囲碁の石倉先生教室で、私は7月から大教室(ちょっと上級者クラス)へ移ったので、前半1時間は先生によるご講義があります。後半1時間は、対局です。

先週の教室で、先生のご講義を一所懸命聞いていると、教室の前の大きな碁盤上の、右下あたりの石の並びが気になって仕方なくなりました。

(あそこに白石を置くと、アタリになるから黒石はそこに置くでしょ。そして次に白石がこっちにアタリをすれば、黒石はそこを守るでしょ。そうしたら、ほら、白石が繋がって、黒石の陣地がなくなるのでは?)

でも先生も、それを見ているほかの生徒さんたちの誰も、そこは問題にしていないようでした。
(ということは、白石からアタリにされても、黒石側はその黒石を捨てて、相手にしてくれないのかな。)

そんなことを考えながら、先生の講義も聴き逃さないように必死でしたので、忙しかったです(笑)。
でもどうしても気になった私は、「はい、じゃあ今日はここまで。続きは来週。」と先生が終わりのご挨拶をされ、生徒さんたちが休憩で教室を出て行かれた時に、すかさず前へ出て行きました。そして、「先生、先生、ここですが・・・」と、気になっていた箇所を質問しました。

「ここは放っておかれていますが、ここに白石を置くと、黒石がこう来て・・・」と話し出すやいなや、先生はすぐ私の意図がわかったようで、「はいはい、でもそうされても、黒は放っておきますよ。そこで5つくらい目が増えるのと、こっちの大場で増やすのとでは、こっちの大場の方がずっと利益が大きいですから。」と言われました。

「ああ!やっぱり捨てるんですね。捨てるのかなあ、とも思ったのですが・・・。 こっちの方が得るものが大きいんですね。」と納得する私に、先生は「うん、でもそこに気づくだけ随分上達しましたよ。」と褒めて下さいました。

囲碁は、勝ち負けを競うゲームですから、石を取ったり取られたりします。でも取られのが嫌で、1つの石でも惜しくなるのが初心者。 捨石にして、大きく利益を狙うことができるようになれば、上級者ですね。
アシスタントのK先生は、「これは取られたんじゃないの。くれてやったのよ。」と笑って言われますが、私も1つや2つ、場合によっては5つでも(?)大きな目的のためには、「くれてやる」ことができるようになるといいなあ。

そんなことを思う時、高次脳機能障害も同じだ、と思います。
夫の1つや2つ(もっとでも)の困ったこと、嫌なことはあっても、もっと大きな家族としての幸せ、本人の幸せ、社会の幸せ(!)を考えれば、そんなことは大したことじゃないのです。

コウジさんはここには書けないような、本人には不名誉なことも色々しでかしていますが、とにかく「ピュア」になったことは事実です。 理性が働かず本能が強くなってしまいましたが、それは自分に正直だということで、時々私の方が彼よりずっと悪いところがあるんじゃないか、と思ったりします。

樹木希林さんが話されていたことをテレビで見ていて、ドキリとしたことがありました。

それは、樹木希林さんは、世の中に怖いものはなくて、死すらもどうでもいいことなのだけど、ただ1つだけ怖いものがあり、それは夫の内田裕也さんの前に立つことなのだそうです。

聞いていただけでメモをしていないので全く正確な言葉ではありませんが、次のように続けられました。

「(内田裕也さんは) いっぱい不道徳なことをするんだけれども、その彼の心の中をかき分けてかき分けていくと、そこにはきれいな鏡があって、そこにはこの世で一番醜いものが写る、それが私です」「彼は私の重しです。彼がいなければ、私は重しがなくてどこかへ行ってしまう。だから大事にしているんです。」

泣けてきました。そして、コウジさんも、私にとっての内田裕也さんのような気がしてくるのでした。

・・・なんて言ったら、ほめ過ぎかな? いえいえ、第一私が樹木希林さんの足元にも及ばない未熟者ですから、一緒にはできないんですけれど、(わかるなあ。)という気持ちが大いにしたのでした。

とにかく、コウジさんを大事にしなくちゃね!
皆さまも・・・!
自分を成長させ、家族皆が幸せになるためにも。