この月曜日に、ある方に会いに行ってました。

 

その方は70歳を越えた関西のご婦人で、40代の息子さんが7年前に、脳卒中から高次脳機能障害になりました。

 

独身だった息子さんは東京で1人暮らしをしていて倒れたため、入院もリハビリも都内の病院でした。

そのため婦人は関西からご主人と共に息子さんの家に泊まりながら、関西の家と行き来もして息子さんの病院へ通いました。  息子さんの身体障害は重く、現在も車椅子です。

 

その後行き場所を求めてたどり着いたのが、郊外にある老人向け療養施設だったそうです。

なぜそこを選んだかというと、リハビリを週に3〜4回も施してくれるからだと。  そこにはからずも2年半もの長きにわたって入所していた時、出入りしていたケースワーカーさんが、「こんなところにいてはダメ!」 と、紹介してくれたのが世田谷の 「ふらっと」 だったそうです。

 

ご夫妻は今度は世田谷にマンションを借りられ、「ふらっと」 ともう1カ所別のクリニックに、それぞれ週2回ずつ通われていました。また同じく週2回、息子さんとプールに通われました。 その生活を3年間続けられました。

 

けれど来月、いよいよ関西の実家に家族3人で戻ることに決めたと聞き、その前に是非ゆっくりお話を伺っておきたい、と思って時間を作って頂いたのでした。

 

彼女はいつも大変忙しく、一緒にいられたのはたった2時間ほどでしたが、そこで私が知らなかった彼女の話を聞くことができたのです。

 

やはり一番つらいと感じるのは、例えば夜、ちょっとふらふら街に出て食事でも娯楽でもしたいな、ということが絶対できないことだとか。

 

昼間はヘルパーさんに頼んで少しの時間出かけられても、夜はそうもいかないのだそうです。 やはり排泄の問題があるから、1人にはできないのだと。

 

月に1週間はショートステイに息子さんを預けられていますが、そうでもなければ疲れてとても無理とのこと。 当然です。

 

彼女は才能溢れるいわゆる文化人で、関西にいた頃は有機農業・地産地消を推進する主婦グループで活動されたり、ラジオで英語の番組を担当されていたり、いつも考え、行動する生活を送られていました。

 

息子さんの介護で東京に来てからも、好きな物書きをされるのですが、いちいち息子さんが 「何書いているか」 「それは何のためか」 とうるさく聞いてばかりなので、落ち着いて書けないのだ、と苦笑いされていました。

 

私との予定の2時間が過ぎると、これから月2回自分の体力維持のために通っていた体操教室に、別れのご挨拶に行ってくるのだ、と忙しそうに電車に乗りました。

 

素敵なのは、関西に戻ったら考えていることがあるそうで、それは自宅の光がさんさんと差し込む居心地のいい居間をサロンとして開放し、色々な方との交流の場にしたいのだと。

 

そしてそこには息子さんがいつもいて、高次脳機能障害の方々も沢山呼びたいのだと。

 

さらに、関西のとある地域の高次脳機能障害者家族会の理事をされているご主人と共に、その会を障害者やその家族皆のためになるよう、しっかり育てていきたいのだと。

 

70を越して (75歳です) も尚、アイデアが枯れるどころかまだまだあれもやりたい、これもやりたい、と語られるそのエネルギッシュで輝くような笑顔を、私もこんな70代になりたい、と憧れの眼差しで見つめていました。

 

毎日の息子さんの世話に追われながらも、常に建設的な思考をされる、ご高齢のこんなすごい方もいる、ということを皆さんにも教えたくて。

 

今日は近所の介護用品店をハシゴして、お風呂の滑り止めマットを2枚 (洗い場用と浴槽用) を買い、カタログ2種類もらってまとめて宅急便で実家に送りました。

 

実家の近くにはそういう店が何もないけれど、私の住む町は高齢者が多く病院ばかりで、改めて住みやすいところだと思いました。