昨日、家族会代表に、私のブログに寄せられた、色々な方からのコメントの話をしていました。

 その際、例えば最近で言えばスマイルさんのコメントにあったように、「今かかっている医師が、高次脳機能障害と診断してくれないのだけど、きちんとそう診断してくれる医師はどこにいるの?」 というお話。

 代表は、「国立リハビリテーションセンター(所沢にある)が、2月くらいかな、やっと全国全ての都道府県に、高次脳機能障害支援普及事業支援拠点機関が出揃ったのを、HPにその一覧表をアップしてあるわよ。」 と仰いました。 「その人が住んでいる都道府県の拠点機関の病院に受診するか、そこまで遠ければ、そこに電話してそこから紹介される近くの病院に行けばいい。」 と教えてくれました。

 私が、「そうなんですか! 全国にできたんですか!」 と喜ぶと、「あたしは前から何回も言ってるし書いてるけど、あなたが知らないだけ。」 と、冷ややかにピシャリと言われ、(あれ?) と冷や汗かきました。 (そうだっけ??)→ そういえば、手持ちの家族会が2年半前に制作した 「こーじ便利帳」 の最後に載っていました。??

 でも、初めてこの障害と付き合うことになった人 (家族) が、すぐに国立リハビリセンターのHPを見るとは、到底考えられません。 私なんか、今まで接点がなかったので、今日初めて見たくらいです。 普通は情報を求めて、近くの役所に行きますね。 だったらその一覧表は役所に置いておくといいんです。 そうしてくれるよう、明日早速電話してみましょう。 (既にそうしてあるかしら?)

 また、パソコンをお持ちでない方は、HPなんて見られません。

 ということで、このブログを携帯から読まれている方のために、その拠点機関を北から順に書きますね。? お役にたちますように。

 全国拠点センター → 国立リハビリテーションセンター (埼玉県所沢市並木4?1? tel:042-995-3100)

 北海道 → 北海道大学医学部附属病院 (札幌市北区北14条西5丁目 ?tel:011-716-1161)

 青森県 → 財団法人黎明郷リハビリテーション病院 (平川市破ヶ関湯向川添30番地 ?tel:017-245-2231)

 岩手県 → いわてリハビリテーションセンター (岩手郡雫石町七ツ森16番地243? tel:019-692-5800)

 宮城県 → 宮城県リハビリテーション支援センター (仙台市若林区南小泉4?3?1? tel:022-286-4394)、 東北厚生年金病院 (仙台市宮城野区福室1?12?1 ?tel:022-259-1221)

 秋田県 → 秋田県立病院機構リハビリテーション・精神医療センター (大仙市協和上淀川字五百刈田352番地 ?tel:018-892-3751)

 山形県 → 国立病院機構山形病院 (山形市行才126番地の2 ?tel:023-681-3394)

 福島県 → 総合南東北病院? (郡山市八山田7丁目115?? tel:024-934-5322)

 茨城県 → 茨城県立リハビリテーションセンター (笠間市鯉渕6528?2 ?tel:029-677-0626)

 栃木県 → とちぎリハビリテーションセンター (宇都宮市駒生町3337?1 ?tel:028-623-6114)

 群馬県 → 前橋赤十字病院 (前橋市朝日町3?21?36 ?tel:027-224-4585)

 埼玉県 → 埼玉県立リハビリテーションセンター (上尾市西貝塚148?1 ?tel:048-781-2222)

 すみません、疲れましたので続きは明日午前中にします。 (勝手に途中でやめる、いい加減な私です。)

 昨日のブログでも触れましたが、私の投稿が今から4年半前に、朝日新聞に載ったことがあります。今読み返しますと、当時は非常に暗い日々だったことがわかりますので、ご参考にそのままここに写します。

 「障害と認められない」

 夫 (45) は2年前にくも膜下出血になり、重度の高次脳機能障害が残りました。 記憶力と意欲が低下し、性格も子どもっぽくなりました。 会っても電話でも、それなりに話せるので、周囲は障害があるとわかってくれません。 でも、作り話をするので、トラブルも起きます。 本人には病気という認識がなく、メモをとったり、自分で注意したりができません。 外で目的を忘れたり、人前で泣き出したり、道に迷ったりするので私のフォローが必要です。 さらに困っているのはお金の問題です。 主治医に2度、診断書を書いてもらいましたが、保険会社は障害と認めてくれません。 ハローワークの障害者部門で仕事を探していますが、採用通知はもらえていません。 住宅ローンを抱え、小学生の娘もいて、この先どうなるか、まったくわからない日々です。 (東京都世田谷区 主婦 43歳) ?2006年12月20日朝日新聞 ?『患者を生きる』

 はい、4年半後に、自分がこんな風になるとは、まったく想像していませんでした。