あれはいつの頃だったかなあ。

 

私が小学5、6年生の頃だったか、あるいはもっと前だったか。

 

学校から自分の家に帰る道に、壁というか崖というか、それが左側に高くそびえた場所がありました。

 

横浜は山ばかりですから、山越え谷越え小・中・高・大学・会社へと通学・通勤したのです。

 

当時住んでいた公団住宅は南区の山の上にあって、4階の我が家のベランダからは富士山も見えましたし、遠く磯子の方まで見渡せました。

ちょうど目が悪くなってきた頃で、「自分はどこまで見えるのだろうか」、とベランダに出ては磯子方面の建物を目をこらして眺めるのが日課でした (残念なことに視力低下はその後もどんどん進み、今は両目とも0.02くらいです)。

 

とにかくその崖を見上げながら私がいつも思っていたことを、今でもよく覚えています。

つまり、「自分は忍者のように身軽だから、こんな崖くらいヒョイヒョイ登っていける。 でも今は人目があるからやらないだけだ。」 と。

 

私は今からはとても想像できませんが体操が得意な子どもで、床・鉄棒・跳び箱 が大好きでした。

団地の芝生で側転や転回を、公園の鉄棒で難しい危険な技をいくつも、日が暮れるまで友達と練習していた相当なお転婆娘でした。

だから高い壁を登るのなんかお茶の子さいさい、と本当にそう思っていたんですよね。

 

子どもというのは怖いもの知らずというか想像力豊かというか・・・ いい時代だったなあ、と思います。

 

横浜は今はもう随分開拓されて変わりましたが、40年も前は山ばかり。 団地から山を降りていったすぐのところには沼があって、ゲンゴロウやミズスマシも泳いでいましたし、私はザリガニを男の子達に混じって釣っていました。 家から持ってきた父のお酒のおつまみのスルメイカを、さいて糸の先に結びつけて釣りましたが、男の子達はスルメイカが足りなかったのか、残酷にも釣ったザリガニを2つにちぎってそれを餌にしていました。 いまだに思い出すと悲しくて胸が傷みます。

 

クワガタもいましたし、崖を掘るといきなり大きなムカデが飛び出してきて、私達は「キャ〜!」っと叫んで逃げましたっけ。

自然豊かな場所で子ども時代を過ごさせてくれた両親に、とても感謝しています。

 

それにひきかえワッチは都会育ちにしてしまい、自然とは無縁のまま16歳にさせてしまったことを、実は申し訳なく思っています。

コウジさんが倒れてから余裕のない生活で、自然と触れ合う機会も与えてあげられないまま、家族旅行も何年もしていません。

 

・・・ と、話がどんどん逸れていくので最初に戻しますと、そういう風に子ども時代は何でもできそうな楽しさがあったのです。 無責任でいられたし、「人生とは」、なんて考えることもなかったものね。

 

中学くらいから段々違ってきましたが (私はおくてだったので、早熟な人は小学生の頃から色々考え出しているかも)、大人になると、なんと不自由なことか。

 

例えば 「どこか異国とはいわずとも田舎に住みたいな」、と思っても、コウジさんが会社へ通えなくなる、ワッチの学校はどうなる、親から離れるのは心配でできない (今は尚更) などを考えると、その願いは非現実的で無理無理 (イラスト仕事ならどこでもできるんだけど)。

 

うまく工夫して自由に生活している大人もいますけど、大概の人は義務と道徳と慣習と便利と限られた金銭範囲の中で暮らしている、のかな。

 

まずい、最近後ろ向きになっている!

 

それでも、過ぎ去りし子ども時代を懐かしく羨ましく思うことが、時々あるのです。

 

ああ、つくづく遠くにきたもんだ・・・