夫の事故、猫や娘の病院通いでバタバタしながら宝塚入りした昨日、やっぱり失敗していました。 とほほ。

 

記念講演会前に、山口研一郎先生と早川一光先生と、お昼を食べながら打ち合わせだったのをすっかり忘れていたのです。 それに気づいたのが、なんと今朝。

 

山口先生から頂いていたFAXを、久しぶりにホテルで読み返していて、自分の失態に気づき青ざめました。 昨日先生から何のお咎めもなかったので、気づかず。

 

もう、大失敗じゃあないですか。  山口先生や家族会代表が、私を探していた頃、私は中途半端なあき時間を持て余していて、宝塚阪急で1人昼食をとっていました。

おかげで、せっかく早川先生や山口先生とお話する貴重な機会を逸したばかりでなく、家族会や舞鶴市からいらした知人達ともお話できず。

 

実は行きの新幹線の棚に、家族会や 「やまぐちクリニック」 へのお土産も置き忘れたことに下車してから気づいた私 (ほかに4つお土産持参していましたが、それはキャリーの中で無事)。 新大阪駅で忘れ物窓口へ行き、手続きするも、新幹線が博多行きだったものだから博多に取りに行くか、博多から着払いで送ってもらうかなんですって。

 

着払いを選び、お土産なくした私は仕方なく西宮北口駅の大きな商業施設、西宮ガーデンズというところへ、動く歩道を乗り継ぎ、ようやく辿り着くとめぼしいお菓子を探しました。

 

すると、これから宝塚に行くのに、めぼしいモロゾフもユーハイムも神戸のお菓子なので、東京みやげにならず迷いましたが、結局ユーハイムにしました。  また、家族会の設立祝いだから、のし紙をつけてもらうのにまた時間かかり、なんやかやで1時間以上はロス。 こういう時、ほとほと自分に嫌気がさし、反省室があったらこもりたい気分でした。

 

今朝も今朝で、高槻市にあるという 「やまぐちクリニック」を訪問するのに、クリニックは高槻駅だと思い込んでいて下車、探したら隣駅の摂津富田なんです。  そこでまた切符を買って電車に乗り、人に聞きながらやっと辿り着いた有様です。

 

もうほとほと、自分に自信をなくしましたよ。 山口先生は昨日の失礼を詫びる私に、「うんうん、柴本さんがほら、ここにちゃんと12時半に参ります、と書いてあるから大丈夫と思ってた。」 と見せて下さった私のFAXも、そういえば書いた気するけど、1か月前なので余り記憶がなく、詫びるしかありませんでした (この1か月の間に事故とその処理、猫と娘の病気、名古屋と厚木の講演、今後の講演先である北海道や会津若松市その他とのやりとり、宝塚行くその朝までまた新たな講演先への日程お返事メールを打っていて・・・ 言い訳ばかりですが、マネージャーかリマインドしてくれる人が欲しい・・・)。

 

山口先生もお忙しくて、23日は大阪で12月1日にできる障害者のためのケアホーム 「らしんばんの家」 の開所式に行かれていたそう。 その 「らしんばんの家」 のスタッフの方々も5名、昨日いらしていたそうですが、私はそういうわけでご挨拶もできず、もうへこむことへこむこと。

 

それでも尚、そんな失敗もかすむぐらい、色々な方と会えて感謝。

『日々コウジ中』が縁で知り合ったゆるりんさん、たんぽぽさん、Blueさん、ジンベイさん。 そのほか19歳の時バイク自損事故で前頭葉の一部を無くした(!)あと、その後客室乗務員を経て会社社長となって現在も活躍されている女性。 彼女は歌が抜群に上手くて、美空ひばりさんや和田アキ子さんの歌を懇親会で披露して下さいました。 プロとしても歌われていますが、山口先生のおかげで今の自分がある、と先生に向かって熱唱される姿に、私も皆も感動して涙、涙。

 

また、3週間の昏睡状態で臨死体験されてからは、「人生変わった、死ぬのは恐くない」、と仰る女性は、自らグループホームを経営されています。

 

色々な方がいるなあ、自分はまだまだちっぽけだなあ、と思いながら東京に戻ってきました。

 

約45年ぶりに訪れた生家は、跡形もなく小綺麗なアパートに変わっていましたが、家の前にあったなつかしい楠の大木は、西宮市の保護樹林になって残っていて、私は愛おしくその樹肌を撫でてきました。 それは嬉しい思い出です。