今日は、ワッチの卒業式でした。

 

中学高校と6年間通った学校では、良い友達が沢山できたそうです。

 

けじめですから、私も朝早くから式に参加しましたが、卒業生の答辞を聞いていたら思わず涙が出てきました。

 

そのほか色々な場面で涙がジワジワ出てきてしまい、式が終わったお昼過ぎには、すっかり感傷的になって、ヨロヨロして帰ってきました (ワッチたち卒業生には、教室で豪華なお弁当が出ました。 ← 勿論費用は自己負担)。

 

でも、私がコウジさんや高次脳機能障害関係の仕事にかかりきりになっている間に、いつの間にかワッチの中高時代が終わってしまった、といまさらながら気づき、焦りも感じました。

 

もっとワッチと時間とって向き合うべきではなかったか? と。

 

でも仕方ない。 仕事をしている母親は、こんなものでしょう。 (なんて、威張れるほどしていませんが)。

 

それに、専業主婦の母の過干渉が嫌だった私は、意識的に過干渉は避けてきました。

 

にもかかわらず、厳しい学校に鍛えられ、曲がった道にもそれず、ワッチが健康健全に6年間過ごせたことは幸いでした。

学校に感謝しています。 ほい、ワッチも頑張った。

 

私は私で、もう5時起きでお弁当作らなくてもいいし、毎朝最寄り駅まで車で送らなくていいし、少しは楽になるぞ〜。

 

さて、話は昨日の続きに戻ります。

 

父の自宅24時間介護2ヶ月ちょっとと、その後の暫定的老健入所に当たって、高齢者の介護はどうあったら良いのか、考えるようになりました。

 

その頃、昨年12月のことですが、アメリカに住む高齢の知人へ、クリスマスカードを書いていました。

 

毎年カードをやりとりしてきたのに、一昨年のクリスマス時期は私の講演会が毎週のように続いていて、書く余裕がなく、初めて欠礼してしまいました (カードだけでなく、いつも長々と手紙を書くので)。

 

おそらくもう80歳を越えられたその女性は、同年代のご主人と数年前、自宅近くの施設に住居を移されていました。

 

そのことを知らせてきた絵はがきに写っていたのは、美しい森や湖に囲まれた、まるでリゾートホテルのような建物でした。

 

今回遅ればせながら、改めて住所を見てみますと、そこは 「ケンダル・アット・ハノーバー」 というところです。

 

夫人の手紙 (やはりとても長く、詳しく、思いやりに溢れた文章です。) には、「今私は、小さいけれどとても素晴らしい、退職者向けのアパートに住んでいます。 ここのヘルスセンターは、大きな病院と大学 (ダートマス大学) のメディカルスクールと連携しています。 私たちには訪問医がいて、必要な時には検査に来てくれます。」 とあり、とても満足されているようでした。

 

(これは、アメリカの有料老人ホームや老健みたいなもの?) と初めて興味を抱いた私がネットで調べてみますと、三菱総研の松田智生氏が、実際現地に行かれて詳しくレポートされたものがありました。

 

長くなりますので、続きは次回に。