毎日数行書いてはあとを書く時間がなく、何日もあいてしまいました。

 

父の介護記録を書くつもりが、両親とも入院してしまい (世話するのは私1人)、障害を持つ夫、受験生の娘 (それに犬猫魚)、とくれば、ただでさえ忙しい主婦仕事  (主婦はエンドレスの家事で、忙しいのである) に、なぜかたまたま北は北海道、南は九州に講演会活動が重なって、人生いまだかつてない忙しさなのです。

 

読めない (開きもしない) 新聞も、すぐ十日くらいたまり、世の中の動きに疎くなっています。

 

それでも、御嶽山の噴火ニュースと、被害に遭われた方々やご家族の話には胸を痛めています。

 

地震予知に関する研究は、今回全然役に立っていない。 これでは、活火山に登山するのは危ないです。

私は面倒臭くて登山はしませんが、きっと登山は私の知らない魅力と喜びがあることは想像できます。

 

とにかく私はフラフラで、今朝はとうとう起きられずに寝坊、ワッチを車で学校まで送りました。

 

帰り、父が入院している病院の横を通りながら、(今日は昼過ぎに来よう。) と思いました。

 

父の状況をどこまで書いたのだったか・・・ (ちょっと確認) ああ、26日を最後に5日も書いてなかったです。

 

26日金曜日は午後4時に病室で、前日の退院前検査結果をふまえて退院できるか否かの話が医師からなされました。

 

順調に回復 (3日前には死にそうになった80歳という高齢者なのに、生命力というものはすごいな、と感心。) しているので、明日 (27日) 退院かな、と期待していました。

 

ところが、肺は入院時と変わらず白く、今朝は発熱して7度5分になったため、退院は見送りとなってしまったのです。

 

新しい抗生剤に今朝から変えたそうで、これで様子を見て、3日後の29日月曜日にまた退院できるか話しましょう、とのこと。

 

父もがっかりしていましたが、仕方ありません。 私も引き続き、1日3〜4時間、病室で父の昼食介助をしたり、話したり、着替えを持ってきたり洗濯するものを持ち帰ったりしました。

 

週末はコウジさんも来て、父のひげ剃りしたり、病室で和気あいあいと過ごしました。

 

土曜日はワッチの高校の保護者会があり、受験生の親であることを再認識したものの、高校を一歩出ると、また父と母の用事で頭がいっぱいに。

 

そして月曜日。

今度こそ明日退院だ、と期待して父と病室で先生を待ちました。

 

なぜならあまり入院が長引くと、筋力は弱くなるし、病院食を食べたがらない父が痩せてしまうし、通所しているトレーニングも行けないし、父が実はいまや楽しみにしている食事がおいしく職員も優しいショートステイへも行けなくなるので。 ← 私の帯広講演会の間、お世話になることになっていました。

 

つづく