今朝、コウジさんが歩いて5分のところにある近所のパン屋さんに、パンを買いに行ってくれました。朝7時半からやっている、とてもおいしいパン屋さんなんです。
霧雨が降っているような、降っていないようなだったので、玄関にあった折り畳み傘を持たせました。

10分ほどで帰宅したコウジさんは、手にビニル傘を持っていました。
「あれ?折りたたみ傘は?」と驚いて聞く私に、「え?折りたたみ傘?持ってったっけ?」とこちらも驚くコウジさん。
「なんでビニル傘持ってるの?」と私も状況が呑み込めずにいると、コウジさんはパンが入っているお買い物袋の中を覗き、そこから濡れた折り畳み傘を取りだし、茫然とした表情をしました。

「行きは折りたたみ傘で行ったのに、それを忘れて帰りはだれかのビニル傘で帰ってきたのね!その人困っているから、早く返しに行った方がいいわよ!」と慌てて言う私に、コウジさんもブツブツ言いながら折り畳み傘を手に、ビニル傘をさしてまた家を出て行きました。普通、他人の傘は手に持ち、自分の折り畳み傘をさして行くでしょう?注意をしたかったけれど、またパン屋さんへ行かなくてはならないコウジさんが可哀想なので、黙っていました。(私はまだ髪もボサボサですし、お化粧もしていないので、そんなすぐに家を出られなかったのです。傘をなくした人に早く届けなくてはなりませんから。コウジさんは、起きてすぐでも、結構シャキンっとしています。)

結局そのビニル傘の持ち主は、「自分の傘がない。」、と言って、既に帰られたあとだったそうです。
パン屋さんは、コウジさんの障害を知っています。

私はその1時間後、囲碁教室へ行く途中でそのパン屋さんへ寄り、詫びました。パン屋さんは笑顔で、「はいはい、持ち主は今夜取りにくると言ってましたから大丈夫です。」と答えてくれました。私はコウジさんが頭に障害を持っていること、妻が詫びていたことを伝えて下さいね、と頭を下げてから囲碁教室へ向かいました。
会社へ行くときは、名前を柄に貼ったビニル傘を持たせていますが、うっかり近所のパン屋さんにはその傘を持たせるのを忘れてしまった、私の失敗です。

ビニル傘に名前を入れるのも、ケチ臭いと思われるかもしれませんが、コウジさんはちょっとボロいビニル傘で出勤し、立派なビニル傘で帰ってきたことがあるので、それからは名前を入れるようにしたのです。ビニル傘も色々ですからね。

さて、囲碁教室があるのは、大きなスーパーの上に入っている、カルチャーセンターの中です。
ですから、教室が終わると私はスーパーで昼食を買って帰ることが多いのですが、明日は「父の日」ということで、「父の日」と書いたシールの貼ってある豪華なお寿司が売られていました。(豪華といっても、千円ほど。でも豪華ですよね。)コウジさんにそれを買って帰ると、私が買ってきたものを冷蔵庫に入れたり、お茶を入れたりしている間に、もうコウジさんはそのお寿司を食べ終わってしまい、お寿司の入っていたトレーも自分で捨ててしまっていました。

「早いねえ、おなかすいてたのねえ。」と呆れながらも、私は「美味しかった?」と聞きました。
するとコウジさんはボ~ッとした表情で、「ん・・・ うまかった。」と答えましたが、その表情が頼りなげなので、まさか、と思って「何食べたっけ?」と聞いてみました。黙るコウジさん。案の定、忘れています。

「え~、まだ食べ終わって3分しか経ってないよ?」と驚く私に、コウジさんは「弁当食べた!」と言います。
「お弁当じゃないよ。もう、何食べても覚えていないなら、何食べても同じだわね。せっかく高いもの買ってきたのに。」と文句を言いながら、なかなか思い出さないコウジさんに、「お寿司よ。」と教えました。
ホントに、この記憶障害というものは、手ごわい。直前のことを忘れるのです。

例えば毎月1回行っている、大森の「高次脳機能障害と囲碁」の定例会。
そこで散々色々な人と話したり、囲碁をしたり、おにぎりを食べたりして騒いで帰ってくると、建物を出て数歩、忘れています。
まだ振り返れば、すぐそこは建物の入り口があるのですが、コウジさんは、「あれ?今どこへ行ってきたんだっけ?」です。

「囲碁の会」ということを教えましたが、ためしに「では、その囲碁の会は、なんていう人が主宰してくれているの?」と先日聞きますと、これまた出てきません。もう1年以上通っているのにねえ。
コウジさんも思い出せないのが気持ち悪いらしく、「じゃあ、その人の名前の最初の一文字だけ教えて!」と言うので、仕方なく「き」と教えます。 すると、すかさず「木島さん!」と言います。
木島さん?誰、それは。木島さんという知り合いは、いません。(今日は、「木内さん」と言ってました。主治医のW先生の話では、人の名前は覚えづらいそうなので、仕方ないですね。)

ずっと思い出せないので、ストレスを与えるのはよくないと思い、「木谷さんだよ。」と教えますと、「そうだ!木谷さんだ!」と喜び、「でも、今日は来ないんだよね。」と言いました。ハイ、その日は初めて木谷さんは来られない日だったのです(囲碁祭りの相談で、大船渡へ行かれていました)。
なんで、そういうエピソードは覚えているの、とびっくりです。やっぱり「まだらな記憶」なんですね。

・・・と、とにかくコウジさんは記憶が悪いという話を、今更ですがまたしました。

今日は秀樹さんが亡くなられてちょうど1か月です。
コウジさんと夜、秀樹さんのCDを聞いたり、録画してあった「緊急追悼 徹子の部屋」ほか、1か月前の各テレビ局の特集を見ながら、秀樹さんを偲びました。また、2人で涙、涙。

明日は横浜の実家の母のところへ行くので、行き帰りの車の中は、秀樹さんのCDをかけましょう。
秀樹さんは、外国のバラードなど、もっともっと歌って欲しかったなあ。もしかしたら自分の持ち歌よりも、さらにうまく歌えたのでは、と思ってしまいます。たとえば、手元にあるCDの、シカゴの「素直になれなくて」や、モーリス・アルバートの「フィーリング」、ロッド・スチュアートの「セイリング」なんて、もう最高ですよ。

ルックスがカッコ良すぎたばかりに、そのルックスに惑わされ、実はこんなに歌がうまい人だったのだということに気づいていない人も多いのでは、と思います。

秀樹さんは、歌にもリハビリにも同じように真面目で情熱的だった素晴らしい姿が目に焼き付いていますが、日を追うごとに、脳梗塞により不自由になったありのままの自分の姿を皆に見せるということに、どれほど強靭な秀樹さんのご意志が込められていたのか、改めて考えさせられ、胸を熱くしています。秀樹さんは、すごい人です。