昨日ブログを書くつもりが、例のごとく父の世話で猛烈に忙しかったのと、私が咳まで出始めてしまったので、(まずい!)、と早々に寝てしまいました  (と言っても12時くらい)。

 

父の介護の様子はゆっくり書いていくつもりでしたが、大変なことばかり書いている私を (実際大変であります。)、皆さんが心配されているのが気になってきました。 ご心配おかけしてすみません。

 

まだまだ大変なことを書いている途中でしたが、皆さんに余り心配かけてもいけないので、今日はもう、書くつもりだった順番を変えて、今後の方向が決まったことを先に書きますね。

 

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父を自宅に引き取って2か月以上が過ぎ、介護の勝手がなんとなくわかってきた一方、心身の疲れはもう最高潮のこの頃。

なにより、父が君臨している今の我が家に、大学受験が迫ったワッチのストレスも最高潮、そして私の手伝いをしてきてくれた夫、コウジさんの疲労もそろそろ 限界にきているようで、父の周りで家族がいがみ合うのにも遠慮がなくなってきていました。

 

3人の怒鳴り声や他愛ない話を日常的に頭からかぶりつつも、ポーカーフェイスの父。

パーキンソンは表情が乏しくなる、と言いますが、父の場合はまだ笑顔も出るので、私達家族のことを呆れているのかもしれない。

 

結構そんなマイペースの父にブツブツ言ったり、声を荒げたりしている私ですが、時には疲れのあまりか上機嫌になってヘラヘラ笑っていることもあり、精神的に危ない。

 

たとえば昨夜は、やっと介護ベッドに乗せて 「軍師官兵衛」 を見せていた父が、うつらうつらして見えたので、(寝ているのかな。 じゃあ電気代が勿体ないからテレビ消そうかな。) と思い、父の顔を真正面から眺めました。

 

目が細く開いているようで閉じているようで、私は手を父の顔の前で振ったり、顔を近づけたり遠ざけたり、ふざけてみました。

 

反応がないので、(やっぱり寝てるじゃん! せっかくテレビの前にスタンバイさせたのに。) とおかしくなって声を出さずにケタケタ笑ってテレビを消しました。

 

数分後また父の様子を見ると、父は目を開けていて、テレビがついていないのを不満に思っている表情をしていましたので、「あら、起きた?」 とがっかりしてまたテレビをつけました。

 

それが、父はずっと目を開けていたようで、今日になって、昨日私が自分の顔の前で手を振っていたね、と笑って手を振るマネをするのです。

 

(ひええ、寝ていると思ってたら大間違いなんだな、気をつけなくては)、と狼狽した私。

 

テレビといえば、昨日は日本オープンをNHKでやっていましたね。

父もコウジさんも見ていまして、番組が終わるとコウジさんはプチッとテレビを消して、「ああ、終わった。」 と楽しげにこっちへ来ました。

 

私が、「誰が勝ったの?」 となにげなく聞くと、やはりいつものように立ち止まり、首をひねるコウジさん。

う〜ん、う〜ん、と考え込んだあと、「片山だ!」 と叫びました。

するとすかさず父が、書類整理する手を休ませもせず、「ウソだよ。」 とポツリ。 (父は書類整理しながらテレビを見ていました。)

 

コウジさんはドキッとした顔で、「違いましたっけ?」 と照れ笑い。 そのあともずっと考え込んでいて、「池田だ!」 とまた叫びました。

 

黙っている父に、私が 「合ってる?」 と聞くと、「合ってるよ。」 と。

それを聞いて、わーいわーい、と喜んでいるコウジさん。

 

もう2か月も一緒に暮らしていると、父にもコウジさんの障害がよく見えただろうな、と安心するような、心配かけてしまい悪いような。

 

ともかく、こんな感じで疲れながらも時々笑える (ほとんど苦笑いですが) 瞬間のある日々を送ってきました。

逆に、今の苦境を笑い飛ばさないとやっていけない、てなもんで。

 

父のエンドレスの介護に今も腰が痛い (足が上がらず、パジャマを着せられないままベッドに倒れてしまった父に、馬乗りになって無理矢理ズボンを履かせたら、アイタタタ・・・・ となったのです) けれど、今日は今後の見通しがはっきりたった日でした。

 

午前は週1回3時間だけのリハビリに行った父、午後は横浜から老健の職員お2人が面会にやってこられたのです。

 

ここへ至るまでの道のりは遠かったような、早かったような。

でももうへとへとの私にとっては、やはり遠く、これ以上遅かったらもうダウンしていたでしょう。

 

● 父がここへ来た当初は、先のことは考えずにやみくもに世話をしていました。

 

● けれどやがて、予想を上回る介護のしんどさに、自分の生命の危険すら感じ始めた時期が訪れました。

 

● そこで無理することをやめ、なんでもハイハイ、と従っていた父に対して、「もうこれからは、私の言う通りにして!」 と自分が上にたって指示することにしました。

 

● そう決めたものの、きりのない介護生活に、私だけでなく夫と娘の疲労の色も濃くなる一方でした。

 

● 夫と娘を守るのは、私しかいない。そう気づくと、夫と娘と自分を優先させつつ、父にも少々の妥協は伴いながらも納得してもらえる道はないか、模索し始めました。

 

● そしてこのブログでコメント下さる方や、親身にアドバイス下さる医療職の知人の言葉を参考にしながら、父を老健に入所させることを考え出しました。

 

● ケアマネさんにも相談、自分で探した老健に実際に見学と話し合いに行ったり、ケアマネさんが教えてくれた、リハビリ重視の高い有料老人ホームにもコンタクトしたりしました。

 

● そんな折、母の知人から横浜のある老健を教わり、そこに惹かれてコンタクトしました。

 

● 入所に必要な書類を送ってもらい、その時父が肺炎で入院中だった病院の医師に相談、健康診断書を書いてもらえることになりました。

 

● 横浜のパーキンソンの病院に受診に行った10月9日に老健入所のための3か月分の薬を頼み、入院した病院には10月16日にやはり内科の3か月分の薬を頼みました  (老健では薬が10割負担になるそうなので、薬は持参した方がいいとのこと)。

 

● 父もこの狭く騒がしい、バリアフリーではないバリア 「フル」 の我が家より、老健に行って毎日のリハビリと介助を受け、そのあと横浜の自分の家に戻りたい、という希望でした。

 

● 私も、せめてワッチの受験が終わるまでは、父に老健か横浜の実家、その他で過ごしてもらうことを望みました。

 

● でも、9月23日に肺炎で急に入院してしまったように、父の体調次第で予定はすぐ変わるため、はっきりどうするかわからない、というのが正直なところでした。

 

そして今日、父の体調も良く、揃った書類と薬を前に、老健との面会が実現し、今週中にも父が入所することに決まったのです。

 

すみません、もう眠くて寝ますが、続きは明日以降にまた。

ということですので、なんとか今の修羅場を乗り越えるところです (それがたとえ一時期的なものであっても)。