父の介護だけでなく、母の方も同時進行なので、あたふたした毎日です。

 

毎日睡眠2時間 (ブログ書く時間あったら本当は寝なくちゃいけないのだけど、書きとめておくのも大切と思い)。

 

ただ、「手が足りない!」 と嘆く私に、お手伝いを申し出て下さる方々がいて、恐縮しています。

 

私は身内以外の方々にお手伝いをお願いしようなんて全く思わないで書いていましたので、読んで下さった方々に余計なご心労をおかけしてしまったようで、申し訳ありませんでした。

 

皆さんのお力を借りることはなく、利用できるサービスを探す方が先決です。

でもお気持ちが嬉しく、有り難うございました。

 

さて父は、夜のトイレが頻繁で、父だけでなく私もろくに寝られないため、ポータブルトイレを置きました。

 

置いた初日、深夜に不穏な気配を感じて父の元へ行くと、父はベッドに腰掛けたままオシッコをしていて、「うまくできたかな?」 と笑顔で私を見上げました。

 

マットから床に流れ落ちてたまっているオシッコを見て愕然とした私は、思わず声を荒げて、「そこはベッドであってポータブルトイレではないでしょう?」 とか、「ボケてしまったの?」 とか、「もう私に父の世話は無理!」 とかの言葉で、父をなじってしまいました。

 

父は自分が間違えたことに気づくと、ムニャムニャ弁解し、「これをボケたというなら、ボケたのだと思う。」 「僕はここを出て行くよ。」 など、寂しげに言いました。

 

その言葉にハッと我に返った私は、この世で一番尊敬している父に、なんてことを言ってしまったのだろう、と悔いました。

 

父の弱々しい姿や、逆に、状況を考え (られ) ない自己中心的な姿に、私自身も混乱しているな、と気づきました。

 

落ち着いて考えますと、父がこんなになったのは、老いや病のせいなのです。

誰もが迎える人間の自然な姿ですから、憤ったりなじったりするのは間違いだ、と反省。 第一、私だってこうなるかもしれないのですから。

 

翌日すぐ、明るい気持ちで防水シーツや尿取りパッド、ズボンの着替えを何枚か買いに走りました。

そして父の前でベッドに防水シーツを敷き、「これでもう大丈夫だよ!」 と笑いかけますと、父も 「うん、うん。」 と笑ってくれたので、胸の奥がキュウンとしました。

 

父が可哀想になってくる一方、ベッドやベッドテーブル、車椅子、歩行器、ポータブルトイレ、その他の福祉器具でどんどん狭くなる我が家にイライラし、「物がどんどん増える〜!」 と、父にはイヤミともとれる悲鳴をあげてしまいます ・・・ まだまだ修行が足りません。 ごめん、父。

 

でも父は沢山ご飯も食べ、薬もきっちり飲み、運動もしたらきっともっと良くなるはず、と私はとても楽しみにしています。

コウジさんの時のように、頑張ろう、私!

 

他方、腰椎圧迫骨折をして入院中の母は、その後順調に回復してきていて、転院先を決めることになりました。

 

今の病院は救急病院なので、回復期リハビリ病院へ移るのです。

 

毎日何度も電話で連絡を取り合っている、医療相談室のソーシャルワーカーさんが、いくつか候補になる病院に当たって下さり、その1つが私は 「いい!」 と思って、今日その病院の担当者と話をしてきました。

 

もちろん父を1人にはできないので、今日会社が休みのコウジさんに父をみてもらったのです。

とは言ってもそれも5、6時間が限界なので、タクシーを使って少しでも時間を節約しました。

 

転院候補先の病院で1時間半話し合った結果、ここに母をお願いしようと決断。

転院希望日を伝えて、すぐその足で母の入院している病院へ急ぎました (転院希望日は、大分講演会の2日前。 前日はさすがにくたびれてしまいそうで、大分で倒れるかもしれませんから)。

 

なかなか見舞えない母やソーシャルワーカーさんと話をし、急いでまた帰りました (この時の詳しい話はまた明日以降に)。

 

と りあえず本日のことを書きました。

 

明日 (もう今日) は、コウジさんの53回目の誕生日です。

 

優しいコウジさんは、父にご飯を忍耐強く笑顔で話しかけながら食べさせてくれ、父もすごく嬉しそうです。

 

感謝しながら、お祝いしなくちゃ。

 

追伸 犬のウメの腫瘍手術は、9月の8日にお願いしました。 悪性でないよう、祈っています・・・(涙)