてましたが、私もその通りだと思います。でも周りもハッピーになれるように、少しでもよい方向に進んで行きたいです。私はまだまだ修行が足りませんが。
名古屋でお目にかかれて嬉しかったです(*^_^*)
中島先生のお話、とても解りやすかったですし、柴本さんも楽しく
うん、そうだそうだ、と同感しながら聞かせて頂きました。
娘の場合も、三年位は先も見えず、仕事をするなんてとんでもないと毎日見ている家族は思っていました。
私達の地域には幕張のようなセンターが無く、家族会の方が自力で設立された作業所が通える範囲に有り、そちらでお世話になっていました。心肺停止20分の後遺症は大きく、記憶力、感情コントロール、遂行機能等問題だらけでした。
こんな障害が有るまま復職を受け入れて頂けましたが、上司や同僚の方の理解と応援があっての事です。お話の通り、仕事をすることが 脳にも家族にもどんなに有り難く良いことか実感している毎日です。
イヤイヤじゃだめなんですよね! 本人がやる気で行動すると、こんなにも変わるものかと驚いています。
少しずつ仕事を覚え、忍耐力も出て来たように感じます。
先日当地でのフォーラムで、障害者職業センターの方が講演され、
会社と娘の事を事例として紹介して下さいました。
娘はすごく照れてましたけど^_^
担当の方も、以前に比べるととても理解して下さっているようです
コウジさんの会社の方のコメントを読み返すたびに毎回ウルウルしてしまうんですよ(T_T)/~~~
あんなふうに受け止めて下さる方や、キリキリさんのような方がみえる職場 いいですよね!
もっともっと障害者雇用増えること願ってます(^^)v
うさぎ・・・私も飼いたいです。でも、私の家には既に、犬・猫・熱帯魚・カブトムシ・鈴虫がいて、これ以上お世話はできないんです。前はハムスターも7匹飼っていましたが、かわいかったですよ。私の小さい頃の夢は、動物園の飼育係りになることでした。動物が、とても好きなんですよ。うさぎちゃん、可愛がって、大切にね。 と、お嬢さんにお伝え下さい。
高次脳機能障害は、100人いたら100通りの症状がある、と言われていますからね。介護する側も、だんだん慣れてくると、楽になりますよ。というか、鈍感になってある程度は、無視したり、笑えたりができるようになるのかな。そうはいっても、今も私はコウジさんに怒りましたよ。幼稚でしつこいのでイライラするのです。ウメの出番なのですが、ウメも夜は寝ていて。あ、コウジさんも寝ましたよ。やれやれ。こういうのが日常になっていくんですよ。あまり気にしないことですね!
ね、そうですよね!障害があって、(こんな状態で大丈夫かな?) と心配なうちからも、立派に就労の輪に入っていけるのですよね。そして、輪にいれてもらえれば、段々症状も改善して、立派に仕事ができるようになるのですよね。勿論、全員が全員ではないかもしれませんが、チャンスを与えてもらえない限り、果たして仕事ができるのか、できないのかは、わかりません。そして無事我が家やぷりんママさんちのように、就労がかなった場合は、「高次脳機能障害者でも、こうして仕事をしています。」 と、世にアピールすることが、他の障害者の方達の就労が促進されることに、繋がっていくんだと思っています。お互い、頑張りましょうね!