今日はパワーポイントの資料を、新しく作っていました。
今までの講演会で使っていたものに、さらに改良を加えていたのですが、パソコン音痴なので、四苦八苦しています。
どうにか連休中に作り上げて、27日の滋賀講演から使用したいのですが・・・。
明日あさってはコウジさんは会社ですから、しあさってから泊まりに来る、義母を迎える用意を手伝ってもらえるのは、今日だけ。
狭い家なので、1組しかない客用布団を、ベッドの下の収納スペースから引っ張り出して、干しました。
今日は晴れだ、と思っていた天気が曇りでしたが、仕方ない。
義母は、コウジさんが倒れてから1か月、この家に泊まり込んで、一緒に病院へ通っていました。
義父は亡くなっていますし、一人息子の一大事に、いてもたってもいられなかったのでしょう。
私もパニックになっていたので、義母がいて心強かった記憶があります。
けれど、コウジさんの障害と長い付き合いだ、とわかりだしてから、それを認めたがらない義母との間にできた溝は、深まる一方でした。
今はもう大丈夫ですよ。
義母が、息子の障害を受け入れて頑張ろう、と変わってくれたせいもありますが、それも息子への愛情がそうさせたのでしょうね。
コウジさんも、義母をすごく大切にしていますから、いい母子関係です。
最後におはぎちゃんの話題を。
おはぎちゃんが、春の陽気にウズウズするのか、玄関の外に出たかったので、リードをつけてしばし散歩しました。
写真はその時のもの。
10分ほどの小散歩を終えると、満足そうにまた寝ましたよ。
コメント
コメント一覧 (29)
沢山辛いことが私にはいろいろあって。お休みになると本当に考えます。
私は生きていくことに興味が湧かない。
自分で稼げなくなった独り者。重度の記憶障害。薬が漢方になりイライラしています。効かないのに…。保証もない。金銭的な行く末が家族が亡くなったらどう考えても保護しかない。病院から仕事無理していますと説明があっても、無言で今の仕事をとるよう病院で促す身内。私が生きる意味は毎月の金のためじゃないかと最近は思います。
休みをとって障害者の役所手続き後、胃痛腹痛が続き、2日目もお休みしたいと言ったら仮病扱いする母親にいい加減この前は怒り狂って傘をダンボールに何度も殴りつけました。一人で頑張っているのに。[その後病院行きました]
今の仕事がクビになったら散々攻められる毎日です。安易に辞めても東京と違って地元で枠で仕事がないことはさいたま市病院側からかなり説明がありました。東京に出て働くことも視野に入れた方がよいと。
病気が治る訳ではない。記憶障害の虚しさはなった人にしか絶対解らない。人に迷惑かけて生きることの苦しさ。ちょっと前の記憶が消える恐怖感。そんな生活が長い人生一生続くんだなぁ。遅かれ早かれ解っているのに生きていてもしょうがないんじゃないかと思います。
何故、事故で、何の保証もなくこのまま何十年も生きていかなきゃいけないのか。ただひたすら我慢しろという身内にもとても腹が立ちます。人事だと思って…。私の不手際のせいもあるから自業自得でしょうと言われると辛いなぁ。正しいのですが。
辛いことが沢山ありました。この辛さも一生続くんだなぁと思います。職場の健常者の方から可哀想と言われると大変辛い。可哀想なんかじゃないし。ただ社会の世の中の私達のへ見方は可哀想な人なんだなと思います。
電話相談をしたい訳ではなく多分高次脳の患者は皆、何で生きているんだろと思っていると思います。この虚しさは一生消えない。私達を支える家族の精神的な負担も解るから尚更生きる意味が解らないのです。
私は本人同意があったら、もうちょっと安楽死を認める社会になって欲しいです。頑張ることが美徳とする社会にうんざりしています。
ともさんの周りが、あまりにもともさんに対して理解ないなあ、と憤りを感じます。ともさんは、本当は、何の心配もなく、暖かな日差しがふりそそぐ、かぐわかしい花々が咲き誇るお花畑で、絵を描いたり詩を書いたりする生活が似合うと思います。 突飛な意見で申し訳ないけど。 記憶が極端に弱いこと、身体的なもろもろの不調を考えると、通勤したり複雑な仕事をしたり、理解のない人々の中で暮らすのは合わないだろうなあ、と。 また、そういう自分の状態に対して、がっかりしないで、自己嫌悪にならないで、誰だってともさんみたいに、自転車に突っ込まれたらそうなるんだ、と胸をはって、そういう被害者の立場をこうしてつらいけれど、声に、言葉にしてくれることが、世の中のために大変なっていることを、誇らしく思ってほしいです。 ともさんみたいな方は、きっと沢山います。 でも、ともさんのように、きれいなわかりやすい文章でそれを説明できる人は、そういないかもしれません。 そういう意味で、ともさんの存在は大変貴重で、私達は大切にしなくてはいけない。こんなに苦しい思いをさせてはいけない、そう思います。 前述のようなお花畑で絵を描いたり詩を書いたりする生活 (比喩としてとって頂いて構いませんし、本当にそういう生活でもいいです)ができるために、どうともさんが、私たちが動くか、そこを考えていかなくては、と思います。ともさんは被害者ですが、人生を楽しみ、人の役にたち、人に助けられていく、つまり普通の人と同じ人生を送ることができます。 すみません、もう出掛けなくてはならないので、今はこのへんで。 お母さんが何を言っても、休んで下さいね。
旦那にともさんのコメントを読んで聞かせました。自分も同じ気持ちだよと、決してともさん一人じゃないよとコメントしてと頼まれました。
ともさんの投稿時間を見てびっくり!
夜寝られないのかな?夜は思考がどうしたってネガティブになってしまいます。 先生に言って夜寝れる薬を出してもらったほうがいいかもしれないですね。
グループリハビリに参加出来るといいですね。うちは月に一回だけ出ているけど、こないだ参加した人で、交通事故から高次能機能障害となり、それから体中痛くて、ブラッドパッチを何回かして、今日来れるかわかんなかったけど病院まで来れたことがうれしかったと涙していた人がいたり、何年かぶりに桜が綺麗だと思えたと、ずっと高次能機能障害と鬱で不調だった人がいたり。(私もなんだか不調で今年は桜が綺麗だと思えなかったのでわかるわかる!と思ってしまいました)仲間がたくさんいますよ。
私が高次能機能障害の家族をもつ方たちと家族会などで共感できると気持ちが楽になるのと一緒で、ともさんも同じ仲間と共感できると気持ちが楽になると思うのですけどね。
まずは夜眠れることが大事かもしれないですね。私も深夜眠れなくて、目が覚めたりすると、ろくなこと考えないですから…。深夜は危険ですね。
おはぎちゃんって、アメショーみたいですね。
もっと、日本風のねこちゃんを想像してました。
うちの隣のアメショーのナナちゃんみたいでかわいいな。
あ、それから、コウジさんで公務員のこうじとしては、事故の被害者が、その辛さを訴えていくことが大事だと思います。
今回、夢と魔法の王国に遊びに行く人たちが巻き込まれた事件ありますよね。
僕は、信号無視の大型トレーラーに突っ込まれて、コウジさんだけじゃなくて症状てんこ盛りの障害者にされました。
コウジさんだから、自分の症状を上手く説明できないけど、それでも、こんなに症状てんこ盛りなんです。
だけど、ともさんみたいに、それを伝えられなくて困ってる人たちがたくさんいるんです。
先日、勤務先(公務員のこうじの勤務先だから、行政です)に行って来たら、「えええ!!!???」っていうことがあったんです。
でも、上司も一緒に「ええ!!??」って言ってたんです。
だから、僕の障害への勤務先の対応が、言い換えれば、高次脳機能障害に対する行政の対応ですね、
それが、ともさんが困らせれているみたいなことになってたんですよ。
もう、高次脳機能障害には対応できないので、通院してるリハビリテーションセンターに行ってきたんですけどね。
コウジさんのこうじだけじゃ説明できないので、言いたいことを文書にまとめて奥さんと一緒に行ってきたんです。
結局、僕が言いたかったことは伝わりましたけど、これは、僕一人だけじゃできなかったことだと思います。
だから、ともさんの辛さは物凄くわかります。
安楽死を求める気持ちも・・・。
僕は、痛みはあんまり感じなかったから、安楽死じゃなくても良かったんです。
でも、そんな気持ちが一番強くて辛かった時は、身体的にもボロボロでしたから、物理的にそんなことできなかったんです。
あれ?話がずれてるぞ・・・・。
ともさん、もしかしたら、ご近所なのかな?
リハビリテーションセンターへ相談なさってはいかがでしょうか?
僕は、入院してから外来通院の現在まで、けっこう面倒見てもらってるんですけど
場所的に通院は難しいんだろうな・・・。
あ、これはコウジさんのこうじの独り言として、真剣に考えてもらわなくてもいいんですよ。
てげてげでいきましょうね(えへへ)。
ちょうど義母の事で悩んでいたので、勇気を出して書いてみました。私の主人は交通事故で足の大怪我と高次脳になりました。急性期病院に3ヶ月入院した後リハビリ病院に転院しました。覚醒が上がったのは良かったのですが妄想・幻覚・暴言・暴力がでてきてしまい、リハビリができなくなり精神科へ転院をしました。私も精神的に辛かった為、病院に行く回数を減らし今までいろいろと我慢させていた子供の世話を中心にみていました。そして、同居している義母が毎日病院にいくようになりました。そこでの義母は主人をまるで幼稚園児のように扱い怒らせないように機嫌をみて、私が居ようが構わず主人の世話をやきます。私は出来るだけリハビリも兼ねて出来る事は自分でやらせているので、主人も何でもやってくれる義母を頼るようになりました。妻の私はカヤの外です。問題は今の精神科を退院した後の事なのですが、精神科の先生は常に見守りと介助が必要なため自宅介護は相当大変になるだろうと、施設や療養型の病院を進めてくれていますが、前にいた病院の医療相談員さんは自宅に戻ると良くなる人も多いので義母と同居してるなら2人で自宅介護をしたらどうか。と言われています。義母は自宅に戻したいようですが、ただ今の状態でさえ私は義母と暮らしているのが辛く、デイケアなどに行けるレベルではないため日中間、義母と旦那とで過ごすことを考えると恐ろしいです。でも自宅介護をしない事で高次脳の回復を遅らせるんではないか、とか。どの選択を考えても不安でいっぱいです。自宅介護が出来る目安とかあるのでしょうか。他の家族の形で自宅介護をしている方もたくさんいらっしゃると思いますが、私はどう判断すればいいのか毎日悩んでいます。礼先生は後援会や家族会などでいろんな家族の方をご存知だと思います。何かご意見頂けると助かります。大変長い文で失礼致しました。
こんばんは。コメント下さって有難うございます。たしかに簡単な問題ではないと思いました。(お風呂に入りながら、考えていました。) 元々義母と同居されていらしたのですね。ただでさえ考え方にギャップがありがちなところへ、御主人が障害を負われて、益々ギャップが大きくなってきたところのようですね。まあ自分の子どもが障害を負うと、どの親も子ども可愛さと可哀想さで、そうなりそうですね。私も最初はそうなっちゃうかもしれませんが、だめだめ、親が子どもを抱えこんでしまうと、ろくなことありません。 子どもの自発的は回復能力を阻害しないよう、可能性を引き出さないとね。時には冷たく突き放すことも必要のようです。御主人にとっては、たしかに甘やかしてくれ、無条件に優しくしてくれる存在は、有り難いし、そういう甘える場所はある程度ないといけないと思いますが、甘えさせてばかりだと、だめですね。あめとムチで、義母とだふっちさんが役割分担していくのはもしかしたら理想的なのかもしれないけれど、人間ですから、それですと義母とだふっちさんの間がぎくしゃくしてきますよね。あめとムチ、どちらをとるかといえば、私は経験からムチだと思いますけど、そのムチには愛情が根底にあることと、時にはあめも混ぜることも必要ですね。 あめ義母とムチだふっちさん2人でやっていると、関係がストレスになってくると思いますので、だふっちさんがあめとムチを使い分けながら御主人を介護されるのが、いいかと。 でもそれではそばにいる義母が納得しないでしょうから、そのうち衝突した時に、しめた、「じゃあお義母さんに全てお任せます。」、と言うのも手かも。義母はきっとそのうち音をあげて、やっぱりだふっちさんに頼むわ、と御主人を任せてくるんじゃないかな。 それまでにはある程度の時間がかかりますが、仕方ないかなあ。改善するといっても、目覚しく改善するのはせいぜい2年くらいまでといわれていますので、そのへんまで義母と衝突しながらもムチで頑張って、そこから義母に任せて・・・という感じ? そのへんのことは、実際になってみないとわかりませんが、甘やかせてばかりいても、義母は先にいくのですから、残される息子(御主人)のことを考えると、だふっちさんとの関係を良好にしておかないといけない、と普通なら気付いてくるはずです。ああ、なんだかややこしく書いてしまってすみません。これは私の個人的な考えですので、もしほかの経験者の方がいらしたら、ぜひアドバイスお願いします。
また、退院後ですが、暴力があるなら、施設に任せた方がいいような気もしますけど、どの程度の暴力かわかりませんので、なんとも。多少の暴力があっても、自宅介護されている方は多いですね。もし自宅介護されるなら、だふっちさんは外でお勤めされると、義母さんとそんな1日中一緒にいて、意見の相違で疲弊しきることは避けられるのでは。 ただ、自宅介護を勧められた方がリハビリ病院の方、それは無理だから施設や療養型病院へ、と勧められたのはそのあとの精神科の先生。時系列でいくと、精神科の先生の見たてが、現在の御主人の状況に合っていることになりますから、そちらが本当かな、という気はします。 これも私の勝手な印象ですが。 すみません、一応お願いされましたので、私の独断で述べましたが、あくまでもこれは参考にとどめ、だふっちさんがよ~く考えた道がきっといいと思うことを最後に付け加えますね。さて、あとはどなたか別の考えがおありの方々、宜しくお願いします。(いらっしゃらなかったら、ごめんなさいね。)
おはぎちゃんは、アメショー(アメリカンショートヘアー)です。 浦安に住んでいた時出会いました。 ワッチのお姉さんです(笑)。かわいいですよ~。
ともさんとこうじさんは、近所といえば近所なのかもしれませんが、そんなに近所でもないようですね。 でもともさんは、県のリハビリテーションセンターへは、まだ行かれてなかったでしたっけ?(混乱してきて、失念。すみません。)
たびたびさん7さんも、余り調子が良くないのですね。 お大事にね。私は桜はいつも通りきれいだな、と思いましたが、今年はピンク色の椿がやけにきれいに見えました。 ともさんは、グループリハビリで仲間ができるといいですね。ともさんの病院にあるのですね。 ともさんには行く暇がないのかな? 是非行かれて下さいね。私も寝たり目が覚めたり、毎日そんな感じです。私の場合、目が覚めてもすぐまた眠れるのですが。 年のせいかしら。
ウチのジジ(父)は、今晩もよくしゃべってベッドに入ったようです。
耳鳴りがうっとうしいからか、私達がテレビを見ているそばで、
テレビで言っている内容をデカイ声で聞きます。
なんて? なに? これはどこどこやなあ!? などなど。
おかげで、私達はテレビの内容が聞こえません。
見て聞いていたらわかる内容やん。何度言っても、やめません。
おまけに、「今、その話、する必要ある?」というような、
自分が1人で見ていたテレビや、新聞などで得た情報を
しゃべり続けます。脈絡なく。元々、こういう性格。
事故に遭って、右耳が全く聞こえなくなった上に、四六時中続く
ひどい耳鳴りがあるため、その性格上の難点が、ひどくなりました。
今後も、ますますひどくなるでしょう。
私、付き合いきれるかな?と少々心配です。(笑)
元来、寂しがりやなせいもあるのかな。
母も姉も私もそう思っていますが、本人は認めません。
眠れないので、入眠剤を服用。休みなので睡眠薬を飲んだかな?
事故に遭って2年半ほど経ってから、いろいろと検査を受けました。
結果、高次脳、MTBI、脳脊髄液減少症、どれも疑いです。
私は、それで正解だと思っています。
強いて言うなら、脳脊髄液減少症が一番可能性があるかな、と。
画像では、脳に傷はないとのこと。
でも、頚椎にひどいダメージを受けたため、身体にはかなりしんどい症状が残っています。
障害手帳、聴覚2級です。
こんなにしんどい思いをしているのに、たったこれだけです。
加害者は、そんなことも全く知らずにのうのうと暮らしているでしょう。
言っておきますが、加害者に厳罰を下したいわけではありません。
糾弾すべきは、
警察、検察、損保会社、と手を組む弁護士と名乗る奴ら、自賠責、
交通事故被害者から逃げる医者、被害者への対応不足の行政、です。
そういう連中に、負けてはいけない。
負けてたまるか!という気概が、父を支えてきたところがあると思います。
幸い、長年培った電気工事の技術力を買われ、昨年12月から仕事に就きました。
私達家族は、疲れが心配ですが、本人は疲れはあるものの、
好きな仕事ができる日々が戻ったことが嬉しいようです。
見積りや図面を書くことで、筆圧が戻ったとか。
右手のふるえ、右顔面の痺れのために、
髭を剃るたびに顔に傷をつけているのを見ると、悲しいですが。
仕事ができなくて(=何もすることがなくて)、
朝起きてきても、ぼや~んとして手持ち無沙汰だった頃。
見ているこちらも嫌でした。
記憶力は確かに衰え、しょっちゅう探し物をしています。
忘れてはいけないものをひとまとめにして同じ所に置いています。
必要なもの一式を入れるボディバッグを、私が探して買ってきました。
仕事に行くときの鞄も、一緒に買いに行きました。
予定は、カレンダーやホワイトボードに書きこんでいます。
カレンダーの書き込みは、のちに裁判資料を作成するときに役立ちました。
記憶力の衰えは、障害がなくてもあること。程度が違うと言えば、それまでですが。
すべては無理でも、なにかで代替できる部分はあると思います。
え~っと。何が言いたいかというと・・。
ともさん
事情を知っているわけではないので、簡単にあれこれ言うことは憚られるのですが。
高次脳、MTBI、脳脊髄液減少症、いずれかの診断が下っているのですか?
当事者の方とお話しする機会はないのですか?
わかってくれる人がどこかに1人でもいると思うと、人間、気の持ちようが変わります。
今は、負のスパイラルに入ってしまっている。
他人に迷惑かけずに生きている人なんて、誰もいませんよ。
皆、なんだかんだと迷惑をかけながら生きています。
それは、人と関わりながら生きている、ということだと私は思いますよ。
「生きる意味」なんてわからないよ。それでいいんじゃないの?
何かを成し遂げるために生まれてきた! と言う人もいるけど。
私は、何も成し遂げなくていい。(笑) 心豊かに生きていたい。
私も、独り者です。不安定な雇用。財産なく、養ってくれる人もいませんよ。
生まれつき、心臓に持病があります。2度手術を受けました。でも、元気ですよ。
病院から仕事無理していると説明されても今の仕事をとるように身内の方が促す、
とのこと、今のお仕事がいろんな意味で安心できるからなのでしょうか。
でも、今は心身ともに休息が必要なときなのではないでしょうか。
ゆっくりと気持ちに栄養を補給するとか。
GWはお休みですか?
どこかに出かける気分ではない?
近くを歩くだけでも違うと思うけど。意外な発見があったり、ね。
ウチは奈良・吉野まで蔵王権現様に会いに行ってきました。
暑かったけど、青葉若葉、木々の香りに触れて気持ち良かった。
ブログにも書きました。
記憶障害はなんで起きているの? 治療方法はないの?
「家族の精神的な負担」は、確かにあるでしょう。
ウチなんか、高次脳じゃないと思うけど、上に書いたとおりいろいろ大変だもん。(笑)
でもね、家族にかかるのは、負担だけじゃないよ。
楽しいこともきっとあるよ。腹立つこともいっぱいあるけど。
それが、人間じゃないのかな?
気楽なことばっかり言って! と気に触ったらごめんなさい。
柴本さん
これ、UPしないほうがいいかなあ?
まずいと思ったら、UPしないで、貴女だけで読んでください。
父の言動がうるさくって。
でも、楽しくあろうとしてるんだなあと思って。
なんか、かわいい父です。
色々親身なコメント、有難うございました。 そうですよね、人はほかの人に迷惑をかけながら生きていますよね。 私もそうです。迷惑かけたくなくても、かけています。もうそういうものだ、と割り切っていかないと、生きていけませんね(笑)。Blueさんのお父様の例でもわかりますが、人は仕事(すること)があると幸せですよね。逆にないと、つらいですね。尤も何もしないことが幸せ、という人も中にはいるかもしれませんが。(そういう人には、世の中のためになるボランテイアでもせいっ!と言いたくなる私。) あと、リフレッシュとか、人と会って話すことも必要ですね。深呼吸と同じで、新鮮な空気を体内に取り入れ、淀んだ空気を中から押し出さないとね。ともさんも、緑の中、花の中、外歩きしてみて下さいね。
おとといの出来事以来、肋骨の痛みで夫の施設へ行くことができません。
うちの姑も息子かわいさに、入所中で注意されているにもかかわらず
夫に食べ物を与えて、肥満にさせてしまったため、施設に出入り禁止になりました。
そんな姑が気の毒で外泊させたのですが、あの惨事です。
うちは2年3ヶ月を過ぎるところです。
怒っている息子は「もうあれ以上よくはならない」と言います。
医師はあきらめたらおしまいだと言います。
本によると、自宅ですごしたほうがよくなると聞きます。
でも、暴力があるので難しいです。
と、考えが堂々巡りです。
はじめまして。うちは主人が36歳で重度の高次脳です。うちの義父母と同じです!!赤ちゃん言葉で話しかけ幼児扱いし、何でも言いなりになり好きなことさせて、私には「3人目のこどもやと思って!」と声をかけ、気持ち悪すぎて生理的に受け付けなくなりました。子どもではなく夫として戻ってほしくて鬼になってリハビリしている私の気持ちなんてわかってもらえないと思いました。
私だったら、義父母との同居なんて考えられません。私だったら別居しちゃうかも。精神的に無理です。ちなみに、私は主人が倒れてから私の実家で同居しています。
義父母がどうしてもご主人を看たいというなら一定期間みさせたらいいかも。その間に施設や病院等など入れるところを探してみてはいかがでしょうか。私は大変さをわかってもらうのをあきらめてしまいました。大変な時に全部任せてみさせればよかったと少し後悔もあります。
うちは1年7ヶ月リハビリ病院を転々として少しずつ良くなりましたが、小さい子どももいることもあり、まだ自宅で介護できる状態でないと思い、幸い見つかった障害者施設に入所しました。そこで8ヶ月たちましたが、よくなってきています。
今、在宅介護に踏み切るのは大変すぎると思います。もう少しご主人が良くなって、家族も準備が整ったら受け入れを考えたらいいと思います。私もまだまだ自分自身どうしていいのかもわかりませんが、私はそう思って今を生きようと思っているところです。
境遇が似ていたのでついつい勝手なこと書いてしまってごめんなさい。参考までに流してくださいね。心身共に大変な時期、お身体大切にしてくださいね。
私もゆうこりんさんとだふっちさんは、似ている状況だと思いました。まだ肋骨が痛むのですね。可哀想・・・。ご主人と一緒にいると危ないです。よく考えられた方がいいですよ。何も今一緒にいなくても、そのうちもうちょっと改善してからでもいいのでは・・・と思いますよ。
こんにちは!ご無沙汰しております。突然の登場にびっくり、嬉しく思いました。ゆるりんさんのところは、御実家に同居ですし、そういう方ならほかにもいらっしゃるので、だふっちさんのようにご主人の家族と同居、というケースは存知なくて、難しいなあ、と考えているところでした。たしかに義父母との同居は健康でも難しいのに、ご主人が病気になってからあれこれ関わって来られると、更に大変なことですよね。 でも別居したくてもお金の問題が発生するでしょうから、簡単にはいかないし・・・。 とはいっても、ゆるりんさんのお話は、とても参考になりますね! やはりご主人はどちらかに入所してもらって、改善してきた時に自宅介護を考えるのが道筋かと私も思います。しかも、ゆるりんさんのご主人はとてもお優しくて、暴力がないのにずっと大変なのですから、暴力がある場合は、もしかしたら考えるまでもないことかもしれません。 まずはご自身とお子さん(義母さんも入れてあげてもいいですが。笑)が、大切なんですよ。介護者あっての介護。介護者が良い精神状態にあることが、当事者の改善に繋がります。ご主人はもういわば病気になった人。これからは改善していかなくてはなりませんが、そのために必要なだふっちさんやお子さんまでが病気にならないよう、健全な気持ちで過ごせる道を選択しましょう。ゆるりんさん、有難うございました。 ゆるりんさんところも、将来は御実家で3世代皆で、仲良く暮らせるといいですね。
記憶障害のご質問があったので。
これを持ちながら仕事をするって大変です。異動してから全面に出てきました。
具体的には5分位前のことでも下手すると例えば記憶から打ち合わせをしたとしてもその出来事の事実が記憶から消えてしまいます。
また新しい人の名前、顔は覚えられません。仕事で新しい方の紹介をされても覚えてなくて。確か紹介された記憶がうっすらあるけどどの人だったかな…と内線表をみて頭を抱えてしまいます。
地理も駄目で。
例えば建物内で荷物を移動したりする作業も何階から何階に運んだか、下手すると指示が解らなくなります。目が廻る。新しい場所はまず位置、名称が覚えられない。
異動部署の茶箪笥のものの配置さえ全く覚えられないので携帯で写真をとりました。
新しいことが、まるっきりとにかく駄目です。
病院からは高次脳、また重症の記憶障害と言われています。
また私の仕事は潰しが利かないよねと職員同士が話していましたが、転職しても今の過去の蓄積の知識が使えないのです。
こうじ様のご質問にあった県リハは相談に行きました。事故後から大分経つ私のケースの場合リハセン病院でリハやっても、もう意味がない。受け入れられないというお答えでした。事故から直ぐでないとあまり熱心にならないと評判は聞いていましたが…。本当はリハしたいですよ。相談や話はとりあえず聞いてくれますし、就労訓練は希望があるならということでした。診療やリハは駄目だそうです。こうじ様は事故直後から直ぐ県リハに紹介でかかっているから、県リハもちょっと対応が違うのだと思います。[県リハが悪いとかではないです。急性期にかかって高次脳診断がないと病院の対応が違ってしまうのです]
最近はちょっと歩行が段々きつくなって、[別件で背中の筋や神経を切っている関係で全身の身体の筋緊張が激しいそうです。とにかくつっぱりが強く全身が固まってしまう。年々悪くなっています。]、ちょっとの坂道も足が利かない。激しい腰痛もここからきています。
年々歩行はきつくなり。毎年楽しみにしていた新宿御苑のこの時期の園内散歩も頑張って行きましたがあまり歩けず、辛いものでした。歩行が効かない、背中を付けて眠れない、腰痛とかですね。
新しいことが覚えられないとか、身体のままならなさ。いつまでも自分達もいないからと両親は言っており、今の仕事を辞められると私も身内も困るから、病院から言われても無言なのです。
姉は知らないと言っていますから。病院にどっちが行くかで行く直前に押し付けあいの喧嘩をする位でした。
一人で保護しか選択肢がなくなってしまう訳です。
状況の説明だけ。
真面目にいい加減、本人同意があったら安楽死出来る社会になって欲しいと思います。
前に読みましたが、がん患者が全身が耐えられないくらい痛くて苦しい、海に飛び降りるという現場で、生きていればいいことがあると警察等が説得して、最後はごめんなさいと言って飛び込んだ事件がありました。
謝らせる社会に腹が立ちますし。安楽死を真剣にこの国はもっと考えてもいい。
意識がありながら高次脳機能障害を抱えて生きていくなんて煉獄だと書いていた当事者がいましたが全くその通りだと思います。働きたいけど働けない。ボランティアは逆にある程度健常でないと難しいと思います。相手の話も忘れる人間を誰が信用して頼みごとをするでしょうか。
でも。お気持ちは嬉しいです。励まし有り難うございます。とにかく毎日をやり過ごしていくだけです。とりあえずクビになっていない今。日々の金が稼げるだけ今はまだましな幸せと思わないと…。
ともさんは記憶障害のほかに、身体の方も深刻な問題なんですね。そうすると、やはりお仕事をするのは、つらいでしょう。 家族が冷たいので、「1人で生活保護」と考えられるのも、わかる気がします。でもそうするには、家族と別居しなくてはならないのですよね。 やはり火の始末の問題があり、1人暮らしは危ないですよ。ご両親がいらっしゃる限り、一緒に今のまま住む方がいいのでは・・・生活保護よりも、障害年金を受給して何とかやっていけないかしら・・・。
いつも、ブログを拝読させていただいています。
ここは、家族も当事者も救われる場所と思います。
私は、夫を当事者に持つ家族ですが夫の高次脳機能障害は、重度ですので本人が辛いという言葉を言うことはありません。でも、ともさんの様に苦しんでいる当事者の方のコメントを目にすると何か力になりたいと思います。
国立リハビリテーション病院を退院された方が立ち上げた「未来の会」という当事者が運営されている家族会があります。
連絡先は、「未来の会」代表 市川 剛 様 mirainokai@gmail.com です。
よろしかったら、問い合わせをしてみて下さい。
ともさんの悩みが少しでも解決されることを願っています。
家族会という組織が大きな役割を果たしますね。ここもコウジ村という素晴らしい家族会です。
礼さんがブログを続けて下さっているお陰です。ありがとうございます。
情報有難うございます。ともさんには、たしかに当事者のお仲間と相談しあうことが必要だと思います。せっかくソレイユさんが教えて下さいましたので、機会があったらコンタクトされてはいかがでしょうか。 こうしてともさんのことを、きっと沢山の方が心配されています。 どうぞひとりぼっちだ、つらい、と思わないで、みんなと関わり合いながら生きていきましょう。それが人生というものではないでしょうか。ともさんの頑張りは、ほかの多くの方へ様々な力を及ぼしていくものだと思います。安楽死だなんて考えないでください。以前参加した夫婦の会で、「諦めるのは最期でいい」と明るく仰っていた方がいて、その言葉はずっと私の心に残っています。 諦めるのは最期で、それまでは頑張る、その頑張っているうちに、諦めは遠く離れていきますよ。命は本当にかけがえのないもの。生きたくても生きられなかった多くの方々のためにも、ともさんは生きなくては、その方々に怒られてしまいますよ。ともさんの命を、どうか大切に大切に守って下さい。周りはそれをきっと助けていきますから。
他多くの皆様
皆様、励ましやその他有り難うございます。感謝の思いに耐えません。たびたび様やこうじ様。blue様。嬉しく思っています。
ソレイユ様。未来の会等、情報大変有難いです。有り難うございます。
私個人の印象ですが高次脳機能障害を抱えて仕事を続けるということは例え理解があったとしても、本当に大変だと思います。理解がないならかなりの轍だと思います。
そして多分私だけではない。程度差こそあれ自覚がある高次脳障害者は、自分自身があてにならなくなったことに不安感や失意、悔しさや苦しさを抱えながら頑張っているんじゃないかと。ご家族の方は大変だと思いますが暖かく支えていくことが救いになるかと思います。
私は未だに、なるようにしかならないと腹をくくることが何時までたっても出来ない当事者です。ひとつ悲しいのは皆様の支えや励ましを下手すると時間が経つと記憶から消える、忘れてしまうのです。でも何時までも、そんな何を忘れたかさえあやふやな自分自身に悩み続けることは変わらないのではないかと思います。
障害はいつも今の自分自身を人間関係の破綻や苦情、トラブルとしてこれからもずっと自分に突き付けてくる。仕事を初め当分人生の岐路は続くでしょう。落ち着くのはまだまだきっと先で長い長い道程だと思います。
事故から約2年半。高次脳機能障害が疑われ約1年ちょっと。怒涛の日々。自分自身が事故後の新しい物事や事象を覚えられなかったり、特に過去と結びつきが弱い事などは記憶に残らないことに気づき、昨日の記憶さえ消えていることもある。己が信用出来ないことが解り、どうも後遺症らしいと知り愕然とし。結果、後遺障害に対しての仕事を初めとする、周りのシビアさ、社会の厳しさに参ってしまいました。
あと、身内の恥を書きましたが。こんな家の事情など、何かしらあったりするのは珍しいことではない筈で、障害をもっていても人として自分が恥ずかしいです。
自分自身も回りも楽な状況になるように本当に。また諦めずに、根気よくGW明けから会を初めとした相談や行政関係その他、アクションをまた新たな気持で起こしていこうと思います。
[私は安楽死については、障害を除いても、これから社会が本気で考えて良いのではないかという想いは変わりません。これは自殺をしたいとかではありません。]
ともかく明るい話題を少しでも見つけようと思います。皆様有り難うございました。
記憶が残らなくて辛い気持ちは僕も同じですけど
合言葉は、ナンクルナイサ!で~す!!
そうですか・・・。励ましやアドバイスも、時間がたつと忘れてしまう・・・ なるほど。そこには気づきませんでした。そうか・・・。だから、私も何度も同じような励ましをしているような、変な気持ちになることがあるのですが、それはともさんが鬱だから、何度励ましても、なかなか浮き上がってこられないのかな、と思っていました。それなら、みんなからの励ましやアドバイスを書き留めておいて、時々読み直されるといいかも!そうしたら少しは元気が持続するのでは。とにかく、もう少し気楽にね。明るくね。
一応社会復帰をしているし、エラそうに「代表」なんて言ってますが、会社では自分のヘナチョコさ加減を日々実感してます。脳出血からもうすぐ13年経ちますが、今でも3日に1回くらい死にたくなってますよ。でも、いちいち死んでると命が幾つあっても足りないので、死にませんけどね(笑)。
9月には、所沢市で当事者会と家族会の合同説明会を企画してます。僕らみたいに脳ミソに障害があったって、人のためにできることは何かあるはず。
初めまして。 コメント有難うございます! 市川さんのお名前は、存じていますよ。 当事者ですのに、非常にしっかりされ頑張っていらっしゃるそうですね。 いつかどこかの講演会でお会いできるはずでしたが、どこだったか手元にある資料ではわからず・・・。 私の勘違いだったらすみません。 所沢市の「当事者会・家族会合同説明会」 は、9月16日(日)の13時~15時、 所沢市保健センター2階 多目的ホール、定員200名(先着順) ですね。明日あたり、所沢市のその会ほかの情報をまとめて書きますね。 書かなくちゃ、書かなくちゃ、と思っておりました。 是非皆さんにお越し頂きたいですね。 当事者の方が発信できる、って素晴らしいことですよ。 ここにコメント下さる方の中にも、そうして発信できる当事者の方が沢山いらっしゃいます。社会を良い方向に変えていかれるためにも、これからもご活躍されて下さいますように。 今後とも宜しくお願いします。
すみません、お返事が遅くなってしまいました。 そのご意見は貴重ですね。 つい手を出したり、駄目だろう、と挑戦させなかったり、それは必ずしも本人のためではなく、成長していく可能性を奪ってしまうことでもあるのでしょうね。 当事者家族は、このことに気をつけていきましょう。
自分にできることは、同じ境遇にある皆さんとご家族に、少しでも自分の体験を伝えること、そして元気になっていただくこと、かな・・・。「障害の程度が軽いから」と言われて、健常者と同じ環境で同じ結果を求められる苦しさ。あ、今、自分の脳ミソが混乱してる、とわかっていても、そう簡単に修正できたら苦労しないわけで。本当に厄介な障害ですよね。自覚できなければどんなに幸せか、と時々思います。
市川さんの仰ることよくわかりますよ。 夫も病識がないため、なんでもできると思っていますし、会社も見た目がとても普通だからか、「これくらいできてもいいのに。」と思われ、苛立ちもあるような感じを受けています。 勝手な順位づけですが、①障害者自身ができない、と思っている。 会社もできない、と思っている < ②障害者自身ができる、と思っている。会社はできない、と思っている。 < ③障害者自身はできる、と思っている。会社もできる、と思っている。 < ④ 障害者自身はできない、と思っている。 会社はできる、と思っている。 の順に、大変さが大きくなるのでは。 うちの夫は③ で、市川さんは④でしょうか。
一昨日、昨日は、全国大会で富山に行っておりました。
11月3日には、名古屋での「脳外傷リハビリテーション講習会」の
第二部に出るとになりました。
初めてお会いできますね。
よろしくお願いします!
こんにちは。 富山、私も行きたかったけれど無理でした。 ところで11月3日の詳細をまだ教えてもらっておりませんで、昨日私から、時間と会場の名前だけ質問したメールに対し、お返事頂いたので、その2つはわかったのですが、それ以外は何も。 担当者に頼んでいるのですが、まだ何も送られてきていません。どうしたのかなあ。 忘れられているのかも。 そういうことがよくあります、最近。 市川さんは二部なんですね。 私は何部なのかしら。 とにかく、お会いできるの楽しみにしていますね。 こちらこそ宜しくお願いします。